第4話 スライムなんて一撃(で人を殺せる)

 三十分ほど前。スライムの討伐クエストが始まると、俺は両手で竹槍を構え、一体のスライムへと駆け出した。


 他のクエスト参加者が手柄を上げる前に、手早く倒してしまおうという魂胆である。

 どう考えても槍と併用が出来ないので、鍋のふたは捨ててきた。


「スライムだ! 異世界ものの代名詞だ! 大好き! 愛してる! 死ねぇぇぇ!」


 初戦闘の興奮で、俺はいつも以上に異様なテンションで叫んだ。


 スライムはゲームなどで得たイメージ通りかなり小さい。一緒に並べば俺の膝にも届かない全長だ。


 実際に現物を見ると動く軟体生物には威圧感もあったが、スライム如きに怖じ気づいてはいられない。

 俺は躊躇なく竹槍をスライムに一刺し―――したのだが。


「ぜ、全然刺さらねぇ……!」


 プスッと貫通するとばかり思っていた竹槍は、スライムの表面を軽くへこませただけで一向にスライムを傷つけることが出来なかった。

 しかもスライムは異様な弾力で、俺の竹槍を押し返そうとしてくる。


「お、俺が押されているだと……!?」


 それっぽく叫んでみたが、考えてみれば当然のことだ。


 魔獣が一般人でもプスッと殺せるものだったら、ギルドなんて必要ない。

 ならばずっと引きこもりで、貧弱さにおいて一般人を遥かに上回っている俺が、異世界に来たからといって魔獣に勝てる訳なかったんだ……!


 気付いた時にはもう遅い。

 俺の腕は、スライムの弾力と拮抗しているだけで限界が近づいていた。


 情けねぇにも程があるぞ俺の腕! スライム相手にプルプルしてるんじゃないよ!


「ちょ、ちょっと助けて! このスライム、豆腐ほど柔らかくなかった!」


 想定と現実のギャップを訴えながら、俺は後ろを振り返った。

 冷静に考えればどう考えても想定の方がおかしいのだが、俺は基本的にいつも冷静じゃないので仕方ない。


 出し抜くために置いていった仲間達を頼るのは、ちょっと虫の良い話かもしれない、とも思う。


 だけどあれじゃん? そういうのが信頼関係じゃん?

 俺は期待の眼差しを彼らに向けた―――が。


「えぇぇぇぇぇ!? すっげぇリラックスしてるううう!」


 てっきり彼らもスライムを倒すために俺の後を追うものだと思っていたが、彼らはかなり後方で突っ立っているだけだった。


 しかも俺のピンチに気がついてないとかじゃなくて、皆が真顔で俺を凝視している。

 何あれ怖いんだけど!? てか助けて欲しいんだけど!?


 ここまで微動だにしないとなにか理由がありそうだが、俺としては彼らの都合に構ってる場合じゃない。

 先頭のスライムと張り合っている間に、他の二体のスライムもじりじりと俺に近づいてきていた。


「仕方ねぇ、逃げよう!」


 一番槍を務めておきながら逃げ出すのは格好悪いけど、このままでは普通にスライムになぶり殺される!

 スライムだからスピードはそんなにないだろう。そう思いながら俺は反転し、仲間達の方へと駆けた。


 すると、予想外の事態が起きる。


「うわ、こっち来るな! スライムと戦っとけ!」

「な、なんで逃げるんだよ!」


 なんと仲間達が、俺が近づけば近づくほど逃げていったのである。

 しかもあろうことか、彼らの内数人は俺に物を投げつけたり魔法攻撃をかましたりして、俺の逃走を妨げようとしてきた。


「≪拡散火球スプレッドファイアボール≫!」

「≪邪龍の牙イビルファング≫!」

「≪人工黙示録アーティフィシャルアポカリプス≫!」


 戦士達が魔法の名前と思しきものを叫ぶ度、視界を業火や閃光が埋め尽くす。


 どう考えてもそれ最強レベルの魔法だろみたいな名前のものまで含まれているのに、全てがスライムを狙わずに俺に向かってきた。


 なんでだよ! スライムに使えよ!


 俺が慣れていない匍匐前進をしているから逆に狙いが定めづらいのか、奇跡的に魔法は外れているが。

 今にも仲間に焼き殺されそうだった。なんでや。


「リーダー戦死! 以後、指揮はサブリーダーの私が務める! 状況は劣勢につき、前衛は撤退準備行動に移り、後衛はそれを援護しろ!」

「「「イエッサー!」」」


 しかもスライム三匹の内、残り一匹は銃弾かと見紛うほどのスピードでリーダーに突進していた。

 リーダーはあっさり死んだので、指揮権がサブリーダーに移ったようだ。こんなにアクティブなスライム嫌だわ……。


 そして指揮権が移った途端にサブリーダーが下したのは、まさかの撤退宣言。俺は!? ねぇ俺はどうなんの!?


 心の中の叫びも虚しく、冒険者達は慣れたように撤退準備を始める。

 彼らの顔に、悔しさや怒りは見えなかった。魔獣がはびこるこの世界では、人の死など気にする程のことではないのかもしれない。


 ――――でも。


「置いていかないでくれ――。俺を、見捨てないで――!」


 俺は認めたくなかった。

 裏切られて見捨てられて忘れられて。

 これじゃあ、現実世界と何も変わらないじゃないか……!


 俺が求めていた世界は、もっと幸せな場所だった。


 女の子達と一緒に仲良くダンジョンに出向き、でも俺の力だけで攻略して尊敬される世界。

 路地裏に入った回数だけ女の子が告白してくる世界。

 強敵との戦いでも、割とあっさりと完勝できる世界。


 少なくとも。


「こんな血なまぐさい世界は求めてねえええええ!」 


 俺は叫んだ。


 いつの間にか両目からは滂沱の如く涙が流れ出ていた。


「いやだぁぁぁ! 死にたくない! 死にたくない! せっかく異世界に来れたのに死ねるかぁぁぁ!」


 しかし、そう願う割には、右脚に吸い付いているスライムと戦うどころか、直視すらできずにいる。


 俺は気づいてしまう。


 これは結局、俺が異世界に来ても―――前を向くことは出来なかったということなのか―――。


「そんなに泣いてたら、軍人失格ニャ?」


 ふと。


 もう聞こえることはないと思えた、人の声が聞こえてきた。


 それはふわふわとしたイントネーションながら、鋭い一声。


 そして、まるでその鋭さが形になったかのように、ヒュン、と頭上の空気が切り裂かれる音がする。


 俺よりも巨大なスライムの影の揺れが止まったのを見て、俺はようやく後ろを振り向くことが出来た。


「え……?」


 曲線で描かれた三角錐のような形のスライムが、その頂点の形を歪めている。


 歪みの中央に突き立つのは、一本の鉄の矢。スライムの体液にまみれても感じられる気高さは、また俺に「鋭い」という印象を抱かせた。

 それは美しさと同時に、この世にあってはならないもののような気持ち悪さを湛えている。


 心臓の鼓動が収まっていき、俺はようやく、意識を声の方に向けることができた。

一度気になると、スライムのことなんか意識から完全に外れた。


 俺の恐怖を切り裂いた一撃、これは一体どこから―――!


 振り返る。


 そこには、頭部から猫のような耳を生やした、黒髪の少女がいた。


「ニャハハ、やっと涙も収まったかニャ?」


 少女はこの死地の中で、不敵に微笑むのだった―――。

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