50 反撃のザヴジェル

「混沌の王よ、万物のすべての父にして白痴の黒影よ、闇に囁き忘却に憤るものよ……」


 アマーリエがザヴジェル伯軍の軍議にコアを持ち込んでから二日後。

 ようやく雨が小康状態となったトカーチュ渓谷の砦の防壁上で、遂に禁呪の詠唱が開始された。


 先日の合成特級魔法による殲滅から魔獣の攻撃自体はぴたりと止まっているものの、渓谷の向こう側では着々と魔獣がその数を戻しつつある。ザヴジェル伯軍はその間を利用して更に防壁を強化、今や高さも厚みも三割ほど増強されている。


 そしてその防壁の上、<白杖>魔法騎士団に所属する精鋭魔法使い三百名がずらりと並んで一斉に詠唱を行っているのだ。


 時に高く時に低く、大河がうねるように紡がれていく三百名による一斉詠唱。


 その稀代の詠唱に、ヤーヒムは同じ防壁の端でじっと耳を傾けていた。

 防壁全体に異様な緊張感が高まっている。これから始まる戦いに反応しているのか、左手の甲に同化したラドミーラの紅玉が強く疼いてヤーヒムに暖かな力を送り続けてきている。


 無言のままヤーヒムの隣に立つのは、ダーシャと再招集された特務部隊<ザヴジェルの刺剣>の面々。

 振り返れば砦の内側、城門裏の中庭には熱気と興奮を抑えきれない二千騎の重装騎兵が、出番はまだかと集結し待ち構えているのが見える。


「――この一戦で最後のカラミタを確実に仕留める! ザヴジェルを荒らす外敵を許すな! 魔獣を滅ぼせ! ザヴジェルの未来は我ら<戦槌>騎士団が守るのだ!」


 揃いの赤鎧に身を固めた騎兵集団の前で高らかに叫んでいるのは、<戦槌>騎士団団長のアレクセイ=ザヴジェル、辺境伯家次男でアマーリエの兄にあたる人物だ。


 <戦槌>はザヴジェル三騎士団のひとつであり、白兵戦に長けた豹人族や虎人族を中心に選抜された、主力防衛部隊の<鉄壁>と対を為す純粋攻撃部隊である。

 ザヴジェルに出現した五体の公認カラミタのうち、実に四体を彼ら<戦槌>が電撃戦で屠り去っている。今回の禁呪の後の急襲攻撃などはまさに彼らの得意とするところだ。残る一体もこの機に仕留めてしまおうと、禁呪執行の大役を仰せつかった<白杖>魔法騎士団と共に非常に高い士気を保っている。


「――誇り高きザヴジェルの騎士達よ、命を惜しむな! 我ら<戦槌>騎士団、必ずザヴジェルの安寧を守り抜く!」


 応ッ!

 アレクセイの熱い鼓舞に精鋭騎兵達が揃いの朱槍を一斉に天に突き上げ、力に満ちた応答が砦に木霊する。


 禁呪の後の突撃――それはおそらく、最低でも守護魔獣のテュランノスドラゴンとの熾烈な戦いが予想される。これまで戦ってきた魔獣群とは格が違う相手だ。

 どこまで禁呪で弱体化できるかにもよるが、そのテュランノスドラゴンが護る最後のカラミタ自体も別格の存在であろうことは確実だ。なにしろ峡谷に陸の橋を架けてしまうような化け物なのだ。最後の足掻きとばかりに召喚する魔獣の群れも、これまでとはレベルの違う個体ばかりだろう。

 強力無比な禁呪で先制攻撃を入れるにしろ、まさに命がけの危険な攻撃任務である。


 が、そんな任務に率先して参加していそうな、とある人物の姿は中庭にはない。


「……本当に我と来るのか?」

「勿論だ」


 中庭の攻撃部隊に参加せず、ヤーヒムと共に防壁上にいるアマーリエが決然とヤーヒムに頷き返した。

 その視線の先にあるのは、未だに白く凍りついたままの無人の陸橋の向こう、ひしめく無数の魔獣が垣間見える魔の森のさらに奥。直線距離にしておよそ三千メートル、カラミタがいると想定されているエリアだ。


 ヤーヒムの予定では、魔法攻撃が終わり次第、この防壁上から誰よりも早く単身でカラミタ付近まで転移するつもりだった。


 危険は承知の上。だが、ヤーヒムにこの強大なカラミタとの対決を他者に譲るつもりはない。

 下手に軍隊で攻撃すると、その命を逆に糧として吸収してしまう危険な相手だ。単身で攻撃するに越したことはなく、何よりも、歪んだ同族を己が手で屠る――それが自分の選んだ道であり、リーディアやアマーリエに対するヴァンパイアとしての責任だと感じていたからだ。


 切り札である転移は取っておきたいという気持ちはある。底の見えない強敵と戦うのだから尚更だ。

 が、ザヴジェル伯軍と一緒に動くと、どうしてもその命が糧として取り込まれてしまう。それに周囲の目を考えると、ヴァンパイアネイルや【虚無】などといった奥の手も使いづらくなってしまう。


 となるとやはり、転移という切り札を使って先行し、人の目のないうちに全力を以て急襲するのが一番。

 それしかないと思っていたのだが。


「ね、私もその、行っても大丈夫なんだよね?」

「ああ、嬢ちゃんは俺に乗ってくれよ? 馬は預けていくからな」

「フーゴ、ダーシャをよろしくね。いざとなったら先行離脱もアリだから」


 ヤーヒムが信頼する仲間達が、一緒に転移させてくれと言い出したのは昨日のことだ。

 リーディアが父親の<白杖>魔法騎士団長、ローベルト=シェダからこっそり聞き出したところによると、禁呪によりおそらくほぼ全て魔獣を殲滅できるという。一万でも二万でも、範囲内にいるものは全て禁呪が喰らい尽くすというのだ。だが、守護魔獣のテュランノスドラゴンは生き残り、その虚無のブレスを使った防御により肝心のカラミタも最悪無傷で戦場に残る可能性が高いらしい。


 そして当然、裸になって危機を覚えたカラミタが魔獣を大量召喚することが予想される。

 突入するヤーヒムとすれば、数が揃わないうちにカラミタを屠れるかどうか、まさに時間との勝負だ。が、守護魔獣が生き残って立ちはだかるとなれば、単独突入はそれだけ分の悪い賭けとなっていく。


 そんな予測の結果。

 カラミタはヤーヒムに任せるにしても、守護魔獣その他の抑えとして何名か同行させるべきだ――そう執拗な説得が繰り返され、アマーリエを始めとした<ザヴジェルの刺剣>中核メンバーとリーディア、フーゴ、そしてダーシャが今ヤーヒムの隣に立っているのだった。


「最優先はカラミタの撃破、打ち合わせどおりヤーヒムはそれに専念してくれ。我らはヤーヒムを補佐しつつ、余裕があればもちろんカラミタにも攻撃していく。それが出来る顔ぶれだ、当てにしてくれ」


 うねるように続く詠唱と熱く盛り上がる中庭からの喊声の中、アマーリエが傲然と胸を張り、同行する面々の顔を一人ずつ見渡していく。


 リーディア、フーゴ、<鉄壁>騎士団副団長のマクシム、上級騎士のダヴィットとテオドル。

 そう、再招集された<ザヴジェルの刺剣>のこの顔ぶれこそがブルザーク大迷宮で共闘し、最奥の間ではヤーヒムも含めて圧倒的な連携で敵を寄せ付けなかった、少数限定では最高戦力であろう精鋭パーティーなのだ。


 そこにダーシャが加わる。連携という意味では急造だが、彼女には長いヴァンパイアネイルというリーチがある。

 中核であり一番安全なフーゴの背に乗せることで、中央で全体を補佐する彼の死角を補い、パーティーの継戦能力を底上げしてくれるだろう――アマーリエはそう判断している。


「我らなら<戦槌>よりも身軽で小回りが利く。……まあ、あの暑苦しい兄の鼻を明かしたいというのもあるがな」


 くくっと笑いを漏らしながら、アマーリエが中庭で声を張り上げ続けている<戦槌>騎士団団長を顎で指し示した。どうやら突撃部隊の選定の際にひと悶着あったらしい。

 ヤーヒムとしては、この<ザヴジェルの刺剣>ならば同行も許容できる相手だ。いや、自分からお願いしたいぐらいの相手である。自らの他に六人も転移させるのはやや荷が重いが、幸いにして距離は短い。カラミタがいるのはすぐそこ、直線距離ならば三千メートル前後で――





 と、それまで静かに<白杖>騎士団三百名による大詠唱に耳を傾けていたリーディアが大きく息を吸った。


「マーレ、ヤーヒム、そろそろ詠唱が終わるわ」


 その言葉のとおり、這うようにうねるように続いていた詠唱が徐々に高く盛り上がってきている。

 いつしか神秘的とすら感じる緊張感が場に漂い、リーディアは畏敬の眼差しでそれを見詰めている。ヤーヒム達も無意識に息を止め、世紀の大魔法の発現の予感に固唾を呑んだ。防壁の上にずらりと並んだエルフやブラウニーの高位魔法使いが身体を揺らし始め、長大な詠唱が徐々に全霊を傾けた叫びへと昇りつめていく。


「……盲目にして白痴の王よ、我等が父よ。御身の子らが願う、今こそ超越せよ! 君臨せよ! その飢えと怒りと慈悲を力とし、太古より続く戒めを糧となせ! 我ら、御身の化身として泡立つ器を捧げん!」


 防壁の中央部で<白杖>魔法騎士団長、ローベルト=シェダが高々と両手を掲げた。

 その手にあるのはヤーヒムがアマーリエを通じて託した特上のラビリンスコア。


 そのコアが七色の光を放ち始め、ゆっくりと浮遊して空に昇り始める。

 その下でローベルトが大きく両手を振りかぶり、裂帛の気合いと共に魔の森の一点を指差した。


「ハアアアアッ!」


 同時に輝くコアが、矢のようにそこへ飛んで行って――




「混沌の王よ、今こそ降臨の時ッ! ヤン=シェダが末裔ローベルト=シェダが乞い願う、器に宿りて我らが敵を滅ぼせッ! ――禁呪、エイシェントカオスAzathothッ!!」




 その瞬間、世界が震えた。

 空気が消え、コアが飛び込んだ魔の森の一点から漆黒の衝撃波が全方位に広がり、全てを飲み込んで。


 そして出来上がる泡立つ混沌のドーム。

 それは直径五千メートルを優に超え、トカーチュ渓谷の手前、ヤーヒム達の眼前で天に聳え立つ死の壁に変わる。


 壁の向こうで無形の暗黒が踊り狂っている。

 それは存在の根底を喰らう古きものたち。彼らは壁の中にいるものを等しく滅ぼす、抗いようのない混沌の先兵だ。禁呪の行使者ローベルトの意思を汲み取り、絶対的な公平さで全ての魔獣を同時に貪り沸き立っている。


 悲鳴を上げて砦方向に逃げてきたサイクロプスが、ズメイが、グリフォンが、なす術もなく貪られてぼろぼろの残骸に変わっていく。やがてそれも新たな波打つ無形の暗黒となり、周囲に襲いかかって――





「ぐ……ここまで、か」





 壁の手前、砦の防壁の上でローベルトが崩れ落ちた。

 同時に壁が歪み、世界に空気が戻った。泡立つドームが融けるように崩壊し、混沌の先兵達が天へと戻っていく。

 そして。



 ――その場に残ったのは、直径五千メートルを超える円状の焦土。



 あれだけ鬱蒼と茂っていた魔の森は片鱗もなく、無数の魔獣の残骸転がる黒く穢れた地面が方々で煙をたなびかせているだけだ。突如として暴れ狂った古の力の奔流に、空は大きく荒れ始めている。重苦しい暗雲の狭間で、不穏な稲光が断続的に瞬きだしている。


 地表に生き延びた魔獣の気配などもちろんない。混沌に穢れた焦土が広がっているだけだ。行使された魔法のあまりの威力に、防壁上の全員が、大魔法を使って肩で息をしている三百人の高位魔法使いが、揃って無言で空虚な焦土を眺めている。


 やがて降り始める大粒の雨。

 轟音と共に何本もの落雷が大地に刺さり、天の怒りのような激しい豪雨が再びトカーチュ渓谷全域を包み込んでいく。


「とんでもねえな……」

「す、すごい。これが禁呪……」


 ヤーヒムの隣で、ずぶ濡れになったフーゴとリーディアが大きく目を見開いている。特に自身も高位魔法使いであるリーディアは深い感銘を受けているようだ。が、ヤーヒムは全身の震えが止まらなかった。


 目の前で行使された超越的な魔法に身体が反応し、怯えているのならばまだ良い。

 そもそも魔法自体がヴァンパイアの天敵なのだから。


 だが、そうではない。あのドームの中央に一瞬だけ感じられた確かな気配。それはその一瞬の中で確かにヤーヒムを見たのだ。そして、それに対する根源的な恐怖が、そして同時に不思議なほどの憧れと切望が、ヤーヒムの心をこれでもかと揺さぶっているのだ。


 訳の分からぬ自らの反応に体の力を抜き、息を吸い込んで落ちつこうとしたその時――





「――ッ!」





 気をつけろ! 何か来るぞッ――吸い込んだ息をそのまま使ってヤーヒムが鋭く叫んだ。

 広大な焦土の中心付近、ヴァンパイアの鋭敏な視力が何かを捉え、生存本能が激しく警鐘を鳴らしている。


 次の瞬間。

 途轍もない咆哮が豪雨のトカーチュ渓谷に響き渡った。


 ヤーヒムの視線の先で地面が弾け飛び、黒焦げの巨大なドラゴンが飛び出してきた。

 テュランノスドラゴン。

 最後のカラミタが守護魔獣として従えていたそれは、災害級の古代竜の中でも暴虐の王として恐れられる獰猛な個体。


 そしてその手負いの巨竜は飛び上がった中空で砦に視線を向けるや否や、頭を激しく仰け反らせて――



「ブレスだ! 各員、魔法障壁を全力で展開しろッ!」



 防壁の中央でローベルトが叫んだ。

 即座に<白杖>魔法騎士団所属のエルフやブラウニーの高位魔法使いが反応し、透明な魔法障壁を砦を覆い尽くさんばかりに展開していく。


「虚無のブレス!? まさかこの距離から!」

「クソ! 出し惜しみするな、<白杖>の力を見せつけろ!」


 魔法使い達の叫び声が消える間もなく、凄まじい虚無の奔流が雪崩のように一瞬で押し寄せ――砦の前の魔法障壁にぶつかって視界一杯に広がった。


 その威力にそこかしこで魔法使い達の呻き声が漏れる。特大のブレスは数秒の間続き、そして妙な不自然さを残してふつりと途絶えた。


「な、なんだ? まだ油断するな、障壁は維持するんだ!」


 魔法使いの指揮官達が口々に警戒を叫んでいる。とはいえ禁呪からの過酷な魔力酷使に、ほぼ全員が蒼白な顔で防壁上に膝をついている状態だ。そんな魔法使い達が顔を上げた先には。



 広大な焦土の只中で、黒焦げのドラゴンが地面でもがいていた。

 それはまるで、重傷を負った者が歩こうとして無様に転倒した姿に酷似しており――



 禁呪を生き延びた守護魔獣はそれでも地面から傲然と頭を持ち上げ、ぎこちなく後ろに反らせて再度ブレスを吐こうとしている。


 が。

 唐突にその太い首の右側が弾け飛んだ。


 漆黒の何かが血飛沫のように飛び散っている。ブレスとして吐かれる筈だった虚無だ。

 手負いの暴竜は更なる深手を負い、自らのブレスを追い払うようにのたうちまわり始めた。


「よしっ、禁呪が効いている! 奴はもうブレスを吐けない! 後詰め攻撃隊、予定どおり出撃を!」


 防壁の中央で稀代の魔法を主導した<白杖>団長ローベルトが、様子が分からぬまま中庭で待機していた<戦槌>騎士団に両手で大きく合図を送った。


 少々肝は冷やしたが、魔法一発で万を超す魔獣を全て殲滅した。

 カラミタの生死は不明だが、強大な守護魔獣のティランノスドラゴンにも大きなダメージを与えている。



 ――作戦は順調、後は肉弾戦で決着をつけるのみ。



 <白杖>団長の合図に、揃いの赤鎧に身を固めた二千の重装騎兵が盛大なる喊声をあげた。

 先頭に立つひと際大柄なアレクセイが高らかに叫ぶ。


「よおし出番だ! ザヴジェル二十万の民の祈りは我らと共にあり! 諸君に問う、誇り高き<戦槌>騎士団の朱槍は抜かりなく砥がれているか?」


 応ッ!

 二千の重装騎兵が再び揃いの朱槍を高々と掲げ、地響きのような答えが返ってくる。彼らは純粋な人族はもちろん、戦いに長けた豹人族や虎人族から選抜されたザヴジェルきっての最精鋭だ。その気迫は凄まじく、見る者の肝を鷲掴みにして離さない。


「再度問う! お前ら、デカいトカゲは怖いか?」


 否ッ! そんな訳あるかッ!

 声を張り上げる辺境伯次男アレクセイ=ザヴジェルに、砦中を激しい怒号が支配する。


「では行くぞ! 敵はカラミタと守護のドラゴン! 魔獣を意のままに召喚し、無辜のザヴジェルの民を虐殺する相手だ! ザヴジェルを護ると誓った騎士として、これからそいつらをぶっ殺しに行く!」


 応ッ!

 ぴたりと揃った野太い声が、地響きのように砦を揺らした。


「よおし行くぞ! 全員突っ込め! 開門、開門ーッ!」


 ――ウオオオオオ!


 熱い雄叫びが天にこだまし、叩きつけるような豪雨をものともせずに二千の重装騎兵が雪崩をうって出撃していく。

 その向かう先は、ようやく自らのブレスを振り払いつつある、焦土でもがく手負いのテュランノスドラゴンだ。


「敵は一体だ! 第二と第四大隊は右、第三と第五大隊は左に迂回して波状攻撃を仕掛けろ! 第一は俺と正面から突っ込む!」


 遠ざかるアレクセイの号令に二千の精鋭騎兵は全力疾走のまま五つに分かれ、綺麗な包囲攻撃の陣形を整えつつ砦から遠ざかっていく。






 そして。


 ――さあ、どこにいる?


 ヤーヒムは防壁の上から騎兵達の勇壮な後ろ姿を視野に収めつつ、そのアイスブルーの瞳を約三千メートル先、初めに暴竜が飛び出してきた辺りに彷徨わせていた。


「分かるか?」


 いつしかフーゴがそのケンタウロスの馬体をヤーヒムの隣に並べ、一緒に彼方に目を凝らしている。


 ……【ゾーン】の反応からするとあの辺り…………見つけた。


 新世代のヴァンパイアたるヤーヒムの驚異的な視力が捉えたものは、テュランノスドラゴンの後方に佇むひとつの人影。

 その周囲の空間には複数の黒い穴が開き、翼を持った獅子が次々と飛び出し始めている。


「ダーシャ、見えるか?」


 ヤーヒムの短い言葉に、いつの間にかフーゴの馬体の背に跨って一緒に目を凝らしていたダーシャがコクリと頷いた。そのヤーヒム譲りのアイスブルーの瞳はまっすぐ一点を見据えている。そんな二人のやり取りに、すぐさまアマーリエが反応した。リーディアが、マクシムと二人の騎士達が、気迫のこもった眼差しでヤーヒムとフーゴの周囲に集まってくる。


「カラミタはドラゴンの後方だ。転移で全てを跳び超え、背後からカラミタを急襲する」


 力強く頷きを返してくる頼もしき面々。

 彼らなら何があっても背中を任せられる。ヤーヒムは覚悟を固め、強い眼差しで豪雨に煙る転移先を見詰めた。




  ◆  ◆  ◆




「好機だ、突っ込め!」


 視界を埋め尽くした転移の青い光が消えた刹那、アマーリエが矢のように飛び出した。負けじと地を蹴るヤーヒムとマクシム。


 転移は見事に成功した。殴るような驟雨の中、地面は腐ったように黒くぬかるんでいるが足を取られる程ではない。


 二十メートル先にはこちらに背を向けたカラミタ。

 召喚された獅子の魔獣――キマイラはみな出現するなり手負いのドラゴンの方へと走り出しており、カラミタとの間には数頭が残っているだけだ。


「ハアアッ!」


 アマーリエが裂帛の気合いと共に緑色に煌めく魔剣レデンヴィートルを振り下ろし、右手に出現して飛び降りてきたキマイラをその瞬間に斬り伏せた。そこにマクシムが駆け寄り、崩れ落ちる巨体を盾で弾き飛ばして進路を確保する。


「ヤーヒム! お前さんは先に行け!」


 怒鳴り声と共にフーゴが逞しい四脚でヤーヒムを抜き去りつつ左手前方に逸れ、そこで飛び上がろうとしていたキマイラの翼を長大なハルバードで叩き切った。ダーシャの長いヴァンパイアネイルでの追撃も入る。そして次の瞬間、後方からリーディアの致命撃が飛来した。


「風を統べる黄衣の王よ、我が敵を切り刻め! ――エアブレードHastur!」


 透明な死神の鎌が唸りを上げてヤーヒムの脇を通過し、地面に転げ落ちた有翼の獅子を四つに分断して屠り去っていく。


「ヤーヒム、今よっ!」


 リーディアの短い叫びを背に、ヤーヒムは更に加速する。

 残るキマイラは二頭のみ。

 以前の倍、四十センチにも伸びた彼のヴァンパイアネイルで一頭の腹を引き裂いた。


 長さに特化したダーシャのそれとは違い、ヤーヒムのヴァンパイアネイルは元来の無双の切断力を誇る。空間ごと対象を斬り裂く五本二対の蒼爪は何の抵抗もなく、鮮やかな切断面を残して獰猛な獅子型の魔獣の息の根を断ち切った。


 そして残る一頭。

 遅ればせながらもヤーヒムに向かって咆哮を上げようとしたそれは、刹那に走った蒼光に顔面から頭蓋ごと斬り飛ばされて血煙を上げる。


 未だ背中を向けたままのカラミタまであと五メートル。


 ヤーヒムは大きく跳躍し、何も言わずとも道を作ってくれた仲間達の想いを乗せ、フードをかぶったままのカラミタの後ろ姿に向かって必殺の蒼爪ヴァンパイアネイルを――






 閃光一閃。

 斬り落とされたのは、ヤーヒムのヴァンパイアネイルだった。






―次話『乱戦』―

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