死出の旅支度

 私はしょーもないできそこないだが、急に消えればトラブルになる。

 ありがたい事に、廃体.jpは作り話にも付き合ってくれる。私が選んだ作り話は「職業訓練で企業の寮に入る」というものだ。後はそのまま就職、転勤、転職で、仕送りだけが生存証明になるという経過を辿る。


 廃体.jpから送られてきた資料は、想像以上にしっかりしていた。

 私が勤めている事になるのは、星五食品という食肉加工会社だ。なんと実在する。下部組織なのか、遺族が様子を見に来ても取り繕ってくれるらしい。

 しかし食肉加工会社とは、廃体.jpのボスはきっと皮肉屋だと思う。


 夕食後、私は送られてきた資料を、両親と弟の前に出した。

「これが、この前言っていた奴か」

 そう言って父が星五食品の会社案内を手に取る。案内には、


『創業五十年、災害と恐慌を越えて生き残った確かな品質』


『大卒を雇用するスタイルは今や時代遅れだと考えています。当社は現場こそ人材畑を合言葉に、畑に植える種を探しています』


『食事も話題性を要求される時代。これまで培った品質を活かし、コミュニティでの盛り上がりがクチコミを呼ぶという未来戦略』


 とまぁ、裏面を知る私からすると、なんだか滑稽で笑える話が並べてある。特に創業五十年は完全に嘘だと思う。


 父が資料を読む間、弟は星五食品のホームページを調べているようだった。

「変な会社じゃないっぽい。悪評も出てないし」

 弟の言葉に父は頷いたが、難しい顔をしている。まあそうだろう。星五食品の信頼性より何より、このできそこないが問題なのだ。

 とはいえ、座敷牢の狂人みたいに死ぬまで家の中というわけにもいかない。変に問い詰めて引きこもりの度が悪化しても困る。そんなジレンマがあるんだろうと思う。

 父は一通り資料を読んで、一つ息を吐いた。


「前進する元気が出たなら、良い事だ。やってみなさい」


「はい。ありがとうございます」


 家の事はこれで良いとして、後は持っていく物だ。

 住民票や保険証、マイナンバーなど、星五食品の資料という事になっている手続きの手引きに従って物を集める。

 服を選ぶのが少し大変だった。

 普段着を詰め込んで良しと思っていたら、母からもう少しオシャレな物にしてはどうか、なんなら買いに行かないかと言われて、これを錆びついた舌で断るのが一苦労だった。

 恐らく廃棄処分になる運命なのだから、新しく買ったりしては服に申し訳ない。私の死に付き合う役目は、このあちこち伸びてしまった奴らにこそ相応しい。


 車の確認メールが来た。




 よく晴れた朝、駅前で私を迎えに来たのは、丸っこいデザインの赤い車だった。霊柩車みたいなものなのだから、もっとゴツい、黒い車が来るものと思っていた。

 三度メールとナンバープレートの数字を見比べたが、間違いない。

 ドアの読み取り機にメールで送られてきたQRコードをかざすと、ロックが外れた。


 指示通り、無人の車の後部座席に座る。

 清潔なシートの上にあったタブレット端末を取り上げると、運転席のランプがいくつか点滅して、車は発進した。

 同時に、端末の液晶も点灯する。


『廃体.jpをご利用いただき、ありがとうございます。今後の手続きを素早く進めるため、いくつか質問にお答えください』


 という挨拶から始まって、最初に表示された質問はこんなものだった。


『家の戸締まりはしてきましたか?』


 なんでこんな事を聞くんだろう。『はい』を押して次へ。


『火の元の確認はしてきましたか?』


 『はい』を押して次へ。この先もこんな質問が続くのだろうか? と思っていると、


『買い取りを拒否したい部位を選んでください』


 それらしい質問がきた。

 何も考えずに『なし』を押した後、私はページを戻って『脳』を『熱処理』してもらう事にした。売られた先で変な実験に使われて、うっかり蘇生でもしたら、死にに行く意味が無い。


『最後の食事は何が食べたいですか?』


 手が止まった。普通は大好物とか、思い出の料理を書くのだろう。しかし私は空欄にして飛ばした。

 もし、ここに何か料理の名前を書いたら、『死にたい』と書いて『寂しい』と読む連中と同じになるような気がした。それだけは人生より耐え難い。


『見たい番組や動画のシリーズは全て見てきましたか?』


 だんだん、この世間話みたいな質問の意図がわかってきた。これは偽物をふるいにかけているのだ。

 解体施設まで連れてきた後で「死にたくない!」と騒がれたら困るぐらいの事は私でもわかる。

 本気でなければ、世間話で何か考えてしまう。一時の気の迷いなら、家の戸締まりについて尋ねられた瞬間、正気に戻るかもしれない。


『読みかけの本や組みかけのプラモデルはありませんか?』


『秘密の日記やデータは処分してきましたか?』


『冷蔵庫の中身は処分してきましたか?』


 世間話はさっさと飛ばす。

 きっと適当に押さえつけて解体するぐらいの事は簡単だろうに、しつこいくらい獲物に逃げろ逃げろと言っている。

 廃体.jpも本物を探しているのだろう。私も本物を見つけた。


 信号待ちで車が止まった時、私の手も止まった。その世間話だけは私の興味をひいた。


『もしもこうだったら生き続けるのに、と思う事はありますか?』


 こんな不良品ではなかったら……いや、それは『私』を別の何かで上書きして、『私』を殺す事でしか成立しない。

 ただ本能に従って動くだけの生き物だったなら……同じ事だ。私は私と暮らす事に耐えかねたのだ。

 私はこの質問も、今までどおり飛ばした。


『ありがとうございました。もうすぐ到着です』


 メートル表記の距離表示がカウントダウンされていく。

 ふとドアを見た。ロックはかかっていない。もし、ドアハンドルを引けば、車は止まるだろう。

 窓を見た。少し遠くに加工工場のような影が見える。あれが廃体.jpの施設だろう。

 私は端末を置いて、座り心地の良いシートに身を沈めた。

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