第29話 たとえ猫缶のゴミだとしても

 この世界の宿屋は、ぼったくることに余念がない。


 宿泊代や食費は勿論、「加湿器の恩恵を受ける代」とか、「部屋を片付けてもらう代」とか、とにかくたくさんの名目でお金がとられる。

 それを防ぐためには加湿器の恩恵を受けなくなるような持続魔法を使ったり、部屋を片付けようとしてくる係員を撃退するしかないのだ。


 そんな宿屋であるから、他人の部屋に入るのにも当然お金がかかる。客でもないやつが加湿器の恩恵を受けてはいけないのだ。


 ロップのおかげでリナは街の外れの宿屋にいるということが分かったため、俺は宿屋の受付に各種料金を払うことでやっとリナの部屋の位置を教えてもらうことが出来た。


「あのー……お届けものですー……」


 普通に声をかける勇気は湧かず、俺は小声で呼び掛けながら部屋のドアを叩いた。

 すると、ドアの向こうからバタバタと駆ける音が聞こえてくる。


「猫缶ニャ!」


 勢いよくドアが開け放たれると、リナが満面の笑みを浮かべて飛び出してきた。

 その目が俺を捉えた瞬間、一瞬にして表情が曇る。


「よ、よう、久しぶり……。意外と元気そうだな?」

「猫缶にゴミがついてきたニャ……。これ、返品可能なのかニャ?」

「ゴミ扱いは酷くないですか!?」


 まだ二週間しか経っていないのに、俺は懐かしさで涙が出そうになった。

 一方リナは、予想以上に俺を歓迎する気がなさそうだ。分かりやすいくらい顔をしかめている。


 彼女の顔は人間のものになってこそいるが、まだ擬態解除の時の傷が多く残っており、ベタベタと大きめのガーゼが貼り付けられていた。痛々しい。


「別に、来て欲しいなんて頼んだ覚えはないニャ。私は私で勝手にやる……から」


 リナはあえてニャという語尾をやめるように、言葉を選んだ。


「もう私がいなくてもなんとかなるでしょ。君が私に構う理由なんて、ないはず」


 そしてそんな、冷たい言葉を投げかけてくる。

 別れたときとは、かなり態度が違った。


「そんなことはない、俺達……仲間じゃないか」

「またそんなことを言う。仲間だなんて、思ってもいないくせに……」


 リナの目が、怒ったように細められる。

 

 怒られてしまうのも、仕方のないことではあった。

 俺はあの日、ダンジョンでリナを引き留めることが出来なかったのだから。今更リナを訪れたことで、あの日のことがなくなるわけではないのだ。


 また何も言えなくなり、俺は俯いてしまう。

 それを見かねたように、リナがため息をついた。


「とりあえず、座る?」


 いつもより口数が少ないまま、リナが俺を部屋に入れてくれた。





 リナの部屋には机も椅子もなく、殺風景だった。見ただけで、最近この部屋を見つけたばかりなのだと分かる。


「結局、コウタは何しに来たの? 普通に猫缶を持ってきてくれたなら、まぁ、有り難うだけど」


 俺達が床に座り込むと、開口一番にリナが質問してきた。


 そしてようやく気がつく。

 俺は、明確な目的をもってここに来たわけではないということに。


 やっべ! 勢いで来ちゃったけど、何も考えてなかった!!

 不自然なくらい辺りをグルングルン見回しながら、何を言おうか考える。


「何一つ掛かっていない壁は殺風景さを助長させるだけでなく、まるでここが檻の中であるかのような……」

「コウタ、コウタ。背景描写が口に出てるよ」


 またしてもやっべ! 考え事に没頭する余り、地の文と会話文を混同する失態を犯してしまった。しかもなんか悪口っぽい!


 俺の焦る様子を見て、リナはやっと明るい微笑みを見せてくれる。


「その様子だと、ラノベ主人公になれたみたいだね」


 おおっと! これまでラノベ主人公についてまともな説明をしてこなかったせいで、リナの中でラノベ主人公の定義がおかしなことになってるぞ!


 違うから! 状況描写する人=ラノベ主人公、じゃないから! というかむしろ、脳内で本当に状況描写してる俺の方が奇特だと思う。


 どう説明しようかと考えていると、リナが自分から話を始めてくれた。


「だけど私は、人間にはなれないから。もう、無理に構わなくて良いんだよ」

「そんなこと言うなよ……」

「だって、本当のことでしょ?」


 これだけは譲らない、という断固とした口調で、リナが言う。力強いのに、悲しみも帯びたような目だ。


 俺を近づけまいとしたのは、これ以上俺に気を使わせたくなかったからか。

 そこまで気付いたところで、俺は無意識の内に口を開いていた。


「俺もだ。俺も……まだラノベ主人公にはなれてない。どころか、前よりよっぽど遠のいてしまった気がするよ」

「そうなの?」


 リナが首を傾げる。


 そもそもラノベ主人公が何かも分かっていないのに、リナは俺が、なりたいものになれるものだと信じてくれていたようだ。


 でも俺は、なれなかった。


「そうだよ。ラノベ主人公ってのは、優しくて、正義感に溢れてて、何故か全部を見通してる奴なんだ。だけど俺は、あのダンジョンでそうなれなかった……! やるべきことは全部分かっていたのに、何もできなかった!」

「コウタ……」


 リナが眉を潜める。

 同情の現れなのか、それとも侮蔑の現れなのか。


「リナ、お前の言う通りだ。俺は、お前を仲間だなんて思ってない」


 絞り出すように、自分の声とは思えないくらい重い声で、俺は告げた。


 それを聞いて、リナは少しだけ、苦々しい顔になった。しかし覚悟していたとでも言うように、また平然とした顔を作る。


 リナは強かった。こうしていつも、現実を見据え続けてきたのだ。

 俺とは違いすぎる彼女を見てる内に、言葉が溢れるのを抑えきれなくなった。


「リナだけじゃない……ロップもレイも、他の皆も……。俺は、仲間って何なのか……全く分かってないんだ」


 喋っているだけで、身を切るような、心を切るような痛みを感じた。


 それは俺の憧れの主人公達が、決して言わない言葉だったからだ。


「身を挺して仲間を守る理由が分からないし、平和を目指す意味も分からない。自分を犠牲にするほどの愛も分からないし、路地裏で誰か襲われてても男だったら助けない。人のためも国のためも世界のためも、全部全部全部! ……分からないんだ……」 


 分からないから、憧れた。分からないから、真似をした。

 だってそうでもしないと、俺は何にもなれないから……。


「……。だったら尚更、私に構ってちゃいけないよ。私を無理矢理に人だと思い込んで……仲間だと思い込んで……。そんなことしてたら、きっと偽物になってしまう」

 

 私みたいにね、と、悲しそうな顔でリナが言った。

 だけど、俺は首を振る。


「違う、そうじゃなかったんだよリナ!」


 それだけは違う。

 俺は珍しく、確信を持って言った。


「リナがいなくなってから俺は、凄い落ち着いたんだよ……」

「え? うん? よ、良かったね?」


 突然の自慢に、リナが怪訝そうに頷いた。

 意図が伝わっていないようなので、俺はもう一度首を振る。


「考えても見てくれ……。この! 俺が! 落ち着いたんだぞ!?」

「ニャッ!?」


 やっと事の重大さに気がついたのか、リナが抑えきれずにエセ猫語を放った。


「それは本当かニャ!? 常に情緒不安定で、なにかといってはわけ分からんことを叫ぶ、君がかニャ!?」

「そうだ。普段は弱気なのに定期的に偉そうになるから、たまに病気を疑われるこの俺がだ!」

「自覚あるならやめろニャ!!!」


 気持ちの良いリナの突っ込みが迸り、俺は気分が良くなった。ロップは客の悪口を言ったりしないようにしてるから、こうはいかないもんな。


 一方リナは、興奮のあまりフー、フー、と鼻息を荒くしていた。


「完全に君の思い違いニャ。相変わらず意味分かんないし、どっこも落ち着いてないニャ!」

「リナと一緒に居るからだよ」


 反論を受け流すと、リナが大きく目を見開いた。

 私のせいにしやがったこいつ……! という驚きが、彼女の顔いっぱいに広がる。


「なんで私のせいになるのニャ!」

「俺はリナの前だと……いや。リナの前じゃないと、ラノベ主人公になれないんだよ」


 リナがいなくなってからの二週間、生前よりはマシだったが、俺は弱気な少年に逆戻りしていた。


 退化した、という気はしなかった。このシビアな世界では慎重過ぎるくらいの方が安全だし、前みたいに気分で無茶をすることもなくなったからクエストは安定した。


 だけど、何故か空虚だった。

 理由は分からない。ただただ、俺が求めていたのはこれじゃないという心の叫びが、ずっと鳴り響いていた。


 でも、リナに久しぶりに会って、やっと分かった。


「リナ、俺は、お前みたいになるためにラノベ主人公になろうとしてたんだ」

「私、みたいに……?」

「現実を見続けていても挫けない強さを、鋭さを。俺はきっと、最初に会ったときから感じ取っていたんだ。だからお前の前では、負けないようにって頑張れた。意識してたわけじゃないけど……多分、そういうことなんだと思う」


 生前、俺は現実から逃げて、引きこもりになった。

 実際に何から逃げていたのかは、今でも思い出したくない。でも俺は、異世界なら――ラノベ主人なら現実にも立ち向かえるんじゃないかって思ってたんだ。


 いざ異世界に来てみれば、そんなことはなかった。


 習慣のように嫌なことから目を逸らし、自分の都合の良い世界だけを見る。リナはずっと、自分の悩みに向き合ってきたというのに。


「お前がいるから、ラノベ主人公になろうと思えた。お前と一緒にいると自分の弱さを思い知って、このままじゃいけないって思うんだ。自分とは違う何かにならなくちゃって。でもそうしたらそうしたで現実を見てないって怒られるんだから、たまったもんじゃないよな……」


 苦笑いしようとして――――。俺は、目の奥がジワリと熱くなるのを感じた。


 リナはいつも、俺としっかり向き合ってくれた。俺の弱さを見据えて、それを真摯に語ってくれた。あの時のリナほど優しい眼差しを、俺は知らない。


 生前、仲間なんて言葉を信じられなくなったあの日から――。俺はもう、あんなに綺麗な目を見ることはないと思っていたのに。


「俺には、仲間って何なのか分からない。どこからが仲間で、どこからが仲間じゃないのか。そんなの全然分からない」


 でも、と言おうとする。だけど涙が溢れだして、口が震えて、言えなかった。


 少しだけ間を空けて、俺はまた口を開く。


「でも。仲間かどうかなんて分からなくても。俺にはお前が必要なんだ、……リナ!」


 言い切ったところで、もう何も喋れなくなった。涙が溢れて溢れて、止まらなくなったのだ。

 俺は顔を隠すように、手を床につけて俯いた。


「お前が……いないと……俺は……!」


 様々な感情が止め処なく荒れ狂い、俺の体を震わせる。

 なんでこんなことになっているんだろう。ラノベ主人公なら、説教の一つもかませば良いだろうに。何かしら優しい言葉をかけて惚れさせて、宿に連れ帰れば良いだろうに。


 どうして俺は、自分のみっともない願望を全部吐き出して、リナの目の前で泣いているんだ。馬鹿なのか。阿呆なのか。


 それともこれが、現実に向き合うってことなのか……。


「コウタ……」


 俺の名前を呟きながら、リナが少しだけ、膝を擦って近づいてきた。

 パジャマの裾で目元を拭ってから、俺はリナに向き合う。


「君は私の本性を見たはずニャ。触れる者全てを拒絶する、刃の獣――。なのに君は、怖くないのニャ……?」

「怖かったし、今も怖い。だけど、だからこそ、俺は向き合っていきたいんだ。身勝手な、話だけど」

「……ラノベ主人公だから?」

「ああ」


 リナの質問に、俺は恥ずかしげもなく頷いた。


 リナの言った通り、俺はラノベ主人公のふりをするばかりで、自分の目で何も見ようとしてこなかった。ラノベ主人公みたいに振る舞って、ケンタウロスの矢からも反射的にリナを庇って。でも。


「お前がいなくなって、ラノベ主人公のふりさえする必要がなくなってから気がついたよ。あれは決して、悪いことじゃなかった」

「……」

「たとえ偽物でも、完全に関係ないものになるよりは、マシだった。リナのいないこの世界は、自分の目で見たところで、何も面白くなかった」


 胸が熱くなる。

 リナがいない時の寂しさが蘇ってきて、目の前に彼女がいることが、たまらなく嬉しくなる。


「だから俺は、たとえ偽物だとしても、ラノベ主人公であり続けたい。そのためには君がいないと……駄目なんだ……」


 俺の言葉を聞いていたリナの目から、涙の筋がこぼれ落ちた。

 そして、どんどん小さくなっていく俺の言葉を全部受け止めようとするかのように、リナが近づいて、座ったまま俺を抱きしめてくる。


「私も、コウタがいなくて寂しかったニャ……」

「リナ……」


 リナの涙が、俺の肩に触れた。パジャマなので水分が透過するわ透過するわ。


「コウタが私を連れ戻しに来てくれるんじゃないかって。そんな夢物語に、ずっと浸ってた。たとえ君が来たところで、私を認めてくれるわけなんてないのにニャ。傷つくだけに決まってるのにニャ」


 俺の耳のすぐ側で、リナが囁く。


「でも君は、私のところに来てくれたニャ。私が必要だとか、馬鹿みたいなこと言って。馬鹿ニャ。本当に馬鹿ニャ。変人にも程があるニャ!」


 耳元で何度も罵倒される。

 同時に、俺の肩がどんどん、濡れていく。


「コウタ。私は人のまがい物だけど……それでも、一緒にいて良いのニャ?」

「良いんだよ。俺は、ラノベ主人公のまがい物だからな。……お帰り、リナ」


 結局は、傷の舐め合いに過ぎないのかもしれない。だけど、それで良いのだと思いたい。

 偽物も続ければ、いつか本物になるんじゃないかって。俺はそう、信じたい。


 なりたいものになりきれなかった俺達は。まるで失った半身を見つけたとでもいうように互いを離さず、ずっとずっと、泣き続けた。


 異世界がシビアすぎて、泣いてる。 

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