23 包囲網(前)

 ブルザーク大迷宮第六十五階層、瘴気漂う薄暗い地下墳墓の広大な空間。

 六十四階層に繋がる転移スフィアの静謐な青白い光を、激しく舞うふたつの白刃がキラキラと立て続けに反射している。


 無言で大振りのバスタードソードを揮い、練達の剣捌きで怒涛の如く攻めかかっているのはザヴジェル騎士による特務部隊<ザヴジェルの刺剣>の首班騎士、マクシム=ヘルツィーク。それを紙一重で躱し続け、手にした肉厚の片手剣で慎重に反撃の機を窺っているのは若きヴァンパイア、冷徹なアイスブルーの瞳を持つヤーヒムだ。


 二人はもうしばらくのこと、こうして激しく剣を交えている。


「……やはりかなりの腕前だな。アンブロシュ剣術、それも正派だ。違うか?」

「ちょっとマーレ、マクシムさん本気になりすぎじゃない? そろそろ止めた方がいいよ」

「がはは、隊長さんの私服、まるでヤーヒムの為に誂えたみたいじゃねえか。似合ってるし、動きも問題なさそうだな」


 大迷宮を攻略しラビリンスコアを手に入れた一行は、ようやくこの<常昼の無限砂漠>に繋がる転移スフィアまで戻ってきていた。

 これから丸々一日がかりで砂漠を横断することを踏まえ、転移はせずにこの地下墳墓の階層で宿営して鋭気を養っておくことになったのだが。


「……剣を取っても、この、腕前とは……だが、守って、いるだけでは!」


 ヤーヒムが一同の勧めに従い、黒ローブを捨ててマクシムの予備の服に着替えたのが先程のこと。往路の砂漠階層で<火炙りのゾルターン>と名乗る者から襲撃を受けたことを話した結果、追手にとって黒ローブがひとつの目印かもしれないという推測が為されたのだ。

 確かにヤーヒムが着ていた黒ローブはバルトル家を襲撃した魔法使いが着ていたもの。この先もう一度<常昼の無限砂漠>を通って地上に帰還するに先立って、念のため別の服装にしておいた方が賢明なのは明白だった。


 マクシムのマジックポーチに入っていた予備の服は、厚手の丈夫なシャツに鹿革のズボンとベスト、そして取り外し可能なマントとフードがついた竜皮のロングコートだった。

 サイズはやや大きかったものの、国を代表する騎士団の幹部の私服らしい、上質で風格ある誂えだ。それらを着たヤーヒムは由緒正しき歴戦の戦士に見え、得体の知れない「黒衣の剣士」とは全く別の印象を与えることだろう。


 そして更に、左手の甲に同化したラドミーラの紅玉を隠す指ぬきの皮手袋――指先まで覆われていてはヴァンパイアネイル使用時に破いてしまう――やら、細々とした日用品を入れた背嚢やらも追加された。

 それらを妙な上機嫌でヤーヒムに見繕っていたリーディアが、魔法使いではないヤーヒムが手ぶらでいるのはおかしいんじゃない?とも言い出した。


 リーディア曰く、騎士達が持っている予備の片手剣を背中に背負っておけば違和感もなくなるし、万が一の際にヤーヒムが与えるヴァンパイアネイルでの傷跡の偽装にもなるだろう――そんな論調で周囲の賛同を得、ヤーヒムの背中に借り受けた剣をくくり付けてくれたのだが。


 試しに背中から剣をすらりと抜いたヤーヒムの尋常でない佇まいに、武に限りない執着を持つアマーリエと騎士達が目の色を変えた。結果として、こうしてマクシムとの限りなく真剣勝負に近い模擬戦へと発展している。もうかれこれ十五分は戦っているだろうか。


「うむ、これは貴重なものを見せてもらった。かの格調高き剣術をこんな所で目に出来るとは……マクシム、そろそろ諦めろ。次は私が手合せする番だ」

「ちょっとマーレ、まさか貴女まで……!?」


 流麗な舞のごときヤーヒムの剣捌きを前に、武勇の誉れ高きザヴジェル辺境伯家の長女、姫将軍アマーリエの琥珀色の瞳に獰猛な光が灯り始めている。

 そう、ヤーヒムの剣術はまだ人間だった時代、二百年前のアンブロシュ王国騎士だった時代に身に付けたものだ。当時、剣の技量は騎士団でも五指に入ると言われていた。それこそ、二十歳の若さで近衛騎士団への昇格が認められるほどに。


 ヤーヒムに二百年のブランクはあるものの、ヴァンパイアの卓越した身体能力と【ゾーン】による精密な空間認識能力のお陰で、当時には想像もできなかったほど巧みに剣を動かせている。真祖ラドミーラに叩き込まれた対人戦闘の真髄も存分に活きていることだろう。これはもしかして、当時の王宮剣術師範に勝るとも劣らない境地に達していそうだ、そんな考えがヤーヒムの頭をよぎっていく。


 ただ、その時はアンブロシュ剣術にアマーリエが断定した正派などというものはなかった。母国の剣術がその後どういう発展を遂げたかは知らないが、アマーリエやマクシムが目の色を変えるほどに今の世の中では名を上げ、正派やら何やらと隆盛を遂げているらしい。

 時代の流れというものが軽い眩暈を伴ってヤーヒムの心を揺らし、流れるような体捌きに僅かに綻びができた。


「隙ありッ! これを受けてみ――――なッ!?」


 息を荒げたマクシムのバスタードソードが唐突に加速し、七連の突きとなってヤーヒムに襲いかかった。

 このままでは埒が明かないと悟ったマクシムが、ヤーヒムの隙を捉えて遂に勝負に出たのだ。


 ――が、その刹那。


 白い霧が辺りを包んだ。

 ヤーヒムの輪郭がぼやけ、怒涛の七連突きが虚空を次々と刺し貫いていく。


「おおっ! あいつ、この戦いの中で【霧化】しやがった!」


 ケンタウロスのフーゴが興奮して馬脚をドンと踏み鳴らし、その音に合図を受けたように霧がヤーヒムの輪郭へと収束して、そして蜃気楼のようにブレた。

 次の瞬間、突きを空振りして体勢を崩したマクシムの首筋へ、霧をまとったヤーヒムが片手剣を伸ばしており――


「そこまでッ!」


 アマーリエの鋭い声が響き渡った。

 最後の突きの体勢のまま肩で息をするマクシムと、その首筋で剣をピタリと止めている、未だ霧をまとわせたままのヤーヒム。二人は二体の見事な彫像のようにその場に静止している。


「うーん、惜しいッ! 【霧化】して攻撃を素通りさせるのには驚いたが、そこから実体に戻って反撃するのにはまだもうちょいってとこか。ぶっちゃけ今の、剣の【霧化】が戻ってなくて、そのまま続けても霧で撫でるだけだったろ?」

「勝負は勝負だ。いずれにせよマクシムの剣が届かなかったことに変わりはない。マクシムの負けだ」

「ちょっとフーゴもマーレもそういうのは後で! ねえ二人とも怪我はない!?」


 馬体の尻尾をぶんぶんと振りながら二人に歩み寄っていくフーゴと鋭く眉をしかめたアマーリエを押しのけて、リーディアが心配そうに模擬戦直後の戦士達に駆け寄っていく。


「……すまない。ちょっとした思いつきを試させてもらった」

「いや、素晴らしい剣術に触れさせていただき、感謝している。それにどのみち私の負けだった」

「がはは、それにしてもヤーヒムは凄えな。あんな使い方をするとは思いもしなかったぜ。今のが完成したら最高の初見殺しになるぞ?」


 マクシムと互いに騎士の礼を交わし、直前の戦いを反芻するヤーヒムの背中をフーゴがバンバンと叩いている。

 そう、ここに来るまでの間、ヤーヒムはずっと自分の新しい能力を研究し磨きをかけてきたのだ。ラビリンスの主として君臨していたヴラヌスはもういない。魔獣は自然界と同じ行動を取るようになり、それまでのように無闇に襲い来ることはなくなった。魔獣間でも争うようになり、移動する一行にはかなりの余裕が出来ていたのだった。


 そんなゆとりがあれば。

 己が歩む道が為、更なる高みへ――ヤーヒムの決意に迷いはない。


 【霧化】については、魔法の飽和攻撃を躱す他に、今の模擬戦のような使い方も有効だろう。

 もっとスムーズな切り替えが出来るよう、更なる修練を心に決めるヤーヒム。


 魔法回避についてもリーディアに頼んで鋭意検証を進めている。

 その中で欠点も露見し完璧な回避策とは言いきれないが、今後の大きな武器となる筈だ。その他には――


「もう、みんなもうお終い! しっかり休んで<常昼の無限砂漠>に行くんでしょ? ほら、ダヴィットさんたちはもう食事の下準備が終わってるから!」


 激しい戦いを繰り広げた二人の無傷を確認したリーディアが、呆れたように背後を指し示した。

 そこには既に赤々と焚き火が熾され、マジックポーチから出した調理台や皿などが並べられている。模擬戦の輪からしぶしぶ外れ、マクシム配下の騎士二人がせっせと用意を進めていたのだ。


「おお、こりゃいかん。よおし、じゃあ俺様がとびきり美味いシチューを作ってやるぜ。待ってろよ!」

「えええ、フーゴが作ってくれるのはいつも同じシチューじゃない。たまには違うのをリクエストします!」

「なな、言ったな!? 仕方ない、拾っておいたガーゴイルの欠片を使って新たなダシを――」

「フーゴ、それはもうただの石ではないか?」


 模擬戦の緊迫した空気から一転、一行の間には和やかな空気が戻り笑い声が響き始めていく。

 それはラビリンス攻略という大目標を達成した者のゆとりだ。


 そしてそれは、皆から一歩引いて眺めるヤーヒムの冷徹なアイスブルーの瞳に、ほんの微かな笑みを浮かばせるようになった光景でもあった。




  ◆  ◆  ◆




 その後交代で仮眠を取り、満を持して<常昼の無限砂漠>に転移してしばらく。

 ラビリンスコアを討伐しても強烈な砂漠の環境が変わることはなく、凶悪な日差しと熱気が間断なく一行に襲いかかっている。さしもの一行の口からも徐々に会話が失われ、皆が黙々と熱砂に次の一歩を踏み出すようになった頃。


 上空高くには涼しげに大空を横切っていく鷹が一羽。

 その軽やかな羽ばたきを恨めし気に見上げながら、フーゴが何度目かになる同じ問いをヤーヒムに投げかけた。


「なあ、こっちで間違ってないか?」


 問われたヤーヒムは深々とかぶったフードの中で僅かに顔を上げ、ヴァンパイアならではの日光下の倦怠感を振り払うように前方をしっかりと見定めた。


「ああ、間違いない。転移スフィアはこの先だ」


 前回、彼ら<ザヴジェルの刺剣>はラビリンスと共鳴するアマーリエの魔剣の性質により、迷うことなくこの広大な砂漠階層を乗り越えてきた。だが、帰り道はそうはいかない。コアを討伐することにより魔剣の共鳴がなくなってしまうからだ。

 彼らもそれを知ってはいた。ラビリンスを攻略するのはここが初めてではない。だから前回は砂漠を歩きながら、要所要所でリーディアが土魔法で目印となる塚を建立してきたそうなのだが――


 いざスフィアで転移してきてみると、その塚はきれいに砂漠に呑まれてしまっていた。

 もしかすると、前回この周辺で暴れ回っていたサンドワームの集団が、その後もかなり広い範囲にわたって暴れ続けていたのかもしれない。


「ど、どうしよう……私が魔力を出し惜しみせずにもっと大きく作っておけば……でも土魔法、苦手なの…………」


 周囲は特徴のない砂丘が延々と広がるばかりで、踏み出すべき方角すら分からない。ハイエルフの血を引く可憐なかんばせを曇らせて一人落ち込むリーディアに、ヤーヒムが静かに声を掛けた。



 ――自分が案内をしよう。コアの青の力を啜って得た新しい能力によって、転移スフィアがある方角がなんとなく分かるようになっている、と。



 ヤーヒムがこのラビリンスで新たに獲得した能力は【霧化】と【ゾーン】。

 転移スフィアの方角が分かるのは、【ゾーン】の能力に関連したものだ。周囲の空間を把握するこの能力は、戦闘時に的確的な動きをする助けになるだけではなかった。色々と検証をしていくうちに、思わぬ派生能力に気付いたのだ。


 きっかけは、【ゾーン】を使った時に周囲の面々が持つマジックポーチが驚くほどに目立って感じられたこと。異空間に物を収納するマジックポーチは、周囲の空間を把握する【ゾーン】で見ると、一種異様な空間の穴として明らかな異彩を放っていたのだ。


 そして、その延長で転移スフィアのある方角が分かることも判明した。

 転移スフィアは異空間を繋げる強力な魔道具のようなものだ。マジックポーチと同様に違和感として認識されるが、より強烈な転移スフィアの違和感は、【ゾーン】の把握範囲外にあってもぼんやりとそれが存在する方向が分かるようなのだ。


 それを落ち込むリーディアに伝え、実際に皆を連れて進んでみたヤーヒム。

 しばらく進むとリーディアが作った塚が現れ始め、内心で安堵の息を吐いたのは内緒にしている。自信はあった。だが、ヴァンパイアであるヤーヒムにとってこの砂漠の階層の強烈な日差しはやはり煩わしく、マクシムから譲り受けた竜皮のコートがしっかりとそれを遮断してくれているとはいえ、早く次の森林階層へ進みたいのは皆以上なのだから。



「――あ、ほら、あそこにあるのって次の塚じゃない? ヤーヒムの言ったとおりね!」



 今やリーディアは落ち込みからすっかり立ち直り、一人だけ元気だ。


「おお、確かにそれっぽいな。これで何本目だ?」

「初めのうちの何本が壊されちゃったか分からないけど、私たちが見たのは二十二本目よ。たしか全部で四十本ちょっと建てたから、半分はもう確実に越えたってところね」

「……やっと半分か。リーナ、悪いがまたこれに水を補充してくれないか。この熱気はどうも苦手だ」

「はい、どうぞマーレ。水分はたくさん採っておいて。行きと違って塚は建てなくていいし、水筒を満たすくらいなら大した魔力を使わないんだから。他のみんなはどう? ヤーヒムも平気?」


 ヤーヒムが自分の失策をフォローし、そして自らパーティーの舵取りに参加していることが嬉しいのだろうか、リーディアのヤーヒムに向ける笑顔は日差しを忘れさせるほどに輝いている。

 それに、どうやら彼女のヤン=シェダ譲りのハイエルフの血筋は、可憐な容姿とは裏腹に暑さ寒さに対してかなりの耐性を持っているらしい。耐性全般についてならヴァンパイアであるヤーヒムも負けてはいないのだが、今は強すぎる日差しにじわじわと内側から焼かれているような状況だ。


 我慢できないことはもちろんないが、早いところ次の階層へと進みたい――リーディアに小さく礼を言い、その後も時折周囲で繰り広げられるお喋りを半分上の空で聞き流しつつ、ヤーヒムは黙々と足を進めていく。


 ……それにしても、【ゾーン】は思わぬ方向で役に立つ。


 ヤーヒムは延々と続く倦怠感の中でぼんやりとそんなことを考える。

 周囲のマジックポーチの所在が分かれば、それは即ち…………



「んん? あそこにいるのはディガーのパーティーじゃねえか?」



 ヤーヒムの思考が気だるい倦怠感の中で再び彷徨っていた、その時。

 かなりの数の砂丘を言葉少なに歩き続けていたフーゴが、不意に場違いな明るい呟きを漏らした。


 我に返ったヤーヒムがフードの奥で視線を上げると、上空には悠然と羽ばたく大きな鷹。

 そして、傍らの気のいいケンタウロスの視線の先、ふたつ向こうの砂丘の頂きには、明らかに手練れと思われる雰囲気をまとった迷宮採掘者風の男達がこちらを凝視していた。


 ……嫌な予感がする。


 ヤーヒムはフードの奥深くに顔を隠しつつ、心と体を静かに戦闘態勢へと切り替えていった。これといった理由は特にない。ちょっと腕の立つ普通の傭兵、というだけかもしれない。ただ、ヤーヒムのこの手の予感は良く当たるのだ。



 うだるような砂漠の猛暑の中、砂丘を登ってきた一陣の風がヤーヒムのマントをゆっくりと持ち上げた。






―次話『包囲網(後)』―

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