14 ざわめく心

「いやな、金髪の姫さん――リーディア嬢って言うんだがよ、彼女がダーシャって言ったか、元奴隷の女の子のことを聞きたいんだと」


 フーゴのその言葉に、ヤーヒムの冷たく透きとおったアイスブルーの瞳が一瞬強い光を放つ。


 来たか。

 あれほど取り乱していたからどこかで聞きに来ると思っていたが――無言で続きを促すヤーヒムに、フーゴはどこか申し訳なさそうに話し始めた。


「深い話は聞いてないんだけどよ、ヤーヒム、あんたその女の子を助けたのか? リーディアの姫さん曰く、その辺のことで色々聞きたいことがあるんだそうだ。ま、俺はあんたが助けたって言っても全然驚かないんだけど……でも、あんた最初に姫さんがその事を口走った時、すごい顔して姫さんを押しのけたろ。それから妙に距離取ってるし。あともうひとつ申し訳ないこともあって」


 僅かに口ごもるフーゴ。

 だが、すぐに再び語り始めた。


「俺も姫さんたち二人も、どっちかって言うと完全にあんたの側に立ってんだけどな、騎士さんたちは立場上そうもいかなくてなあ。これまでの行動とかさっきの敬礼とか――そう言や、ありゃすごかったな! さっき聞いたらとんでもなく格式高い騎士団じゃねえと使わない、しかも最上級騎士のものらしいじゃねえか。騎士さんたちも興奮してたぞ……ってそれはさておいて」


 見事な栗毛の尻尾を振り、くふふ、と可愛くもない笑いを零す強面ケンタウロス。


「まあ、これまでのあんたの行動を見たりそんな敬礼とかなんかも含めて、心の中じゃ騎士さんたちもあんたのこと認め始めてるんだろうけどよ、姫さんたちとあんたの距離が近くなると途端に顔が固まっちまうんだわ。余計な心配だって言いてえが、職業病なんだろうな。騎士なんて責任感の固まりのような連中だからなあ、そこは勘弁してやってくれ」


 フーゴはつまらなそうに革鎧で覆われた肩を竦めた。


「で、あんたと話したがってたリーディアの姫さんも、そんな騎士さんたちの心労を増やしたくないみたいだし、自分が避けられてるかもって戸惑ってもいてな、コイツを預かってきたんだわ。――使い方は知ってるか?」


 フーゴが腰に下げた小袋から取り出したのは、胡桃ほど大きさの黒い魔鉱石だった。薄紫の微細な光を放つ魔法陣が小さく刻まれている他は、先ほどの激戦でフーゴが隙をみてせっせと採取していたものと変わりはない。売ればそれなりの値で売れるのだろうが、今のヤーヒムには全く興味のない代物だ。


「ま、俺もこんな貴重なもんは初めて触るんだけどな。元はさっき採った魔鉱石だけど、ここに魔法陣があるだろ? リーディアの姫さんが即席で簡易の通信魔鉱石に仕立て上げたんだと。通信魔鉱石なんていえばツンフトの上層部かお貴族様か国ぐらいしか持ってねえけど、さすがはヤン=シェダの一族だな。騎士さんたちに内緒でほいほいっと作っちまった――ほらよ」


 フーゴの手を離れ、魔鉱石が空中に柔らかな軌跡を描いてヤーヒムの手に収まる。


「じゃ、俺は火の番に戻るわ。リーディアの姫さんの用意ができたら合図するからよ、その魔法陣に魔力を通してやってくれ――ちゃんと優しく会話してやんだぞ? 彼女を泣かせたらシェダの一族はもちろん、ザヴジェルも国も敵に回るからな。色男は大変だ、がははは」


 訳の分からぬ哄笑を残し、フーゴは軽快な蹄の音と共に自分の焚き火へと戻っていった。

 残されたのは一枚の毛布と貴重品といわれた黒い魔鉱石。ヤーヒムは毛布を広げ、フードをかぶり直して己が手の中のその魔鉱石を見詰めた。


 通信魔鉱石とフーゴは言っていたが、ヤーヒムにとってその言葉自体が初耳だった。地下に囚われていた百年の間に技術も進歩したのだろうか。これを使えば離れていても会話が出来るとすれば、国やユニオンのような大組織は目の色を変えて取り入れているだろう。遥か昔、まだ人間の見習い騎士だった頃に使者や伝令として散々こき使われたことがふと思い出された。懐かしい――。


 深くかぶったフードの奥で、自分でも気付かぬうちに微かな笑みを浮かべるヤーヒム。


 そういえば、フーゴはヤン=シェダとかシェダの一族とかの言葉を口にしていた。そして、リーディアがその一族に連なる者のような口ぶりだった。国やユニオンの上層部しか持っていない通信の魔道具を即席で作ってしまえるのだ。戦闘でも上級魔法を連発していたし、やはり余程の実力者なのだろう。

 フーゴは口癖のように姫さん姫さんと呼んでいたが、もう一人の白銀鎧のアマーリエも含め、もしかしたら二人ともかなり上澄みの権力者階級の娘なのかもしれない。まあ、アマーリエの方は錚々たる顔触れの騎士達が護衛として付き従っているのだ。察するに難くない。


 そこまで考えて、ヤーヒムは棚上げしていた一つの問題を思い出した。


 ラビリンスコアだ。

 彼らが共に目指しているのは、一つしかないラビリンスコア。


 ヤーヒムの中では彼ら<ザヴジェルの刺剣>と対立したくはないという思いが育ってきてはいる。だが同時に彼らの戦いぶりを見て、ラビリンスコアによる自身の強化の必要性をますます大きく感じようにもなってきている。


 もし<ザヴジェルの刺剣>と対立するようなことになれば、その影響力で後々の行動が大きく阻害される可能性が高い。只でさえ社会に忌避されるヴァンパイアなのだ。それが、国ぐるみで大々的に指名手配されなどしたら――。


 いや、今でさえヤーヒムを追ってくる者達がいる。


 地下牢で彼の血を搾取していたあの女は物言わぬ骸にしてきたが、その後、サンドワームの坩堝に置き去りにしてきた新手の者達がいる。ラビリンスの深層にいてこれだ。外界では既に情報が回って、新たにヤーヒムを捕らえその血を狙っている輩がゴマンといるのは間違いないと思っていい。これでは地上に戻って他のヴァンパイアを探して回るなど夢のまた夢、やはりラビリンスコアによる強化は試してみなければ――




 ……ヤーヒムがふと視線を上げると、亀裂前の焚き火の脇でフーゴが後ろ脚で立ち上がって前脚二本で空を掻きつつ、器用にバランスを取ってヤーヒムに向かって無言で腕をぶんぶんと振り回していた。




 合図、なのか?

 ヤーヒムが小さく魔鉱石を掲げてみせると、やれやれといった様子で前脚を下ろして何度も頷くフーゴ。これは済まない事をしたと片手を上げて了承の意を示せば、そんなことはいいからと言わんばかりにフーゴは両手で亀裂の中を指差す。


 種族に似合わず愛嬌のあるおっさんだ――ヤーヒムは知らずに微笑み、左の掌に魔鉱石を乗せ、右手で覆った。


 魔力を通せと言っていたな。

 ヴァンパイアであるヤーヒムは世間一般の魔法は使えない。見たこともない通信魔鉱石に魔力を通すなどよく分からなかったが、遥か昔の人間時代に使っていた魔道具の記憶を辿り、両手に力を流し込んでいく。すると左手の甲と同化したラドミーラの紅玉が抗議するようにチクリと痛んで、そしてヤーヒムの頭の中に女の声が流れ込んできた。


『……ゴったらちゃんと説明してきたのかしら!? この即席魔鉱石じゃそんなに長くお話できないっていうのに! それに早くしないとマクシムに見つかってしまうわ……え、あ、もう大丈夫だって? え、じゃあまさか今の全部聞こえてた!?』


 どうやら無事に魔力は通せたらしい。

 ヤーヒムの頭の中に聞こえるのはあの紫水晶の瞳を持つリーディアの声だ。便利なものだな――ヤーヒムは薄紫の清冽な光を放ち始めた魔鉱石を摘み上げ、目の前で眺めた。

 ラドミーラの紅玉が送ってくる痛みは手の甲を抓るようなものに変わっているが、それがかつてのラドミーラ本人を思い出させて、ヤーヒムは通信魔鉱石を持った手で優しく左手の甲の紅玉を撫でた。いつだったか他の女ヴァンパイアと言葉を交わした時、あの人はヤーヒムに躰を押し付けて同じように手の甲を抓ってきたのだった。


『……ヒムさん? 聞こえてる?』


 頭の中にはリーディアの声が続けて流れてきている。ヤーヒムは改めてその声に意識を戻し、小さく安堵のため息を漏らした。

 やはり声は全然似ていない。同じなのは髪と瞳の色、そして血の匂いに似ている部分があるというだけだ。声を聞くだけなら二百年前のあの余計な記憶を刺激されることもなく、もちろん血の匂いに誘惑されることもないから、普通に平常心で話をすることが出来そうだ。……ところで返事はどうすれば良い?


『――ああ、聞こえている』

『ひゃっ!』


 頭の中で声にしてみれば良いようだ。驚かせてしまったみたいだが。


『……ごめんなさい、随分と大きく聞こえたものだから。そうだわ、ヴァンパイアは空間属性持ち、そもそもの本家本元じゃない。後でその辺も聞かせて貰わないと』


 頭の中に清冽な小川のように流れ込んでくるリーディアの声。それはヤーヒムになぜか春を連想させるものだった。


『ええと、まずはこんな形でお話しすることになってごめんなさい。私は全然大丈夫なんだけど、どうしても周りが気を張ってしまうから。そして、改めてダーシャを救ってくれてありがとう。ヴァンパイアさん、貴方なのよね? 聞いているかもしれないけれど私はリーディア=シェダ。ヤーヒムと名で呼んでも?』

『……ああ』

『初めは紅になっていて少し迷ったけれど、その後の貴方のそのアイスブルーの瞳、ダーシャの話のとおりね。ヴァンパイアはみな瞳の色が変わるの?』

『……ああ』

『うふふ、こうやってでもお話できてすごく嬉しいわ。ずっと貴方とお話ししたかったの。……あの、怒ってないのよね?』

『……ああ』


 筋道の見えない、だが妙に心を浮き立たせるその溌剌さに、徐々にヤーヒムの肩から力が抜けていく。


『……ダーシャは元気か?』

『ええ、とっても。私たちが抑えている宿でマーレ付の侍女に面倒を見てもらっているの。随分と可愛がられてるみたい。あ、忌み子云々については心配ないわ。私、少しだけだけど祝福系の神聖魔法を使えるの。それって忌み子の魔の血を抑える効果もあるみたいでね、かけてあげたら本当に喜んでくれたわ』

『……あれはやはりそうだったのか』

『え、何? ちょっと聞こえなかった。まあ、それって見た目も綺麗な魔法でね、ヤーヒムにも今度見せてあげるわ。でも、ふふふ。あの子、強くなって傭兵になりたいんですって。あんな小さな子がそんな危険なものにならなくても幾らでも安全な仕事を用意できるのに、まあ目標と気力があるのは良いことね。もしかしたら今ごろ、留守役の騎士の誰かにユニオン見学に連れて行ってもらってるかもしれないわ』


 強くなって傭兵に――リーディアの話のその部分に、ヤーヒムはふと自分がダーシャにかけた最後の言葉を思い出した。

 自らの意思で強く生きろ、そんなことを言った気がする。そうか……


『ヤーヒム? ああ、魔鉱石が壊れちゃったかと思ったわ。でもやっぱり生粋の空間属性持ちが相手だと調整が必要なのかも。即席の簡易版なのに驚くぐらいいつもよりはっきり聞こえるわ。ふふふ、ねえ実は私も少しだけ空間魔法の属性があるのよ? だからこんなに惹……あ、今のはナシ。でも私に空間属性があるのは本当よ。これは内緒ね』

『……ああ』

『うふふ、私の瞳の色、珍しいでしょ? 一族の中でね、半分ぐらいこの色になるの。エルフの血が混じる一族だけれど、それは関係ないわ。だってエルフはみんな翠だものね。それでね、この紫水晶の色を持つ子は人には使えない筈の空間魔法を少しだけ使えるのよ。この通信魔鉱石が作れるのはそのお陰。これは一族だけの秘密なの。ヤーヒムも秘密にしていてね? 約束よ?』

『……ああ』

『でも、ヴァンパイアって本家本元、生粋の空間属性持ちでしょ? 私すごく興味があって――』


 ……そういえば若い女というものはこんな具合だったな。とりとめのない、だが、生気に溢れた生き物だった。


 話の途中で徐々に意識が逸れていくヤーヒム。

 きちんと聞いてはいる。ただ、妙に心がざわめくのだ。他の女もこうだったか――


 ――いや、リーディアが特別かもしれない。まばゆいぐらいに生気に満ち、心を仄かに温めてくれる……


 掌に魔鉱石を包んで彼女の晴れやかな声に耳を傾けるヤーヒムの顔に、ほんのりと優しい笑みが浮かぶ。手の甲のラドミーラの紅玉は執拗に抓るような痛みを送ってくるが、実際、ヤーヒムはこのひと時を楽しんでいた。それにはどこか憧れるような、焦がれるような色が添えられていたかもしれない。


 だが、ヤーヒムの和やかな時間は長くは続かなかった。

 他愛もないお喋りは、唐突に方向を変えられてしまったからだ。


『――まあ、その辺はまたいつでもお話しできるわね。そうそう、私、ダーシャを助けた時の詳しい話を教えて欲しいのだけれど』


 リーディアのその話題変更で、フードの中の微笑みが拭ったように完全に消えた。


『ねえヤーヒム、ダーシャは違法奴隷だったのでしょう? どうしてバルトル家にいたの? どうやって解放してあげたの? 他にはいなかった? あの家は何をやっていたの? というのも、実は私、違法奴隷を無くそうとずっと調べてて――』


 ……やはりそこは聞いてくるか。

 それは今のヤーヒムが一番触れてほしくなかった話題。特にリーディアには、何故か分からないけれど彼女には特に知られたくなかったことで――


『――この街から年間何十人もの違法奴隷が売りに出されていて、バルトル家がその元締めに非常に近い存在だったらしいの。でも異様に用心深くて、自分の所にはほとんど留まらせなくてすぐに捌いちゃって、ようやくバルトル家の名前に辿り着いたところだったの。それなのに、この大迷宮に来るっていうマーレに同行するって名分を作ってやってきてみたらあの火事で――』


 上の空で流れていく声を振り払うように、ヤーヒムは乱暴に息を吸い込んだ。


 違法奴隷の販売組織などは知らない。

 だが、その違法奴隷の一部がどうなったかは見当がつく。



 ――皆が瞳を絶望に染め、ヤーヒムの口の上で自ら首を掻き切ったのだ。



 ダーシャはどこまで話したのだろうか。

 仄かに感じていた温かさが、痛みすら伴う凍えに変わっていく。今のヤーヒムは彼女達の血と命の上に生き長らえている――その事実を忘れたことはない。だが、それを自分の口からこの生気に満ちた乙女に伝えろと?

 数多の少女達が息を引き取るそのたびに、ヤーヒムの心も繰り返し一緒に死んできたのだ。何度も、何度も、百年もの長きにわたって、数えるのも嫌になるぐらいに。


 それに。

 その事実が知られればなぜバルトル家はそんな事をしていたかという話になり、ヤーヒムの血が霊薬の原料となることまでズルズルと知られてしまう。ダーシャと別れる前、血を飲ませて癒してやったこともある。自己治癒能力の低い末端のヴァンパイアならまだ高も知れているが、真祖直系の最高位に近いヤーヒムの血は類稀なる回復効果を他者に与えるものなのだ。


 その事実はつまりリーディア若しくはその周辺が、サンドワームの坩堝に置き去りにしてきた連中と同じように、新たな追手としてヤーヒムの血を執拗に狙ってくる可能性を生み出す。


 リーディア自身がそんなことをするとは思いたくないが、そういう輩に捕らえられれば――始まるのはまた同じ絶望の日々。




 ――絶対にごめんだ。




 ヤーヒムの手に包まれた魔鉱石が、ピシリ、と音を立ててひび割れる。

 もう二度と捕まりはしない。やはりここのラビリンスコアは何があっても自分が確保しなければいけない。もう二度と囚われの身などにならないように強くなるのだ。


 例えコアを取り込んで何も起こらない可能性があっても。

 例え眼前に<ザヴジェルの刺剣>の面々が立ち塞がっても――


 ヤーヒムの手の中で魔鉱石が粉々に砕け散った。


『……ヒム? ヤ……あれ……が壊れた!?……やっぱり…………が相手だと……必要なの…………ム、ねえ聞こえ………………』


 ずっと頭の中で喋っていたリーディアの声が掠れ、急速に消えていった。

 握り締められたヤーヒムの左手から、粒子になった魔鉱石がさらさらと落ちていく。



 ――もう、いい。



 毛布を跳ね除け、ヤーヒムは悍馬のごとく立ち上がった。乱暴に手を払い、魔鉱石の粒子を全て叩き落とす。

 自分は穢れた存在だ。許されざる咎を幾重にも背負い――だが、それはヴァンパイアという己が種族が故。やはり、ヴァンパイアと人は相容れない運命さだめなのだ。その道が交わることはない。共に歩むなど夢物語、仄かにでも期待した自分が愚かだったのだ。


 自分は自分の道を行く。

 ここのラビリンスコアは何があっても己が確保する。二度と囚われの身などにならない強さを手に入れるのだ。



 焚き火の脇で呆然と見守るフーゴを置き去りにし、ヤーヒムは独りラビリンスコアを目指して薄闇の中に走り去った。






―次話『石段の戦い』―

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