46 面会

「本当に助かりましたぞ、まさかシェダのすみれ姫が駆けつけてくれるとは」


 ペトラーチェク平野での激戦にようやく先が見えたその夜、ヤーヒム達一行は賓客として諸侯軍の天幕に招待されていた。


 ずらりと並ぶ幕僚たちの中、愉快そうに笑い声を上げているのは諸侯軍を率いるツィガーネク子爵。精悍な四十年配の武人肌の人物で、正面で対応するリーディアは居心地が悪そうにその子爵を睨んでいる。


「その名前で呼ばないでよ……子供の頃の呼び名じゃないそれ……」

「わははは、これは失礼。いやあ、あの小さくて可愛らしい姫君がこんなに立派になって、しかも我らを颯爽と助けてくれるとは。ザヴジェルを離れていたと聞いてますが、お父上には会われましたかな?」


 ツィガーネク子爵はリーディアの父の古くからの友人の一人だ。リーディアを子供の頃から知っており、幼いリーディアをその大きな紫水晶の瞳になぞらえて、よくすみれ姫などと呼びかけてきていたものだった。


「一族の課題を終えて戻ってきたばかりなの。マーレから使い文を貰って慌てて帰ってきたんだから」


 が、今のリーディアがその頃の愛称で呼ばれて嬉しいはずもない。他の幕僚たちの手前、敬語を使わないまでもややツンと澄ました表情で言葉を返していく。従来の関係に加えて彼女は名族シェダの本家筋、それが出来るだけの立場を持っている。


「ほうほう、それは大変でしたな。ですがお陰で救われました。あれから魔獣どもは大崩れ、みるみる統制を失って互いに同士討ちを始める始末。宜しければ戦場で大活躍した、そちらの恩人達を我々に紹介していただいても?」


 子爵が親しみ深い笑顔を崩さず、興味津々といった眼差しを投げていくのはリーディアの隣に並び立つ面々だ。

 緊張する素振りもなく紹介されるのを待っているケンタウロスのフーゴ、フードを取りこそしたものの人を寄せ付けない底知れぬ何かをまとっているヤーヒム、そしてその隣で消え入るばかりに身を縮めているダーシャ。


 七歳か八歳に見えるダーシャはその特徴的なアイスブルーの瞳や、いかにも貴人といった雰囲気が隣のヤーヒムにそっくりで、歳の差を考えなければ二人は親子にしか見えない。子爵を取り囲む幕僚たちの中には上流階級の者も多く、どこの名家の関係者かと興味深げに二人を見比べている。


 ツィガーネク子爵にしても、あれだけの武勇を発揮したケンタウロスの名前は概ね予想がつくものの、その親子二人は見当もつかない。これでも人脈と情報網は広い方なのだが――ザヴジェルを支える筆頭貴族である彼の顔に、実に楽しそうな微笑みが浮かんでいく。


「ええと、皆ブシェクで出会った大切な友人なの。<暴れ馬>は知っていて? 彼がその<暴れ馬>のフーゴ。ブルザーク大迷宮への遠征部隊の案内人を務めてくれたの」

「フーゴだ、よろしく」

「おお、やはり<暴れ馬>殿でしたか! 今日の鬼神のごとき戦いぶり、噂以上でしたぞ」


 幕僚たちがざわめく中、フーゴは気後れすることもなくその馬体の脚を進め、力強く子爵と握手を交わした。大物傭兵として王侯貴族とやり取りをしてきた経験もあるだろうが、これは元来の気性も大きいのだろう。持ち前のさっぱりとした明るさでひと言ふた言、握手越しに言葉を交わしている。


 子爵は子爵でこの高名な武人と知己を得ることができ、それを素直に喜びとして表に出している。背後の幕僚たちは紹介に付加されたブシェク遠征隊への参加という情報に目を丸くしつつも、今この大変な時期にザヴジェルに来てくれたということも重なって非常に友好的な雰囲気となっているようだ。


 実際問題として、今日戦場で彼らが垣間見たフーゴの戦いぶりは凄まじいものであった。あの飛び入りがなければ今頃どうなっていたか重々承知している面々だけに、その大袈裟なまでの歓迎ぶりに全く嘘はない。


「――それと、彼はヤーヒム。ヤーヒム=シュナイドル、ブルザーク大迷宮でマーレに乞われ、その攻略に協力をしてくれた人。あそこのコアの討伐に関してはほとんど彼単独の手柄と言っていいわ」


 続いてリーディアが紹介したのはヤーヒム。

 途端に水を打ったような沈黙が降りた。広くはない天幕が驚きで満たされ、皆が目を見開いてヤーヒムを見詰めている。その視線は驚愕、戸惑い、疑い――。全員が「まさか」という顔で、しわぶきひとつせずに茫然とヤーヒムに視線を集中させている。


 来訪者四人は知らぬ事だが、ここまで大きな反応となったことには訳があった。


 先日、辺境伯家の姫将軍アマーリエが大迷宮のコアを持ち帰ったことは周知の事実。史上類のないほどの上質なコアで、今もなお魔の森との境に長大な防魔結界を発生させている。そんなコアを主家の姫君が獲得してきたことは一大慶事であり、ザヴジェルを挙げての大騒ぎとなったものだ。


 そしてその時、渦中のアマーリエがしきりに漏らしていたのだ。とある人物が手助けしてくれ、功績を主張することなくそのコアの全てをザヴジェルに譲ってくれたのだ、と――


 リーディアがヤーヒムの紹介に付け加えたひと言は、まさにその話と符合する。

 途中で別れたリーディアは知らないことだったが、アマーリエは万が一ヤーヒムが彼女の招聘に応えてザヴジェル入りする時に備え、彼を受け入れる下地を作るつもりでその話を意図的にばら撒いていたのだ。


 それを知らないリーディアはヤーヒムの実績と、ザヴジェル最高権力者の娘であり本人の声望も厚いアマーリエとの繋がり、そこも抜かりなく明示しただけのつもりでいた。


 それはこの場に備え、あらかじめ皆で相談していたもの。

 今後の四人の身の処し方なども含め、ヤーヒムとダーシャがヴァンパイアであるという情報はもちろん、何をどう開示していくかをこの天幕に訪れるまでに念入りに話し合ってきているのだ。


 ここは辺境ザヴジェル、種族がどうというより本人の資質が尊ばれる土地。

 ヤーヒムとダーシャならすぐに諸手を挙げて迎え入れられるだろうけれど、初めからどんどんアピールしていった方がいいと思うわ――とはフーゴの提案に乗ってこの面会をお膳立てしたリーディアの言だ。


 さすがにヴァンパイアたるヤーヒムとしては、こうして正面切って人々の前に姿を晒すのには相応の覚悟がいる。

 まずもって自分一人では絶対にしないであろう行いだ。が、ヤーヒム本人が認められさえすれば、種族を明かしてもそこまで拒否されなくなる日がきっと来る、今だけの我慢なのよ――そんなリーディアの説得に、ヤーヒムは思い切って仲間たちに下駄を預けることにしたのだった。


 微妙な駆け引きは相手をよく知るリーディアが率先してやってくれるとのことで、そして今。

 不穏な兆候があれば即座にダーシャを抱えて脱出するよう密かに身構えつつも、予想以上に自分に集中する視線にじっと耐えることしばし。



「――シュナイドル、ですかな? 見事なアンブロシュ剣術をお使いと評判になっておりますが、やはりあちらの地方のご出身で?」

「……ああ。我はヤーヒム=シュナイドル、忙しい中での歓待に感謝する」



 子爵の探るような視線にヤーヒムは明確な返答を避ける。ヤーヒムの生国アンブロシュは既に亡くなっているようで、当該地方の近年の情勢なども知らぬために無難な答えのしようがないのだ。

 代わりにヤーヒムは右肘を水平に上げ、拳で複雑に左胸を叩いて直立不動の姿勢を取った。遥か昔に身につけた、古めかしくも典雅な騎士礼の簡易版だ。


「な――っ」


 子爵も幕僚たちも全員が再び一斉に言葉を失った。

 それは数ある大陸諸国の騎士団の中でも、歴史と格式を誇る一流の騎士団、その最上級騎士でないと使用を許されない特別な騎士敬礼だ。


 何がどうなってアンブロシュ近衛騎士団の騎士礼がそうなったのかヤーヒムは知らないが、アンブロシュの剣術が広まっていく中で何かしらの巡り合わせがあったのかもしれない。


 が、この場で重要なのは、ヤーヒムが国を離れた二百年の間に起きた歴史の気まぐれの是非ではない。


 この場で敢えて当時の騎士礼をしてみせたことにより、子爵たちの頭の中にヤーヒムの身元が勝手に作り上げられていったのだ。

 驚きの声の後に何の追求の言葉も出てこないあたり、それはヤーヒム達にとって非常に都合の良い展開であり、これを入れ知恵したリーディアの思惑どおりでもあった。


「これは、知らぬ事とはいえとんだご無礼を。多くは聞きませぬが……」


 立ち上がって略礼を返すツィガーネク子爵の後ろで、ざわりざわりと場がどよめき始めている。

 おそらく子爵たちの頭の中では、ヤーヒムがいずこかの国のやんごとなき貴公子であり、深い訳があってこのスタニーク王国に流れてきた――そんな物語が出来上がっている。


 ヤーヒムの若さでいずこかの由緒正しい騎士団の最上級騎士にまで昇りつめているらしきこと、これは前提として王族などの特定の貴筋であることが真っ先に想像される。

 にもかかわらず幼い血縁者と二人、供も連れずに旅をしている。戦場で垣間見えた剣の腕前はここにいる面々が見ても惚れ惚れするほどで、才能に加えて血の滲むような努力もしてきた筈だ。


 一同の胸の裡ではこんな呟きが漏れているかもしれない。

 この貴公子、若いのになんと不憫なことよ――と。


 そしてそれは更に、姫将軍アマーリエが漏らしていた「ザヴジェルを憂慮し、唯一無二のコアを快く譲ってくれた人物」の姿とも見事に融合していく。

 苦労を知っているがゆえ、魔の森の脅威に苦しむザヴジェルの民のために貴重なコアを惜しげもなく差し出す。さすがはやんごとなき血筋の御方、なんと高潔でもあることか――とも。


 ヤーヒムとしては身分を偽った訳でも、後で困るような嘘をついた訳でもない。面会の礼に添えて騎士礼をひとつしただけだ。

 その騎士礼も無許可で使用しているものではなく、二百年の昔に正式に使用が許可されたものである。むしろ騎士礼自体の由来としては、元祖のアンブロシュ近衛騎士団員だったヤーヒムの方が正当であるとすら言える。


 貴公子だとの誤解をさせたままにしておくのは尻の座りが宜しくないが、ヴァンパイアとして考えた場合、彼は真祖の直系である。見方によっては正真正銘文字どおりの貴公子なのだ。そして、揃って勝手な想像をしているであろう子爵たちに、全てを任されたリーディアはそれ以上考える余地を与えない。畳み掛けるように話を推し進めていく。


「それで、ヤーヒムの隣にいる小さなレディがダーシャ=シュナイドル。ヤーヒムの義理の娘にあたる子で、私の妹分よ」

「ダ、ダーシャです。は、はじめまして」


 はっと我に返った諸侯軍の面々に、ダーシャがその黒絹の髪を微かに揺らしてしとやかな乙女の礼をする。


 短時間でリーディアに仕込まれた挙措だったが、その初々しさが子供好きの子爵にはかなり好印象だったようだ。

 艶のある黒絹の髪や優美な顔立ちなど、見るからに貴人といった佇まいもその挙措に大きな補正をつけている。幕僚たちの反応も悪くない。直前のヤーヒムの衝撃はすっかり脇に追いやられ、途端に優しい声となった子爵があれこれとダーシャと他愛もない話を始めていく。


「……なんと、ダーシャ嬢は傭兵を目指しているのか? それが希望なら私も止めはしませんが、もし良かったら我が屋敷でしばらくのんびりと暮らしてみてはいかがかな? おお、我ながらそれは良いアイデアだ。我が屋敷には年頃の娘が二人いましてな、それらの友人、いや妹としてでも――」


 リーディアの咳払いが子爵の話を押し留めた。


「ちょっと、ダーシャは私の妹分だと紹介したのを忘れたのかしら? それと、ツィガーネク子爵ともあろうお人がいつまで客人を立たせておくつもりなの? 皆は私とマーレの大切な友人で、今日の戦いで殊勲の活躍をした善意の協力者なのよ」

「おっと、私としたことが。これは失礼いたしました、まずは是非お掛けください。本日の救援、心より感謝申し上げる。皆さん方の助力がなければ我が軍は――」


 着席を促し、同時に礼の言葉を並べ始めるツィガーネク子爵。

 急に引き締められたその顔に駆け引きの色は一切なく、部下達の命を預かる武人として真っ正直な感謝をそのまま口にしているようだ。


「――本来ならば軍規に則り然るべき褒賞などもあるのですが、皆さんは軍外の方。未だ殲滅戦を行っている部隊もある現状、どうか略式な謝礼でご寛恕いただきたい。欲しいものがあれば何なりと仰ってくだされ、金品などであれば即座に用意いたしましょう」


 背後に並ぶ幕僚たちを振り返りもせず、そうきっぱりと言い切ったツィガーネク子爵。

 が、用意された紅茶から口を離したリーディアが、笑顔でその申し出を打ち払った。


「叔父さま、私たちが参戦したのはお金が欲しかったからじゃないわ。分かってるでしょ」


 フーゴとヤーヒムもはっきりと頷く。

 当然この場で出されるであろう話題で、事前に打ち合わせはしてある。今後を占うこの面会に於いて、四人が真に求める物はそれではないのだ。


 ヤーヒムは真祖に連なる極めて高位のヴァンパイアだ。そしてダーシャもそう。

 特にダーシャには、人狼の血が未だどこかに潜んでいる可能性も否定できない。


 そんな彼らが真に求めているのは、味方となり得る人物。

 これからザヴジェルを拠点にするにあたって、ザヴジェル社会に少しでも多くの味方を作ることこそが肝要なのだ。


 と、子爵が楽しげに笑い出した。

 後ろの幕僚たちもしたり顔で頷き合っている。


「くくく、やはりお見受けしたとおりの方々だ。だがさっき述べたことは全て掛け値なしの本心、そこは疑いなきよう。我らザヴジェル西方貴族は皆さん方を心より歓迎しますぞ。過去を詮索するなどの無粋なことも今後一切控えましょう」

「もう、初めに大切な友人だと言ったでしょ。ヤーヒム達の過去についても話せる時がきたら真っ先に話すわ。今はそれで許して。……時間もないのでしょう?」

「ああ、確かにもうこんな時間ですか。峠を越したとはいえ未だ継戦中ですからな、申し訳ないが後日またゆるりとお話いたしましょう。とりあえずは――」


 子爵が天幕の隅に控えていた従者に小声で指示を出した。


「信賞必罰は将たる者の基本、あれ程の援軍に対し手ぶらで済ます訳にも行きますまい。当座のものを今用意させてますので、それまで茶でも飲んでいてくだされ。本当に希望はないのですかな?」

「強いて言えば、私たちが欲しいのは情報よ。今、本当のところザヴジェルはどうなっているの? 私たちはザヴジェルに帰ってきたばかり、これからどう動くのが一番いいのか考えるのに、周辺の噂だけでは知りえない裏側まで教えてくれると助かるわ」


 そう言って眉を寄せるリーディアに、大きな頷きを返すツィガーネク子爵。

 その顔がややほころんでいるのは、そんなことを言い出すような、いつの間にか成長を遂げていたリーディアに彼なりの感慨を感じているのかもしれない。


「ほうほう、それは後ほど詳しい者を差し向けましょう。この場ではちと時間がかかりすぎる故、その者に心ゆくまでお尋ねくだされ。……そういえば、戦場に乗り込んだお二方がそれぞれ独力で斃した魔獣の魔鉱石はいかがなさいますかな? 特にそちらのヤーヒム殿が一刀の下に討ち取ったズメイ、あれはなかなかの傑物でしたからな」

「軍の戦場で斃したものじゃない、通常どおり軍で接収すればいいんじゃない? 使い道に困れば戦場になった麦畑の復興費用に充ててくれてもいいし」


 そう言ってちらりと振り返るリーディアに、躊躇うことなく即座に頷くヤーヒム。

 元々リーディアと打ち合わせはしてあるし、麦畑という単語に古城で出会った鹿人族の親子らの顔がちらりと浮かび、彼らも確かどこかで麦を育てていた農民だったことを思い出したのだ。そこまで意識すれば尚更、ヤーヒムの顔に迷いなど浮かびようもない。


 それを見たツィガーネク子爵は心からの笑みを見せ、ぽん、と手を叩いた。


「ではあれは是非そのように対処させて頂くとして……。そうだ、その心ばかりの礼として、こちらを受け取ってはいただけませぬか」


 そう言って子爵は席から立ち上がり、腰から自らの佩剣を外してヤーヒムに差し出した。周囲の幕僚たちが大いにどよめいている。


「これは銘剣<オストレイ>、アマーリエ姫の魔剣<レデンヴィートル>のように飛び抜けた殲滅力はありませぬが、けして折れず常に最高の切れ味を保つという使い勝手の良い準魔剣ですな。遠目で見ていてもあのズメイを屠った一閃の鋭さには鳥肌が立ちましたからなあ。私なんぞが持っているよりも、是非ヤーヒム殿に使ってもらいたい」


 強引に手渡されたその剣。

 鞘には精緻な魔鉱銀ミスリルの細工が施され、一見しただけでかなりの値打ち物だと分かる。そして、剣から漂う鋭利な冷気が言葉どおりの稀少な魔剣の一種であることを物語っており、実のところ子爵が若かりし頃に魔の森でサーベルベアを斃して名を上げた時からの愛剣であった。


「この<オストレイ>で御身とダーシャ殿を守ってくだされ。出来ますればそこに我らがすみれ姫も入れて頂ければ嬉しい限りですが――」

「は? ちょっ、叔父さま何をっ」

「――フフフ、それは私が言うことでもありますまい。幼き頃より見守ってきた姫が胸を張り、友人として貴殿たちのような並外れた御方を連れてきた。それだけでもこの剣を差し上げる価値があるというもの。受け取っていただけるかな?」


 歴戦の武人の目に込められた言葉にならぬ迫力に、ヤーヒムは飲まれるようにそのまま剣を受け取った。

 ヤーヒムとしても今さらリーディアを守る対象から外すということはあり得ない。二人を護る手段が増えるのは大歓迎だった。


「それと、フーゴ殿にはこちらを。ヤーヒム殿だけではもちろん不公平というものですからな」

「……まさかそれ、<護りの指輪>か?」

「さすがフーゴ殿、ご存じだったか。貴殿のような戦い方ではどうしても矢などの飛び道具に苦労するのが定番、だがこの指輪に魔力を込めれば護りの風が全身を包んでくれる。たしか魔法が苦手な種族でも使えた筈、存分に活用してくだされ」


 ツィガーネク子爵がその指から抜き取った指輪をフーゴに押し付けている時、天幕の入口が持ち上げられ、先ほど使いに出された従者が戻ってきた。


「おお、丁度良いところに。お二方には私からの個人的な贈り物として是非そちらを受け取ってもらうとして、こっちは全員分の正式な謝礼ですな。まあ、シェダの姫君には不要かもしれませんが」

「叔父さま、これって……」


 従者から包みを受け取った子爵が卓の上に広げたのは、四枚の手の平ほどの丸い円盤だった。

 円盤自体が何かの紋章を象った金細工で出来ており、中央に緑色の魔鉱石が埋め込まれている。子爵が四つそれぞれの魔鉱石に順番に触れていくと、次々に淡い光が揺らめき始めた。そして、それを一人ずつ手渡していく子爵。


 リーディア、ヤーヒム、フーゴ、ダーシャ。

 それぞれの手の中で円盤が淡い光を漏らしている様を見て、子爵は満足そうに微笑んだ。


「これは、我がツィガーネクの紋章。後日の報酬を約束するものであると同時に、これを見せればザヴジェルのどこでも通行できるし、丁重なもてなしを受けることもできる。ツィガーネク家がその名を賭けて保証する人物の証のようなものと思ってくだされ。今の皆さん方にはちょうどよかろう。ちなみに今手にしている人物でないとその光は出ぬので、紛失しても気になさらぬように」

「ちょっと叔父さま、これってそんなに簡単なものじゃ……」


 その紫水晶の瞳を丸くして手の中の紋章を見詰めるリーディアに、ツィガーネク子爵は優しく目を細めた。


「私はふさわしい者にしか、その手の物は渡さぬよ。間違ったかな?」

「……ううん」


 リーディアがツィガーネクの紋章を手にする残りの三人を順に眺める。

 ダーシャ、フーゴ、そしてヤーヒム。言われなくとも自らが深く信じる者達だ。


「ではそれで良いだろう? 皆、間違った使い方はせぬであろうよ。さあ、そろそろ魔獣どもを追っていった部下達の報告を聞かねばならん。今日は四人に天幕を用意したので、そこで休んでくだされ。後ほど情勢の説明にここの参謀を一人向かわせよう。最後に改めて、今日の助勢と素晴らしき出会いに感謝を」


 ツィガーネク子爵の言葉に幕僚たち全員も深々と頭を下げた。

 ヤーヒム達も自然と同様の礼を返す。そして彼らは天幕を後にし、無言のまま宛がわれた天幕に案内されていった。



 ――流れで参戦した戦いは予想以上の結果をもたらし、出逢ったカラミタがヴァンパイアだったという衝撃はあったものの、彼らの今後の身の処し方に明るい光が差してきた。


 フーゴが提案しリーディアが演出したこの面会が、無事にその実を結んだとも言える。奮闘したリーディアを始め全員がまずはほっと肩を撫でおろし、形容しがたい安堵を胸に夜の諸侯軍陣地を歩いていく。


 ダーシャは疲れ切ってしまったのか小さな欠伸を繰り返している。

 けれど、自分に向けられた軍の偉い面々の視線が優しいものだったことは分かっていた。このザヴジェルという土地が想像していた以上に自分達を受け入れてくれそうな予感に、ダーシャの表情はどこかが吹っ切れたように明るい。甘えるように隣を歩くヤーヒムの袖に手を伸ばし、見下ろす同じアイスブルーの瞳に、喜びを分かち合うように無言の問いかけを投げたりしている。


 リーディアとフーゴはそれを気配で察していたが、特に何も口にしない。


 この二人はこの二人で視線を交わし合い、二人で微笑んで頷き合っている。

 知らぬところでアマーリエの手回しに助けられたのも事実だが、今日、彼らは大きな一歩を踏み出したのだ。ヤーヒムもダーシャもくだらない偏見の犠牲になっていい人間ではない。不安は絶えないが、このまま努力していけばきっと全てが上手く行く。心地の良い沈黙に包まれ、そう新たな決意を胸にする二人だった。



 そんな彼らを遥か頭上から満天の星空が見守っている。

 けれどそれは明るいばかりではない。


 この地から北東。

 その地平線と夜空が出会う場所から、荒々しい暗雲が広がり始めていた。

 四人の中でそれに気が付いているのは、複数のコアの力を啜り己の物としたヤーヒムのみ。






―次話『曇天の下』―

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