09 最果ての出会い(前)
ブルザーク大迷宮第六十四階層、通称<常昼の無限砂漠>の最奥付近。
ひと際高い砂丘の頂で、熱く乾燥した大気が突然くにゃりと歪んだ。そして、一人の男が――傷だらけの黒ローブをまとったヴァンパイアが、虚空から崩れ落ちるように姿を現した。
ヤーヒムだ。
ゾルターンを名乗る魔法使いに率いられた一団の襲撃をどうにか打破し、転移でここまで跳んできたのだ。その身体はまさに満身創痍。邪竜のブレスによる単純な火傷はヴァンパイアならではの治癒速度で癒えつつあるものの、魔法による全身の傷はそう簡単に治るものではない。
灼熱の太陽に熱された砂面に両膝をつき、しばし息を整えるヤーヒム。
が、その敏感な聴覚が低く微かな地鳴りを捉えた。
ついさっき体験したばかりの、サンドワームが地中を移動して群がってくる前兆だ。間違いない。徐々に大きくなってきている。
先程の戦いの場にかなりの数が集まった筈だが、視界に入った地平線間際まで一気に転移したせいか、この周辺にはこの周辺でまた別に群がるほどのサンドワームが生息しているらしい。
ため息をついて立ち上がるヤーヒム。
地鳴りはゆっくりとだが確実に近づいてきている。のんびりしていると、またあの荒ぶる巨獣の坩堝が再現してしまう。どこに次層への転移スフィアがあるか見当もつかないが、探さないと何も始まらない。
手負いのヴァンパイアはふらつきながらも移動を始めた。
◆ ◆ ◆
ちょうどその頃。
ヤーヒムに先行して六十四階層に入ったもうひとつのパーティーは、適度に周囲の警戒をしながら<常昼の無限砂漠>を順調に進んでいた。騎士五人と一人のケンタウロスからなる六人組の重装備パーティーだ。
「む……サンドワームの動きが止まったな」
先頭を行く巨大なハルバードを携えたケンタウロスが唐突に立ち止まった。
威風堂々と周囲を睥睨するそのケンタウロスの名前はフーゴ。茶色の乱髪に野趣溢れる面構え、精悍な人型の上半身は使い込まれた無骨な半身鎧で覆われており、見事な栗毛の馬となる下半身も同種の鎧で要所が保護されている。この歴戦のケンタウロスを知らぬ者はいない。王国中にその名を知られる、迷宮都市ブシェクを代表する超大物傭兵だ。
彼は巨大なハルバードで軽々と左の砂丘群を指し示し、このブルザーク大迷宮に対する知識を買って己を指名した雇い主たちに声を掛けた。
「見ろ、あそことあそこだ。さっきまで一斉に層の入口目指して動いていた筈だが」
奥の砂丘に二ヵ所、物置小屋ほどの砂の盛り上がりがあった。連綿と続く砂丘の彼方から一直線に砂面に移動痕を残しているその二つの小山は、今や揃ってピタリと静止している。
と、周囲の砂が湧き水のように踊り始め、小山が見る間にその盛り上がりをなくしていく。
「……ほう、潜ったか」
「では、彼の者はラビリンスに排除されてしまった、ということか。残念だ」
僅かに眉をしかめるケンタウロスに低く艶やかな声で返したのは、無数の細傷がついた白銀鎧を装備するリーダー格の女騎士。
赤銅色に輝く豊かな髪に白磁の肌、強い意志を宿す薄い口元を持つ彼女は、腰に手を当てて仁王立ちしつつその琥珀色の瞳で睨みつけるように砂丘を見詰め続けている。
アマーリエ=ザヴジェル、いささか眼つきが鋭いことを除けば絶世の美女とも言えるその整った風貌と、腰に佩いた強力無比の細剣で有名な<辺境の姫将軍>だ。その知名度は眼前のケンタウロス以上。彼女はその伝手とコネを有効活用し、この迷宮都市ブシェク最高の傭兵に渡りをつけたのだ。
しばし無言で砂丘を見詰めた後、そのアマーリエは黄金で蔦の意匠が施された豪奢な肩当てを小さくすくめ、腰の細剣の柄をつまらなそうに指で弾いた。
「ふははは、あそこまでフォレストスパイダーを斬り刻んだ奴だぞ? 滅多なことじゃやられはしねえさ」
強面の顔で開けっぴろげに笑うフーゴに、白銀鎧のアマーリエは地上から薄く微笑み返した。
「ラビリンスが危険視する程の存在、か。会ってみたかったし、同行を依頼できれば儲けものだったのだが」
「くくく姫さん、本音は手合せしてみたかった、だろ。ま、ひょっとしたらこの<常昼の無限砂漠>から前の層に戻っちまったのかもしれねえな。あの死骸の斬り口の冴え、奴が例の黒衣の剣士で間違いない。出会うことがあったらお手柔らかにな」
「……私より腕が立つと?」
その切れ長の眼をすっと細めるアマーリエ=ザヴジェル。
彼女は北の<魔の森>からの魔獣侵攻を一手に喰い止めている辺境の雄、武勇の誉れ高きザヴジェル辺境伯家の長女なのだ。その武に対する矜持は余人が計り知れない程に高い。迷宮都市最高の傭兵といわれるケンタウロスのフーゴでさえ、四本の脚を止めて正面からまともにやり合えば勝ちを拾うのは難しいだろう。まあ、彼の本領はその高機動力を生かした広域移動能力と、暴走する地竜なみの破壊系突破力なのだが。
「がはは、姫さん、そんな顔すると美人が台無しだぞ? 俺はそんなことひと言も言ってねえからな」
「……まあ、冗談ということにしておこう」
今の殺気はマジモンだったがなあ、と、肩を揺らすフーゴの馬体の脇から、同行の他の騎士たちが話に加わってきた。
「アマーリエ様、先を急ぎましょう。これまでは我らを無視していた魔獣どもも、これからは通常どおり我らに寄ってくるかと。足を止めていては囲まれます」
揃いの紋章が付いた金属鎧を装備する三人の騎士のうち、静かな威厳を湛えたひと際大柄な壮年の騎士が先を促す。
彼を含めた三人は胸まである大型の湾曲した長方盾を持っており、話に加わりながらもその赤い盾の陰から油断なく周囲の警戒を続けている。円柱の表面をなぞったかのようなその特徴的な盾は、魔獣侵攻に於いて鉄壁を誇る辺境ザヴジェル騎士団のものだ。
緩く湾曲した面が敵の攻撃を左右に散らし、下部に足のように取り付けられた二本のスパイクを地面に突き立てれば大型魔獣の突進にも対抗できるという、民の守護者ザヴジェルを象徴する有名な「赤盾」。
それを持つ彼らはまさに主家の姫君アマーリエを守り補佐する為に選抜されたザヴジェルの精鋭騎士達であり、声をかけた壮年の騎士は実に<鉄壁>ザヴジェル騎士団の副団長、ザヴジェル筆頭上級騎士のマクシム=ヘルツィークその人。彫りの深い実直な顔に憂慮の皺を刻み、錆色の瞳を忙しなく周囲に走らせている。
「そうね、マクシムの言うとおりだわ。マーレ、行きましょう」
六人組の最後の一人、黄金色の髪を持つ小柄な女性が朗らかに宣言した。
盾持ちの騎士三人と同系統の金属製ハーフアーマーを装備し、アマーリエをマーレと愛称で呼ぶ彼女はリーディア=シェダ。初代ザヴジェル辺境伯の片腕、ハイエルフの流れを汲む伝説の魔法使いヤン=シェダの末裔だ。
ザヴジェル辺境伯家とシェダ一族の友誼は今でも続いており、シェダの嫡流は代々名誉貴族としてその類稀なる魔法技術でその時代のザヴジェル家を補佐している。このリーディアも卓越した魔法使いであった。アマーリエのちょうど一年後に生まれた末姫ということもあって二人は幼い頃から親密に育っており、現在のパーティーにおいても、アマーリエがリーダーならリーディアは影のサブリーダー、そんな立ち位置になっている。
「この<常昼の無限砂漠>は未だに次層への転移スフィアが見つかっていないんでしょう? ひょっとしたら砂漠のすごく奥の方かもしれないし、元気なうちに少しでも近付いておきましょうよ」
照りつける太陽などないかのように快活に微笑み、周囲の面々を見回すリーディア。
軽やかに揺れる黄金色のしなやかな髪、白桃のようにうっすら上気した頬――ハイエルフの血が色濃く表れた、アマーリエとは正反対の可憐な美貌が否応なく周囲の視線を惹き付ける。生気に満ちた紫水晶の瞳は説得力に溢れており、フーゴが初対面の時に間違えてアマーリエではなくリーディアをザヴジェルの姫と勘違いしたことは未だにパーティーの笑い話だ。
「……その転移スフィアは俺も散々探したし、何十年も見つかってねえ代物なんだけどな」
「ほらほらフーゴ、そんなおじいさんみたいなこと言わないで。最深到達記録なんて更新するためにあるのよ? どんなにここが広くてもマーレがいれば大丈夫。マーレがラビリンスコアへと導いてくれるわ。ね、マーレ?」
何の衒いもなく披露されるリーディアの真っ直ぐな信頼に、他人には見せない柔かな笑みを浮かべるアマーリエ。
「ああ、私に任せておけ。この魔剣<レデンヴィートル>が――」
ツツ、と腰の細剣の柄を指で撫でる。
「――確実に最奥まで連れて行ってくれるからな。それに、我がザヴジェル領はどうしてもラビリンスコアを必要としているのだ」
堂々と言い切るその内容に、こっそりため息をつくケンタウロスのフーゴ。
ここまで同行した短い間に雇い主たちにかなりの信頼と好意を抱くようになってはいるものの、数十年もの間この迷宮都市に所属する腕利きのディガー――迷宮採掘者達が探し回っても次層への転移スフィアは見つけられていないのだ。フーゴがこの大迷宮に半ば見切りをつけ、他所のラビリンスにばかり遠征を繰り返しているのはそれが原因でもあった。
「……進むのは同じ方向でいいんだな?」
「無論、変更などない。このまままっすぐ奥へ、それで良い」
「ふふふ、信じ難いかもしれないけれど、マーレの魔剣は本当にラビリンスと共鳴しているのよ? すごい魔剣なんだから。さ、行きましょうか」
半信半疑のフーゴはどこまでも快活なリーディアの言葉に「仕方ないなあ」とばかりに前脚で砂面を掻き、一行は再び歩き始めたのであった。
―次話『最果ての出会い(後)』―
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