喋るオモチャ

 モーター音をさせて室内に入ってきたのは、三十半ばぐらいの女を乗せた、一台の電動車いすだった。

 受付嬢らしい服装で、姿勢は良いが、久条ひさじょうは、その座り姿に不気味なものを感じた。


「これが、実験の経過報告か?」


 渡瀬川わたせがわが返事をするよりも前に、車椅子の女がギクシャクした発音で「こんにちは」と声を発して会釈した。

 それを聞いて、久条は女に無礼かと思って隠していた表情を、隠すことをやめた。

「死体を使ったな」


 渡瀬川は即答せず、タブレット端末を久条に差し出した。画面には女の脈拍や血圧、体温、血中酸素濃度といった、生きた体のデータが表示されている。

「脳以外の提供をいただいた体に、人工脳の試作品を装着したものです」


 久条は口元に手をやって唸った。

 反応は決して良いとは言えないが、まったくダメというわけでもなさそうだ。


「カエルの死体に電気を流しているようなものと言えば、その通りです。原理は同じですから、死体だと言われれば、反論はできません」


 久条は頷くだけで声は出さない。渡瀬川は説明を続ける。


「今はまだ、生命維持と座った姿勢の保持、軽い挨拶が限界です。感覚も、あるか無いの判断しかできません。

 生命維持の方でも、栄養を直接血管に注入する形で、どうにかという状態です。

 ひとまずの目標としては、喋るオモチャぐらいのレベルまで仕上げようとしています。その後は、可能なら、コンビニと家を往復する生活ができるぐらいまで」


 久条は、じっとタブレット端末を見つめて、データの数値が細かく動く様子や、別画面に表示されている人工脳の活動データを観察して、苦笑いで顔を上げた。

「俺が言うのもなんだが、大分冒涜的だぞ、これは」


 渡瀬川は肩をすくめた。

「最初は私もそう思っていました。しかし、脳が生存の障害になっているとすれば、それは生物の内臓として正常とは言い難い。

 足を補うために義足を使い、視力を補うためにメガネを使っているのに、脳の機能を補う機器を許さない道理があるでしょうか」


 朗読するような調子で言う渡瀬川に、久条は気遣わしげな目を向けた。


「お前さんの言うことはもっともだが、精神外科ってもんがどうやって滅びたか、思い出した方が良いんじゃねぇか」


 それについては、渡瀬川も考えなかったわけではない。

 治療として脳を摘出してしまう手法は、精神病を治療できるといって手術を繰り返し、死と外傷性の脳障害を社会にぶちまけた二十世紀の悪夢がひとつ、悪名高き精神外科のことを思い出させるだろう。

「私もそれについては考えたのですが、二十世紀の精神外科は結局のところ、精神病や人間関係に手を焼いているところに付け入った詐欺であって、効果が無く、問題を悪化させることさえあったのが問題だった、というのが私の結論です」


 久条は「なるほどな」と応じたが、皮肉な笑みを浮かべて女を指差した。

「コレを見ると、こっちはこっちで、お世辞にも効果があるとは言えねぇんだが」


「まだ未完成ですから、多少不格好なのは大目に見てください」


「多少不格好、ねぇ」

 久条は不満げだったが、それ以上踏み込んでの批判はしなかった。

「まぁ、お前さんなら大丈夫だろう。だが一応、言わせてくれ。失敗した時は素直に……」

 言いかけて久条は言葉を切り、手で虚空をかき回しながら少し歩いて、渡瀬川に向き直った。

「いや、お前さんと同じ権限で一枚噛ませろ。進むでも引き返すでも、それが一番手っ取り早い」


 渡瀬川は目を見開いた。暴走しないように釘を刺す程度で、久条が手を出すことは、ましてや協力が得られるということは、無いと思っていた。

「驚きましたね。ご協力いただけるんですか?」


「あんまり賛成はできねぇが、俺のやろうとしていることが、お悩み解決なら、お前さんのは、お悩み抹殺だ。

 例えて言うなら……運動や食養生で病気にならねぇようにするのが俺の手。病気でどうしようもなくなったのを取っ替えるのがお前さんの手。これで両輪だ」


「両輪と仰るなら、どうして賛成できないんです?」


「世間を見てみろ。一体どれだけの人間が健康になりてぇ、長生きしてぇと口で言いながら、ゴロ寝して不養生をやってると思ってる。

 機械の脳みそに頼り切りになって、コンビニと家の間をうろつくオモチャばかりになっちまうんじゃねぇか……俺はそこが心配なんだ」


 その可能性には渡瀬川も思い当たっていた。誰もがオモチャになることを望んで、世界がある種の廃墟と化してしまうのではないか。

 オモチャ化した人間の人口密度が一定レベルを超えた場合、無加工の人間の精神衛生に悪影響を及ぼすのではないか。

 枯れ木も山の賑わいとは言うが、山に枯れ木ばかりで生木が一本も無いのでは、賑わい以前の問題なのだ。

 このうえ、久条は、さらに広い視野を持っているのかもしれない。とはいえ、渡瀬川は久条ほど、人間の可能性を信じていない。

「ご懸念はもっともだと思います。しかし、面倒だから脳を捨ててしまおうという人間は、既にオモチャとほぼ同じだとは言えませんか?

 突然一念発起して、何か偉大な業績を残す、なんてことがあるでしょうか?

 ありえないとまでは言いませんが、期待できる数値でしょうか?」


「その話は一理あるが、ことはもう少し複雑なんだ」

 久条は渡瀬川の前に歩み寄り、師が弟子に言い聞かせるように、しっかりと目を合わせた。

「こいつは、人間不要時代がきた時には、治療だっつって社会に浸透させることになるだろう。下手なものを出したら精神外科の二の舞だ。洗練しようにも、使ったやつはオモチャになっちまうから感想は聞けねぇ。実験はできるが、暗中模索になる。

 覚悟がいるぞ。バラ売りサービスは、お土産付きの千秋楽だが、このオモチャは、下手を打つと地獄になりうる。俺たちは暗闇の中を、地獄に落ちねぇように案内する必要がある」


 渡瀬川は久条の目を見返し、厳然と言った。

「覚悟なら常に持ち歩いてきました。今更試すような言い方はしてください」


 一瞬、張り詰めた沈黙があって、二人同時に表情を崩した。


「もう少し気楽に行きましょう。実験用の資源は潤沢にあります。開発には本気で取り組む。でも地獄に落ちそうなら素直に手を引く。それだけのことじゃないですか」


「悪いな。こういう仕事をやってると、正気とかこころざしを、どっかにやっちまいがちなんだ。安心できたよ。お前さんの覚悟は確かなようだ」

 言いながら電話をかけ始める。


「どちらへ?」


「神経マッピングとか、マイクロチップとか、使えそうな奴に何人か心当たりがある。紹介してやるから使え」


「あぁ、それはありがとうござ――え? 今、零時過ぎですよ!?」


「良いんだよ。時差ってやつだ。向こうはまだ良い時間だよ」


 言い合いをしていると、何度も繰り返さないように設定されたタイマーが消化されたのだろうか。


「こんにちは」


 ギクシャクした挨拶が、また聞こえた。

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