第4話 オズと案山子3

あたりを見回すとすっかり日は落ち、藍色が広がっている。今日はいつもより早く仕事が終わったはずだったが、寄り道したおかげで、家に帰りついたのはいつも通りの時刻となってしまった。

 ドアノブを三回ほどガチャガチャと鳴らす。そうすると内側から鍵が開けられる。ドアノブをひき、ドアを開けると、そこには見知った部屋と見知った顔があった。

「おかえりなさいませ、ご主人様。」

 そう言って声をかけるのは、この家を買った時の余った金で買った使用人だ。名前はスケアという。もともとは名前もないただの雌奴隷だったわけだが、これがひどく愛想が悪かった。いや、一般の庶民でも手の出る程度の奴隷だったから、そもそもそんなものなのかもしれんが、にしてもこれから誰に買われるかで自分の将来が大きく変わるというのに、まるですべてが他人事とでも言わんばかりの無関心であった。自分がこれから買われようとしているのに、眉一つピクリとも動かさぬその態度と、ぼさぼさで小汚い黒髪からカラスを連想した私は、スケアクロウをもじり、スケアという名をつけてやったのだ。

「どうなさいましたか、ご主人様。」

 そう言ってスケアは穏やかな笑みを浮かべつつ少々あざとく小首をかしげる。まあこのとおり、今となってはそんな由来を全く感じさせない様子だ。少々、名が実態と乖離してしまった。

「いや、何でもない。」

 私は荷物を靴棚に置き、スケアはそれを確認すると慣れた手つきで荷物をしまう。そうして、私が手を洗ってテーブルの前にたどり着くまでの間にそそくさと夕食を準備する。サラダ、パン、そして、私がいつ帰ってきてもよいように程よく温められていたスープ。どれもそれほどいい素材を使っているわけではない。しかし、細やかに下ごしらえを施され、味付けを施された料理は、みな食指をくすぐるのに十分な魅力を備えていた。

 私は、面倒な作業を鼻歌交じりで楽しそうにこなすスケアの様子をちらりと横眼でとらえる。ここに来た当時は、料理どころか、そもそもスケア自身がまともな料理を食べたことがないというような有様であり、しょうがないから私が料理やら掃除やら、家事の一切を教え込んでいたものだ。幼過ぎて性奴隷としても使えず、まともな家事すらこなせなかった役立たずであり、買った当時は失敗したとそこそこ後悔したものだった。しかし、それから存外よく学び、今では並のメイド以上の仕事をこなすようになった。少なくとも昔家にいたどのメイドよりも優秀だろう。

 しかし、彼女が私の買い物の中でも特に得な買い物であったという事実は、実は私をどうにもイラつかせるものでもあった。生家を失ってから私が買った物の中で最も価値があった物が、この凡庸な奴隷だということが、何とも言えず、納得できない。

「ご主人様、お食事の準備ができましたよ。」

 そんな私の気を知ってか知らずか、スケアは依然穏やかな笑みをたたえ、私に話しかける。私は、ああ、とそっけない返事を返して、食事のあいさつも抜きにスプーンでスープをすする。豊かな野菜の甘みと、魚介類の風味、あっさりとした味でありながらもコクを感じさせる。よくもまあ、チープな素材でこんなものを作る。私はいそいそとスープ、サラダ、パンをバランスよくかきこむ。そんな私の様子を満足げに、眺めつつスケアも同じテーブルで同じものを食べる。もともとは床でパンを食べようとしていたところを鬱陶しいからという理由で同じテーブルで食事をとるようにさせた。最初はテーブルマナーも何もなく、まるで獣のように貪欲に食事にむさぼりつくだけだったが、これも私が教え込み、まともにフォーク、ナイフ、スプーンくらいは扱えるようになった。

 まあ、やはりスケアはそこそこよくやっているといえるだろう。だからと言って、今の自分の状態だと褒美を取らせるということも得にはできないわけだが。

 苦々しい思いをかみしめつつ、つらつらと詮無いことを考えていても手はどんどん進み、舌鼓を打つ。そしてあっというまに皿は空になっていた。それからしばらくして、私に少し遅れて食べ終わったスケアがそそくさとテーブルの片づけを済ませていく。手慣れたもので、数分もすると、片付けが終わる。スケアは、食後の紅茶を二人分準備して再び席についた。渡すなら、今だろうか。

「スケア。」

「はい。」

 私はそう彼女を呼びつけ、彼女はこちらに向き直る。そのまま私はポケットからスケアの分の懐中時計を取り出し、彼女に手渡す。

「使うといい。」

「これを私にですか?…ふふ、ありがとうございます、ご主人様。大切にさせていただきます。」

 笑みを深くし、ニコニコとしながら時計を受け取ったスケアは、そのまま時計に魔力を込める。時計はまもなく魔力の補充を完了させ、動き出した。私も、自分の分の時計を取り出して魔力を補充する。同様に、コチコチと音を立てて時計は動き出した。針が進むと同時に、その内部の歯車もゆっくりと回転している。見れば見るほど作り手のこだわりがうかがえる。スケアを見ると、どうやら同じように時計の作りこみの深さに感嘆し、見入っているようだった。スケアの魔力もそこそこ高い。この程度の時計なら問題なく動かすこともできるだろう。私は再び時計に目を落とし、ぼんやりと時計を眺める。

 コチコチと心地い音が耳の中に反響する。不意に、あまり面白くないことを思い出した。職場の下らぬ男の戯言だ。時間を旅し、運命を変えるには、魔力時計を枕の下に入れて眠る。…本当に下らぬ話だ。そんなばかなことがあってたまるものか。大体それは見たい夢を見る時の作法だろう。馬鹿な夢を見て朝に目覚めて何も変わらぬ日々に絶望しろというのか、悪趣味な男だ。

「ご主人様。いかがなさいましたか。」

 スケアが怪訝な顔をしつつこちらの様子をうかがってくる。つまらん妄言に気分を害していただけだ。そうぶっきらぼうに答える。すると、スケアは心得顔でくすくすと笑い、ああ、本当に仲良しでいらっしゃるのですね、と言ってくる。だからそんなことはないと言っているだろう、そう憤慨する私を、はいはいと軽く受け流すスケア。このやり取りもずいぶん前から恒例のものになっている。どうにもスケアには、人間関係を見る目を養わせる必要があるようだが、そんなものの教え方は私にもわからん。故に仕方なく都度都度咎める程度で済ませているわけだ。まあ、どうとでも思っているがいい。実際は、あのような低俗な人間と私が仲が良いなどということ、ありえないのだから。

「お前もあんな品性のない人間にかかわっていては脳みそがチーズになるぞ。」

「どんな表現なんですか、それ。」

 たわいのない会話につまらない日常。否定するわけではない。それは使い古した愛用の品が時々放つ親しみのようでもあり、尊敬のようでもある雰囲気をまとってもいる。でも肯定することもできない。私の日常がここにあることが、どうにも納得できないでいるのだ。もしかしたらあり得たかもしれない、あるべき日常の形がどうしても脳内をちらつくのだ。だから私は、我ながら馬鹿らしくなりながらも、どうしても忘れることができないでいるのだ。

…時間を移動し、過去を変える。そんな夢物語のようなことができるのであれば、あるいは、私の人生も変わるのだろうか。

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