08 砂漠の惨劇

「た、助けてくれええ!」


 砂丘の向こうから転がり出てきた二つの人影。

 全身傷だらけ、まるで拷問に遭ったような血塗れのその二人にヤーヒムは見覚えがあった。


 先程の魔法使い集団を先導していたコボルト種の二人だ。意識の下の方で地鳴りが低く微かに聞こえ、ヤーヒムの警戒度数が跳ね上がる。


 周囲の砂丘群を鋭く見回す。一緒にいた魔法使い達はどこだ――


「すまなかった! あんたに恨みがあった訳じゃないんだ!」

「逃げろ! 俺たちも都合よく利用され――あああああ!」


 転がり走る二人の傭兵が砂丘の中腹で突如として炎に包まれた。

 火達磨になり、その場で生きたまま炙られていく二人。聞くに堪えない苦悶の叫びがヤーヒムの注意を引きつけ――


 即座にヤーヒムはその場から飛び退いた。


 同時に周囲の砂が次々に弾け飛ぶ。魔法か!

 ヤーヒムは更に地面を蹴り、乱れ飛ぶ無数の魔法から数度の跳躍を繰り返して大きく距離を取った。


 まさに間一髪。

 かろうじて初撃を躱したが、見回すとぐるりと魔法使いに囲まれている。

 ヤーヒムの位置は砂丘に囲まれた窪地の底。魔法使い達はその上、砂丘の中腹で半径五十メートルの綺麗な包囲陣を敷いていた。


 まさか、今の攻撃でこの位置に誘導――


「見事な反応だな、ヴァンパイア」


 油断なく身構えるヤーヒムに、一人の魔法使いがフードの下から冷笑するように声を掛けてきた。


「あまりに待ちくたびれて、さっきの二人で遊んでいたよ。こっちに足跡もなかったし、日没を待っていたのだろう? 無駄だったな」


 魔法使いが大袈裟に太陽をふり仰ぎ、フードを下ろしてニヤリと嗤った。尖った耳に浅黒い肌、ダークエルフである<火炙り>のゾルターンだ。つられてヤーヒムも空に視線を向けかけたが、見なくともそこに強烈な太陽があることは分かっている。じりじりと肉を焦がす痛みが、微かな脱力感がヤーヒムを呪いのように包んでいるのだ。


「さて、お前も火炙りにしてみたかったが、捕まえて長く絞り取った方がいいらしいからな。逃げれると思うなよ――地下に棲まう大いなる者よ、その力で障壁を創造せよ! ストーンウォールTsathoggua!」


 ゾルターンの号令に合わせて周囲で一斉に杖が振り上げられ、窪地を取り囲むように巨大な石壁が次々とせり上がっていく。周りの砂丘の尾根を繋ぐようにそそり立つそれは、まるでヤーヒムの視線から周囲の砂漠を遮るようで――


「さあ、これで転移も使えまい。踊れ虫けら!」


 ヤーヒムは咄嗟に地面を蹴り、右に跳んだ。ダークエルフが再び杖を振るったからだ。同時に無数の魔法が降り注ぎ、躱しきれなかった幾許かがヤーヒムの身体を穿っていく。

 そのまま魔法の着弾で沸き立つ砂面を転がり、どうにか体勢を戻して逃げ道を探す――クソ!


 ただでさえ砂丘に囲まれた窪地の底だというのに、絶妙な位置にそびえる石壁のせいで転移の視線が通らない。転移で逃げようにも目で見える先にしか移動することは出来ないし、そもそも使えるのは一度きりなのだ。


 そして飛来する大量の炎弾魔法。

 先程の被弾で悲鳴を上げる身体を無視して左の安全地帯に向かって跳躍すると、目の前にまるで弄ぶように氷礫が飛んでくる。反射神経だけで体を捻り、砂面に右拳を突き立て急制動をかけて死地を回避――と、そこに唸りを上げる風刃魔法の見えざるさざ波が。


 次々に削られる身体、飛び散るヴァンパイアの真っ赤な血。

 ヤーヒムはその人外の反応速度で可能な限り躱し続けているが、魔法使い達はそのヤーヒムを的にして愉しんでいるかのように時間差の攻撃を放ってくる。凶悪な陽光に晒されているせいで、呪詛にかけられたような脱力感も広がってきている。


 ――ダークエルフめ。きちんと予習をして、ハメ殺しにきてやがる。


 窪地の底で血塗れになって回避行動を続けるヤーヒムの脳裏に、そんな確信が横切っていく。かつてのヴァンパイア狩りを彷彿とさせる手際だ。大抵の者なら手も足も出ないで終わってしまうだろう。


 だが。


 ヤーヒムに再び囚われの身になるという選択肢はない。

 断続的に降り注ぐ無数の魔法をがむしゃらに躱し続け、呪いの如く肉を焦がしていく陽光を無理やり意識の外に追い出しながら、この絶望的にも見える状況を引っくり返す好機が訪れるのを粘り強く待っているのだ。


 と、ふいに魔法が止まった。

 荒い息を吐くヤーヒムが見上げると、ひと際巨大な石壁の上で件のダークエルフが高笑いをしていた。


「フ、フフフ、アーハッハ! さすが高位ヴァンパイア、見事な踊りだ! ならば出番のなさそうなコレとも遊んでやってくれ!」


 ゾルターンが己の小指を噛み切り、流れる鮮血で虚空に複雑な魔法陣を描き始めた。邪悪なそれが完成していくにつれ、ゾルターンの前の空間がぐにゃりぐにゃりと歪んでいく。


「我はゾルターン! 闇に蠢く地獄の邪獣よ、我が前にその姿を現せ――邪竜召喚Astaroth!!」


 ――召喚術。


 それもかなり上級のものだ。

 魔法とは全くの別体系である邪なそれは、ヤーヒムが囚われの身になる前、百年以上前の世界では滅多に使える者はいなかった。術に対する深い習熟だけでなく、呼び出した邪なるものを従わせる強さも必要だったからだ。それが、目の前の男はここまでの空間の歪みを必要とする邪獣を意のままに召喚しようとしている。ヤーヒムは改めて警戒の眼差しでゾルターンと名乗ったダークエルフを見つめた。


 そして。

 歪んだ空間を押し開くようにもがき出てきたのは、巨大な爬虫類の頭。力任せに身を捩り、強引に身体を引き出してくる。次いで轟く、魂を焼き尽くすような雄叫び。


 次の瞬間、禍々しいオーラを放つフレイムワイバーンがその獰猛な姿を雄叫びと共に現世に現していた。


「ハ! お前が日没を待つなんて無駄なことをしていなければ、コレと空からの狩りを楽しめたんだがなあ!」


 数メートルはある邪竜の背中にひらりと飛び乗るゾルターン。

 そして炎の邪竜は高笑いを続けるダークエルフを背中に乗せ、その大きな皮翼を広げてふわりと舞い上がった。そのまま顎が外れそうなほど口を広げて――



 ――あれは危険だ!



 上空から撒き散らされた灼熱のブレスから必死に逃れるヤーヒム。

 同時に、周囲にいる他の魔法使い達も底意地悪く魔法を放ち始めた。


 畜生! これだけ暴れてるんだから早く来やがれノロマめ!


 躱しきれなかったブレスが脇腹を焼き、ここぞという場所に放たれた氷礫が背中を掠める。だが、満身創痍になりながらもヤーヒムは決して動くのを止めない。

 文字どおり人外の反応速度で致命傷だけは尽く回避し、祈るように聴覚に意識を集中している。


 低く微かだった地鳴りが徐々に接近してきている。


 来い! 早くッ!


 大気が振動を始め、痛みに噛み締めた歯がびりびりと震えだした。


 さあ! 来い!


 地響きが窪地に反響し、世界が鳴動を始めた。

 そして――



 来たッ!



 砂丘が大きく揺れ、流砂の如く動き出す。

 そしてその砂を突き破って飛び出してくるのは……


「なッ! サンドワームだと!」


 一匹だけではない。

 数十というサンドワームが群れをなしてこの戦いに乱入してきたのだ。


「な、何だこいつらッ!」

「近づかなきゃ襲ってこな――ぎゃあああ」

「ば、馬鹿なッ! 誰か詠唱の時間をか」


 巨大な口を開け、水面に浮く虫を喰らう魚のように砂中から飛び上がって、そして横倒しにその巨体を砂丘に投げ出していくサンドワームの群れ。ヤーヒムのいる窪地は瞬く間に荒ぶる巨大なサンドワームの坩堝となり、砂丘の中腹にいた魔法使い達も悲鳴を上げて逃げ回り始めた。


 巨大な魔獣群の接近をその鋭敏な聴覚で察知していたヤーヒム。

 地中を力任せに進む音は派手だったので分かりやすくはあったのだが、魔法を放つのに集中していたのか魔法使い達は最後まで気付かなかったようだ。普段は砂底に潜んで、不用意に近づいた者だけを襲うというサンドワームの習性も油断に繋がっていたのかもしれない。


 もしかしたら、とは思っていた。

 これまでに異常なほどヤーヒムに襲いかかってきたラビリンスの魔獣達。もしかしたら、いやおそらくこの層のサンドワームも群れをなして襲ってくるだろう。それは予想していたことだ。ラビリンスの魔獣の習性など与り知らぬヤーヒムにとってそれは充分ありそうな、真っ先に想定すべき事態だった。


 そして迫りくる地響き。血塗れの回避を続けながら、ヤーヒムはこの巨大な魔獣の乱入をずっと待っていたのだ。


 賭けに勝った今。

 何十もの巨体が暴れ狂う大混乱の中で、ヤーヒムは飛び出てこようとする新たなサンドワームの位置と向きを慎重に探っていた。


 それは、この状況を最大限に利用する一手。

 邪竜というおまけも含め、全てを綺麗に引っくり返す逆転の一手だ。



 よし、こいつだッ!



 ヤーヒムは素早く移動して、砂中から飛び上がるサンドワームの鼻先に飛び乗った。

 そのまま地上高く持ち上げられ、更にそこから渾身の力で跳躍――


「ウオオオオオオオオ!」


 ――ヤーヒムが強弩の如く飛翔していく先は上空を舞うフレイムワイバーン。瞬く間に距離が縮まり、ヤーヒムの爪が伸び、眩い光をまとって。


「喰らえッ!」


 五本の青光の軌跡がフレイムワイバーンの鱗に覆われた首を横切る。

 くぐもった絶叫と共に空中で激しく暴れ出す炎の邪竜。ヤーヒムの光る爪がその喉笛を掻き切ったのだ。遥かに連なる砂丘群を見下ろす遮るものなき上空で、ゾルターンがその邪竜の背中にしがみつきつつも唖然とした顔で空中のヤーヒムを見つめている。


「ば、化け物が……」


 羽ばたきを止めた邪竜はやがて、杖を落としてしまったゾルターンを乗せたまま、暴れ狂うサンドワームにより地獄の鍋と化した窪地へゆっくりと落下を始め――





 ヤーヒムも飛び上がった勢いを失い、ゆっくりと下降に転じて――





 上空から砂漠の地平線をしっかりとその視野に収めて――





 落下の途中でその地平線めがけ、転移を発動させたヤーヒムだけが煙のように姿を消したのだった。





 ゾルターンが墜落した窪地では、自ら作った「檻」の中で巨獣に蹂躙される襲撃者達の絶叫がしばらく続き、やがてそれも灼熱の砂漠に吸い込まれて消えた。


 サンドワームが去った後、その場に残ったのは疎らに転がる石壁のみ。


 圧殺された一人の魔法使いから解き放たれた使い魔の鷹が一羽、いつまでも上空を旋回していた。






―次話『最果ての出会い(前)』―

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