第8話 オズと案山子 7


 朝早く、講義の開始を告げる鐘の音が鳴る前、私はいつもつるんで魔術の研究に打ち込んでいる友人を探していた。ちょうど少し先でパタパタと速足で廊下を歩く後姿を認める。

「××、待ってくれ。」

 その背中に向かって声をかけると、いつものように彼はこちらを振り返る。

「ああ、オズか、すまなかった。ちょっと雉狩りにね。」

 そうして××は速足だった歩みを止め、こちらに向き直る。

「ああ、悪かった。実は少し前に文が届いてな。今日の講義はパスだ。」

「ふむ、そうか。わかった。教授には伝えておこう。」

 私は、気のいい友人に感謝しつつ、急いで自分の部屋まで帰った。魔法学院では、宿舎に生徒一人一人に専用の部屋が与えられ、多くの生徒はそこで暮らしている。私も、実家はかなりここから離れているし、近くに親族といえるような親しい間柄のものもいないため、宿舎に厄介になっていた。

 宿舎のカギを開け、中に準備しておいた最低限の道具を担いで部屋から飛び出す。私の家は地方の貴族だ。といってもそれほど名の知れたものではない。この国の中心から離れた地方の運営を任されているに過ぎない。そしてそんな家では私のような三男が活きていくことができる余裕などない。魔法使いとして魔法学院に送り出され、貴族の名を広めるために働けということだ。まあ、間引かれなかっただけましだし、魔法を学びたかった私としては願ったりかなったりといったところなのだ。正直、そんな状態の私がなぜ今になって家に呼び戻されたのかはわからない。ただ、おそらくは、あまりいい理由ではないということだけは推測が付いた。

 推測が立つのは、大事でもなければ私が呼び戻されることなどあり得ないからだ。もともと、口減らしのために学院に送り込まれるような私だ。学院の学費だって私が将来的に魔法を使って身を立ててから返すことになっているし、そもそも向こうのほうから金を返すまではまともに領地を踏ませないなどと下らぬ要件を突き付けてくるような腐った守銭奴どもだ。佐須田にそんな状態の私に金を融通しろという要件ではないと思うが、少なくとも厄介ごとを抱えているだろうという程度のことは覚悟しておくべきなのだろう。


 

 それから馬車に揺られて数日旅をした。旅路には何の障害もなく、至極平和な馬車旅になったと思う。しかし、家の近くに着いたとき、馬車に飛び乗る前の不吉な推測が確信に変わってしまった。遠くから見ただけでわかる、領主の館の屋根に掲げられた家紋に赤と白の十字が刻まれていた。これは、この世において、差押を示すシンボルだ。私は館に飛び込み、腐った様子の家族を問い詰める。事の顛末はいたって単純。典型的な貴族の家計。凶作による地域住民の不安。にもかかわらず減らない税。悪政と従来からの浪費癖が重なり、行きつくところまで行ってしまった、ということだ。そして、私が呼び寄せられた理由というのは、私から貴族の証である「クレスレヴ」という特殊な魔法触媒を押収するためだった。問題があるとすれば、どうして私からだけ、証が取り上げられるのかということだ。

「私の証だけ取り上げて何になるのだ。」

「ふん。せっかく学院に通わせてやったのに愚鈍な頭はよくならんかったのか。」

 そう言って家長たる私の父は椅子でパイプをふかしてふんぞり返っている。

「せっかく魔法が使えるんだ。体でうちの借金を返せ。其れで万事解決だ。」

 父が言うには、魔法が使える私ならばいい奴隷になるということらしい。なるほど。確かにそうだろう。自分でもあまりにあっけなく納得してしまった。この家での私の立場など、そんなものだ。もともとこの家に不必要だからこそ学院に飛ばされたわけで、そんな私の体などどうなっても関係がないわけで、つまりは売るか金づるにするか、そのどちらかの価値しかもともと持ち合わせていなかったということだろう。そういえば、物心ついてからはクロエに世話をしてもらい、食事も、ほかの家族が広い食堂に一同で会して取っていたところ、私は狭い個室でクロエと食べていた。そう考えれば、私はもともとこの家の家族ではなく、私にとっても、クロエ以外に家族はいなかったということなのだろう。

 クロエは優しく穏やかなメイドだった。長い黒髪の印象的な女性で、歳が比較的近かったこともあり、私の世話役として長く面倒を見てもらった。確か私が12になり学院に行くときにはまだ20になったばかりかそこらの年だった気がする。彼女は私が学院に出ていくときに知り合った魔術師に嫁いでいった。件の人は私個人の知り合いであり、その人となりは良く知っていた。不器用だが魔法の腕は確かで、優しい人だった。彼女を見送るとき、チクリと胸は痛んだが、それでもこんな家に残しておくよりはずっと安心できると思い、心からの笑顔を花向けにすることができた。今この場に彼女がいないでいてくれることが私にとって唯一の救いだ老ことを思えば、その判断は眩暈がするほど的確だった。

 この家の家長がメイドに指示をする。メイドは特別抵抗する様子もなく、ただ家畜を見るような眼をこちらに向けて、奴隷の証たる鉄の拘束具を持ってくる。私の周囲は私がクロエとの思い出にふけっている間に奴隷商人の一味らしき屈強な男どもに囲まれている。腐っても貴族の子供、売りつける先もそこそこの家なのか、奴隷商人たちもそこそこの身なりをしている。つまりは高級品専門の奴隷商人といったところか。

 しかし、気に食わない。それは、勝手に奴隷にされかけているからでも、家族に見捨てられるからでもない。嗤っているのだ。父が、母が、兄が、姉が、メイドが、この場にいる全員が。自分とは関係のない誰かが不幸になることを。何の価値もなく、家族だと思っていたものに裏切られる哀れな小僧の運命を、嗤っているのだ。その笑顔は、表面には現れなくとも悲しいかな伝わってしまう。空気が、目が、私に、伝えてくるのだ。ああ、こんなに哀れな生き物が、自分でなくてよかったと思っていることが。

 私は、近づいてきたメイドが私の腕に鉄の輪をはめようとした瞬間、反対側の手で軽く彼女の額を小突く。すると、まるで貧血でも起こしたかのように彼女は気を失い、ばたりと地面に倒れてしまった。カシャンと、鉄の輪が地面に落ちた。あたりを取り囲む男たちが真顔になる。一瞬の静寂が空間を包む。静寂を破るのは家長だ。

「抵抗するな、この知れ者が!」

 そう言って顔を真っ赤にしてテーブルをバンと叩く。

「親の言うことが聞けないのか!」

 そう言われたところで、自分を売ろうとしていた人間のことなど、今更親と思えるものだろうか。私は涼しい顔でその声を無視して、奴隷商人たちに話しかける。

「商品は決まっていないんだろう。」

「…今なんと?」

「だから、商品価値さえ釣り合えば、商品はどんなものでもいいんだろ。なら、そこにちょうどいい商品が三つあるじゃないか。でかいゴミもそれをもっていけば爵位は手に入るだろう。」

「…悪くないですなぁ。しかし、この人数相手にできますかなぁ。」

 あたりにいたのは奴隷商人の一味だけではなかったのだろう。奴隷商人の取り巻きだと思っていたもののうち半数程度はこちらに明らかに敵意を向けてきている。そして、私の背後にあるこの部屋の入り口からぞろぞろと使用人たちが入ってきた。無遠慮にも彼ら、彼女らは入るなり私に高速用の魔術を多重展開してくる。冷気により体を凍らせようとしてくるもの、大地を盛り上げ体を縛り付けようとするもの、毒を生成して体をマヒさせようとしているもの、火炎で全身をやけどさせて自由を奪おうとするもの。しかし、それらが私に届くことはない。魔法反応はすべて私に届く前に霧散する。

 周囲の人間がみなぐっと息をのむ。これくらいのことはたやすい。そこそこの威力はあれど、どれもみな単純な構成の下級魔法だ。対応する魔力を放ち即座に消滅させることも難しくはない。私は改めて、自身の腰に差したマジックワンドに手を伸ばす。今までは相手の放つ魔法に対して反対の反応を放つだけだった。今度は自分のほうから動く。私は、魔力を一気に拡散させ、敵対する意思を持っている人間の人数を割り出した。ざっと三十人ほど。問題はない。

「エアハンマー。」

 私は静かに魔法の名前を唱える。瞬間、私に対して武器を振り下ろそうとしていたものも、追撃の魔法を放とうとしていたものも等しく崩れ落ちた。何のことはない、先ほどメイドにしてやったのと同じだ。高密度の空気を精製し、相手の後頭部や顎にぶち当て、脳震盪を起こして意識を刈り取る。

「…なるほど、これはこれは、恐ろしい人だ。敵にしなくてよかった。」

 先ほどとは打って変わり、こちらに対して相当以上の注意を向けつつ丁寧な態度で奴隷商人たちが話しかけてくる。魔法の威力調整も精密操作も、時計作りの中で培った技術だ。一日の長はある。

「家長はそこで伸びている。その子息達に輪をはめればこの取引が終わるまでは私が家長だ。余った金があれば私に渡せ。それ以外は好きにしろ。」

 男たちは私に丁寧に一礼し、伸びている者どもに順に腕輪をはめていく。男どもがこの家の者たちすべてに腕輪をはめ終えたころ合いを見計らい、私は、胸のあたりからクレイスレヴを手に取って相手に手渡す。そしてその代わり、奴隷商人たちはもともとこの家の家長としていた契約の倍の金額を買取価格として提示し、借金の返済に充てるところを減算したものを渡してきた。実際はこの場合どれほどの金額が支払われるものか、私はよくわからなかった。しかし、その相場を知ることもこのタイミングでは難しい。提示された額は実家を離れて一人で生きるための準備をするのには十二分であったこともあり、私は、その金を手に取り館を出たのだった。

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