49 軍議
「ありえん! そんな話、聞いたこともない!」
「ラビリンスが生き物だという説は昔からある。頭から否定することはできん」
「そんな! ではこれ以上魔獣を一匹たりとも殺さず、指を咥えて見ていろと!?」
魔獣を撃退し、一時の休息が訪れた砦の一室で。
辺境伯息女、アマーリエからもたらされた情報を元に、ザヴジェル伯軍を統括する幹部達が緊急の軍議を開いていた。
「情報提供者はヤーヒム=シュナイドル、私は彼を信頼している」
残った敵を掃討するなり緊急軍議を要請したアマーリエが、二十人におよぶ出席者をその鋭い琥珀色の瞳で睨みつけている。
彼女はつい先程まで豪雨の中で陣頭指揮をしていたままの姿で、後ろで固く結ばれたその豊かな赤銅色の髪からは未だに水滴がしたたっている。しん、と静まり返った室内を傲然と見渡し、アマーリエは再び口を開いた。
「彼は先のブシェク遠征でコアを単独討伐した件の人物だ。現在のハルバーチュ大陸におけるラビリンス攻略の第一人者と言っていい。先日の見事なコアは全員が見ただろう? そして、つい先日は西部のペトラーチェク平野でツィガーネク侯の軍勢に助勢し、侯から恩状と紋章を授けられた人物でもある。群体の攻撃をいなして一息ついた今、そんな彼から情報と共に手土産をひとつ預かってきた」
二十人が囲む巨大な卓の上に、ゴトリ、と半球状の結晶が置かれた。
ため息が出るほどに透明、だが強烈な魔力が内包されているそれ――つい先日ヤーヒムが討伐した<呪いの迷宮>のコアの片割れだ。出席者達から一斉にどよめきが湧き起こる。大きさこそアマーリエが先に持ち帰ったコアの数分の一にしかならないものの、その透明度と混じりけのない魔力は間違いようもなく同質の逸品だった。
「彼が言うには、このままここで戦うのは下策。魔獣を屠るたび、兵士が命を落とすたび、それがカラミタの力になるという。そこで、これを使ってどうにかならぬか、そう言ってぽんと呉れたのだ。――さて、貴殿らならばこれをどう使う?」
そう言ってアマーリエが視線を投げたのは、卓の左奥を陣取っている、重厚な鎧ではなく様々な魔法装飾が施されたローブをまとった一団だ。
彼らはザヴジェル三騎士団のうち、魔法使いだけで構成された魔法騎士団<白杖>の重鎮たちだ。先ほどの合成特級魔法を成功させた立役者達であり、その顔は未だ疲労で青ざめている。呆然と卓上のコアを眺めていた彼らのうち、一人の壮年魔法使いが静かに手を上げて発言の許可を求めた。
ローベルト=シェダ。
魔法騎士団<白杖>を率いる団長であり、辺境伯ラディム=ザヴジェルの盟友、そして代々ザヴジェルを補佐する名門シェダ家の現当主でもある重鎮中の重鎮だ。齢は百二十を超えているが、ハイエルフの血を濃く受け継ぐその端正な顔立ちは三十歳少々にしか見えない。普段は温厚で寡黙な彼の発言を聞き漏らすまいと、会議室がまた違った静けさに包まれていく。
「ああ、これはまた見事なコアだ。うちの娘もその彼と一緒に戻ってきていると聞いたが、一向に顔を出してくれなくてね。ふむ……凄まじいほどの純粋魔力が、これほどの量、と。……ひとつ質問だが、一回で使い切ってしまっても良いのかな?」
濃厚なハイエルフの血を物語る翠の瞳がとびきりの玩具を貰った子供のように輝いている。そんなローベルトが事もなげに発した質問に、軍議出席者の間にざわめきが広がっていく。
これだけ上質なコアならば、通常は街の運営などに使っても十年は保つ。それを事もなげに一回で使い切るという。そのあまりの非常識さ。他の騎士団の幹部達は、彼が伝説の魔法使いヤン=シェダの末裔であることを改めて意識の中に引っ張り出して溜息を吐いた。
「……それが、効果的であるならば」
ざわめきの中、アマーリエがその白皙の美貌に猛禽のような笑みを浮かべ、微動だにせぬまま名門シェダ家の当主に好戦的な視線を据えた。
「それはそれは、なんとも豪気な話だねえ。ブシェクのコアと合わせて一度ならずも二度までも、ぜひその彼には礼を言わせてもらわないと。で、使用方法だけれど」
ローベルトが出した案はふたつ。
ひとつ目は魔法騎士団<白杖>の総力を結集し、コアの全魔力を使用して魔獣の群体の中心に超弩級の魔法を放つというもの。先程の合成特級魔法で現在の<白杖>団員は魔力が枯渇しているが、これほどのコアがあれば先程の比ではない、禁呪に近い魔法での遠距離攻撃が放てるという。そうして魔獣の群体を召喚主であるカラミタもろとも一掃し、一気に片をつけるというコンセプトだ。
コアの潤沢な魔力を利用し、上級特級規模の魔法を贅沢に数多く放って砦に押し寄せる魔獣との戦局を有利に運ぶ――多くの出席者の頭に浮かんでいたのはそれだ。が、ローベルトはそれを真っ向から否定する。
今回の戦いの場合、カラミタを斃さなければ際限なく魔獣を召喚されて終わりがない。せっかくこれだけの純粋魔力が手元にあるのだから、ここはそのカラミタまでも黙らせる一撃をかますべきだ――ザヴジェルの重鎮は眼前の聴衆に向けてそう言い切った。
「ですがね、禁呪の一撃でもカラミタを斃せるか、保証はないんですよね。カラミタの側には守護魔獣のテュランノスドラゴンがいる。あれは呆れるほど獰猛で、なにより反応速度が尋常じゃない。せっかくの禁呪も虚無のブレスで迎撃され、威力の幾許かが削がれてしまうと思っておかないと」
やるとすれば、万全を期すため魔法の直後にカラミタ目掛けて突撃隊を出すべきでしょうねえ。
ローベルトはそう言って肩をすくめ、水をひと口飲んでから続きを話し始めた。
「そしてふたつ目の案、こっちはかなり消極的なもので」
アマーリエの情報によれば、ここで戦うこと自体がカラミタの思う壺だという。
ならば、このコアを使ってここに防魔結界を張ればどうか。魔獣が渓谷を渡ってこれなければ戦いにはならない。ある意味、断裂の向こう側に魔獣を押し込めるという当初の作戦どおりである。
問題は、カラミタの統制の下に魔獣の群体が移動するということ。
魔の森に展開した既存の防魔結界を西から迂回してきたように、ここに張った結界も迂回される未来が見えている。逆に、結界があるが故に早々に他所への移動を始め、この地で小競り合いをしながら群体の弱体化を待つという当初のプランは完全に白紙に戻される可能性が高い。
カラミタが西に戻るのか、さらに東に進むのか。そして、今度はどこから人の領域を目掛けて南下してくるのか。
更に言えば、この渓谷をそういった特殊な場に変えたカラミタならば、迂回後の戦場も同様の場に変えられてしまうかもしれない。
つまりこのふたつ目の案は、戦いを複雑・長期化させるだけの結果になる危険を孕んでいる――ローベルトは疲れた顔で溜息と共に頭を振った。
「私としては初めの案を推しますね。魔法使いとして生まれ、これほどの魔法を扱う機会を逃すわけがない」
「……くくっ、最後に本音が漏れておるぞ、ローベルトよ」
静寂に包まれた会議室の中、小さな笑い声を上げたのはこのザヴジェル領の最高権力者、ラディム=ザヴジェル辺境伯その人だ。
獅子を思わせる重厚な体躯、彫りが深く渋みのある顔立ち。虎人族の血を引く琥珀色の瞳は娘であるアマーリエよりも色味が深く、光の当たり加減によっては金色にも見える。そのラディム伯がくつくつと笑いながら、まずは類稀なるコアを持ち込んだ自分の娘に視線を向けた。
「アマーリエ、そのヤーヒム殿とやらに後で会わせてくれ。これ程のコアを提供してくれるなど俄かには信じがたいが、先のブシェクのコアの件もある。直接会って礼を言いたい。どんな御人か興味もあるしな」
「……では、折を見て必ず」
挑発するような会心の笑みを浮かべて頷く愛娘を見て、ふむ、と顎を撫でるラディム伯。
その愛娘の顔は過去に何度か見たことがあった。ろくでもないことを企んでいる時の顔だ。
例えば彼女がその代名詞ともいえる魔剣、レデンヴィートルを手に入れた時。
日々の鍛錬の中、アマーリエはその事実を伏せたまま父であるラディム伯に真剣での立会いを挑んできたのだ。娘の裂帛の気合いと共に突然刀身が伸び――あの時は危うく父としての威厳ごと斬り伏せられるところであった、ラディム伯は小さくフンと鼻を鳴らす。
しばしの間を置き、ラディム伯はコアの使用方法についてふたつの案を出したシェダ家の当主に視線を戻した。元々ザヴジェル家とシェダ家は極めて友好的な間柄だが、今代の二人は特に親交が深い。ラディム伯はニヤリと口の端を釣り上げて言葉を発した。
「ローベルト、初めの案は良い。短期で片が付くならそれ以上の朗報はない。軍の維持にしても、後々の影響にしても、な。ただ、お主の言う禁呪についてもう少し詳しい説明が欲しい。危険性と準備期間、特性と攻撃範囲――後詰の突撃部隊の危険度も含め、全てを聞かないと決定は下せぬ」
ラディム伯の前向きな言葉に盟友ローベルトは目をきらりと輝かせ、嬉々として詳細を語り始めた。
魔法騎士団<白杖>の回復と準備に二日かかること。
古きものの力を魔力によって引き出すのではなく、瞬間的にそのものを降臨させる魔法であること。
影響範囲は降臨点からおおよそ半径二千五百メートル強、極めて危険なため後詰の突撃部隊も魔法が終息するまで砦内で待機しておくべきであること。射程はカラミタの予想位置を充分にカバーしており、理想は直接そこに――
「――ローベルト卿、突撃は<ザヴジェルの刺剣>を再招集し、それが行う方向で考えておいてくれ」
唐突になされたアマーリエの宣言に、場が一気に色めきたった。
特に騒ぎ立てているのは、通常であれば件の攻撃を任されるであろう騎士団の面々だ。
「なっ! 攻撃は我ら<戦槌>騎士団の権限範疇にて真骨頂、いくらアマーリエ様と言えど横槍はご遠慮くだされ! そもそも<ザヴジェルの刺剣>は守備の<鉄壁>所属、更に言えば各地のラビリンスコアを集めるために臨時創設された少数部隊ではありませぬか!」
「ふふふ、私がこのコアを持ち帰ったのだ、文句は受け付けぬ。なあ、アレクセイ兄上?」
「団長! 妹姫をどうか止めてください! このままでは我らは何もせぬまま――」
「何を企んでいるアマーリエ? 良からぬ笑みを浮かべているぞ。無茶をするぐらいであれば<戦槌>ごと協力するに吝かではないが――」
「団長、何を――」
急速に軍議が動き始めたその一室の外では、未だ叩きつけるような豪雨が続いている。
双方が牙を剥き出しにしたトカーチュ渓谷の戦いは、次なる段階に進もうとしていた。
―次話『反撃のザヴジェル』―
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