第9話 オズと案山子8
もともと、あぶれた貴族、いわば半端ものでしかない私には貴族の身分はどうでもよかった。私にとっては、このけったいな魔法触媒がなくなると、魔法学院にいることができなくなるということだけが問題であった。どれほど抵抗したところで、私にはその状況をどうしようもできなかった。私は、自分のそれまでの人生すべてをささげた魔法研究の学び舎、魔法学院をあまりにもあっけなく去ることになった。頼りにしていた友人も、たった一つ、「クレイスレヴ」がないということだけで、私を見下し、去っていった。
あれから馬車に揺られてひとまず学院に返ってきた私だったが、クレイスレヴがないとそもそも学院に入ることもできない。仕方がないので、私は敷地の外で友人を待っていた。××はいつもこのさくの向かい側のベンチに腰掛けてゆっくりと昼食をとることに決まっていた。その間に何とかかくまってもらうか、研究の環境を準備してもらえるよう口利きを頼むつもりであった。しばらく待つと、ようやく××が現れた。私は彼に声をかける。
「××、私だ。」
すると彼は、私の姿を見て、へらっと笑った。その笑顔は、いつも私が見ていたものではなく、むしろ、館で私を見ていた人間たちの笑顔に近い。
「ああ、君か。いやあ、優秀な人間だと思っていたが、残念だよ。」
そう言って××は私を嗤っていた。
「何を言っている?」
彼は学院内でも公平で良識的な人間であると評判だった。そんな彼の見せるおぞましい表情が信じられず、冷たい言葉に身震いしながら問い返した。
「いや、君とはもう魔法の研鑽ができなくなってしまったと思ってね。話に聞いたよ、没落貴族になり下がったそうだと。いや、そもそももう貴族ですらないのか。」
そう言って彼はやはりへらへらとこちらを嗤う。
「君はそれでいいのか!私たちの新しい時計もやっと構想ができたところじゃないか。」
私は、ずっと彼と一緒に時計を作っていた。できた当時は魔法のブレイクスルーを象徴する発明品としてにぎわった時計も、このころには燃費の悪さや作成効率の低さから人気も陰ってしまっていた。そんな状況を覆すような発明を私たちは共にしていたはずだ。
「ああ、そんなものもあったな。だがそれがどうなる。あんなものしょせんただの暇つぶしじゃないか。」
私は言葉を失った。彼の言葉は耳に入ってきても、脳がその意味を理解することを全力で拒否していた。あれほど二人で心血を注いだはずの研究がタダの暇つぶし?どういうことだ。
「言葉通りだよ。私にとって重要なのは、時計を作ることじゃない。君の魔法技術を盗むことさ。」
「それでは、君ははなから時計に興味はなかったのか。」
「そういうことだ。君のことは一魔術師として尊敬してはいるが、正直こんなつまらないことに熱を上げるとは思わなかったよ。こちらとしても辟易していたところではあったが、まあ、勉強代だ。暇つぶしとしては悪くなかったよ。」
私は言葉を失った。今度は、言葉が出せないのではない。このまま言葉を紡ぐ意味を失ったのだ。独り相撲だった。すべて私の、独りよがりな、意味のない、つまらない…。
私は、それ以上語ることはなかった。そして後ろからまだ何やら話しかけていた××を振り返ることもなく、私は今度こそ本当に、学院を去っていった。
学院で一番信頼しいた友人、いや、友人と思っていた人間だった。もう学院で魔法を学べない。そうなった時にいの一番に彼を頼みにしたわけだが、とんだ見当違いというわけだった。…今ではもはや名前すら思い出せない。どうやら、私にとっても彼は友達もどきだったのだろう。そう考えると、お互いさまというところか。
そうだ、そして学院で最後に考えていたこの設計図も、結局日の目を見ることはなかった。この設計図を持っていること自体に私が耐えられなくなってしまったのだ。私は、唯一学院から持って出たこの設計図を自らの手で火にくべた。過去の私に区切りをつけるように。
しかし、結局私は区切りなど付けられなかったのではないだろうか。その証拠に、私の記憶は、残滓は、こうして追いついてきてしまったじゃないか。記憶の奥で××の嗤い顔がちらつく。胸の奥から沸き立つ憤怒と不快感で胃がキリキリと痛む。胸を埋め尽くす感情はまるで糞不味い料理を腹がはちきれるほどに無理やり押し込まれたようだ。耐えがたい吐き気とこの苦しみは、ずいぶんと久しぶりだ。苦しい苦しい苦しい。
私はこらえきれず胸をぐっと押さえつけて倒れこんだ。そのままえづいてしまう。ずいぶんと久しぶりだ。新しい生活が始まってから久しくこの感じは忘れてしまった。しかし、どうしてだろうか。どうしてこんなに苦しいのに忘れてしまったのだろうか。ふっと頭の中にスケアの笑顔が浮かぶ。胸中の憤怒が徐々に薄れていくのを感じるのだ。次第に吐き気は収まっていった。
ふっと大きくため息をつく。私は、少し苦々しい思いを噛み殺しながら、私は再びこの通路の先をにらむ。一見すると何もない突き当り。だが、仕組みはもうわかっている。私は、精神集中を行い、壁に手を触れる。すると、壁から一種の魔法式の気配を感じる。どういう意図があるのか、精巧に隠されたそれは、しかし確かに、私にある秘密を伝えてくれる。
私は、壁から少し距離を取り、魔法触媒として左手の時計を突き出し、呪文を唱える。
「シェイク。」
シェイクは物を軽く振動させる程度の低級魔法だ。しかし、腐っても魔力の総量には一応の自信がある。思いっきり魔力を注ぎ込んだ呪文は壁を分子のレベルから微細に振動させ、その結合をほどいていく。すると、壁は砂のようにさらさらと崩れてその先に再び小さな鋼鉄の扉が現れる。
壁にあったのは至極単純な暗号。壁を震わせろ。種がわかってしまえばそれだけ、つまらない手品だ。私は、軽い倦怠感を感じつつ、扉を押し開け、先に進んでいった。
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