48 凶嵐

「リーディア様! フーゴ殿! それと……ダーシャ、だよな? あとは――ヤーヒム殿っ!?」


 一昼夜の激走を費やしてトカーチュ渓谷に駆けつけた一行を出迎えてくれたのは、<ザヴジェルの刺剣>で特務部隊長マクシムの手足となって動いていた上級騎士のダヴィッドだった。


 時刻は午後の半ば、雑多な人系種族による万を超える軍勢が駐屯する慌ただしい大陣地。

 迷路のように入り組んだその奥には急造の仮設砦がそびえ立ち、激しい戦闘を物語る喊声が波のように漏れ聞こえてきている。あの砦のすぐ向こうに今も魔獣の群れが押し寄せてきているのだ。


「ダヴィット! 戦況はどう!? 皆は無事!?」


 騎乗するスレイプニルから転げ降りるようにリーディアが懐かしき上級騎士に詰め寄った。

 ラビリンスコアを確保するという特務から解放され、アマーリエも含めた騎士達はザヴジェルの防衛を司る<鉄壁>騎士団の所属に戻っているはずなのだ。


「リーディア様、どうか落ち着いて! まだまだ敵の群体も小出しで攻め寄せてきている状況です。アマーリエ様とマクシム閣下は現在砦の胸壁で督戦中、このまま皆さまをお連れしますか?」

「え、ああ……相手の魔獣に空を飛ぶタイプは混じっている? 危険があるようならダーシャはどこかで――」


 胸に手を当てて落ち着こうと努めているリーディアの袖を、流れるような身体捌きで下馬したダーシャがぎゅっと握った。


「リーナ姉さん、私、大丈夫だから。あの、戦場に出る訳でないのなら、ダヴィッドさん私も連れていって。私、変わったの」

「ダーシャ、だよな? すっかり見違えたなあこれは。今の下馬した動きも普通じゃないし……ええと……フーゴさん、どうでしょうか?」


 ダヴィッドに判断を投げられたフーゴは僅かに考えた後、「ま、大丈夫だろ」と肩をすくめた。


「飛び道具に関しちゃ俺の新兵器で一緒に守ってやれるし、何かが飛んで来てもドラゴンまでなら――」

 ニヤリと笑ってヤーヒムに視線を流すフーゴ。

「――そこの義理の父親が瞬殺しちまうと思うぜ?」

「ドラゴンを瞬殺……はまあ頷けるとして、ヤーヒム殿がダーシャの義理の父親? ま、まあ確かに髪や瞳の色といい、雰囲気がそっくりになってはいますが……?」

「かはは、俺たちも色々あったってことよ! さ、じゃあこのままアマーリエの姫さんのところに案内してくれ。話は出来なくても状況はこの目で見ておきてえ。……遊びに来たわけじゃねえからな」


 フーゴの軽い口調の中に含まれる引き締まった何かが、案内のダヴィッドにも充分伝わったのだろう。

 ダヴィッドが軽く息を止め、四人の顔を順に眺めて深々と頭を下げた。


「参陣、心より感謝します。馬はあちらに預けてください。すぐにご案内しましょう」


 慌ただしい大陣地の中、一行が馬を預けて急造の仮設砦の方へと進み始めたその時。





「――ッ!」





 突然ヤーヒムが弾かれたように背中の剣を抜き放った。

 最後尾で足を踏み出した途端、凄まじい違和感が彼を襲ったのだ。即座に反応して彼の周りに素早く集まる仲間達。が、敵襲ではない。もっと得体の知れない、あたかもこの場所全てがラビリンスの最奥の間に飲み込まれてしまったかのような、次元の違う攻撃が今確かに仕掛けられたのだ。


「…………」


 周囲の陣地の喧騒は変わらない。誰も気付いておらず、それぞれが慌ただしく自分の仕事を続けている。

 だがヤーヒムには分かる。見えない霧のように漂い出した濃密な魔素。それは砦の壁の向こうから人知れず流れてきている。同じヴァンパイアであるダーシャにも分かったようだ。彼を見上げるそのアイスブルーの瞳で、「まさか」と無言の問いを投げかけてきているのだ。


 ……間違いない。


 過去にふたつのヴルタから青の力を啜ったヤーヒムは理解した。

 これは、ラビリンスに良く似た亜空間。こんな高度な使い方は到底真似できないが、現実の空間にひっそりと寄り添わされたそれが意味することはひとつ。


「ヤーヒム、何があったの?」

「……非常に、非常に危険な事態となった」

「どういうことだよ?」


 詰め寄る仲間達に、ヤーヒムはゆっくりと口を開いた。


「ひと言でいうならば……」


 この非条理ともいえる事態を説明できる言葉を探し、深く思考に潜っていくヤーヒム。

 そして、次の言葉を絞り出した。




「……この一帯を擬似ラビリンスにされてしまった、と表現するべきか」




「はあ!? なんだよそれ!」

「……ああ。そうとしか言えぬ。だが、使い文にあった不可解な地殻変動という言葉、それはなんとなくだが説明できるだろう」


 膨大な青の力を持つ年経たヴルタは、己の好きなようにラビリンス内部の亜空間環境を作り出すことが出来る。アマーリエからの使い文にあった、不可解な地殻変動はこれによるものだとヤーヒムには理解できた。まずは橋が落とされたという峡谷全体をこの擬似ラビリンスにし、己が亜空間とする。そして亜空間創造の力を駆使して峡谷を埋めるなりし、地続きの進撃を可能としたのだ。


 それがどれほど途方もない力を要するものかを想像し、ヤーヒムの背中に戦慄が走る。

 それほどの力を持った相手なのだ。


「……非常に危険な事態だ。一刻も早くアマーリエの元へ」


 衝撃に固まるダヴィッドの腕を掴み、猛烈な勢いで走り出すヤーヒム。

 今、この砦は未曽有の危機に直面している。

 これを為したカラミタがその気になれば、擬似ラビリンスとされたこの一帯全てが、峡谷を操作したような天変地異に飲み込まれるのだ。


 ここまでのこのカラミタの動きの速度から言えば、それは今すぐの事ではないかもしれない。

 峡谷とこの砦を同時に潰していないあたり、そこまでの青の力を持っていないことも予想される。


 だが。

 ラビリンスの領域が持つ特性、そのひとつに次のようなものがある。


『その領域内で失われた命、それは全て領域の支配者たるヴルタに貪り食われ、その養分となる』


 つまり、この砦も含めた戦場で召喚した魔獣と軍が戦えば戦うほど、かのカラミタはその力を増していくということだ。今はこの砦にまで領域を広げたことで力を使い果たしたのかもしれない。だが、この場にいる魔獣と軍は合わせて数万。それらが一斉に殺しあえば――


 ぽつり。

 ぽつり、ぽつり。

 頭上を覆う重苦しい雲から、遂に大粒の雨が降ってきた。それは瞬く間に激しい驟雨となり、味方をかき分け走るヤーヒム達一行をずぶ濡れにしていく。


 それぞれ万を超える軍と魔獣が対峙するトカーチュ渓谷に、天の怒りのような豪雨が降り始めた。




  ◆  ◆  ◆




「うおおおお! しつけえんだよぉ!」

「矢よこせ! 全然足りない!」

「隊長がやられた! 誰か来てくれ!」


 叩きつけるような豪雨と一面の水飛沫の中。

 丸太を連ねた急ごしらえの防壁の上では、急に勢いを増した魔獣の攻勢に必死の防衛戦が繰り広げられていた。豹人族や猪人族の屈強な兵士が、エルフやブラウニーの強力な魔法兵が、それぞれ部隊を組んで怒声を上げて奮闘している。


「サイクロプスが来るぞ! 魔法隊頼む!」

「あそこ、アイアンスパイダーが侵入してるぞ! 自由にやらせるな早く潰せ!」

「魔法隊――ぐふあっ!」

「サーベルバードか!? くそっふざけた真似しやがって!」


 それまで様子を窺うかのように散発な攻撃しかしてこなかった魔獣の群体が、この豪雨の降り出しとほぼ時を同じくして一斉に押し寄せてきたのだ。

 土魔法と丸太で急造された荒削りの防壁の上、ザヴジェル伯軍の精鋭が懸命な対応を続けること三十分。魔獣は未だ真っ黒な大波の如く、眼前のトカーチュ渓谷に架かる幅五百メートルの「陸橋」を渡って押し寄せ続けてくる。


 この「陸橋」はわずか数日前、突如としてこの大地に刻まれた断裂に蓋をするように両側の地面が伸び、魔の森側と陸続きになったばかりの場所だ。慌てたザヴジェル伯軍がそれから総力を挙げて「陸橋」を扼するように防壁と砦を造ってきたものの、こうまでその幅一杯に魔獣に渡ってこられるとやはり脆弱だと言わざるを得ない。

 それでもどうにかこの防壁で魔獣を食い止めようと、ずぶ濡れの兵達は死に物狂いで戦いを続けており――


「ヤーヒム、あの鉄蜘蛛は任せたっ! 姫さんはあのデカブツを頼む!」

「ヤーヒムこっちは任せてっ! 古の大地を統べし皇よ、裁きの炎を彼の者に――フレアVorvados!」

「おおっ、まさかこの魔法は!? 皆、シェダの姫君が救援に来てくれたぞ!」

「こんのクソ鳥め、通すかってんだよ! 嬢ちゃん、姫さんを守るぞ! 例のアレはまだ封印、サーベルバードの突撃に気をつけろ!」

「はいっ! リーナ姉さんは魔法に集中して! やあっ!」


 ヤーヒム達はアマーリエに合流後、なし崩し的に防衛に参加していた。

 ここで魔獣を斃しても、かのカラミタに還元するだけだというのは分かっている。だが、かと言って指を咥えてこの防壁を蹂躙させる訳にはいかない。出来ることといえば、可能なかぎり人側の命を落とさずにこの猛攻を凌ぎきるだけだ。カラミタに流れ込むのが自ら召喚した魔獣の命だけならば実質的な力の増強とはならない。それならまだ救いはある。


「――た、助かった。おい今のうちに立て直すぞ! 第三小隊、第二に合流して負傷者を下げろ!」


 救援に駆けつけたヤーヒムが仔牛ほどもあるアイアンスパイダーの胴体を一刀両断に屠ると、その場の雑多な種族の守備兵達が即座に態勢を整えていく。

 ツィガーネク子爵に賜った銘剣<オストレイ>の切れ味は凄まじい。ヴァンパイアネイルほどではないが、生半可な武器では弾かれる魔獣の硬い外皮も、ヤーヒムの人外の膂力で振るわれることによって泥細工のようにすっぱりと分断してしまう。


 ……これは、良い物を貰った。


 ヤーヒムは続けざまに<オストレイ>を煌めかせ、次から次へと胸壁を乗り越えてくる鉄蜘蛛を斬り飛ばしていく。

 完全に息の根を止めるところまで攻撃する余裕はない。一撃である程度の傷を与え、動きを止めるだけだ。そうして守備兵達に余裕を与えたら次の場所へ救援に入る。胸壁の裏側の状況も【ゾーン】で認識し、大群が登ってきている危険な場所を優先して補助していく。


「おおお! どこの騎士殿か知らぬが助かった! この礼はいずれ必ず!」

「礼は不要! この後まだ三匹来るぞ、気を緩めるな!」

「応ッ! 我ら<鉄壁>の名に賭けて! 客人には負けぬ!」


「魔法いきます! 風を統べる黄衣の王よ、我が敵を切り刻め! ――エアブレードHastur!」

「よしッ! これであのサイクロプスは沈んだ! 姫さん、魔力は大丈夫か?」

「まだまだ平気よフーゴ! もう一発魔法いきます! 封印されしンガイの覇者よ、その灼熱の波動を以て全てを焼き尽くせ! ――ファイアウェーブCthugha!」

「このしつこい鳥め! リーナ姉さんには近寄らせない! やあっ!」


 激しい雨が降り注ぎ水飛沫煙る防壁の上、ヤーヒム達は懸命に戦う兵士と共に綱渡りの防衛戦を繰り広げていく。



「……キリがないな」



 土砂降りの豪雨の中、激しい戦いが繰り広げられる防壁の中央部では、この防衛戦の指揮を取る<鉄壁>騎士団副団長のマクシムと姫将軍アマーリエが厳しい顔で戦況を見詰めている。アマーリエの代名詞ともいえる豪華な白銀鎧には魔獣の返り血がべっとりとつき、それが強い雨に洗われて幾筋もの歪な縞模様を形成している。マクシムはその特徴的な赤盾を傍らに立て、やはり魔獣の返り血を鎧の端々から滴らせている。戦況の際どさが、要所要所での彼らの参戦を余儀なくしているのだ。

 そんな彼らの元に、一人の伝令が駆け込んでくるなり叫んだ。


「アマーリエ様! <白杖>から増援が来ました! 指示を!」

「よし、ようやく来たかッ! 魔法隊、一度退け! 魔法騎士団との合成特級魔法で敵の勢いを挫くのだ! 他はそれまで耐えろ、踏ん張りどころだ!」


 耳を塞がんばかりの怒号と咆哮を押しのけるように、豪雨の戦場にアマーリエの指示が確実に伝達されていく。


「者共! 今こそ<鉄壁>騎士団の誇りを見せつけろ! 一匹たりとも合成魔法の邪魔をさせるな!」

「応ッ!」


 魔法隊が下がって戦力が薄くなった胸壁にアマーリエ自らが駆けつけ、力強い叱咤と共にその緑白の魔剣をふるって手助けをしては次へと駆け去っていく。


「合成魔法の詠唱が終わるまでの辛抱だ! 踏ん張れっ!」

「応ッ!」

「叩き落とせ! 押し返せ! これ以上ザヴジェルの地を魔獣に踏ませるな!」

「応ッ!」


 姫将軍の奮闘を見た<鉄壁>騎士団は更に士気を上昇させ、雄叫びと共に魔獣を防壁から叩き落としていく。

 そうしてギリギリの戦線を維持することしばらく。ようやく魔法使い達の合成特級魔法の詠唱が完成に近付いた。




「……全てを否定されし滅ぼす者よ、怒れる新世界の支配者よ。嵐を喰らい光を纏いて顕現せよ、大地を白き永遠となせ――シャイニングRShaikorth




 うねるように続いていた長い詠唱が終わり、豪雨の戦場を一瞬の静寂が支配した。

 時間が止まったかのように空中で全ての雨粒が静止し、次いで全てが上昇し天を覆う暗雲に吸い込まれていく。

 雷光がその暗雲の内側で不穏に瞬き、そして――


 数百メートルもの太さの荒々しい光の柱が天から地へと迸った。

 白一色に染まる世界。鼓膜を破らんばかりの轟音。


 無限にも思える一瞬の後、光は消えた。

 世界は色彩と音を取り戻し、再び雨が落ちてくる。だが、あれほど騒々しかった魔獣の咆哮はピタリと止まっている。代わりに強烈に押し寄せてくるのは極寒の冷気。


「おおおおお!」

「やったぞ!」

「守りきった! 見たか! 我らザヴジェルの力を!」


 様々な種族の兵士達が一斉に勝利の雄叫びを上げる。

 眼前に広がるのは白く氷結した世界。あれほど凶暴に防壁に押し寄せてきていた魔獣も、未だ動いているものは皆無だ。


 トカーチュ渓谷に架かる陸橋は半壊。

 その上を黒波のように押し寄せていた魔獣の群体も、大理石のように白く輝く氷像となって尽くその命を失っていた。






―次話『軍議』―

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る