43 災厄のザヴジェル

 夕暮れのドウベク街道。

 辺境ザヴジェル領まで二日の距離にあるステフノの街、その僅かに手前。


 干からびた荒野を縦断する街道上を、三騎の駿馬が盛大な砂煙を引き連れて疾走していた。


 先頭を力強く疾駆するのは長大なハルバードを小脇に抱えた逞しいケンタウロス。

 続いて黒髪の少女と金髪の乙女が珍しい純白のスレイプニルに跨がり、やや遅れて黒いロングコートの男が脚の鈍った軍馬を労るように走らせている。


 転移に成功したヤーヒム達だ。

 彼らはここより馬車で一日ほど手前の距離にあるフルム湖畔に無事転移し、そこから半日の強行軍でここまで駆けてきた。


 追手はその影もない。行程的にはちょうどこの先にあるステフノの街で宿泊する流れだが、彼らは街外れで独自に宿営する予定でいた。


 なぜなら――


「また避難民かよ。ザヴジェル、まだ大丈夫なんだよな?」

「マーレがそう簡単に諦めるはずはないわ。ほら、みんなそれなりに落ち着きを残しているし、怪我をしている様子もないでしょう? 徒歩の人はいなくて馬車ばかりだし、きっと耳の早い自主避難の人たちなんだと思う」

「そう言われてみれば命からがら逃げてきたようには見えねえな。まあ、だとしてもこの先のステフノの街は大混雑だろうな。宿営の手段があって良かったぜ」


 馬脚を軽速歩けいはやあしまで緩め、すれ違う馬車の間を小気味よいリズムで抜けながらフーゴとリーディアが言葉を交わしている。


「宿営といえば私、土魔法に苦手意識があるんだけど、この何日かでだいぶましになった気がするわ」

「うおう、あれで苦手な方なのかよ。世の魔法使いが聞いたら泣くぜ」

「それはそれ、これはこれよ。私の育った環境を聞いたら別の意味で泣くわよ――と、ヤーヒムの馬がそろそろ限界ね。どこかで街道を逸れて今日はここまでにしましょ。焦ってもしょうがないわ」


 ダーシャも疲れたでしょう?と同乗の少女に囁くリーディア。


「そだな。悪くない距離を進めたしな」


 脇からフーゴも同意し、その脚を完全に緩めてリーディア達に並んだ。


「そしたら姫さん達に宿営の準備を任せてもいいか? 俺はこのまま街まで行って、ちょっと情報収集してくるわ」

「分かったわ。そうね……うん、あそこの大岩の陰に作っておく。ご飯も用意をしておくから、あまり遅くならないようにね」

「かはは、せっかく久しぶりに酒場に行けると思ったのにバレてるんじゃしょうがねえ。素直に戻ってくるか、ほいじゃな」


 フーゴが脚を早めて離れていくと引き換えに、後ろからようやくヤーヒムが追いついてきた。

 乗っているザヴジェルの軍馬は口の回りに大量の泡をつけ、文字どおりの限界のようだ。足取りもどこかたどたどしく、深々とフードをかぶったヤーヒムがしきりに励ましている。


「話は聞こえた。ありがたい」


 リーディア達に並ぶなりひらりと馬から飛び降りるヤーヒム。本当に潰れるかどうかの瀬戸際だったらしい。


 リーディアから譲り受けたこのザヴジェルの軍馬は相当の良馬だ。ただ、屈強なケンタウロスとフラウ――リーディアの新しい愛馬である純白のスレイプニル――の持久力が異常なだけである。


 以前霊峰チェカルに向かっていた時のように、途中で何度もヤーヒムは降りて自分の足で走ろうかと考えた。が、頻々とすれ違う避難馬車のあまりの多さに人目がはばかられ、ついつい騎乗を続けて負担をかける結果となってしまったのだった。


「……二人は平気か?」


 荒い息を吐く軍馬の隣から、ヤーヒムがその冷たいアイスブルーの瞳で馬上の二人を見上げる。

 一見冷酷な眼差しにも見えるが、見る人が見ればそこに紛れもないあたたかさが灯っていることが分かる。そして視線を向けられた二人は、その温もりが読み取れる数少ない人間だった。


「うんっ!」

「私は大丈夫よ、ヤーヒムは?」


 対称的な美しさを持つ二人の顔がそれぞれ輝くばかりにほころび、フードをかぶったままのヤーヒムに華やかな笑顔を返した。


 ならばよい――氷の瞳を持つ男は小さく頷いて足早に歩き始める。

 霊峰チェカルから奇跡のような転移を成功させて半日、彼らの周囲に追手の形跡は欠片もない。すれ違う避難の馬車に危機感は募るものの、今のところは順調に一日が終わろうとしていた。例え仮初めの平安でも、これが長く続きますように――そう願ってやまないヤーヒムだった。




 それから更にもう一度の宿営をこなしたヤーヒム達一行は、フルム湖畔への転移から三日目の午前中にして、無事ザヴジェル領南西部への到達を果たしていた。


 移動にやや時間がかかったのは、北上するにつれてすれ違う避難の馬車の数が加速度的に増えていったからだ。加えて徒歩で移動する者達も増え始め、鹿人族や兎人族など、主に農耕に携わっている種族の避難が多くみられるようになってきた。


 それはザヴジェル領内に入った今でも続いており、三騎とはいえとても駈歩かけあしで逆行できる状況ではない。先ほどフーゴが聞き出した情報によると、どうやらここザヴジェル領南西部の真北、ザヴジェル領の北西部に新たな魔獣の群体が現れたようで――


「どうするヤーヒム、寄り道していくか?」


 移動を一旦止め、情報収集をしてきたフーゴが厳しい顔で腕組みをしている。

 このところ避難民の口から、あまりに不吉な言葉が漏れ聞こえるようになってきたからだ。


「……そこに例の『カラミタ』がいるのか?」

「ああ、どうやら間違いないっぽいな」


 カラミタ――。

 それは、避難民が口々に囁く今回のザヴジェル領騒乱の元凶。


 その話を初めて聞いた時、ヤーヒムは鈍器で殴られたような衝撃を頭に感じた。

 まるで天啓を受けたかのように、ずっと感じていた嫌な予感がそれに対するものだとすんなりと理解した。なぜならば。


 カラミタとは、あちこちで唐突に出現する魔獣の群体、その中心にいる存在。己の周囲に魔獣を次々と召喚し、群体を作り上げるその元凶は、半身が青い結晶と同化した人間の姿をしているというのだ。


 別名、歩くラビリンス。

 交戦したザヴジェル伯軍は公式にラビリンスの亜種だったと認め、人系種族共通の敵、すなわち『カラミタ災厄』と命名したという。


「…………」


 もはや習慣となった手つきで己の乗馬を撫でながら、深々とかぶったフードの奥でこの先にそのカラミタがいるという情報をどうにか飲み込もうとするヤーヒム。


 歩くラビリンス、その言葉を初めに聞いた時から吐き気すら催す悪寒が彼を苦しめている。その響きが、コアの力を取り込みつつある自分と強く重なるのだ。

 今ヤーヒムは、魔獣の召喚こそできないものの、マジックポーチ程度のささやかな亜空間を作れる。そう、ある意味でヤーヒムも歩くラビリンスなのだ。


 それはこれまでにふたつのラビリンスコアの力を啜って取り込んだことが原因だ。だが、ここザヴジェル領に唐突に何体も出現したカラミタ達はいったい何者なのか。


 ヤーヒムには魔獣を召喚する力は全くない。その代わりに純粋な青の力、空間属性の力が大幅に強化されている。カラミタはその逆、魔獣召喚の力に特化しているようだが、この違いは何なのか――


「ヤーヒム……」


 心配そうに顔を覗き込んでくるフーゴに、ヤーヒムは大きく息を吸い込みながらそのアイスブルーの視線を返した。


 フーゴの持ち帰った情報はおそらく間違っていない。以前より【ゾーン】で感じていた妙な気配は、ザヴジェル領に入った辺りから急激にその存在感を強くしているのだ。

 そのひとつはここから北の方角にある。それはやはりフーゴの言うとおり、新たに北に出現した魔獣の群体の後ろにはカラミタが存在しているということなのだろう。


 ザヴジェルで現在までに確認されたカラミタは五つ。うち魔獣の群体が小規模だった四つは迅速なるザヴジェル伯軍が既に討伐済であり、残る最大規模のひとつがザヴジェルの北辺森林地帯を東進して、今は中央部の北にいるらしい。

 そしてヤーヒムはその存在も感じ取っている。ここからだと北東にあたる方角に、強烈な存在がヤーヒムにおいでおいでと手招きをしているのだ。それは怖いもの見たさのようでもあり、不思議な連帯感のようでもあり――



 ヤーヒムは迷走する思考を押さえつけ、目の前の話し合いに意識を集中させた。



「――辺境伯軍の主力は中央部にいるらしいわ。マーレ達もそっち、小さいのを討伐し終えて最後に残った大きいのに総力を挙げて正対しているのね。今回のカラミタは脇腹を突かれた形、たぶん地元の諸侯軍が対応を任されているんじゃないかな。このあたりの領主、ツィガーネク子爵は強力な軍隊を持っているし、性格的にも黙っていないと思うの」


 スレイプニルのフラウに水を飲ませるダーシャを横目に見ながら、リーディアが流れるように情報を補足している。

 ここザヴジェルに確固たる地盤を持つ名族シェダ、その一族ならではの詳細な情報と洞察だ。


「ただ、こんなに避難してくる人が多いのが心配なのよね。諸侯軍だけじゃ抑えきれていないんじゃないかしら……」

「ああ、話を聞いて回った限りじゃ俺もそんな印象を受けたな。今のとこ民に被害は出てないけど、北部の集落には次々と避難命令が出されてるらしいぞ? あくまで噂だけどな」



「……行かせてくれ。この目で確かめたい。軍への助力も惜しまぬ」



 間を置いて発せられたヤーヒムの言葉にリーディアが心配そうに眉を寄せつつ、小さく微笑んだ。


「ありがとうヤーヒム、そう言ってくれて本当に嬉しい。私、こっちの人たちも放っておけないの。マーレからの使い文も『ザヴジェル伯軍または防衛諸侯軍への参加を乞う』って内容だったし。こっちの状況はこっちの状況で心配してると思うのよね」

「だな。姫さんの言うとおりだ。ま、軍隊で苦戦している相手に何ができるって訳じゃねえけど、ここにいる三人なら魔獣を引っ掻き回すぐらいはできるからな」


 フーゴが力強い笑みでヤーヒムとリーディアの顔を見回した。


 大陸中に名が売れている経験豊富な傭兵フーゴ。伝説の魔法使いヤン=シェダの末裔、ハイエルフの血を濃く受け継ぐリーディア。そして同族の成体ヴルタの力を取り込みつつある新しきヴァンパイア、ヤーヒム。


 錚々たる顔ぶれの三人がそれぞれの目を見交わし、ゆっくりと頷いた。ダーシャはダーシャで、自分も参加するような顔で真剣に頷いている。


「行こう」


 短い言葉に決意を秘め、一行は再び移動を始めた。




  ◆  ◆  ◆




 ザヴジェル領北西部、ペトラーチェク平野。

 魔の森に程近いこの穀倉地帯で、広大な麦畑を埋め尽くす魔獣の大群とザヴジェル諸侯軍が激しい戦いを繰り広げていた。


「怯むなッ! これ以上の後退は許さんッ!」

「左翼限界です! 至急予備兵力を!」

「馬鹿者ッ、とっくに予備兵力などないわ! 後ろはもうない、踏ん張れ!」


 この地の主要住民である鹿人族や兎人族など、雑多な人系種族で構成された諸侯軍。

 重要な穀倉地帯であるこのペトラーチェク平野を戦場にするつもりなど、彼らザヴジェル諸侯軍には一切なかった。ここには一切足を踏み入れさせず、手前で防ぎ止める予定だったのだ。


 だが、押し寄せる魔獣の群れの圧倒的な圧力を持つ断続的な攻撃により、彼ら諸侯軍はじわりじわりと後退し、今や兵達の疲労も極限近くまで達してしまっている。おそらくこの魔獣の群れの背後には例のカラミタがいる。けれど、それに攻撃するどころか眼前の魔獣の波を捌くので精一杯という状況だった。


 指揮を取るのは勇猛で知られるツィガーネク子爵。十五歳にして大物サーベルベアを討伐した純粋な人族の彼はその後も勇武の才を発揮し続け、ザヴジェル諸侯軍にこの人ありと謳われる老練な英傑だ。


 ザヴジェル北西部に魔獣の群体が現れたとの至急報を受け、即座に軍をまとめ上げ駆けつけたのが二日前。

 初めは優勢だった彼らも、狂ったように押し寄せる魔獣の群れに押され続けている。


「ズメイがそっちに向かったぞ!」

「それどころじゃねえ! こっちは――ぐあああ」

「倒れたからといって油断するな! こいつら最後まで――ぎゃあああ」


 彼らが戸惑い、そして劣勢を強いられている一番の原因は、従来の魔獣の侵攻とは明らかに異なるその凶暴さにある。

 まるで人間を弑する事だけが目的のような、ぎらぎらと剥き出しにされた狂気。各個の生存本能などは存在すらも感じられず、まるで死兵のごとく次から次へと押し寄せてくるのだ。


 そして押し寄せる狂った魔獣の背後には一頭の獰猛なズメイ――知能の代わりに狂暴さに特化した地竜の亜種――がおり、好き勝手縦横無尽に諸侯軍の崩れたところに突っ込んでくる。


 さしものツィガーネク子爵もじわりじわりと後退を余儀なくされ、今や豊かな穀倉地帯を自ら踏み荒らしつつ、崩壊ギリギリの戦いを繰り広げている状況。


 押し返す余力など欠片もなく、ただただ踏みとどまっていることに全軍が死力を尽くしていた、そんな時。




 地面を揺るがす轟音が、突如として血みどろの戦場に鳴り響いた。




 何事だと兵達が目を上げれば、分厚い魔獣の壁の後ろに巨大な火柱が立ち昇っている。

 そして、強烈な竜巻を孕んだその火柱は、みるみるうちに灼熱の旋風となってその身を成長させていく。


 上位魔法、それも戦略級と呼ばれる大魔法だ。

 ザヴジェル全体でも指折り数える程しか使える者がいないその火炎旋風の大魔法が、のたうつようにその身を捩りながら、抗いようのない灼熱の渦へと魔獣たちを飲み込んでいく。


 ツィガーネク子爵を始めとする諸侯軍の全員が呆然と動きを止める中、巨大な火柱は一本だけでなく、二本、三本と追加されていっている。


「な――!」

「魔法騎士団の援軍だ! 助かったぞ!」

「この機を逃すな! 今だ、押し返せ!」


 奇跡のような援護魔法に、歓声と共に息を吹き返す諸侯軍の兵士達。そんな彼らの目に、彼方から鬼神のごとく駆け寄せる一人のケンタウロスの姿が飛び込んできた。


 長大なハルバードを頭上に高々と掲げ、裂帛の雄叫びを上げて魔獣ひしめく戦場に突っ込んでくる。

 広大な麦畑を瞬く間に横切り、そのまま暴風の如く立ちふさがる魔獣を跳ね飛ばし、叩き伏せ、この戦場で最も手強いズメイ目掛けて一直線に駆け抜けてくるケンタウロス。


 対するズメイも戦場の中央でその獰猛な頭を高々ともたげて乱入者を睨みつけ、鋭い牙を剥き出しにしていて――



 ――ゴトリ。



 どこからともなく躍りかかった黒装の男が、一刀の下にその首を斬り落とした。


「ちょ、それはねえぞヤーヒム! 俺が狙ってたのに!」

「獲物は他にもいるだろう! 幾らでも倒せ!」

「おうよ、仕方ねえ!」


 そんな会話が交わされる間にも片端から魔獣が斃されていく。鬼神の如きケンタウロスはその勢いと膂力で、黒装の男はその舞うが如きの類いまれなる剣術で。

 そして、猛威を奮う三本の火炎旋風も彼らを援護するように戦場を蹂躙し始めた。


 気がつけば、あれほど絶対的だった魔獣の圧力も分散し、群れの注意が逸れた諸侯軍への攻撃は呆れるほどに疎らになっている。

 魔獣の殆どが不思議なほど黒装の剣士の方に吸い寄せられているのだ。ならば――


「――誰かは知らぬが助太刀感謝する! 総攻撃だ! 者共、突っ込め!」


 勇猛なるツィガーネク子爵が突撃の雄叫びを上げ、自ら先陣を切って吶喊した。続けてなだれ込む千余名の直属連隊。

 二日に亘って繰り広げられた死闘の趨勢は、ようやく諸侯軍に傾き始めた。






―次話『加勢』―

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