44 加勢
「ヤーヒム! 諸侯軍の連中が攻勢に出たぞ! 主導権が移りつつある、もうひと踏ん張りだ!」
魔獣の咆哮とどろく戦場で、無心に戦い続けていたヤーヒムにフーゴが叫びかけてきた。
その機動力を活かして所狭しと駆け巡っていた彼が、情勢の変化を報せに駆け寄ってきたのだ。
「分かった! 無理はするな!」
ヤーヒムの肉厚の片手剣が軽やかに四囲を舞い、飛びかかってきたオーガ達をまとめて斬り倒す。
事前の打ち合わせでは、圧倒的有利だった魔獣側にくさびを打ち込んでその勢いを削ぐのを第一目標としている。第二目標は戦場の流れを諸侯軍側に引き寄せる手助けとなることだが、フーゴの情報だとそれも良いところまで来ているらしい。
軍隊の戦いに個人が影響を与えられるのはきっかけ作り程度、主導権が完全に諸侯軍に移るまでここで掻き回せれば殊勲ものだろう。
遠方からのリーディアの援護魔法は収束しつつあるが、この先は諸侯軍も含めた乱戦となる。魔法を打ち切り、戦場の外でダーシャと自分自身を守っていてくれれば充分だ。
それにしても――
ヤーヒムの剣捌きが徐々にその激しさを増していく。
転移を使って最初に奇襲で斃したズメイを除けば、この戦場にいるのはミノタウロスやオーガ、トロルなどといった人型の魔獣ばかりだ。これまで宿営の時など時間を見つけては素振りなどで剣の鍛錬を繰り返してきたのだが。
――ちょうど良い。今日のこの戦場で、少し磨かせてもらうか。
ヤーヒムの頭にあるのは、己が人間時代に身に着けたアンブロシュの剣術を今のヴァンパイアの自分に融合、進化させること。
その為には、もっともっとアンブロシュの剣術を自分のものにしなければならない。何よりこのすぐ後に、人の姿を持つというラビリンスコア、カラミタとも戦う予定なのだから。
「――フンッ!」
敵が圧倒的物量で迫ってきても、囲まれはしない。
ヤーヒムの振るう片手剣が唸りを上げてトロルの足首を切断し、返す剣で巨大な腹を斬り上げる。轟く咆哮。
この戦場にいるのは、図体は大きいが隙も大きい相手ばかりなのだ。ヤーヒムは流れるように戦場を動き回り、土煙を引き連れ、濃密で芳醇な魔獣の血の匂いを撒き散らしていく。ヤーヒムは体勢を崩したトロルに更に追い打ちをかけようと――
「……フッ!」
背後から振り下ろされるミノタウロスの巨大な棍棒を、直前で一瞬だけ【霧化】して素通りさせるヤーヒム。
そう、【霧化】の習熟も重要だ。
アンブロシュ剣術の真髄は「流れること水の如く、断ち切ること風の如し」である。勢いに逆らわず滑らかに敵の攻撃をいなし、鋭い反撃の一閃で相手を屠る。それにはこの【霧化】こそ誂え向きの手段で――
ブモオオオオオオオ!
ミノタウロスの脇腹から盛大に鮮血が迸った。空振りしてバランスを崩したその一瞬に、流れるようなヤーヒムの一閃が走ったのだ。
【ゾーン】の空間認識、【霧化】、アンブロシュ剣術の三種融合。
ヴァンパイアネイルの斬れ味任せ、身体能力任せの直感的な戦い方ではなく、理に基づいた動き。
それらが混然一体となって、ヤーヒムの新しき剣術は更なる境地へ昇華していく。
本来ならば、先日のコアの吸収で少し伸びたヴァンパイアネイルを試したり、新たに獲得した無の亜空間――【虚無】とでも名付けるべきか――による攻撃の特性を確認したり、その辺りもしておきたいところだった。
が、ここでは出さない。広い戦場とはいえ人目があるからだ。
ここでその分磨くのは、己の新・アンブロシュ剣術。凶暴な人型の魔獣が潮の如く押し寄せてくるこの戦場は、それを実戦で磨き上げるには最高の舞台だ。
ふと顔を上げれば、【ゾーン】の認識範囲だけでなく見渡す限りの魔獣が狂ったようにヤーヒム目掛けて押し寄せてきている。
それはヤーヒムにしてみれば珍しくもない光景。かつてブシェクのラビリンスでは当たり前だった現象だ。やはりこれらは野生の魔獣ではない。六番目のカラミタに召喚された、その下僕たる魔獣なのだ――
「――ヤーヒムっ! もう完全に主導権は諸侯軍に移った! ここから先は軍の仕事だ、あとは任せて引き揚げるぞ!」
広大な戦場を蹂躙しながら駆け巡っていたフーゴが、その広い視野からの情報をヤーヒムに教えてくれる。
……潮時、か。
確かにいくらここでヤーヒム達が奮戦しても、軍が戦う戦果と比べればいかほどのものでもない。が、彼らが参戦した僅かの時間で諸侯軍は大きく勢いを取り戻した。はっきりと優勢になっている。
「……よし」
たった三人の奇襲が成功した実感と、己の戦闘能力が確実に高まった手応えを胸に、ひっそりと満足気に口元を緩めるヤーヒム。
そしてひらりとその身を翻し、フーゴの後を追って風のように戦場を後にしていった。
この場はもう軍に任せて大丈夫だろう。けれどこの後にこそ、本当の勝負どころが待っている。
いや、カラミタと遂に対面する次こそがこの加勢の本番というべきか。ヤーヒムは仄かに緩んでいた頬を固く引き締め、【ゾーン】にちらつく異質な存在目掛けて足を速めた。
◆ ◆ ◆
「ヤーヒム、カラミタはまだ遠いのか!?」
麦畑の戦場から離れ、北に広がる疎らな林へ突入してしばらく。
急激に密度を増していく魔獣の群れにハルバードを振るいながら、ケンタウロスのフーゴがヤーヒムの後ろで唸り声を上げた。
「俺達だけであんまり深入りすると、リーディアの姫さんに、怒られる、ぞと。があああ邪魔だ!」
駆け抜ける二人の背後で上がる怒りの咆哮。
立ち塞がる巨大なトロルの脇を機敏にすり抜けながら、ヤーヒムとフーゴがそれぞれ一撃ずつ手土産を残していったのだ。
人目もなくなったのでヤーヒムは既に剣を背中に戻し、蒼く輝くヴァンパイアネイルで魔獣を薙ぎ払い続けている。
風のように魔獣の間をすり抜けながら残される五本二対の蒼光の軌跡。剣を使っている時にはかいくぐるだけであった巨獣たちの強烈な攻撃も、絶対的な切断を約束するヴァンパイアネイルに変われば対処が異なる。凶悪だが隙の大きい攻撃群を、宙を舞う一枚の羽毛の如くひらひらと躱しながら返り討ちとばかりに巨獣達の腕ごと斬り捌いていく。
……ヴァンパイアの戦闘能力によるアンブロシュ剣術の活用も、だいぶ要領が分かってきた。
ヤーヒムの冷たく整った顔に小さな笑みが浮かぶ。
格上の相手や乱戦でこそ力を発揮する故国の剣術。かつては見ることすら出来なかったその高みに、ヴァンパイアとなった自分が足を踏み入れている。以前ブシェクのラビリンスで窮地に陥った六本腕のスケルトンの大群も、今ならもう少し善戦できるのではないだろうか。
「……フッ!」
ヤーヒムは大きく跳躍し、立ち塞がるミノタウロスの腕を肩から斬り落として――行きがけの駄賃とばかりにその太い腕を掴み取り、切断面から滴る鮮血をひと口啜って投げ捨てる。
強大な力を宿した魔獣の血がヤーヒムのヴァンパイアの身体に震えるような喜びをもたらし、更なる活力が漲ってくる。
いつしかその瞳は透きとおったアイスブルーから徐々に濃密な紅に変わり始め、左手の甲のラドミーラの紅玉が疼きはじめる。指ぬき手袋を外してみれば、久しぶりに外気に触れたラドミーラの紅玉が誇らしげに輝いており――
「もう少しだ。フーゴ、無理に付き合わなくていいぞ。むしろリーディアとダーシャを守ってくれていた方がありがたい」
絶好調で巨獣たちの間を走り抜けながら、肩越しに叫ぶヤーヒム。
先日ふたつ目のコアを取り込み、ヴァンパイアネイルはそれまでの倍、四十センチほどに伸びている。より殺傷力を高めたその蒼爪で眼前のミノタウロスの肘から先を斬り飛ばしながら、ヤーヒムはちらりと後ろを振り返った。
武器と片腕を失い、駆け抜けたヤーヒムの背後で雄叫びを上げるミノタウロスは次の瞬間、その太い雄叫びを濁った断末魔に変える。ヤーヒムのすぐ後ろに続くフーゴのハルバードによって首を貫かれたのだ。
「そうは言ってもなあ! お前さん無茶するし!」
フーゴは長大な得物を右に左にと豪快に叩きつけ、小刻みに方向を変えつつ魔獣の群れをすり抜けるヤーヒムにぴったりと追走している。まだ余裕はあるものの、ケンタウロスの身体でこの魔獣の密度は非常にやり辛そうだ。
――ならば、少し試してみるか。
ヤーヒムはするするとヴァンパイアネイルを縮め、空の両手に意識を集中して身体に漲る青の力を注ぎ込んでいく。
「フーゴ、我から少し距離を取れ。試してみたいことがある」
体捌きだけでトロルやオーガの隙間を縫って走り続けるヤーヒムの掌に、ゆっくりと漆黒の渦が集束していく。
先日習得した新たな攻撃手段、【虚無】だ。
握りこぶし大まで育ったその無の亜空間で、駆け抜けざまに次々と眼前の巨獣達の体を撫でていくヤーヒム。
これまで以上の魔獣達の絶叫と、ジュブブブブ、と暗渠に水が飲み込まれる時のような腹を抉る不快な音が立て続けに湧き起こる。ヤーヒムの両手の掌に保持された【虚無】が、触れたものとその周囲を貪欲に喰らっていったのだ。
残されたのは身体に大きな風穴を開けられたトロルやオーガ。血飛沫を上げつつ何が起きたのか分からないといった顔で倒れていくそれら巨獣の間を、顔を引きつらせたフーゴが走り抜けていく。確かに走るスペースは若干広くなっているが――
「ちょ、おま、ちょっと怖いわソレ! なんかこっちまで吸い込まれそうだぞ! 頼むからさっきまでのヴァンパイアネイルにしてくれ!」
――フーゴが半分悲鳴じみた声で抗議してきた。
ヤーヒムはちらりと振り返り、【虚無】が触れた後もズワリとその周囲への吸引を広げているのを見て、無言で掌の【虚無】を解放した。
単独で戦う時は良いが、なかなかに使いどころが難しい攻撃手段のようだ。
「ヤーヒム、前!」
フーゴの警告にヤーヒムが視線を巡らすと、二十メートルほど先で木立が切れている。その先には大きな空間が広がっており――
「突っ込むぞフーゴ!」
ぐん、と加速するヤーヒム。
カラミタがそこにいると【ゾーン】の空間認識が告げている。
押し寄せるオーガと最後の木立を突っ切り、唐突に開けた視界に入ってきたものは。
召喚され、中空から次々と零れ落ちてくるオーガやトロルの大群と。
守護獣であろう、その奥で油断なく身構える凶悪な面構えの一角竜と。
――見覚えのある、子供ヴァンパイアだった。
―次話『カラミタ』―
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