第11話 オズと案山子 10

 奴隷。それはこのご時世では比較的一般的なものだ。しかし、それは社会的に存在することが容認されている程度の意味であり、明確な被差別階級である。往々にして人々の私欲のはけ口となることに変わりはない。町を歩いているような奴隷にはそれほどひどい扱いを受けているものは見かけられないが、実際は多くの奴隷は農耕や酪農、稼業に従事させられ、まともな賃金も得られず、まともな食事も与えられず、時には暴力をふるわれ、性欲のはけ口となることもある。そんな奴隷身分の人間に対して向けられる人々の目は決して心地よいものではない。他のものから迫害されないのは所有者以外の人間には奴隷を扱う権利が認められていないからに過ぎない。

 私は、彼女を簡単にその被差別階級から開放することができる。奴隷身分からの解放というのは至極単純な手続きでなしうる。ただ単純に、奴隷の証たる拘束具―右の上腕部にはめられている鉄の輪に魔術的な処置を施すだけでよいのだ。その気になれば十秒もいらない。にもかかわらず、私は彼女を被差別階級に甘んじらせている。それは明確に私のエゴだ。

 私は彼女を手放したくないのか。違う。私は彼女を虐げたいのか。違う。私は彼女をどうしたいのか。そんなもの、わかっている。わかっている…。でも、行動することが、たまらなく、恐ろしいのだ。誰かから嗤われている気がする。誰かに見下されている気がする。私は、あまりにも弱く、みじめだ。そんなもの、初めからわかっているさ。

 彼女に嫌われることが怖い、幻滅されることが怖い、見放されることが怖い。どれも似ているようで違う。私は、私が一番怖いのは、彼女に、嗤われることがこわいんだ。

 何とも都合のいい話だ。認められたい、受け入れてほしい、だから私は、彼女の言葉を聞きたくない。明らかに矛盾している。そんなことは知れている。それでもただ私は、怖い。傷つくのが、恐ろしい。もう二度と、人に、嗤われたくない。もし彼女に嗤われたら、私は、もう、だめかもしれない。

私は彼女に受け入れてほしい、認めてほしいと思いながらもむしろ自分自身のほうが彼女を信用しきれずにいる。今は奴隷だからこそ私に都合のいいようにふるまっているが、その身分から解放されたらどうだろう。彼女は実は私を憎んでいるのではないか、そうだとすれば解放した瞬間に掌を返し、きっときつい仕返しをしてくるに違いない。それはきっと、先ほど私に少女がしてきたような鋭い非難の光を携えて。

 少女の目に宿った鋭い非難の光はいまだ私を刺殺さんとするばかりにこちらに向けられている。これがもし、この少女、私の今まで見たことのなかった少女たちからではなく、よく知る彼女から向けられたらと思うと、肌の粟立ちを、呼吸の苦しさを、体の震えを、止めることができなかった。

 私は壁を背にして座り込んでいた。果たしてどれほどそうしていたのか。膝上で組んだ腕の間に頭をうずめつつ、ちらりと左手にある時計をみやる。気づいたら30分ほど過ぎてしまっているようだ。私は、先ほどから、鞭で彼女を打ち付ける音と、彼女の悲鳴の中にずっとうずくまっていた。どうにも言いようがないのだが、この空間に私は妙な居心地の良さを感じてしまっていたのだ。それは、私のどうしようもなく惨めな自責の念をちょうど満たしてくれていた。


「なんだ、いつまでこんなとこでぐだぐだしてんだよ。貴族の坊ちゃんの考えはわからんなあ。」

 今まで何もなかったところから声がする。そこにいたのは現場担当だ。こいつがこの時間旅行の方法を教えてくれた張本人である。

「人間は君ほど単純にできていいんだ。」

 相変わらず木で鼻をくくったような言い草だなてめえは。そういって君は笑うんだ。ああ、私も君ほど単純なら素晴らしく毎日が楽しかったのに。いや、それは言い訳なんだろうな。それがわかっているからこそ私は君のことが憎いのだ。いや、憎いとは少し違う。そうだ、私は出会ったころから君がずっと、羨ましかった。白知のように人の目を気にせず、忌憚なく自分の意見を言える君が。熊のように豪胆で泥臭い笑顔を浮かべていられる君が。憎くて憎くて、ついつい嫌味を言ってしまうほど君のことが羨ましかったのだ。

 君はいつものように、私が羨ましくなるほどの笑顔を浮かべて、去っていった。普段憎々しく思っている君の笑顔だが、決して君の笑顔は不快ではない。スケアの言うとおりだ。ほんとは君に憧れていた。

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