加工工場

 車が横付けされた玄関口には、誰もいなかった。壁に四つ切画用紙くらいのタッチパネルがはめ込んであるだけで、受付カウンターすら無い。

 パネルの表示は、


『廃体.jp引取受付です。お名前を入力してください』


 指示通りに名前を入力すると、車中で入力した項目の一覧が出てきた。最終チェックという事か。

 直す事も無いので先に進む。


『ありがとうございます。待合室 3 番で、係の者をお待ちください』


 一番、二番は使用中なんだろうか。好奇心が少しうずいたけれど、案内図に従って待合室に入った。

 そこは温かい部屋だった。

 テーブルからソファまで、丸みを帯びた家具で統一されていて、オレンジがかった優しい照明が照らしている。

 丁寧に整えられた、寝心地の良さそうなベッドに、冷蔵庫まである。

 ホッとする部屋だ。

 私は荷物を床に置いて、ソファに腰を下ろした。何か、体の中に溜まっていたものが、クッションに溶け出していくような気がする。


 ……。


 係の者が来ない。

 なんとなく、わかってきた。ふるいはまだ振られている。この快適な部屋は、思いつめた人間の緊張を緩めるためにある。

 疲れ切って気の迷いを起こしたようなタイプは、あのベッドの誘惑に抗えないだろう。

 努力して死にたいと思い込んでいるタイプは、待っている間に思い込みの限界を迎えるだろう。

 ここまで来て、まだ帰れと言うのか。だとすれば、私はかなり待たされる。

 血迷った連中が正気を取り戻すのに何分必要なんだろう? 良くてその平均値、悪いとその最長記録まで待たされるに違いない。


 今のところ、私の目的には、ここしか当てがないのだから帰るわけにもいかないが、さすがに何時間と待たされるとイライラしてくる。


 ……まさか、壮大なドッキリの類だったり?

 これまでの「帰れ」と言わんばかりの質問の数々を、私は本物らしさと受け取ったが、本気ではないからと考える事もできるのでは?

 これで入り口からカメラが入ってきたりしたら、私はちょっと何をするかわからない。


 陽気に「ドッキリー!」って入ってきた奴に最大限の苦痛を与える想像にふけっていると、ドアがノックされた。


「……っ!」


 こんな時にするべき応答が喉元でひっかかって出て来ない。言葉で考えているのに、それを発する能力というのは、こんなにも錆びつくものなのか。


「……だ、どぅ、どうぞ」


 入ってきたのは、血の気がない白い顔の、痩せた男だった。年は四十手前ぐらいだろうか。髪は整えているがツヤがなく、体は何か病気でもしていそうだ。それでもグレーのスーツがキレイに着られているのは……姿勢が良いからか。

 小脇にタブレット端末を挟んでいる。


「大変お待たせしました。廃体.jp総責任者の渡瀬川わたせがわです」


 私は固まった。総責任者?


「向かいに座っても良いでしょうか」


「ど、どうぞ」


 渡瀬川氏は笑みを浮かべている。顔色が悪いせいか、笑っているのに、人間に似せた怪物を見ているような不気味さが感じられた。

 あの白い顔は、かぽっと外せるのではないか。あるいは、にょろーんと伸びるのではないか。そんな考えが浮かぶ。


「あなたのような本物は珍しいので、つい、私が対応したいとわがままを言ってしまいました」


「本物、ですか」


 渡瀬川氏は頷いた。


「廃体.jpは、あなたのような本物のために始めた事業です。生きたいけど死ぬしかないという強制や妥協で死を選ぶのではなく、直接に死を選んだ。そんな方のために、私はこの事業を立ち上げたのです」


 渡瀬川氏の白い顔は笑みの形のまま変わらない。


「今後の満足度向上のために、ご意見をお聞かせ願えませんか。質問がうっとうしいとか、部屋に置いて欲しい物とか、車が可愛かったとか」


「まあ、そう……です、ね。質問、多すぎかなって、あでも、ふるい、あの――」

 質問は確かにうっとうしかったし、ここでは長く待たされてイライラしたけど、偽物をふるいにかけないと面倒な事になるっていうのもわかるし、まあしょうがないのかなって思います。


 しどろもどろでも、渡瀬川氏は二、三確認しただけで、理解してくれた。廃体.jpスタッフの聞き手力はすごいと思う。きっと、愚痴さえ吐き出せれば満足なタイプの偽物をふるいにかけるのに必要な力なんだろう。


「ありがとうございます。本物の意見は、とても貴重なんです。さて、それではまず、送金手続きを済ませてしまいますね」


 タブレットが操作されて、見ている間に八億円が私のものになった。


「加えて、十億円の使い道に何かご希望はありますか? 無ければ、慈善団体への寄付という形になりますが」


「それで。あっ、希望とか、無いので。それで、おね、お、お願い、します」


 色々と考えてはいたけれど、どうも面白くなかった。

 最初は夢があると思った。でも、悪意にしろ善意にしろ、生者の世界に干渉しようとするのは偽物らしい行いだと思ったら、急に色あせてしまった。

 今私が何より大切にしているのは『死にたい』と書いて文字通りに『死にたい』と読む、言葉に何の裏も含ませない事の誇りなのだと、その時に確信した。

 だからデフォルト設定で良いのだ。


 ふと、渡瀬川氏の顔に焦点が合った。笑顔が、泣き笑いのような形に変わったような気がした。


「処置室へどうぞ。お荷物は焼却しますので、忘れ物が無いようにご注意ください」


 やっとこの時が来た。


―――


 渡瀬川は、ただ見ていた。

 身分証や着替えが、持ち主の少女によって焼却炉に放り込まれて、少女の背中が処置室へ消えていくのを、じっと見送った。

 今は解体師が集う処置室の様子をモニターで見ている。


『昏睡処置終了。さぁて、ここから忙しいぞ、今回は若い上に脳以外全部だ。とにかく素早くバラす必要がある。作業手順、確認するぞ』


 作業台はやや傾斜があり、足側が下がっている。これで血液を抜き取れば、液量の減少と重力によって脳の血流が維持できなくなる。

 これによって苦痛の少ない死が実現するわけだが、全身に貧血を起こすため、もたつくと臓器商品が傷む。

 そこで編み出されたのが、まず冷却保存液の水槽に内臓一式をドボンと放り込んで急冷し、水槽の中で腑分けしてから、改めて冬眠処置を施す方法だ。

 臓器というものは繊細なもので、漬けて冷蔵庫で冷やした程度では壊れてしまう。しかし崩壊までの猶予は得られる。その猶予期間に、不凍保存液を使って零度以下に持っていく。これが冬眠処置だ。


 これのおかげで廃体.jpは臓器の在庫を抱える事ができる。抱えられるから、溢れるほどの在庫を抱えても、安売りしなくて良い。

 ダイヤモンドや石油と同じだ。過剰になりそうなら、供給を絞る。それでこちらは困らない。保存スペースに空きがある限りは。

 あとはのんびり買い手を探して、見つかったら冬眠を解除し、今手に入れましたという顔で売りに出す。


 事実を知れば、移植待ちの患者や家族は怒るだろう。

 命を金で売るのか、足元見やがって、どうせ捨てられたものではないか。

 当然の意見だ。しかし、廃体.jpは生者のためのサービスではない。死の殿堂だ。まっとうな医療機関が生のために奉仕するように、渡瀬川は死に奉仕する。衝突もまた当然だ。

 それに、怒るというなら、死者の家族だって怒るだろう。

 私の家族の部品を二束三文で買い叩く気か。

 もっとも、全ては事実が明るみに出て、皆がそれを信じた時の事だ。廃体.jpがそんな業務をしているなどという事は、ウワサ以上のものにならない。


 渡瀬川は知らぬ間に浮いた薄笑いを消した。生者に対する悪意に思いを巡らせると、つい出てきてしまう。


『冷却液水槽』 『準備良し』


『冬眠処置』 『準備良し』


『保存庫空き確認』 『保存庫空き十分』


『昏睡処置再確認』 『昏睡処置確認良し』


 作業手順の確認は既に終わった。歌うような準備確認も今終わった。解体が始まる。


「よぉ、不死身の」


 太い声を聞いて、弾かれたように渡瀬川は顔を上げた。モニター室の入り口に、ツヤのある黒髪の七十男が、仕立ての良い紺のスーツ姿で立っている。

 歳相応にシワの刻まれた顔を見なければ、渡瀬川よりも若く健康そうに見える。


久条ひさじょうさん。どうしてここへ?」


「本物を見つけたって聞いてな。またメソメソしてんじゃねぇかと思ったワケよ」


 久条は横からモニタを覗き込んだ。


「結構可愛い子じゃねぇか。もったいねぇ。まさかお前、快楽殺人に目覚めたんじゃねぇだろうな?」


 お決まりの悪ふざけだ。四十歳未満の女性を解体したと知ると、決まってこれを言う。無言で診断書を差し出すと、久条は目を細めて確認した。


「こりゃまた……ハイスコア、いやロースコアが出たもんだな。アトラクションをほぼ完全スルーかよ。ちったぁ味わってくれよなー、自信作なんだぞ」


「味わっても結論を変えないから本物なんですよ」


 久条は舌打ちして診断書を押し返した。


「二流の理屈だ。カレーが食いてぇって奴にソバ食わすのが俺の特技なんだぞ」


「久条さんの特技の本質はウソ発見じゃないですか。本気でカレーが食べたい奴には通じません」


 また舌打ち。


「あーあー、ここ来ると毎度鼻がポッキリ折れらぁ。まぁ良いや、元気そうだしな。いい加減、殺しも慣れたか」


 渡瀬川は少し思案した。自分の中に慣れがあるのかを。


「慣れたというより、諦めたの方が近いかもしれません。本気の人間は超常現象でも無ければ止めようがない」


 久条はこれまで茶化すのに使っていた表情を引っ込めた。


「あのアジの開きみてぇなザマで目ぇ覚ましたら、あの子も考えが変わるかね」


「どうでしょうね。きっかけ程度じゃないでしょうか」


 久条の唇が歪んで変顔を作った。不快な事実を理解した時のクセだ。


「帰るわ。きかん坊がやんちゃしてるから、近々ドタバタがあるかもしらんが、適当に付き合ってやってくれ」


「それが今日の本題ですね? 警察の方ですか」


「だと良いんだけどな。最悪、手帳投げ捨てて飛び道具振り回すかもしれねぇ」

 ため息。

「薬も過剰摂取は毒とはよく言ったもんだよ。じゃあな」


 久条を見送り、渡瀬川は電話を手に取った。煩わしいが、死の殿堂を守るためには必要な事だ。

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