第16話 森林脱出

 ケンタウロスじゃなかったのは幸いだが、森林にいきなり知らない人の声がするのもなかなか怖いものがある。

 辺りを見回しても人の姿が見えず幻聴かとも思ったが、リナも同様に人の姿を探していたため幻聴ではないと分かった。


 特徴的な口調が、再び聞こえる。


「あっしはしがない行商人でやすが、もしお困りのようでしたら、回復薬など取引に応じまっせ」


 マジか!

 なんて運が良いんだろう、と色めき立つ。

 しかし、少し考えたところで異常に気がついた。


「いや、ここは森林の中だよな……? 行商人なんているわけなくね……?」


 俺が呟くと、何故かリナがため息をついた。


「本当に温室育ちなのニャア……。行商人がジャングルにいるのは当たり前ニャ? てか、行商人ってジャングルか火山くらいにしかいないニャ」


 ジャングルか火山!?

 この世界の行商人、どんな生態してるの!? ワケわからん!!


 この世界のモンスターの名前か何かなのかな、とも疑い始めたところで、行商人の方が説明してくれた。


「行商人は、基本的に戦う力のない人が多いでやす。それなのに真っ正面から戦士達にアイテムを売ろうとしても、脅迫されたり盗まれたりするだけなんでやすよ。なので、こうして危険な場所に乗り込んで、自分より弱った相手だけを商売相手と定めてるでやす」


 え、えげつねぇ!

 じゃあ何、やけに行商人の現れるタイミング良いなぁと思ってたけど、それは俺達が弱るのを待ってたからってこと!?


 どこかの木に隠れているのか未だに姿を見せない行商人に、俺は恐怖した。ハゲタカかよ。


「上質な回復薬もたくさんご用意していやすし、今なら市場価格の五倍ほどでお買い上げいただけるでやすよ! あ、もちろん即金でお願いしやすね。こんな状況でないと約束なんて反故にされるだけなんで!」


 五倍! ぼったくりにも程がある!


 でも確かに、こういう状況だと背に腹は代えられないとも思ってしまう。

 金を惜しんでいたら、まともに逃げることさえ出来ないだろう。普通に考えたら後のことは考えず、今は生きることだけを考えるべきかもしれない。


 だが。俺はその選択肢に、猛烈な忌避感を覚えた。


 ……この窮地を逃げ延びても報酬はなく、待っているのは借金生活のみ。

 そして何より、ここで強敵相手に背を向ければ、今度こそ俺はラノベ主人公になり得なくなる気がした。

 それは俺にとって、ケンタウロスに殺されることよりも、脱水症状で死ぬことよりも嫌だ。

 

「なあ、行商人」

「なんでやすか?」


 交渉の成立を確信したのか、行商人の声が明るくなった。

 可愛らしい声だ。変な口調のせいでちょっと疑っていたが、明るい声を聞くと完全に女の子だと分かる。

 しかし、俺は彼女の期待を全力で裏切った。


「俺がどうしてこんなに深手を負ってるか分かるか?」

「? そりゃ、ケンタウロスにやられたからでやすよね?」

「ああ、そうだ。六体のケンタウロスに、やられた」

「なぁっっっ!」


 俺の言葉を聞いた途端に、行商人が声を上げた。


 やはり。同じ弱い者だから安心具合から推測できたことだが、行商人はずっと安全地帯にいて、近くにいるケンタウロスが六体もいるとは知らなかったようだ。

 彼女の想定が外れていたなら、こちらの思惑に乗せられるかもしれない。


「も、申し訳ないでやすが、逃げさせてもらうでやす! お、お元気でー! 囮として!!」

「ケンタウロスがどこにいるのか、お前は分かるのか?」

「ぐ、ぐぅっっ!」

「ケンタウロスの位置情報と引き替えに、まずは姿を見せろ」


 少しの間があってから、しぶしぶといった様子で大木の影から幼い少女が現れた。肩まで垂れるほど大きな黒いスカーフを頭に被せていて、そこから赤い髪と気弱そうな顔が覗いている。


「ろ、ロップと言いやす……」


 少女はライオンに睨まれたウサギのように……。どころかライオンに咥えられたウサギのように、弱々しく名乗った。

 そんな少女に俺は脅迫を続ける。


「金はいつか払うから、持ってるアイテムを全部こっちに渡してくれ。そして……」


 俺は顔に絶望を浮かべているロップに向かって、言った。


「ケンタウロスの撃破に手を貸してくれ」






「ほ、本気でケンタウロスを倒す気なのニャ!?」

「ああ、どうせ逃げてもさっきの二の舞だ。それに、ここはさっきよりも木の密度が高いから小回りのきく俺達の方が有利……なはず!」


 上級回復薬である程度体を癒やしてから、俺はロップから巻き上げたアイテムを物色していた。すると横から、リナが訝しげな目を向けてくる。

 それでも、俺は行商人が現れるという降って湧いたチャンスを、ただの逃走に使う気はなかった。


 巻き上げたアイテムの中には使えるものもいくつかあったし、何より、俺はラノベ主人公のはずなのだ。


「きっと勝てるさ」


 俺はそれだけを呟いた。






 瀕死ケンタウロスを失った上、こちらに閃光弾がまだ残っていると勘違いしているためだろう。

 ケンタウロスはこちらを包囲する方針から、一カ所に集まってそれぞれ違う方向を監視する方針に変えていた。


 先ほどの攻防でこちらに大規模攻撃手段がないのはバレている。

 ケンタウロスの群れは、一発で全滅させられる警戒を一切していなかった。


 ケンタウロス達に自分から近づいて、草むらの影からそれを確認した俺はニヤリと笑った。

 ついてきたリナとロップは、凄く不安そうな顔をしている。

 それもそのはず、俺の作戦は、八割方この二人頼りなのだから。


「ごめんなー、俺、背中痛くてまともに動けないから……」

「君は多分、重傷負ってなくても同じポジションにいただろうけどニャ……」


 リナが呆れたように、ため息をついた。


「ま、作戦を立ててくれただけでも良しとするニャ。あとは、バックアップだけはよろしくニャ?」

「行商人を前線に駆り立てるとか、これ本当に作戦と言えるんでやすかね!?」

「うるさいニャ、確かに勝つにはこれしかないニャ」


 文句を言いながらも、リナとロップは俺の指定した位置についてくれる。

 リナはショートボウを構えた上に、《伸縮鋼鉄》を使用していた。

 ロップは俺が厳選したアイテムだけを持っている。

 そして、俺は……。


「《拡大魔方陣》、《硬化》、《硬化》、《硬化》!」


 猛烈な勢いで魔法名を叫び、手を置いたところから、地面に円状の魔方陣を広げた。


 人には魔法を同時に使える数が決まっており、平均は5つだ。

 そして俺も平均を超えたりすることもなく、魔法枠は5つ。その内の1つは、《支援魔法強化》に当てている。


 そして残りの4つは、基本魔法の《拡大魔方陣》で魔法の発射口をケンタウロス達の真下まで広げ、《硬化》を三つ使って防御力を上げた。

 防御力を上げる対象は、リナ、ロップ、そして……草だ。


「ヒヒーン!」


 まだ攻撃を受けていないのに、ケンタウロス達が鳴き声を上げた。


 ケンタウロスが鳴いたのは、俺がケンタウロスが踏みしめていた草花を硬化し、その草花がケンタウロスの脚を切りつけたからだ。


 支援魔法を人に使わなければいけないなんて、誰も言ってない。実は無機物にだって効果はあるのだ。

 ならば、植物に効かない道理はなかった。


「今ニャ! 行っくニャ!」

「は、はい!」


 逃げようにも地面は人が潜伏できるほどの草花で埋め尽くされていて、移動すればよりダメージを負うばかり。

 立ち往生しているケンタウロスにロップが突っ込んでいった。ロップが歩くための道だけ《硬化》を解いて、その分ケンタウロス達の周りの効果密度を上げる。


 ロップが手に持っているのは、ただの包帯だ。

 この世界にはアイテムストレージなんて粋なものはないので、ロップは窮地に陥った人が買いそうなものだけを厳選して持ってきていた。

 その中で俺が目を付けたのが、この包帯だった。


「ゆ、許してくだせぇ……!」


 何故かケンタウロスに謝りながら、ロップがケンタウロスの目に包帯を巻いた。

 さっきの攻防で撃破には時間がかかるのが分かっていたので、まずは包帯を目に巻いて射撃戦の安全性を高めようという魂胆だ。


 ケンタウロスは皆違う方向を向いていた上に、固い草のせいで方向転換にさえも苦労している。そのため目隠し作業は順調に進んでいった。


 そして、同時並行でリナが目隠しされたケンタウロスを狙撃していく。

 一応《伸縮鋼鉄》で射撃位置を変えたりしてるけど、目隠しされたケンタウロスの射撃精度は低いためすごく無駄な努力に見えた。リナによる一方的な殺戮が繰り広げられる。


「あっ……!」


 そんな時、五体目の目隠しを終えたロップが驚いたように叫んだ。

 何かトラブルか、と焦ってそっちを見遣ると、ロップが報告してきた。


「このケンタウロス、死んでるでやす……!」


 奥にいたので気づかなかったが、六体目のケンタウロスは人間部分の頭を垂れる、例の食事体勢だった。

 そして、その西洋風イケメン男性の口内から溢れ出るのは真っ赤な液体。

 どうやら草を食べている間に草が硬化したせいで、口の中を切りまくって絶命したらしい。


 《硬化》の対象がそれぞれの草花に分かれていて効果密度が低まっていたとはいえ、口内を刺されたらひとたまりもないだろう。

 これは……これは……!


「よっしゃあああああ! 撃破数、1っっっ!」


 初めて自分の手でモンスター倒せたぞおおおおお!

 なのに何故だろう! すっげえ釈然としない!


 初撃破はもっとちゃんとした倒し方をしたかったな……。


 俺が涙を堪えている間に、リナは全てのケンタウロスを撃破し終わった。なんというか、終わってみればあっけない戦いだった。

 いくらこちらに都合の良い陣形を組んでくれていたとはいえ、ちょっと拍子抜けだ。


 支援魔法はゲームなどとは違い、発動してから数分間効果が続くわけではなく、俺が発動し続けている間しか効果が続かない。

 だから辺りを見回して危機が残っていないことを確認してから、俺は全ての魔法を解除した。

 リナとロップと草が、魔法の効果を失ってしなる。


「この《硬化》って魔法、体が硬くなって動きづらかったでやすねぇ」

「ああ、単純な防御力アップの魔法とかは、凄い上級魔法らしくてな……すまん。そういや体が硬くなってもリナは命中率が変わらなかったな、すげぇ」

「ありがとニャ!」


 ロップが文句を言ってきたが、その表情は明るかった。

 絶体絶命の危機を乗り越えたのだ、羽目を外してしまうのも仕方がない。


 しかし、開放感に満たされた俺達の声を聞きつけたのか、また新たな足音が聞こえてきた。

 流石に聞き分けがつくようになってきたが、これは人の足音じゃない。


「ケンタウロスだ……!」


 俺が叫ぶと、リナとロップが一斉に足音のする方へ首を向けた。

 そして、連なっている木々の間から、ケンタウロスが顔を覗かせた。


 しかし、その首は大木にもたれかけさせ、ようやっと俺達の方を見つめているようだった。


「こいつ、瀕死のケンタウロスニャ……」


 リナが呆然と呟いた。

 体にはリナの放った弓と、他のケンタウロスの放った弓が無数に刺さっているのだ。それでも生きている生命力には、俺も驚かざるを得なかった。


 ケンタウロスの目が、六つの死体を見遣る。

 先ほど自分を犠牲にした、仲間達の死体だ。


 視線が、再び俺達に戻ってくる。

 そして俺は確かに見た。ケンタウロスの目に恨みの炎が灯るのを。

 瞬間、瀕死ケンタウロスは頭を木から離して、上半身が安定しないのにも構わずこっちに向かって駆けてきた。


 何故か体が動かず、呆然とケンタウロスを見ることしかできなかった俺達だが、その段になったら流石に体が動き、ケンタウロスを避けた。

 距離が遠く、走りも安定しなかった突進は誰にも当たらず、ケンタウロスは俺達を通り過ぎてから崩れ落ちた。


 自分を捨て駒にされても仲間のために戦ったそのケンタウロスの死体を、俺は信じられない思いで、しばらく見つめていた。




 『ガル大森林ゲリラ攻略作戦』、クリア。

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