11 前人未到
荒れ狂う無数のサンドワームの真ん中にポツンと残された十メートルほどの絶対領域。
……そこにあったのは、これまで飽きるほど目にしてきた、ただの砂面だけだった。他には何も存在していない。
他と違うのは、その砂面がサンドワームに荒らされていない、自然の吹きさらしのままというだけ。それが十メートルほどの範囲で綺麗に残っているだけで、青白く静謐に光る転移スフィアなどどこにも存在しなかった。
ここを目指して疾駆している間も、確かに仄かな違和感は感じていた。
荒ぶるサンドワームの群れの隙間から垣間見続けていたこの空間、サンドワームは不自然なほど頑なにただの一匹もこの空間に入ろうとしてはいなかったし、その巨体の一部でも割り込ませたものもいなかった。それはかつての層で見た、転移スフィアの周りに寄りつこうとしない魔獣達と同じ行動だった。
だが、どんなに目の前に視線を遮る邪魔な巨体がない瞬間でも、どんなに接近しても、転移スフィアの青白い輝きは一瞬たりともヤーヒムの目には入っていなかったのだ。
周囲を見回せば、更に狂乱の度を増したサンドワームがのたうち、巨大な口を開けて暴れ回っている。
まるでここが不可視の結界に守られているかのように、巨獣の群れは外側で暴れ狂っているだけだ。
そう、まるで神に禁じられたようにこの十メートルの領域には入ってこないのだ。
ヤーヒムは外部の狂乱から敢えて意識を逸らし、大きく息を吸って頭を切り替えた。
ここには絶対にスフィアがある。そもそもあのパーティーに出会う前にここのすぐ脇を通り過ぎている筈なのだ。いくら朦朧としていたからといえ、普通に転移スフィアが地表に浮かんでいればさすがに気が付いただろう。
ならば。
地面に目を落としてみる。
十メートルの外側は荒ぶる巨大魔獣の坩堝だが、内側は驚くほど平和で、吹きさらしの砂面に駆け込んできた時のヤーヒムの足跡だけが刻まれている。
そして、その整地されたように綺麗な砂面は、ちょうど十メートルほどの綺麗な円となって残されており――
ここか!
ヤーヒムは己のすぐ脇、その円の中心と思しき部分の砂を両手で掻き退けた。
なぜかひんやり冷たい。灼熱の太陽に晒された熱砂のはずなのに、それのひんやりとした心地良さは転移スフィアの静謐な青白い光を連想させ――
ヤーヒムは夢中になって掘り進んだ。
無数のサンドワームの狂乱を抜けてあのパーティーが何か叫んでいるのが聞こえた気がしたが、お構いなしにどんどん掘っていく。湿り気のまるでない乾燥した砂は掘った端からせめてもの抵抗をするように崩れ落ちてくるが、卓越した身体能力に任せてがむしゃらに深く大きく砂を押しのけていく。
そして。
押しのけた砂の下から、ひと筋の青白い光がヤーヒムの顔を照らした。
見つけたぞ!
ヤーヒムは恥も外聞もなく大声で叫んだ。
それは、実に八十三年の長きに亘って腕利きの迷宮採掘者――ディガー達の攻略を阻んできたブルザーク大迷宮第六十四階層、通称<常昼の無限砂漠>が、一人のヴァンパイアによって攻略された瞬間だった。
――ヤーヒムは迷わずその転移スフィアに触れた。
◆ ◆ ◆
ヤーヒムを包んだ転移の青い光が消えると、そこは熱気に包まれた砂漠とは真逆の環境だった。
彼の鋭敏な五感がまず捉えたのは暗さと寒さ。
強烈だった日差しのせいで目が一瞬追いつかない程の薄闇、ローブの開口部から容赦なく侵入してくる凍てつくような冷気。そして、立ち込めるすえた臭いと急速に暗順応していく視界に映る、打ち棄てられた墓石群が広がるそこは――
――かつて誰も足を踏み入れたことのない第六十五階層は、瘴気漂う地下墳墓だった。
自然の鍾乳洞に人の手が加えられたようなその広大な空間は、ぽつりぽつりと壁に設置された、妖しく揺れる松明に申し訳程度に照らされている。そしてその松明が途切れた奥の暗闇から、武装したスケルトンとグズグズに腐ったグールの群れが次々とその姿を現してきていた。
やはりここでもヤーヒムは目の敵にされているようだ。
徐々に勢いを増し洪水のように押し寄せてくる彼らの足元、地面すれすれを低く駆けてくる赤い燐光は――徒党を組んで犠牲者を喰らう黒き魔狼、ヘルハウンドの赤黒く光る死神の眼。その数、二百は下らないだろう。
「……上等だ」
即座に両手の爪を伸ばし、青白い光をまとわせるヤーヒム。
グールの血は御免こうむるが、ちょうど美味そうなのがいるじゃないか。
そのまま地面を蹴り、前のめりに魔獣群との距離を詰めていく。見る見るうちに両者は近付き、そして広場の中央で接触。五本二対の蒼い閃光が幾つもの弧を描き、止まることなく縦横無尽に乱舞する。石壁に木霊するヘルハウンドの悲鳴、飛び散る血飛沫。一瞬にして薄暗い鍾乳洞が戦場の騒乱に包まれ、無差別に斬り刻まれた魔狼の死骸が次々と地面に転がっていく。
先頭にいたヘルハウンドの群れを駆け抜けたヤーヒムは顔目がけて飛びかかってきた最後の一匹を首だけで躱し――凶暴に開かれた生臭い口が通り過ぎた刹那、その首元に牙を突き立てた。流れ込む熱い血潮。もがく魔狼をそのまま横咥えにし、新鮮な生血を貪りながら次の群れへと疾走を開始する。
「足りぬッ!」
次のヘルハウンドの群れに突入したヤーヒムは干乾びた魔狼を首を振って投げ飛ばし、短く叫んで次の獲物に喰らいついた。過酷な砂漠階層を抜けてきたばかりだ。魔法傷を完全に癒す為にも血はいくら飲んでもいい。群がるヘルハウンドを無双の斬れ味を誇る両手の爪でなます切りにしつつ、アイスブルーから
巨大な地下墳墓に轟く無数の咆哮、そして断末魔。
阿鼻叫喚の乱闘の中心、目にも止まらぬ弧を描き続ける五本二対の蒼い閃光のうちの一対に、いつしか長く尾を引く紅い輝きが加わっていた。
ヤーヒムの左手の甲に同化した、ラドミーラに贈られた不滅の
と、そこに横殴りに大量の矢が飛来した。
完全武装したスケルトンのうち、弓を持つ三十匹ほどの一団だ。正規の軍隊のように盾持ちスケルトンの後ろに控え、味方である筈のヘルハウンドごと射殺そうと一斉に矢を放ってきたのだ。五指を大きく広げ、唸りを上げて飛来する矢の雨を光る爪で薙ぎ払うように掻き落とすヤーヒム。そして矢を受けて転げ悶える周囲のヘルハウンドを足場にし、大きく跳躍して盾持ちスケルトンの戦列に突っ込んだ。
鎧袖一触。
ズラリと盾を並べたスケルトンをその盾ごとなで切りにし、槍衾を斬り飛ばし、白刃の波をくぐり抜けて弓兵の懐に飛び込んだヤーヒム。虚を突かれた弓のスケルトンを片端から五爪の餌食にして、その後ろからようやく乱戦に加わろうとしているグールの群れに――
「……え、ヴァンパイ、ア?」
呆然と呟かれた、この闘いの場にそぐわぬ可憐な声。
極限まで研ぎ澄まされたヤーヒムの五感が拾ったそれは、ヤーヒムの背後から妙にはっきりと彼の耳に届いた。
鋭く振り返ると、先程ヤーヒムが転移してきたスフィアの傍に立ち尽くす六つの人影があった。
声の主は暴走直前までヤーヒムの心を掻き乱した金髪のあの女。他の五人も砂漠の階層で声を掛けてきたパーティーの面々だ。巨大なハルバードを持つ重装備のケンタウロスも、赤銅色の髪をした白銀鎧の女騎士も、三人の重装備の騎士達もいる。あのサンドワームの狂乱を抜けてもう追いついてきたのか。
「マジか……ここまでとは思わなかった、黒衣の剣士の噂はあれでも話半分だったか……。いや、あれは剣というより魔法武器の類いなのか……?」
金髪の女の隣で重装備のケンタウロスが呆然自失気味にヤーヒムを眺めている。いつから見ていたのか、まさか、魔狼の血を貪っているところも全て見られて――
「いや、フーゴ。魔剣使いの私に言わせてもらえば、青い光の魔法武器は存在しない。青、つまり空間属性の魔法など人系種族には扱えぬからだ。見ろ、あの爪を。あの凄まじいまでの反応速度を。思い出すものはないか? あれは魔剣使いなどでは絶対にない」
――ッ!
白銀鎧の女騎士の余計な言葉に短く舌打ちをしつつ、ヤーヒムは背後から襲いかかってきたグールの腹を蒼く光る爪で斬り裂いた。
糞、やはりヴァンパイアだと露見している!
ヤーヒムは即座に囲まれつつあったグールの群れから抜け出し、五本二対の爪を蒼く輝かせたまま重装備パーティーに向かって疾駆した。
自分でもどうするつもりなのか分かっていない。
魔獣に囲まれたこの状況で少しでも敵を減らすために彼らを手にかけるのか。いやしかし、少なくともあのケンタウロスはヤーヒムに仲間の礼を言い、手助けすら申し出ようとしていた善良な部類に入る男だ。殺したくはない。
だが、彼らに向かうと同時にヤーヒムには分かってしまった。
白銀鎧の女騎士が抜き放った細身のエストックが強力極まりない魔剣であることが。
エルフの血が混じった金髪の女がまとう魔力は尋常ではなく、彼女がヴァンパイアにとって単独でも致命的な魔法使いであるということが。
見るからに歴戦の戦士であるケンタウロスも厄介だが、この二人がヤーヒムを狩ろうとすればそれだけで確実に詰む。
もう囚われの生活は御免だ。勝機があるとすれば魔法を放たれる前の先制攻撃しかない。
くそ、どうする――
―次話『申し出』―
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