24 包囲網(後)

「よっしゃツイてる、帰還の宝珠を譲ってもらおうぜ!」


 一瞬の沈黙の後、途端に元気を取り戻し「交渉してくる」とひと声残して駆け出したフーゴ。

 その逞しい馬脚は柔らかい砂地をものともせず、あっという間に彼方の三人組へと近づいていく。そして何度か言葉を交わすと、彼らを引き連れてこちらの砂丘を登ってきた。


 と、それまで騎士達に守られるように一行の中央を歩んでいたアマーリエが、まるでヤーヒムを彼らの視線から遮るようにするりと前に滑り出た。


「…………念のため後ろに下がっていてくれ、ヤーヒム。交渉は私がする」


 背中に決然とした意思をまとわせ、振り返ることなく肩越しに告げるアマーリエ。

 守ろうとしてくれているのか――新鮮でもあり非常に懐かしくもある何かが、ヤーヒムの中にふわりと浮かんだ。一緒にザヴジェル領に来ないか、そう口にした彼女の真剣な瞳が思い出される。断りはしたが、あれはこの辺りのことも全て含んだ言葉だったのだろう。


 ……ありがたいことだ。


 それに、さっきの悪い予感のこともある。ここで暴れるのは簡単だが、今まだ一緒にいる面々はそれぞれが地位も名誉もある有名人だ。何かが一歩間違えば彼らに迷惑がかかるかもしれない。それを考えるとやはり、この場は素直に貴族であるアマーリエに任せるべきだろう。

 ヤーヒムは自分の新たな服装――マクシムから譲り受けた上質な一式――におかしな点がないか軽く確認し、その場で静かに三人組がやって来るのを待ち受けた。



「おお、有名な姫将軍様のパーティーにお会いできるとは。私らは<スタニークの狂犬>、名前だけは勇ましい貧乏パーティーです」



 三人組を代表して中肉中背の特徴のない男が慇懃な挨拶をしてきた。後ろの二人も丁寧に頭を下げている。

 アマーリエが挨拶を返そうと口を開きかけた時、そこに上空を舞っていた鷹が音もなく滑空してきた。そして、三人組のリーダー格の男の腕にふわりと舞い降りる。通常の鷹と形に違いはないが、明らかに大きく、そして黒い目の中に瞳だけ紅く揺らめいている。


「あは、驚かせてしまってすみません。こいつは私の使い魔のコルウス、周りに強すぎる魔獣がいないか見張ってくれてるんです。私らみたいな弱小パーティーでは大助かりで……」

 リーダー格の男が腕の使い魔の頭を撫でつつ、ふとそこで言葉を止めた。

「おや、姫将軍様のパーティーは少数精鋭と聞いていたのに、今回は随分と大所帯のような?」


「………………」


 あくまでも自然に探りを入れてくるリーダー格の男に、ヤーヒムの警戒心が一段跳ね上がった。

 まず、この三人は弱小パーティーなどではない。ここまで歩いてくる足運び、身にまとう強者の匂い、油断なき視線の運び方――間違いない。<ザヴジェルの刺剣>を除き、ここまでこのラビリンスで見かけた傭兵など比べ物にならないほどに群を抜いた手練れの一団だ。


 それに、無邪気を装っても鋭すぎる視線がこちらの顔を一人ひとり素早くかつ入念に確認している。それはまるで人探しをしているように見える。ヤーヒム自身は深々とフードをかぶったままなので顔を見られることはないが、マクシムから譲り受けたこの服ははたして、彼らの目にどう映っているのだろうか。


「口を慎め」


 場に漂い始めた微かな緊張感の中、ザヴジェル騎士団の特徴的な鎧を身につけたマクシムが最前列に歩み出た。そして、その有名な大盾を威嚇するように持ち上げ、下部のスパイクを男達の目の前の砂面にざくりと突き刺す。


「いくらラビリンス内とはいえ、度を過ぎた詮索は無礼。こちらが何者か理解したのであれば、これ以上はザヴジェル辺境伯家に対する挑発行動と捉えるが宜しいか」


 途端に固まる男達。

 だが、マクシムの大きな体と盾はさり気なくヤーヒムを彼らの視線から遮る位置であり、彼なりに状況を見て取った計算ずくの行動のようだ。

 と、そこでアマーリエが鷹揚な口調で沈黙を破り、マクシムの作った空気を阿吽の呼吸でコントロールしていく。


「まあ、そこまで尖るなマクシム=ヘルツィーク。許せディガー、これは我らが特務部隊を束ねる者でな、少々過保護なのだ。其方らの疑問に答えるならば――今回はさすがに不落のブルザーク大迷宮、そこのフーゴに応援を頼んだり留守番組から増員をしたりしたまでだ。まあ、お陰で<常昼の無限砂漠>も抜けて無事このラビリンスを攻略できた、とそう言っておこう」


「……なんと、このラビリンスを攻略したのですか。それはそれは」

「おお、難攻不落のブルザークを、たった一度の挑戦で」

「よかったら記念にコアを見せてもらっても?」


 弛んだ空気の中で口々に喋り始めた三人組に、豪奢な白銀鎧の肩を傲然とそびやかすアマーリエ。

 彼らの反応はやはり何かがきな臭く、少しでもこちらから情報を得ようと必死になっているように見える。そして、相変わらず人相を確かめようとする、さり気なくも執拗な視線――それも今やヤーヒムに集中し始めている。


 ……間違いない。となると彼らはあの襲撃者、<火炙り>の仲間だろうか。


 そうだとすると彼らの状況はこうだ――黒衣の剣士を探していて、そこにザヴジェル騎士の名高い特務部隊、<ザヴジェルの刺剣>と一緒にフードをかぶった男が現れた。


 服装は変わっている。背格好は変えようがない。人相がどこまで伝わっているかは分からないが、彼らの態度を見るに今のところ「疑わしいが確定ではない」といった按配だろうか。


 ただ単にヤーヒムが疑心暗鬼に陥っているだけ、という可能性はもちろんある。

 だが、胸の奥に巣食う嫌な予感は未だ健在で、そして何より、彼らからこびりついた古い血の匂いが微かに漂ってきている気がする。しかもこの複雑で芳醇な匂いは魔獣の血ではない。間違いなく人間の、それも長年に亘って幾人もの血が積み重なり入り混じった匂いだ。


 ヤーヒムはアマーリエの後ろで静かに彼らとの距離を計算しながら、彼女が危なげなく主導していく場の流れを見守った。


「――いや、悪いがコアは厳重にしまってあるのでな。一部はユニオンに売却するから、その後に見せてもらえばいい。……ああ、そう言えば」


 そこでアマーリエはさも今思いついたように話題を変えた。


「守護魔獣とはさすがに激戦でな、帰還の宝珠を壊されてしまったんだ。見ればまだそちらはラビリンス入りしたばかりでゆとりがある様子、悪いが宝珠を譲ってくれないか? 謝礼は弾もう」


 アマーリエがさらりと切り出したのは、ラビリンス探訪者の間の不文律のひとつ<宝珠の譲渡>だ。

 宝珠自体はラビリンスの入口にある最初の転移スフィアの周囲で簡単に採取できるものであり、衝撃で稀に壊れることがある代物だ。ガーゴイルとの激戦で破損した<ザヴジェルの刺剣>の宝珠がその良い例だろう。


 が、かと言って予備をいくつも採取しておけば良いというものでもない。

 複数の宝珠を持って転移スフィアを使うと、なぜか全ての宝珠が石ころに変わってしまうのだ。まるで何者かの不気味な意図を感じるような仕組みではあるが、そういうものだとして昔から迷宮探索者たちはしたたかに利用できる部分だけ便利に利用してきている。


 そして、長くラビリンスに潜っていて宝珠が壊れてしまったパーティーがいた場合、ポーションなどに余裕がある新参のパーティーは宝珠を譲らなければならないという暗黙の了解すら出来上がってきている。


 謝礼の相場は金貨三枚。

 帰還の宝珠が真に必要な場面などそうそうあることではなく、使わずにラビリンスを出れば宝珠の効果は消え、やはりそのまま石ころに変わるものである。帰還の効果は同時に転移スフィアを渡ってきた者限定なので譲ったパーティーは地道に帰路を辿らなければならないが、言ってみればそれだけの問題だ。それも十階層ごとに転移スフィアが第一層のスフィアと繋がっているので、実際はそこまで負担にはならない。


 そして今回、アマーリエが提示した謝礼は通常の三倍、金貨十枚という破格なもの。

 そんなアマーリエの鎧には、そこかしこに応急処置では治せない程の傷やへこみが刻まれている。対する三人組は、使い込まれてこそいるがきちんと整備された防具を装備している。ラビリンスを攻略してきたというアマーリエの言い分も加味され、迷宮採掘者――ディガーの常識に従えば到底断れる申し出ではなかった。


「……ええと、でもですね、私らも帰還の宝珠は手放したくないというか、ほら、私ら戦闘はからっきしですから――」


 が、三人組は妙に渋っている。

 この場でこちらに襲いかかろうという気配こそないものの、今の申し出が彼らにとって非常に都合の悪いものであり、なんとか誤魔化して場を繋げたいと考えているのが透けて見えるようだ。瞬きの回数が異様に増え、我慢できずに腕の使い魔に視線をやったりもしている。


 ……近くに仲間がいる?


 ヤーヒムの脳裏にそんな言葉が浮かんだ。

 帰還の宝珠を渡すということは、このラビリンスからどうぞ出てくださいとその手段を提供するようなものだ。近くに仲間がいるとすればどうにか時間を稼ぎ、使い魔で連絡を取るなどしてその仲間を集めたいのかもしれない。今の三人だけで襲ってくる気配はないものの、もし同様の手練れが大勢集まってきた時にはどうなるか――


「なら金貨十五枚出そう。ラビリンス攻略者であり、ザヴジェルの嫡流に恩を売れる滅多にない機会だぞ? それに今はラビリンス攻略直後だ。魔獣どもも自分の縄張り争いで忙しくて、人間にはほとんど攻撃してくるまい」

「あ、いや、でも――」


「ああ? <宝珠の譲渡>を拒否するってのか?」


 自分が連れてきた迷宮採掘者達が醸し出すちぐはぐさに気付いたフーゴが、裏切られたとばかりに怒りの形相で睨みつけた。


「なあ、ディガーなら俺が誰だか知ってるだろ? 俺がその噂を広めればあっという間にお前さんたちは干されるぞ――まあ、そこまで荒立てるつもりはねえんだ。ほら、その装備、この砂漠で火結晶を採掘に来たんだろ? ラビリンスも解放されたからな、今なら安全に掘り放題だ。つうことで、ごちゃごちゃ言ってねえで早く宝珠を譲ってくれや。こっちはすぐにでも帰還してえんだ」


 高名なフーゴの言葉も重なり、さすがにこれ以上の抵抗はできないと観念したのだろう。リーダー格の男は腕に使い魔をとまらせたまま、意外とすんなりと腰の物入れから帰還の宝珠を差し出してきた。そして、アマーリエの目配せを受けたマクシムから金貨を受け取り――その拍子にさり気なく腕の使い魔に何かを囁いた。


「ほう、その使い魔に何をさせるつもりかな?」


 アマーリエが鋭く男の行動に釘を刺した。

 ヤーヒムだけではない、アマーリエも先程の男の視線に気がついていたのだ。


「あ、いや……ほ、宝珠も譲ったことですし、これまで以上に周辺の警戒をと――」


「そうかそうか、用心は長生きの秘訣というからな。では、我々は早速この宝珠を使わせてもらうとしよう。悪いが、少し下がって貰えるかな。――皆、集まってくれ」

 アマーリエの言葉に、ヤーヒム含めた一行は素早く彼女の周囲に固まった。

「では<スタニークの狂犬>の諸君、長生きがしたくばこんな危険地帯でくれぐれもおかしな行動はしないようにな。今なら宝珠を譲ってもらった感謝で終えることが出来るゆえ」


 ククク、と含み笑いをしながら高々と帰還の宝珠を天にかざすアマーリエ。迸る青く静謐な光、揺らめく空間――



 次の瞬間、<ザヴジェルの刺剣>とヤーヒムはブルザーク大迷宮第六十四階層から姿を消した。



 熱砂の砂丘に残されたのは、悔しげに立ち尽くす三人の男達。

 転移で薄れゆく景色の中、ヤーヒムの鋭い聴覚が拾った男達の言葉は――


『クソ、まさか俺達の方が当たりを引くとは。八割方あれがヴァンパイアだった』

『ザヴジェルと一緒になってるなど誰が予想する? しかもあの姫将軍だぞ、厄介なことになった』

『こうなるともう我らの一存では手出しできない。作戦は変更だ、隊長に大至急連絡を取れ。あとスレイブにもだ』


 ――というものだった。



 こうしてヤーヒムは三人組の言葉の意味に首を傾げつつも、ヴァンパイア包囲網の第一波を際どいところですり抜けたのであった。




  ◆  ◆  ◆




 ブルザーク大迷宮の入口にある転移スフィアの傍らで、何もない空間が揺らいだ。

 誰かが帰還の宝珠を使ったのだ。


 それは<ザヴジェルの刺剣>とヤーヒム達だ。

 ヤーヒムが聞いていたところでは、帰還の宝珠は転移スフィアのように一瞬で転移するのではなく、数秒の時間を要するという。帰還の宝珠はいわば小型の転移スフィアであり、その容量の関係で時間がかかるのではないか――そんな推測がされているらしい。


 だが、砂漠の光景が薄れてラビリンスの入口の光景が見えてくるまで、明らかにそれ以上の時間がかかっている。砂漠に置き去りにした男達の声が微かに聞こえたことも、もしかしたら通常ではあり得ないことなのかもしれない。


 ヤーヒムが帰還の宝珠を使うのは初めてだ。

 アマーリエ達一行に聞くまではその存在すら知らなかった。なのでこれがどれだけ異常なことか定かではないが、ひょっとすると、自分の持つ強化された空間属性が何かを狂わせているのかもしれない。そんなことが頭に浮かぶぐらいには時間が経っている。そうだとすると、知らぬ事とはいえ、どうなるか見当もつかない転移事故という最悪の危険に皆を巻き込んでいることとなり――



 と、ようやく見覚えのあるラビリンス入口の石畳が足元に現れてきた。

 どうやら無事に転移は成功したようだ。ほっとしたのも束の間、明らかな違和感がヤーヒムの警戒心を鷲掴みにした。


 まず、周囲が明るい。

 このラビリンスに忍び込んだ時はここまで明るくなかった筈だ。


 そしてその明るさの中に、異様なほどに人がひしめいている。密集していると言ってもいい。

 大陸有数の大迷宮だけに何組ものハンターやディガーの姿があるのは当然なことだが、これはさすがにおかしいのではないか。


 徐々に周囲の光景が具現化し、特有の歪みもなくなっていく。


 それだけ人が多いのに、誰一人として声が聞こえない。まるで、気配を殺してこちらを待ち構えているようだ。

 明瞭になっていく視界の中、周囲の集団が揃いの革鎧を装備しているのが分かり、その全員がこちらを何重にも取り囲んでいるのが分かり、そしてその手には一様に抜身の剣が――



 ――街の守備兵か!



 一難去ってまた一難。

 取り囲む兵士達が揃って装備している革鎧は、ヤーヒムがこのラビリンスに逃げ込む前に追ってきた兵士達と全く同じものだった。

 呼び笛で仲間を集めつつ執拗に追ってきた彼らは完全に撒いたつもりでいたが、ラビリンスの外でこうして大々的に待ち構えているとは。


 思っていた以上に人間社会の追尾の手が早い。だが、ここで捕まる訳にはいかない。

 一度捕まればまた人間達の尽きない欲望の奴隷となる、あの理不尽な囚われ生活が待っているのだ。自分は自分で決めた道を歩く。覚悟は出来ている――ヤーヒムの爪が無意識の内にするりと伸び、内心の覚悟と同じ、蒼く冷たい光を放ち始めた。


 ……いや待て。


 ヤーヒムは意思の力で爪を戻した。

 今はアマーリエ達と一緒だ。フーゴも含め、全員が有名人と言っていい。その同行者が街の正規兵相手に暴れたらどうなる?

 アマーリエにさっきの三人組から口頭の駆け引きで帰還の宝珠をせしめてもらったのも、その辺りを考慮した結果ではなかったか。


 どうする?

 どうすれば迷惑をかけずに切り抜けられる?


 取り囲む兵士達が質感を伴って明確化し、時間のかかった転移が無事に完了していく。


 皮肉なものだ、さっきは早く終われと思っていたのに。

 ヴァンパイアの奥の手、短距離転移は使っても意味がない。この入口の間は閉鎖空間であり、しかも兵士で埋め尽くされているのだ。最大限に遠く壁際に飛んだところで自分の存在の露見が数秒遅れるだけだ。


 こうなれば、使うことなどまだ先と考えていた奥の手を――


 周囲の兵たちがどよめき、その顔に明らかな緊張が走り、一斉に剣を構え直している。

 もうこちらの姿は完全に見えているに違いない。


 よし、仕方あるまい、賭けるしかない!

 未だ制御が甘く、宝珠の転移中にやるほど無謀はできないが――――




 ――――ヤーヒムは転移が完了する瞬間を待ち構え、限りなくおぼろに見えるよう全力で【霧化】した。






―次話『死線』―

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