正義漢

「廃体.jpは殺人業者だ」基本的なウワサはこの形を取る。鋭い者はここから一歩進んでこう言う。「廃体.jpは国家権力と癒着している」

 しかし、彼らはその鋭さゆえに、物事を穿ちすぎてズレた方向に進んでしまう。「廃体.jpは政府の邪魔者を始末するための粛清機関だ」


 そのように使おうと考えた者がいなかったわけではないが、欲張りすぎだとして渡瀬川と久条がはねのけた。

 廃体.jpは福祉施設だからこそ立っていられる。粛清機関になってしまったら、遠からず白日の下に引き出されて、利用者もろとも火炙りにされるだろう。

 ただ、それは致命的な敵対者が出て来ないというだけで、敵の不在を意味するものではない。


―――


 半年ほど前、工藤警部は相談があると言われて、大山の家に上がっていた。


「悪いな、仕事終わりに呼びつけて」


 五十半ばの厳しい顔が、気まずそうにしているところに、工藤は笑いかける。


「良いんですよ。その仕事があるのも、大山さんのおかげなんですから。それより、歩いて大丈夫なんですか?」


「これぐらいどうって事ないよ」


 言ったそばからよろけたのを工藤が支え、二人は和室で座卓に向かい合った。

 大山はタバコとビールを差し出し、自身も一本引き出して火を付ける。


「まぁ、一服やってくれ。ツマミは家内が持ってくる」


「いただきます」


 和室の空気がやや曇ったところで、大山は切り出した。

「幸奈を探してほしいんだ」


「幸奈ちゃんを? えっ、行方不明なんですか!? いつから!?」


 女子高生が行方不明とは大変だと身を乗り出す工藤に、大山は落ち着けと手で示す。


「勝手に飛び出してごめん、元気でいる、つってこれが送られて来た」

 写真、手紙、大山幸奈よりとだけ書かれている封筒。封筒には手紙だけでなく、現金一万円も入っていたらしい。

「それと、あいつの部屋を調べたら、ネットカフェのレシートがゴチャッと出てきた」

 座卓の上にレシートの束を出す。ガムテープで丸めて隠そうとした痕跡があった。

「あいつにはスマホを持たせてた。ネットはそれで十分だったはずだ。それが外でパソコン触るなんざ、妙だと思わないか」


 工藤はレシートを一枚一枚確認する。入店時間からして寄ったのは学校帰り、三十分コースでチマチマと、少なくとも五回通っていたと見られる。四枚はテープを上手く剥がせそうにない。


「誘拐って感じじゃないが、心配でな。手紙には学校を辞めさせてくれって書いてあったが、まだ子供だ。気が変わるかもしれない」


「学校のトラブルが原因でしょうか」


 大山は苦い顔で座卓に爪を立てた。

「あまり上手くやってる風じゃなかったが、飛び出すほど深刻には見えなかった。むしろ、それを話したがらないのを問い詰めたのが……」

 後の言葉はビールで流し込まれた。

「抜けた人間じゃもう手詰まりなんだ。どうか、頼む」


「大山さん、やめてくださいよ。それより、行き先の心当たりとか無いんですか?」


 大山は力なく首を振った。

「全滅だ。空振りするたび、俺はあいつの事を何にもわかっちゃいなかったんだって思い知らされるみたいでな……」


「ネットカフェは?」


「俺じゃ門前払いだ」


「それじゃあ、とりあえずそこから当たってみましょう。何かわかったら、すぐ連絡させてもらいます」


「もう行くのか?」


「俺も幸奈ちゃんが心配ですから」


 ――かくして工藤はツテをたどり、埋もれた筋を掘り起こし、今は廃体.jpの赤い自動運転車で、タブレット端末を睨みつけている。

 工藤は質問の内容を読むだけで、回答は全て空欄にしていたが、途中で不審に思われると思い直し、それらしい回答をでっち上げた。


 廃体.jpが金目当てだけの犯罪集団でない事は、これまでの調べでわかっている。だからこそ工藤は許せない。もっともらしい理屈で法と倫理に穴を開け、例外特区を作るようなやり方を許せば、国とは名ばかりの無法地帯になりかねない。

 ここは民主国家で、法治国家だ。法と倫理を歪めるというなら、まず選挙を通して訴えるのが筋だろう。


 何より、もし自分の家族がこんなところに吸い込まれてしまったら、こんなに恐ろしい事はない。死んだ事に気付きもせず、死骸を切り刻んで売り払った金を受け取り続けるなど悪夢だ。


 大山幸奈がそのような運命を辿っていない事を、工藤は祈った。もし、幸奈が家を出た原因が大山の考えている通りなら、いや、考えている通りでなくても既に死んでいたら、大山は自分が娘を死に追いやったと考えるだろう。


 タブレット端末がメートル表記のカウントダウンになった。


 とにかく中枢に近い人間を捕まえて情報を得る必要がある。仮にそこまで届かなくても、何か証拠を掴めば、交渉の材料にできるかもしれない。

 こんなバクチじみた乱暴な手を使っている事が、工藤は悔しい。殺人業者を相手にしているのに、上司からは、さらに上層の「お前の行動は褒められない」という言葉を伝えられた。殺人業者が国家権力と癒着しているのだ。

 この国の正義は死んでしまったのだろうか?


 カウントがゼロになった。


 工藤は眉を寄せた。

 殺人業者の巣にしては賑やかな所を走っていると思う間に車が止まる。小さな喫茶店だ。こんなところが解体拠点なのか?

 舌打ちする。そんなわけはない。既に身内から情報を流されているのだ。それがまた悔しい。

 島流しにして黙らせるような事をしない辺り、自分は過分な配慮を受けている。それがさらに悔しい。上司の言葉が蘇る。


「根性があって、勇気があって、使命感も強い。お前は警官向きだと思うよ。しかしだなぁ、もう少し折れるという事を覚えてくれないか」

 そこからため息をついてこう続いた。

「あと一回ぐらいは授業料を払ってやる」


 工藤は奥歯を噛み締め、車を降りた。喫茶店に踏み込む。

 明るいが、眩しさを感じさせない暗色系でまとめた店のカウンターには、老いた白髪の男と、若い栗毛の男がいた。

 老人は新聞で顔を隠すようにして何も見えていないフリだが、若い男は工藤を見ると明るく笑って挨拶してきた。

「お一人ですか?」


「客じゃないんだ」


「いいえ、お客さんですよ」


 新しい声の方へ目をやると、血の気がない白い顔の、痩せた男が手招きしていた。


「彼にもコーヒー、いや紅茶の方がお好きでしょうか?」


「いらん」

 男の前に歩み寄ると、不気味な白い笑顔がはっきりと見えて気分が悪くなった。


「こんにちは、廃体.jp総責任者の渡瀬川わたせがわです」


 工藤は面食らって硬直しかけた。総責任者だと!? ふざけているのか! そう言いかけた。この男は工藤が何をするつもりか知ったうえで待ち構えていたのだ。


「……名乗るって事は、俺の事は知ってて、ここには見られて困る物は何も無いんだな」


「はい」


 帰ろうと背を向けかけた工藤を、渡瀬川が引き止めた。


「まぁまぁまぁ、そう急がなくっても良いじゃないですか。色々聞きたい事があるんじゃないですか? 殺人業者の首領から」


「話す気があるのか?」


「そろそろ、私達の事業についてご納得いただきたいですからね。山川さんもろとも左遷というのも困りますし」


 山川、工藤の上司の名だ。工藤の頬は怒りで引きつりかけた。


「納得だと?」

 渡瀬川の向かいの椅子を引き、睨みつける。チンピラ程度なら震え上がる凶相だが、渡瀬川の白い笑顔は揺らぎもしない。

「お前達は殺人鬼だ。何をどう言い繕ってもそこは変わらない」


「もちろんです。しかし、その殺人鬼が一人殺す事で、死ぬはずだった二人が助かっているとしたら、それは殺人鬼を逮捕せず、観察にとどめておく理由になると思いませんか?」


「馬鹿馬鹿しい。クマが銀行強盗を襲ったからって放置する理由にはならない。殺人稼業がしたいならできる国へ出て行け。それか、選挙に出て法律を変えるんだな」


 渡瀬川が声を出して笑った。


「何がおかしい」


「その地位でそんな事が言えるなんてすごいなぁと思ったんですよ。いくらでも見てきたでしょう? 例外処理。人身事故を物損扱いにしたり、傷害事件をごめんねで纏めたり」


 工藤は苦い顔をした。

「それでも限度がある。お前が言ったのは取り返しの付かない事になっていないケースだ。お前達は取り返しの付かない事をしている」


「そう来ますか。確かにそうです。殺人は取り返しが付かない。では、マンションで硫化水素が発生して巻き添えになったり、駅で人間の挽き肉を浴びる事になったりするのは放置しても良いと仰るんですか?」


「自分達が未然に防いでいるとでも言いたいのか」


 渡瀬川は頷いた。

「私達が営業を開始して以来、人身事故件数が年間四十件を超えていた路線は今や九件。それも自殺を試みたものは一件で、他は不注意や泥酔によるものです」

 データシートがテーブル上に置かれた。その隣に、荒波がうねる岸壁の写真が並ぶ。

「それから東尋坊、ご存知ですか? 自殺の名所で知られた土地ですが、近頃は自殺志願者の保護団体が暇に――」


「それを全部お前達が殺してるんだろうが」


「誤解ですよ」


 声は渡瀬川ではなく、若い男だった。言葉を遮って刺してやったつもりだったが、横から外されてしまった。

 男は工藤が睨むと少し身を反らせたが、ふわふわと湯気を立てる白っぽいコーヒー牛乳を渡瀬川と工藤の前に置いた。


「僕らは渡瀬川さんに助けてもらったんです。この店だって、渡瀬川さんが用意してくれたんですよ」


 工藤は渡瀬川を睨んだ。


「これがここに連れてきた理由か」


「まぁ、そうです。こういう所は他にもありますよ。人間、適度に休めて楽しい職場があると、案外簡単に再生するものです。再生した人間が増えれば、そこにぶら下がる事ができる人間も増える」

 渡瀬川はコーヒー牛乳を一口すすった。

「さて、万人規模で自殺志願者をすくい上げつつ、その就業支援もしている事業を潰す理由として、殺人は十分な重さを持つのでしょうか」


 工藤はテーブルを叩いた。

「持つ! そこまでの事ができて、何故人を殺す!」


 渡瀬川の笑みが接客用の物から薄笑いに変質した。

「そこまでが限界だからですよ。ここで扱う人間は、彼らのように再生できるケースが大半です。しかし、再生不可能なケースもある」

 覗き込むような目を向けられて、今度は工藤が身を反らした。

「彼らを放置すれば自殺事件になる。しかし、監視を四六時中付けるのは不可能です。膨大なコストが要求される事はもちろん、どうしたって隙間が生じる。何より、監視され続ける環境は、さらなる自殺の動機になるでしょう」


「家族は、どうなる」

 工藤はどうにか絞り出したが、渡瀬川の白い顔は陶器のように動じない。


「自殺が回避できない以上は、家で首吊り死体を見つけるより、我々の処置の方がマシだと考えています」


 反射的に工藤は渡瀬川に掴みかかった。


「マシなわけがあるか!」


 渡瀬川は止めに入ろうとする若い男を手で制し、陶器のような顔で工藤を見返す。


「どうやら、その辺りが本題のようだ。あなたのご家族が、行方不明にでもなりましたか」


「大山幸奈だ。大山幸奈を知っているか。大きい山、幸福の幸に奈良県の奈。半年ほど前だ」


 渡瀬川はタブレットを操作した。


「大山幸奈さんは、現在、隔離再生プログラム適用中です」


「どこにいる」


「教えられません」


「なんだと!?」

 喉を締め上げても、渡瀬川は喉が潰れて声が出しにくくなった以上の反応をしない。


「連れ戻されたら全てが水の泡です。特に、彼女の場合は、家庭の理解が得られないと判断されたため、緊急処置が――」


「彼女が出て行ったのは、俺達のせいだって言いたいのか!」


「診断スコアは、そのように示しました」


 さらに頭に血が上ると同時、大山の言葉が蘇った。

『あまり上手くやってる風じゃなかったが、飛び出すほど深刻には見えなかった。むしろ、それを話したがらないのを問い詰めたのが……』

 投げ捨てるように手を離した。

「彼女が無事という保証は」


「正直、彼女をあなたと接触させる事には大いに不安があるのですが……例外処置として、テレビ電話を繋げましょう。三十分ほどお待ちください」


 工藤は頭を手で支えた。渡瀬川が嘘を言っている様子はない。しかし、それを認めれば、幸奈にとって自分や大山が耐え難い存在だったと認める事にもなる。

 認めたくないが、次々に幸奈の記憶が蘇る。真っ先に思い出したのは、あの気弱そうな少し困った風の表情。あれは「嫌な人に会ってしまった」という無言の悲鳴だったのではないか。

 口の中で握り潰すような、もごもごした応答。あれは自分をやり過ごすための言葉を練りあぐねたためだったのではないか。

 誰にも気付かれずに準備を整え、家出をやってのけた行動力。そこにこそ、彼女の本性があり、気弱で内気という印象は、自分達が知らぬ間に彼女を威圧、抑圧した結果だったのではないか。


「あまり気に病む事ないですよ」


 工藤は渡瀬川をただ見た。表情こそ睨むように険しかったが、気迫はすっかり抜け落ちていた。


「カエルの子はカエル、なんて言いますけどね。トビがタカを生むとも言うでしょう。白鳥の子がカラスという事例だってあるわけです。ヒドいと、虎の子がサナダムシだったりする」


「何が言いたい」


「ヒトの養育システムは、ヒトの多様性に対して十分ではないという事です。あまりにも容易にミスマッチを起こす。ですから、重く受け止める事はありません。塩焼きにするはずが砂糖を振ってしまった程度の、ありふれた失敗ですよ」


 工藤の腰が浮いた。


「親失格だったって言うのか!」


 渡瀬川の白い顔は動じない。


「いいえ、そこまで広い話じゃありません。あくまで、大山幸奈さん個人の親役として、適任ではなかったという事です。例えば、あなたのような性質の子に見せたら、あんな親が良かったと言うでしょう。実際、あなたは彼女のご両親から、我が子のように接してもらったのではありませんか?」


 見当はずれなら、工藤はお前に何がわかると言ってまた掴みかかっただろう。

 工藤は椅子にもたれるように座り直した。


「電話はもういい。今日の朝刊と一緒に写した写真辺りで十分だ」


「そう言ってくださるんじゃないかと思って、このような趣向を用意しました」


 渡瀬川が示したタブレットの画面に、今日の朝刊が大写しになった。カメラが朝刊から視線を外すと、楽しげに笑う幸奈の姿が映った。

 彼女はカメラを持っている人物に何か言っているようだが、音声は一切入っていない。

 憂いの影がない幸奈の笑顔は、工藤をさらに打ちすえた。

 見た事がなかった。

 このようには笑えない少女なのだと思っていた。恐らくは大山も。しかし、そうではなかった。


「もし彼女に何かあったら、許さんぞ」


「肝に銘じておきます」


 工藤は間違ってもよろめいたりしないよう、足に力が戻るのを待って、店を出た。

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