第12話 オズと案山子 11

 私も、いつまでもこうしていることはできない。わかっている。わかっているのだ。なのに私は、ここから離れることができないでいた。この空間を埋める悲鳴と悲痛な音は私をののしってくれているようで、もう少し、もう少し、私はこの音に身を任せていたいと思ってしまっていた。

「…それでも。」

 そうだな、こんなところでぼんやりしている場合ではない。彼の言うとおりだ。君の言う通りなのかもしれない。私は、捨て去ったはずの何かに足を取られて、今日の今日まで、そんなことに私は気が付けなかったのか、それとも気づいていたが、見ないふりをしていたのか。まあ、今となってはそれこそどうでもよい。私は、ふう、と一息深呼吸、数歩前に歩いて振り返らないまま、時計に魔力を込める。

ボン!

 背後から大きな燃焼音が聞こえ、服越しに肌がちりちりと熱を感じる。振り返ると、今まで私がもたれかかっていた壁が燃え、そこかしこが黒く炭化しボロボロ崩れ落ちていくところだった。黒こげの壁の奥からすっかり見慣れた鋼鉄の扉が姿をのぞかせる。私は、かすかに後ろ髪を引かれる思いを感じながら、扉を開いた。


「うち、か。」

 正直、力が抜けた。先ほどの部屋のこともあり、ずいぶんと身構えていたわけだが、今回は普通、というよりすっかりなじみになった光景が広がっていた。いつも私たちが暮らしている、家だ。ここは、廊下になっているわけでもなく、普段通りの光景が広がっているだけだ。しいて違うところを上げるとするならば、中央のテーブルの上に赤い小さな写真立てが置かれていることくらいか。

 少し逡巡した末、私はそのテーブルに備え付きの椅子に腰かけ、写真立ての中に飾られた写真を見てみた。これは、どうやら私が初めてスケアと会った時の写真のようだ。奴隷商人と会話を交わし、彼女を縛るためのカギを受け取ったところだ。今見ると本当にひどい顔をしている。見事に死んだ魚のような目だ。顔に生気が感じられない。今の彼女の様子を思い浮かべてみる。最近はいつもにこにこして、毎日楽しそうにしているように思う。まったく面白いものではないこともわかるのだが、そのあまりの変化に少し笑ってしまう。

 少し眺めていると、写真が変化した。これは、私が彼女を家につれて帰るところだ。ちょうど腹が減っていたのもあるし、スケアががりがりにやせ細っていたこともあり、食事の前にちょっとした間食を買ってやったのだった。買ってやったのはシンプルな料理で、肉と野菜を串にさして甘辛い特性のソースをつけたものだ。廉価で、そこそこ腹にたまり、味もうまい。買い与えてやったときは信じられないというような驚いた顔をして、恐る恐る受け取っていたっけか。懐かしい。そういえば、彼女の名前をスケアとしたのも、こういう野生動物のような臆病さもあってのことだ。

 次の写真は、魔法を使う、私の姿だった。これは、何だったか。見た感じかなり攻撃的な魔法を使っている。これは、魔力を武具の形に結晶化させ、相手の魔力を吸い取る魔法、「ウエポンズ」だ。この時私は、剣の形に魔力を結晶化させている。私は魔法学院で魔法を先行していたわけだし、腐っても元貴族、身を守るための剣技にもそこそこ精通している。とはいえ、そんなものをスケアに見せたことはないはず…いや、一度だけあったか。確かあれは…。



「まったく。落ち着いて食えばいいんだ。」

「…。」

 ひどくやせ細っていて、腹がすいているのか、まるで私を食い殺そうとするネコか猛禽類のような鋭い目をしていたから、そこらへんで手軽な食い物を買ってやった。はじめこそおどおど食べていたのに、少し食べると獣のように夢中で食いついていた。おかげさまで、この少女がもともと身に着けていたボロにはべったりとソースが付いていた。このまま着せておくと、やがて甘ったるいにおいがこびりついて気になりだす。まあ、こんなボロのままにして放置しておく気はないので、それほど問題はない。ボロは、家に帰ってから捨ててしまえばよい。

 そんなことをぼんやり考えつつ私はソースでべとべとになった口元を拭ってやっていた。当の本人はというと、まるで奇妙な化け物を見るようにまん丸に目をむき、こちらを見ている。なんだか悩むのも馬鹿らしくなり私はため息をついた。突然、少女の体がびくりと震える。

「ご、ごめんなっぃ。ごめんなさい。」

 しどろもどろになりながら、必死にこちらに慈悲をこう。なんだかこちらが悪いことをしているようで居心地が悪い。

「気にしなくていい。それはいいから、もう謝るな。それから、そのボロはうちに帰ったら捨てる。今からお前の着られるものを用意してやるから少し外で待っていろ。その格好で服屋になんて入れてられん。」

 そう言って少しだけ落ち着きを取り戻した私は少女を待たせて近くの洋服店に入る。小柄な少女の着やすそうなそこそこの服を手元にとり、店員に話しかける。

「すまない。これを頼む。」

「まいど。」

 黙々と荷物を袋に詰める店員。作業はすぐに終わり、私は買い物袋をもって少女のもとに帰った。いや、正確には少女を待たせていた場所に。私が戻ったときには少女はいなくなっていた。おかしい。少女は奴隷身分を証明する腕輪を付けていたはずだ。あれは、特殊な魔術が描けてあり、本人では外すことができないうえ、主人の命令に反した行動をとれば強烈な痛みを与えて奴隷の行動を抑制することができる。おまけに、あの腕輪に仕組んである魔法回路を起動しておけば、主人として登録されている人間以外がその奴隷に強引に触れたり命令したりすることはできない。あ。

 そこまで考えてようやく問題点に思い至った私は、なかなかに間抜けだと自分のことながら苦笑してしまう。最近こんなくだらないことばかりしているな。私は、ポケットから、本来その魔法回路を作動させるために必要なカギとなる魔法石を取り出した。魔法回路を起動させるためにはそのエンジンが必要となる。これは、奴隷の所有者から継続的に魔力を回収し、契約の魔法を作用させ続けるための特殊な魔法触媒だ。これがないと腕輪には魔力は供給されず、当然魔法回路も起動するわけがない。肝心なものをはめていない。まだ育ち切っていない幼女の奴隷。おまけに主人はほとんど未登録状態、カギをすり替えればまだ上書き可能。それほど状態は良くないとはいえ、利用価値は十分あるに違いない。

 私は、ポケットに入れていた時計を取り出した。これは、学院を去る前、最後に作った時計だ。少々苦々しい気持ちを噛み殺しながらも私は、路地裏に入りこみ、魔力を時計に流し込む。少女の魔力はいまだ成長段階であり、かなり微量ではあったが、それでも数時間一緒にいた相手。反応を追いかけるには十分すぎる。すると反応はさらに奥の路地へと続いていっている。私は彼女の魔力の残滓を追いかけるように路地に入っていく。

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