そちらの水は苦く

 廃体.jpの客は、大半がWEB経由で来る。

 しかし、それだけでは十分ではない。自殺の名所に直行する類の人間を拾い上げるため、野外職員がパトロールに出ている。

 この活動を簡単にするため、いくつか情報操作が行われた。

 観光資源である土地に、観光目的でない客を集めるのはマズいし、パトロールすべき範囲が広すぎる。そこで、数値と画像が捏造され、観光資源でもある名所は、多くの人で賑わっていることになった。

 再開発、観光資源の新活用などの名目で広告が打たれ、ツアーが組まれ、サクラまで動員して、観光客という監視網が存在することを強くアピールした。

 衝動的、突発的な自殺が多い場所には、防護柵、ホームドアなどの障害物が設置された。

 他方、ウェブマガジンに掲載する形で、自殺の新名所アピールが始まった。新名所指定の要件は次の通り。


 鉄道駅からバスで三十分、または徒歩で十分以内。

 観光資源でない。

 人家が少ない。

 クマのような肉食獣が頻繁に出没しない。


 これにはいくつかの廃村がよく適合した。

 交通手段が欠けている場合が多かったが、先だって自動化されたバスは路線設定の柔軟性が高く、さしたる問題でもなかった。

 あとは家や塀を崩したり、廃材を置いたり、植樹を行ったりして、行かないでほしい経路を潰しつつ、歩きやすい一本道をそれとなく整備してやれば、廃体.jpのお客様待合室が完成だ。

 これらの費用は死者の血、肉、骨の売却益によってまかなわれた。


 その待合室へ、野外職員の四手宮しでのみやは、ジャケットに書かれた『STAFF』の字を背負い、カーゴパンツの裾が靴下に収まっているのを確認しながら歩いていた。途中、資料を入れた革鞄を右から左に持ち替え、ズボンで手の汗を拭う。

 物見やぐらからの報告によると、今日の客は三十代の男。カメラから得られた所持品、表情、仕草等を元に算出したスコアから見て、少なくとも廃墟めぐりが趣味の観光客ではなさそうだ。


 最初の遭遇には注意が必要だ。こんなところに来るのは、姿形は人間でも、中身は手負いの猛獣ということが、しばしばある。

 廃体.jpの活動初期には、不心得な野外職員を使ったために、職員、客の死傷に繋がった事例が残っている。

 ゆったりと、散歩するような足取りで、客の足跡をたどる。


『物見やぐら。お客は空墓からばかで止まりました。穴を掘っています』


「四手宮、了解。音が聞こえる距離まで来た。緊急退避確認」


『物見やぐら、緊急退避確認。赤い屋根、確認せよ』


『赤い屋根。準備よし』


「四手宮、了解」


 スコップが土に刺さる音がしている。自分の墓穴を掘っているのだろう。

 四手宮は足の具合を確認する。場合によっては声をかけた瞬間、スコップを振り回して襲いかかってくる恐れがある。

 わざと大きめの足音を立てて存在を主張すると、スコップの音が止まった。

 表の道から潰れた家をぐるりと回って、新設された古ぼけた墓場、空墓に入る。

 客の姿が見えた。白いシャツに、薄手の白いズボン、傍らには、錆が浮いた木柄の鉄スコップと膨れた大きな麻袋が置かれている。髪を剃り上げた白い顔はまるでドクロのようで、ギラついた目が四手宮を見ている。


「こんにちは」


 声をかけると、しばらくの間をおいて、男も力ない声で挨拶を返してきた。

 男の栄養状態は明らかに悪い。拒食症を患っているか、餓死を試みた可能性がある。

 再栄養治療による再生の可能性が四手宮の思考に浮かび上がるが、すぐに沈む。普通なら、飢えた人間は一欠片でも良いから何か食べたいという顔をしているものだ。自分の墓穴を掘ろうともしない。

 この男の目をギラつかせているのは食欲ではなく、殺意だ。自分に対する強い殺意。それで体を動かしている。


 四手宮の手に大量の汗が滲んだ。今向き合っているのは、標的が自分自身というだけの殺人者だ。怪我をしたり、死んだりした不心得者達は、それを見誤った。

 こうして向き合っている時点で、相手は臨戦態勢にある。見た目はやせ細った男だが、興奮気味のクマと対峙しているようなものと言っても過言ではない。


「その穴は、墓ですか?」


 男はひどくゆっくりと頷きかけて、鼻で笑った。


「墓なんて立派なものじゃありませんよ。ゴミを捨てる穴です」


「どんなゴミです? もしかしたら、換金できるかもしれませんよ」


 白々しい危険な言葉だ。しかし、言わずに通り抜けられるものではない。

 ドクロが悪意を含んだ笑みを見せた。


「死体でも?」


「ええ、死体でも、です。きんより高く売れるんですよ」


 男の顔から笑みが消え、眉をひそめた。


「何だか、妙だな。あなたは、慈善団体でも、ここの管理業者でもなさそうだ」


 男の視線がスコップを確認した。四手宮の返答次第では殺し合いを始めるつもりだ。四手宮は慎重に言葉と、表情と、声の調子を選ぶ。


「ある意味、管理業者です。この廃村は私達が作りました。あなたのような人と会うために」


 男がハッとしてスコップを掴み取り、四手宮は息を呑んだ。しかし、男は周囲を確認しただけで、スコップは再び地面に突き立てられた。


「安心してください。説教する気はありません。取り押さえるような事もしません」


 男は黙って四手宮の目を見てきた。あと三歩近寄ってきたら襲いかかろうと考えている獣のような目をしていた。


「私は商談のために来ました。私達が提供するのは、確実かつ苦痛の無い死、いわゆる安楽死です」


 男は黙って聞いている。まだ手がスコップに触れているが、力はほとんど入っていない。倒れないように支えているだけだ。


「代金は体ひとつです。詳しい資料をお見せしましょうか?」


 ゆっくりと鞄からクリアファイルに入れた資料を出して掲げる。最も危険な時間が来る。男の返事によっては、四手宮は資料を持って男の前に、スコップの間合いに入らなければならない。

 男はクリアファイルをじっと見ている。

 腕がだるくなってきた頃に、男は頷いた。


「投げてもらえますか」


 ほぉっと息を吐きそうになるのをこらえて、四手宮は微笑を作る。


「投げるんですね? わかりました。行きますよ」


 フリスビーを投げる要領で男の足元に資料を投げ、四手宮は一歩下がった。

 男は周囲を警戒しながら、クリアファイルを拾い上げる。


「不明な点があれば、なんでもお尋ねください」


「はい」


 風の音と、資料をめくる音だけがする空間で、四手宮は自分の心臓が暴れるのを感じていた。ひとまず、血を見る可能性は下がった。大きな峠は一つ越えた。ここからは別の峠に入る。十数億の獲物を捕まえられるか、取り逃がすか。


「家族にも支払いがあるんですか?」


「はい、お支払いします。どれほどの額になるかは、査定や買い取り拒否がありますので、正確には言えませんが……エイズや肝炎、ガンのような病気はありますか?」


「検査はしていませんが、心当たりはありません」


「でしたら、少なく見積もっても一億円は、お支払いできるだろうと思います」


 男は一億、と小さく繰り返して、顔だけで笑った。

 この笑顔に、四手宮は見覚えがある。「殺すのに良い理由ができた」と言いたげな、殺人者の笑いだ。


「夢みたいな話だ」


 手がスコップに戻った。


「信じがたいですね。殺人ショーに使われたり、テロリストに人質として売られたりしちゃたまらない。死んだ後じゃ、支払いも確認できない」


「ご心配はもっともです。送金は生前にご確認いただいています」


 男は驚いた顔をした。


「さすがに人間を信じ過ぎじゃありませんか。とんずらされたらどうするんです」


「お金で気が変わるようなら、再生プログラムの方に入っていただくという形になっています。最初から騙す気でいる場合は、大体余罪があるのと、結構わかっちゃうんですよね。こいつは死ぬ気が無いなって」


 四手宮の苦笑につられるように、男も少し笑った。


「僕はどう見えますか」


「本気だろうと考えています」


 四手宮は言葉を続けるかどうか少し迷った。生者との会話を好まない者も多い。しかし、今回は、信頼を得るためにも、頭の中身をさらすのが良いだろうと思った。


「その服に、袋、全て土に還るように天然繊維の物で準備したんでしょう。スコップも木の柄に、ステンレスではない鉄を選びましたね。一時の気の迷いでは、ここまでの準備はできません。自分を生き埋めにするなんて手段も選ばない」


 男は小さく二度頷いた。


「タイムマシンでもあれば、もっと良かった。二十八年ぐらいさかのぼって、そこで始末できれば、もう少し被害が少ないはずなんだ」


「被害、ですか」


 四手宮は、その先を語ってくれる事を期待していなかったが、男の舌は坂道を転がるように回り出した。


「家族の時間をかなり浪費させてしまった。挙句」

 何かが喉でつかえたように声を詰まらせたが、荒い呼気と共に吐き出した。

「もう兄弟はいらないなどと、この出来損ないを棚に上げて! 俺さえいなければ、もっと、みんなっ、幸せだったはずなんだ……!」


 四手宮は黙って聞いていた。ここで衝動的に否定の言葉を投げてしまう者は、この仕事を続けられない。

 真に欲しいと思ったなら、彼の両親は彼を無視するなり説得するなりして、兄弟を増やしていただろう。彼の責任ではない。などと慰めを口にしたところで、ここまで来てしまった者は癒やされないのだ。

 付け加えるならば、外野が衝動的に思いつくようなの慰めの言葉は、既に自分で自分に対して投げかけている。既に試して、効果が無かったものなのだ。それが今更、与える役が変わった程度で効くわけがない。四手宮はそう考えている。


 苦悶と涙を飲み下す音がして、震える声が続いた。


「弟は出来が良いんです。でも、こんなのがいたんじゃ、結婚もまともにできやしない。死んだ事は上手くごまかして、家族にも支払いができると、そういう事でしたよね」


「はい。責任を持って処置し、全額お支払いいたします」


「全部、弟にお願いします。あいつ、俺からの金だとわかったら、受け取らないかもしれないから、どうか上手く、なんとか……」


「はい。承りました」


 四手宮は、彼の感情の波が一段落するまで立ち続けていた。

 商品価値は、やや傷みがあったために、十二億円前後だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る