12 申し出
「アマーリエ様、お下がりくださいッ! 奴は危険だ! 時間を稼ぐので帰還の宝珠をッ!」
心に大きな戸惑いを抱えつつ、風のように急襲するヤーヒムの前に。
赤い長方盾を持った重装備の騎士三人が前に飛び出し、人が隠れるほどのその盾をズラリと並べて堅固な壁を作った。半身になり左肩を押し当てて堅持された盾の上からは瞬時に覚悟を決め終えた六つの瞳がヤーヒムを睨みつけ、その背後には鈍く輝く三本の剣が各々の右手で高々と掲げられている。
執拗にまとわりつくヘルハウンドを斬り捨て急迫するヤーヒム。その心は千々に乱れ、徐々に速度が落ちていき……と、その時。
それまで固まっていた金髪の女が叫び声を上げた。
「ま、待って! 彼がヴァンパイアなら! あの子は、ダーシャは本当のことを話していたんだわっ! ねえお願いマーレ、彼と話をさせてっ!」
緊迫したこの場に似合わぬ可憐な声が地下墳墓に響き渡る。
――ダーシャ、だと?
ヤーヒムの足が止まった。
重装備の騎士三人が構える盾の十歩手前だ。
――ダーシャ、と口にしたか?
それは忘れもしない、地下牢を脱出した時に解放した奴隷の少女の名前だ。
無事に屋敷から逃げていくのは確認したが、それから時おり少女の行方は気になっていたのだ。
――それにこの女、見開いた紫水晶の瞳、かつての……と同じ色…………人の血を飲まぬと誓いを立てたきっかけにもなった、あの懐かしき…………
こちらを見詰める紫水晶の瞳をきっかけに、突如として甦る二百年前の記憶。
厳重に封印していた筈の追憶がヤーヒムの光る爪をゆっくりと下げさせていく。
「あなた、ダーシャを知っているのね!? あなたがダーシャを逃がしてくれたんでしょう? あなたが地下に囚われていたヴァンパイアなのね!? ねえ、本当のことを教えてっ!」
金髪の女が盾を並べた男達の脇をすり抜け、呆然と仁王立ちするヤーヒムの元に無防備に駆け寄ってきた。
生気に満ちた紫水晶の瞳は興奮に輝き、滑らかな頬が白桃のように上気している。かつての少女にあまりに似たそのかんばせに、ヤーヒムの胸に痛烈な慙愧の念が甦っていく。
「ねえ、この街の貴族たちは何を企んでいるの!? 前太守の火事の真相は何!? どうしてこの街には違法奴隷が定期的に――」
ヤーヒムの黒ローブに縋りつくようにまくし立てる金髪の女――ハイエルフの流れを汲む伝説の魔法使いヤン=シェダの末裔、リーディア=シェダ。
そのしなやかな身体から匂い立つ極上の血の気配が言葉を失ったヤーヒムを包み込む。色濃く漂うエルフの芳醇な血の匂いに混じる、かつての少女に良く似た涙が出るほど懐かしく焦がれていた匂い。自分はこの血をずっと――
――駄目だ! 一瞬の強烈な誘惑を跳ね除けてヤーヒムはリーディアを突き飛ばした。怪我をさせるほど強くはない。逆にヤーヒムの方が傷ついているような、そのヴァンパイアレッドの瞳が隠しようもない苦痛で染まっている。
「え――?」
と、その時、白銀鎧の女騎士と重装備のケンタウロスが二人の傍を駆け抜けた。
「リーナ、お喋りはそこまでだ! 先に魔獣の相手をする!」
女騎士の手に振りかぶられた細身のエストックが眩い緑白の光に包まれている。
そしてすぐそこまで接近していたヘルハウンドの残党めがけ、ぐるりと大きな円の残光を残しつつ、袈裟懸けに弩級の斬撃が繰り出された。
文字どおりの一刀両断。
ヤーヒムの爪にも負けぬ切れ味、二メートルを超える切断範囲。返す刀で今度は水平に残光の円が描かれ、動きを止めた魔狼の群れが生死を問わずまとめて斬り飛ばされる。
――アマーリエ=ザヴジェル、魔剣レデンヴィートルを使いこなす彼女が辺境の魔獣侵攻において見せた、姫将軍と呼ばれるが所以となった無敵の剣捌きだ。その鬼神の如き戦いぶりは人間にとっては絶対的な祝福であり、魔獣にとっては死と同義の悪夢。
辺境ザヴジェル家の長女アマーリエは、ラビリンスにおいても無類の強さを発揮していた。
「うおらああ! 退け退け退けええええ!」
そして、巨大なハルバードを振り回す重装備のケンタウロス――フーゴ――も負けてはいない。
アマーリエが持たない機動力を十二分に活用して瞬く間にトップスピードに乗り、遮るヘルハウンドを薙ぎ払い弾き飛ばして見る間に中央突破を果たし、その勢いのままスケルトンの集団へ突撃していく。
「リーディア様、こちらへ!」
呆然と見守るヤーヒムの前に盾持ちの騎士達が機敏に割り込み、ヤーヒムに突き飛ばされたままのリーディアを後ろへと押しやった。そしてそのまま先頭にいた壮年の騎士が盾をかざし、突出するアマーリエの背後に駆け出していく。
その壮年の騎士も素晴らしい戦士だった。
裂帛の気合いを乗せ、猛る獅子のように奮闘するアマーリエの背後を冷静に護り、時に長大な盾でいなし、時に片手剣というには長いバスタードソードを的確に振るって敵を減らしている。
残りの二人の盾持ちはリーディアを守りつつ、こちらは程々の長さの、だが目立って肉厚な片手剣を時に振るって、堅実に戦線を維持しているようだ。そして我に返ったリーディアは――
「魔法いきます! 封印されしンガイの覇者よ、その灼熱の波動を以て全てを焼き尽くせ!
――腰に差していた短杖を素早く抜き取り、目を瞠る速度で第二級に分類される大魔法を紡ぎ出していた。
その声を聞き、息のあったタイミングで前線から飛び退くアマーリエと盾騎士。遠くでフーゴもその突進の向きを変えている。次の瞬間、杖先で地面に大きく示された線から轟音と共に猛火が壁となって立ち上がり、二十メートルを超えて連なる燃え盛る灼熱の波となって眼前に散らばる魔獣へと押し寄せていった。炎の大壁が去った地下墳墓の床には、焼き尽くされた無数の残骸が転がるのみ。
見事な連携だった。
アマーリエの攻撃がスイッチとなり、流れるように戦闘に入ったパーティーメンバー達。主たる火力はやはり二人の乙女、そして次点でケンタウロス。このパーティーと戦うことになればヤーヒムはまず勝てないだろう。息の合った盾騎士達との細かな信頼関係も見せつけられ、ヤーヒムは心の奥に唐突に湧いた奇妙な感情――ソロでしか戦う道のない孤独な己に対する、言いようのない何か――に戸惑いを覚えていた。
彼方で一人暴れ続けているケンタウロスを除く騎士系の五人は完成された動きで一箇所に固まり、魔法の行方と残った魔獣の動き、そしてヤーヒムに油断なく注意を分散している。三人の盾騎士はもちろん前面に赤い長方盾を並べ、背後のアマーリエとリーディアを堅守する構えだ。
「――おい、勇猛なる異端の戦士よ! 今は我ら
目の前で繰り広げられた鮮やかな戦闘をただ呆然と見ていたヤーヒムに、白銀鎧の女騎士アマーリエが高らかに声を掛けてきた。
その言葉に盾騎士三人は大きく動揺しているが、アマーリエは野獣のように鋭い美貌を喜悦に輝かせ、一方的に言葉を続けてくる。
「見たところ魔獣共は共通の敵だ! そして未だ大量に残っている! 話は後だ、いいな!」
圧倒的な魔法を放ったリーディアも隣で何か言いたそうにヤーヒムを見詰めているが、その紫水晶の瞳にヤーヒムも激しく動揺していた。
よく見ればこのエルフの血が色濃く表れたリーディアはかつての少女とは全くの別人なのだが、それでもじわじわと胸を蝕む慙愧の念。そして、目にしたばかりの流れるような連携と信頼関係。それらが混然一体となって、ヤーヒム自身でもよく分からない激しい感情となって彼を大きく揺さぶっていた。
彼らは共に戦えという。
恐らく悪辣な者達ではないだろう。だが、こちらはヴァンパイアだ。いつ何時こちらに矛先が向くことになるか分からない。そして何より……執拗にヤーヒムを誘惑する極上の血の香りが、ヤーヒムに言いようのない恐怖を覚えさせていた。
「……ダーシャは、どこだ?」
唐突にこの場に関係のないことを尋ねたヤーヒム。
虚を突かれて固まる白銀鎧のアマーリエの隣で小柄なリーディアが大きく息を呑み、やがて花も綻ぶような笑顔を浮かべて答えた。
「……あの子は宿で身体を休めているわ。街一番の高級宿で、安全なところよ」
ヤーヒムは無言で頷くと、ふいと視線を逸らせて前触れもなくその身を翻した。
単独疾駆する先は態勢を整えつつあるスケルトンの群れ。蒼く輝く爪を伸ばし、異端のヴァンパイアは再び戦闘態勢に入った。
……彼らとずっと一緒に戦う訳ではない。心の平穏が乱されるし、血の誘惑も耐え難い。
ヤーヒムが描く五本二対の閃光が、再集結をした完全武装のスケルトンの軍団を蹂躙していく。
……だが、信じたかったのかもしれない。そして、満足できる答えも得た。
人系種族と共に戦うなど、ヴァンパイアとなってから初めてのことだ。おそらく人系種族からしても過去に例がないことかもしれない。
彼らの傍には寄らない、そうヤーヒムは自らに言い聞かせる。あの連携に割り込み、肩を並べて戦うことはしないが、同じ戦場で同じ敵と戦うことぐらいは良いだろう、と。
「ふははは! 素晴らしい! 我らも行くぞ!」
ヤーヒムの背後から美しくも獰猛な笑い声が聞こえ、やがて地下墳墓の反対側でアマーリエの裂帛の気合いと、それに被せるようにリーディアが魔法詠唱をする声が聞こえ始めた。ヤーヒムの遥か前方には未だ猛進を続けるフーゴの蛮声。
――こうしてヤーヒムとザヴジェル騎士の特務部隊、通称<ザヴジェルの刺剣>との危うく不安定な共闘が始まったのだった。
―次話『同道者(前)』―
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