04 動揺

「そこまでだ、動くな!」


 完全に猛火に包まれた豪奢な屋敷を前にヤーヒムが佇んでいると。

 庭園に響き渡った甲高い声に視線を向けると、燃え盛る屋敷の裏から黒ローブの集団が姿を現してきていた。フードを下ろしたその顔の中には尖った耳を持つ者も混じり、それぞれ手には長い杖のような――魔法使いの集団か!


 ヤーヒムは素早く振り返り、背後の門の位置を確認した。


 魔法使いはヴァンパイアの天敵だ。魔法による傷はなぜか治癒が異様に遅く、飛び抜けた身体能力でも躱せない範囲攻撃を受けるとそれだけで詰んでしまう。そもそもその昔、ヤーヒムがこの屋敷に囚われたのも人系種族の魔法使い達によるヴァンパイア狩りが原因なのだ。ヤーヒムの頭の中で即座に逃亡の計算が為されていく。


 ――駄目だ。もし彼らが熟練の魔法使いであれば、門までの五歩の間に蜂の巣にされる。対抗策はただ一つ、昔ながらの……


 ヤーヒムはゆっくりと両手を降ろし、値踏みするような冷徹な視線を眼前の男達に流した。


 先頭の男こそ純粋な人族であるものの、残りはエルフやブラウニーなど魔法に長けた種族の者が多い。先程まで屋敷で聞こえていた魔法の爆発音、あれは確実にこの男達だろう。

 ここまで屋敷に火が回るまで何をしていたか知らないが、この火の回りの早さはこの魔法使い達の火魔法が原因に違いない。そうだとすると、残りの魔力量はたかが知れてる――


「フヒャヒャヒャ! まさかのまさか、絶滅したはずのヴァンパイアをバルトル家で飼っていたとはな! そうかそうか、これがブラディポーションの秘密か。どうりで解析不能だった訳だ、やってくれるわ」


 男達の先頭で一人だけ豪華な服を着た神経質そうな小男が狂ったように笑っている。

 そして、ひとしきり笑って涙を拭うと、欲望も露わにニンマリと口の端を歪めた。


「くく、おまけにナクラーダルの馬鹿息子の口も封じてくれるとはな。――その秘密、我がペイシャ家でそっくり戴くとしよう。そこなヴァンパイアよ、人がヴァンパイアを恐れる時代はもう疾うに終わっているのだ。魔法に弱いのは知っておるぞ? 大人しく捕まれい!」


 人族の小男がひしゃげた杖をヤーヒムに突きつけ、高らかに魔法詠唱を始めた。


「古のものによりて創造されし罪深き黒よ、そのかいなで敵を貫け! グレート・ランスShoggoth!」


 杖の先から拳ほどもある漆黒の柱がヤーヒム目掛けて迸った。

 同時に小男背後の十数人の魔法使いからも雨あられと魔法が放たれる。


 瞬時に視界を埋め尽くす魔法の飽和攻撃。

 漆黒の槍、炎弾、氷礫、風刃、無数の凶器が唸りを上げてヤーヒムに殺到し――


 チッ!


 乾坤一擲、まさに人外の反応速度で真横に跳躍するヤーヒム。

 だが、周囲一帯にばら撒かれた不可視の風刃がそのヤーヒムの左脚をズタズタに引き裂いた。受け身も取れず、土埃の中で激しく地面に転がる黒い影。


「ハッハ! ヴァンパイアが魔法障壁を作れないのは本当のようだな! 時代遅れの下等種族めが! 者共、大きいのはいらん、細かく数を増やして動きを止めるのだ! 鼠をいたぶってやれ!」


 小男の愉悦に満ちた甲高い声に、背後に固まった魔法使い達が再び杖を掲げる。

 ヤーヒムは激痛を堪え、上体を起こしつつ己の身体に意識を巡らせた。左脚はしばらく使い物にならない。先程から練り続けている唯一の対抗策は、まだ力が戻りきっていないせいか一向に纏まってこない。


「抵抗など無駄無駄っ! それ、もう一度行くぞ、用意!」


 狂ったように笑う小男にヤーヒムは刺すような視線を返した。

 この男、どこまで知っている?

 さっきヴァンパイアは絶滅した筈だとか、気になることも言っていたが――


 そう、確かにヴァンパイアは魔法使いが一番初めに習得する、対魔法防御として基本にして最強の盾、魔法障壁を扱えない。

 それはヴァンパイアという種族固有の特徴であり、人系種族なら誰でも扱える、魔法障壁を代表とする無属性魔法を一切使えないことに由来する。故にヴァンパイアは放たれた魔法に対しては圧倒的身体能力に任せて躱すしかなく、範囲飽和攻撃をされるとかなりの確率で被弾してしまう。


 さらに、魔法攻撃によって受けた傷については、なぜかヴァンパイアの驚異的な治癒能力の働きが鈍るという欠点も追加される。被弾すれば即座に動きが鈍り、さらに被弾が増えて最後には――という悪夢の循環がそこにあるのだ。つまり、ヴァンパイアの天敵は魔法使いだという通説はまごうことなき事実。


「なんだその生意気な眼は、ああん? これだけの魔法使いを前に、無属性魔法すら使えない下等な自分の立場を分かっているのか? よぉし、まずはその手足を落としてやるわ。鼠じゃなく達磨になってしまうがなあ!」


 ……だが、ヴァンパイアが魔法を使えないということはない。


 知る者は少ないが、それは正確には「人系種族には使えない、極めて稀な『空間』属性の魔法しか・・使えない」ということ。

 ヤーヒムが先程まで使っていた高位ヴァンパイアの悪名高き凶器、無双の斬れ味を誇るヴァンパイアネイルはまさにその応用であり――爪でカミソリの如く『空間』を切り裂いているが故の斬れ味なのだ――、それともうひとつ、古くから有名な技がある。


 無数の蝙蝠に変身して行方をくらましただとか、無限に広がる霧に同化して姿を消しただとか、そんな言い伝えの元になった技。


 心身が万全な状態でも一日に一度使えるかどうかという使い勝手の悪いものだが、こんな風に間抜けな敵が一カ所に纏まっている時には非常に有効な――



「ヒャハハハ、者共、放てぇ! …………へ?」



 再び無数の魔法が後光を引いてヤーヒムに襲いかかったその時。


 ヤーヒムの姿が煙のように掻き消えた。


 小男の背後から複数の絶叫が迸る。

 怒れるヴァンパイアが魔法使い集団の真横に突如として瞬間移動してきたのだ。


 稲妻の如く走り抜ける五本二対の閃光。

 左脚を引きずるヤーヒムとはいえ、魔法を放った直後の隙だらけの魔法使いなど敵ではない。十数人をまとめて瞬く間に血祭りにあげ、次の瞬間には状況を理解できていない小男の首を掴んで高々と宙吊りにしていた。


 鮮やかな逆転劇。

 いや、ヴァンパイア狩りでは一箇所に固まるなという鉄則を、愚かな小男が知らなかっただけなのか。


 ヴァンパイアが唯一使える魔法は空間魔法、その代表は短距離転移だ。視線の届く範囲、一日から数日に一度しか使えないという制約はあるが、知らぬ相手ならこうして一気に殲滅できるという威力絶大なる大技なのだ。


 昔ヤーヒムがヴァンパイア狩りに遭った時には制約も含め広く知られていたこの大技。

 ヴァンパイア狩りをする魔法使い達はけして固まることなく、視界が狭い室内や、視線を遮る建物が多い街中などでヤーヒム達ヴァンパイアを何重にも包囲してきたものだ。それをこの愚かな小男は、中途半端な知識で自信満々にヤーヒムに勝負を挑んできた。


 だからこそのあっけない逆転劇。

 特にこの一団は、ヤーヒムを捕えて再び欲望のための道具にするようなことを仄めかしていた。それはヤーヒムの逆鱗。容赦なく返り討ちにするには充分だ。


 だが。


 この小男をすぐさま殺さずにこうして宙吊りにしているのは、ヤーヒムの中に僅かに引っかかりが残ったため。


 鷲掴みにした枯れ枝のような首にギリリと圧を加えつつ、ヤーヒムは地の底から響くような低い声で小男に問いかけた。



「…………他のヴァンパイアは、今どうなっている?」



 右手の先でもがくこの小男は先程、「絶滅したはずの」などと言っていた。

 加えて、ヴァンパイアが魔法攻撃に弱いことは知っていても、その先、具体的なヴァンパイア狩りのセオリーについてはまるきりの無知だった。それが今の状況を作ってくれてはいるのだが、問題はそこではない。


 嫌な予感がヤーヒムの胸を鈍く焼いていく。

 ヤーヒムのヴァンパイアとしての身体が完成した後、真祖ラドミーラと共にあちこち旅をするようになり、その中で他のヴァンパイアと遭遇することもあった。その当時はまだ人間のヴァンパイア狩りも少なく、あちらこちらにヴァンパイアのコミュニティが存在したのだ。


 ……全部合わせれば結構な数がいた筈だ。


 そんなヴァンパイア社会の中で最古のヴァンパイアの一人であるラドミーアは女王に等しい存在であり、その直接の子であるヤーヒムは嫉妬と欲望混じりの畏怖を以て迎えられたものだった。


 五千年を超えるヴァンパイアの歴史、その中で末端世代の能力劣化は著しい。

 数こそ多いものの、日の光に触れただけで焼け死ぬ者、人に毛が生えたような身体能力しか持たぬ者、基本的に濃厚である人族の血でしか生を繋げぬ者――そんな劣化ヴァンパイアの大多数が、未だ能力を完全に開花させきっていないであろう若き上位種ヤーヒムの血を一滴でも己に取り入れようと欲望をつのらせ、畏怖の中にも隙を窺うような眼差しでチラチラと視線を向けてきたのだ。


 ……だが、いくら末端世代も多かったとはいえ、上位種もそれなりの割合で残っていた。その全てが絶滅しただと?



「が……は……た、たすけ……何でも喋る、喋るから……」



 右手で釣り上げた小男が口の端に泡を溜めてもがいている。こんな小物ですらヴァンパイアの時代は終わったと宣い、自らが上位種族であるような言葉を発していた。


 確かに、ヤーヒムがラドミーラと訣別して独り放浪している間に、ヴァンパイアの弱点に気付いた人間達の間で爆発的にヴァンパイア狩りが盛り上がりつつあった。あちこちのヴァンパイアコミュニティが魔法使い達の襲撃を受け、だが、大半の上位ヴァンパイアは巧妙に逃げおおせていた筈だ。


 それから百余年。まさか、この男が口にしたことは事実……なのか?

 囚われていた歳月の間に、まさか、他のヴァンパイアは刈り尽くされた? 自分が最後のヴァンパイア、なのか?



 ラドミーラ…………。



 衝撃の事実に混乱する彼の頭に浮かぶのは、彼にとってヴァンパイアとしての親であり、永遠の恋人でもあった麗しのラドミーラのこと。


 共に過ごしたのは僅か十年。

 旅の中で気まぐれに立ち寄った、ヤーヒムの人間時代の記憶を刺激する街で経験したひとつの出来事が訣別のきっかけだった。

 ヤーヒムが二度と人の血を飲まぬとの誓いを立てたのもその時。永遠だった筈のラドミーラとの宴は脆くもその街で完全に砕け散り、ヤーヒムは彼女に別れを告げた。自分の最大の理解者であり永遠の伴侶だと思っていた彼女が、心底狂っていることを知ってしまったのだ。


 それ以来二度と顔を合わせていない、妖艶な美貌の下に孤独をひどく恐れる繊細な心を秘めた懐かしのラドミーラ。

 憎しみはある。だが、それと同じだけの――


「……ぐ……かはぁ……あがが…………」


 右手で釣り上げた小男のもがきも最早意識の外となり、ヤーヒムは左手の甲に同化した不滅の紅玉ルビーの結晶にするりと視線を落とした。

 それは別れ際に彼女から贈られたものだ。

 地下牢で魔法陣に封印され十字架に磔となっていた間は黒く濁っていたそれは、解放された今はラドミーラの瞳と全く同じ、妖しく複雑な紅の輝きを放っている。



 ――これをあげるわ。もうこうやって話をすることはなくなるかもしれないけれど、貴方を愛したヴァンパイアがいたということは忘れないで。私の心はずっと、永遠に貴方と一緒よ。



 最後に見た彼女の涙が脳裏に甦る。

 深く狂っていたが故に、その分だけ深く純粋な涙。

 そして、思わず言葉を失ったヤーヒムを前に、彼女は自らの胸に爪を突き立て、心臓から力づくでこの宝玉を抉り出したのだ。そのまま有無を言わせずヤーヒムの左手を取り、手の甲を問答無用で爪で抉って、泣きながら血の滴る宝玉を強引にそこに埋め込んだラドミーラ。噴き出す血潮が彼女の豪奢なドレスを真っ赤に染めている。逆らいようのない不思議な威厳が彼女を押し包み、とめどのない純粋な涙がその美しい顔を静かに流れ続けていた。



 ――行ってヤーヒム。振り返っては駄目よ。ちょっと疲れたわ。少し休もうと思うの。



 最後にそう言って、血で汚れた顔で儚く微笑んだ麗しのラドミーラ。


 それが彼女を目にした最後。瞬く間に肉と同化していく左手の宝玉を暫し見詰め、そして言葉のとおり、ヤーヒムは振り返らずにその場を立ち去ったのだった。


 真祖ヴァンパイアの圧倒的な自己治癒能力が故、あの傷ぐらいで彼女が死ぬことはない。今思えば、いつかまた会うことになると心の何処かで信じていたのかもしれない。



 ……それが、ヴァンパイアが絶滅した、だと?



 それが事実ならつまり、ヤーヒムが再びラドミーラと出会うことはないということ。

 未だに憎しみは残っている。この先消えることもないだろう。だが、もう一度会い、話し合ってみたいと思うようにはなっていた。


 いや、まだ男の言葉が真実だと決まった訳ではない。勝手に「絶滅したはずの」とうそぶいていただけだ。しかし、この理不尽な地下牢での囚われ生活の間に、世界がどう変わってしまったかは全く分からない。確かにヴァンパイアは全ての人系種族に怖れられ、忌み嫌われる存在だった。噂が本当だとしたら、自分が最後のヴァンパイアであり、そうだとしたら、もしそうだとしたら――




 ――ゴトン。




 右手の先から小男の頭が転がり落ちた。

 力が入りすぎて首を潰し切ってしまったらしい。


 しばし茫然と立ち尽くしていたヤーヒムはやがて死体を投げ捨て、一切の表情が消えた顔を隠すように血に塗れたローブのフードを深々とかぶった。


 自分が百年この屋敷に囚われている間に、外の世界は大きく変わってしまっているのかもしれない。ヤーヒムは波立つ心を落ち着けようと強く目をつむった。


 切実に情報が必要だ。一番確実なのはヴァンパイアの同胞を見つけること。あれだけその卓越した力を謳歌していた種族なのだ。末端世代ならともかく、上位種ならばどこかに生き残っているのではないか。そう、まずは他のヴァンパイアを探すべきだ。


 ただし、人間達も侮れない――ヤーヒムはフードの中でそのアイスブルーの瞳を開き、未だずきずきと悲鳴を上げる脚の魔法傷をちらりと確認した。


 最後の詰めを欠いた愚かな魔法使い達ではあったが、遭遇から一瞬であれだけの魔法弾幕を放ってきたのだ。いくら魔法に長けたエルフやブラウニーが混じっていたとはいえ、技術だけで言えば、過去に相手したヴァンパイア狩りより進化しているかもしれない。


 当時の魔法使いはあれほど早く魔法を準備できなかった。これが今の魔法使いの標準ならば、かなり危険な世界となっている。一瞬の気の緩みが命取りとなるだろう。油断などもっての外だ。


 そこまで考え、ヤーヒムは自分を奮い立たせるように大きく息を吸い込んだ。


 そして、決然と振り返る。

 未だ轟々と燃え盛る屋敷に背を向け、フードの中から鋭く見据えているのは大きく開け放たれたままの門。


 その先に広がるのは寝静まる夜の街と、渇望していた無限の自由。



 夜、それはヴァンパイアの時間だ。



 ヤーヒムは左脚を僅かに引きずりながらも、満天の星空の下へと力強く歩き始めた。






―次話『束の間の出会い』―

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