第27話 鮮血の猫妖精

 刃の獣に姿を変えたリナは四足歩行になり、目で追うのも厳しい速さでこちらに駆けてきた。

 体感では、ケンタウロスの矢と同じくらい速い。


 そして側方からゴンッ、という鈍い音がしたと思うと、土の壁を突き破って水の奔流が俺の隣を駆け抜ける。

 どうやら、刃の獣がダンジョン賊の攻撃を逸らしてくれたらしい。


 しかし相変わらず水の柱は消えず、俺は柱と柱の間から時折覗く、異形の怪物を見ることしか出来なかった。


「あれは・・・・・・なんなんだよ・・・・・・」


 分かってはいたが、それを認めたくなかった。

 認めたくないなんて言ってたら、現実を見てないってリナに怒られてしまいそうだが・・・・・・。


 そのリナは、目の前の怪物になってしまったのだ。


「ゥルルルルルルルルル!」


 刃の獣が、聞いたこともないような咆哮を上げる。


 人の声では勿論ないし、どう頑張っても猫の声にさえ聞こえなかった。語尾をニャにしていたのが、いかに適当だったのか分かる。


「くそ、離れろ! 《閃杭》!」


 慌てたようにダンジョン賊が魔法名を叫ぶが、怯むことなく回避して、刃の獣はダンジョン賊を襲い続ける。


 相手の魔方枠は四つとも埋まっているし、解除したとしてもすぐには回復せず、俺が動けるようになるだけだ。

 ダンジョン賊は今使った魔法枠の回復を待ちながら、刃の獣に蹂躙されていた。


「や、やめ・・・・・・」


 これ以上はやりすぎだと叫びたかったが、恐怖で声が出なかった。


 自分を助けてくれたのだと理性では分かっていても、本能で恐れてしまう。少しでも気を抜けば、殺されるんじゃないかと思ってしまう。

 怖いのに、または怖いからこそ・・・・・・目が離せない。


 それくらい、刃の獣は異形だったのだ。


「あぐぅ、ぐ、ぐぅぅ!」


 さっきまであんなにも優勢だったダンジョン賊が、美しい水の柱の外で、血をまき散らしながら飛び跳ねる。

 それを追うように、刃の獣も飛びついた。


 青いベールに包まれると、そんな残虐なシーンでさえ幻想的に映った。

 獲物を追って駆ける獣が、水の中に消えては姿を現し、また水の中に消える・・・・・・。


 そして、刃の獣が獲物の腹に食いついたところで、とうとう水の柱はただの水になり、パシャリと地面に落ちた。

 幕が閉じるように。劇の終わりを告げるように。


「・・・・・・」

「・・・・・・」


 沈黙。


 刃の獣はダンジョン賊の腹を咥えて持ち上げたまま、俺は片手に松明を持って呆然としたまま、互いに見つめ合った。


「ゴフッ」


 四足歩行をやめて立ち上がった獣の口から、ダンジョン賊が離れた。地面にたたきつけられる。

 声がしたので、まだ死んではいないようだ。


 死にはしないギリギリを狙って無力化したのだろう。刃の獣が、別に理性を失っているわけではないのだと分かる。分かるのだが。


「お前はリナ・・・・・・なのか・・・・・・」


 自明のことでありながら、聞かずにはいられなかった。


「そうニャ」


 いつものように、気の抜けるような語尾で刃の獣が喋る。

 でも、俺の気分が和むとか、落ち着くとか、そういうことはなかった。寧ろ心が乱れるばかりだ。


 リナの血とダンジョン賊の血を被った、鋭さの化身。

 体中の無数の刃は全て刺々しく、両腕や肩甲骨から伸びる大型の刃は並の大剣よりも大きい。


 その目の前に立っているというだけで、脚がすくんでしまいそうだった。


「レイが君に聞いてたニャ? 何があっても、私を仲間だと思えるかって。そして君は、思えると言った・・・・・・」


 静かな声で、刃の獣が喋り始めた。

 その声には諦めが滲んでいるようにも思えた。


「今の私の姿を見ても、そう思えるかニャ?」


 思える。


 その一言が絞り出せれば、どんなに楽だっただろうか。


 亜人に少しでも優しい言葉をかければ、すぐに惚れてくれる。そんなのは日本人なら誰でも知っている、普遍の定理だ。

 教科書に載っていないのが不思議なくらい分かりきったこと。ラノベ主人公なら絶対に言うこと。


 そこまで分かっているのに。


 俺は、何も言えなかった。


 この獣がリナであると、今でさえ認めたくなかったのだ。


「大体分かると思うけど、私はずっと、人間に憧れてたのニャ。別に人間が好きだってわけじゃないニャ? 単に仲間が多いのが、羨ましかった。のけ者にされないのが、妬ましかった」


 刃の獣が、独白する。


「でも、やっぱり無理があるニャ。いくら見た目を人間に似せても誰とも仲良くなれないし、仲良くなれたとしても、この姿を見たら怖がるニャ。当たり前ニャ」


 体の改造云々言ってたのは、猫耳を増やしたりすることじゃなくて、逆に人間に似せることだったわけだ。

 そんなことに気がつくが、今更だった。


「コウタは変だから、もしかしたら私を怖がらないかも、なんて期待もしたけど・・・・・・。安心していいニャ。君は、まともだったのニャ」


 おそらく俺の青ざめた顔色を見ながらだろう。刃の獣が、そんなことを言った。

 俺は相変わらず、言い返すことが出来ない。


「それと、この前宿屋で言ったことも謝るニャ。私はなりたいものになれなかったけど、君がなれないとは限らないニャ。・・・・・・ラノベ主人公、なれると良いニャ」


 それはもう、絶望的だった。

 

 ここで優しい言葉の一つもかけてやれない俺は、もう、ラノベ主人公になんてなれないのだ。


 リナはわざわざ自分の正体をさらしてまで、俺を助けてくれたのに……!

 俺は今や、刃の獣がどこかへ行ってくれることを一番強く願っていた。


 ラノベ主人公になんてなれなくても良いから、早く、どこかへ行ってくれ……!


 一言も喋れないでいる俺を、刃の獣が、名残惜しそうな目で見た。

 穏やかな目だ。こんなにも不甲斐ない俺を、どうしてそんな目で見るんだ……。


 いっそのこと、怒りに任せて切り裂いてくれれば良いのに……。


「たとえ嘘だとしても・・・・・・。教会で君が言ってくれたこと、嬉しかったニャ」


 最後の言葉は、やはり優しかった。


 リナは俺に背を向けて、二足歩行のまま、人間では決して鳴らせないような足音を残して去っていった。


 俺は気づく。


 刃の獣があんなにも恐ろしかったのは、それが、俺にとっての現実だったからだ。

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