似非異世界
意識が、少しずつではあるが次第に覚醒していく。
薄い視界と聴覚の中に届くのは、心配そうに見下ろす母の姿と声。
氷山美桜――そう、あの少女に関する過去を見ていたのだ。
「ん……」
「お変わりありませんか…?」
「たぶん、大丈夫……」
そう答えてから完全に覚醒するのに、実に三十分を要した。
コミュニケーションに支障が出ないくらいまで回復すると、春子は重ねて「大丈夫ですか?」と問うてくる。あの謎の幻覚、いや幻影とか白昼夢といった類のものを見せていたのはこの女。あなり無理な手は使いたくなかったのだけれど、と言うが既に遅い。
意識がはっきりすると今度は、あの光景が脳裏に焼き付いて離れない。
「過度なものをお見せしてしまったでしょうか…?」
「いや、一週間前の俺ならダメだった」
「今は、ということでしょうか?」
その問いに。
言おうか言うまいか迷ったが、やはり現状を整理するためには必要な要素の一つだった。
「……最近、似たようなものを見たから」
「そう、なんですか……詳しく聞いても?」
「あの子のプライバシーを害さない程度でいいのなら」
「構いません」
即答、か。
我が子の救済に繋がる何かを得るためには、手段は何でも使うと。
俺はかいつまんで説明した。
一週間前の初仕事の際にこの目でしっかりと見た、あの惨状を。収束した筈の事件との類似点を。
その子が、能力者だったということを。
言葉では説明し難い姿、耳に届かなかった五月蠅い程の悲鳴のような臭い。
どれも、時間が経った今でも、思い出せばすぐ目の前に、全く同じビジョンとして浮かび上がって離れない。誰に救われるでもなく、誰に届くでもない、あの光景を。
話している途中から、春子は対切れずに涙を零した。
そう、さっき見た光景の手前で亡くなっている春子は、以降ずっとここに住み着かされている所為で、ニュースというものを得る機会がない故にあの事件のことを知らないのだ。
似たような境遇の子たちが、似たような姿に傷つけられ、無残に殺されていったあの事件を。
知っていく今、何を思うのか――
「湯谷さん――もし会えるのなら、今一度礼を言いたいところですね」
「この件の管理は俊さんだから、片が付けばこちらに来てくれるはずだ。それより、大丈夫?」
「え、ええ。冷静です」
「それなら良いのですが」
鼻をすすりながら涙を拭き、春子はそう言った。
「纏めましょう。先に見せてもらった映像から察するに、あの子――失礼、美緒さんは、少なくとも一度は、亡くなった三留さんの姿を捉えている筈ですよね」
「ええ、はっきりと。それが引き金となって、なかった筈の能力を得たようです。……いえ、本来、本当なら何かしらを持っていたと思うのですが」
「それはどういうことです?」
春子は一瞬躊躇って、
「私と夫、二人とも能力者でしたから」
「……そうですか」
なるほど。
夜子さんの言う事には、能力者は血筋で決まっていて、子供が能力者ならその親である大人も、何かしらの潜在能力を持っているのがセオリーだと言うのだが――通常、それに気付かない親が多いのだとか。
多い、と言うだけあって、この春子や父のようにそれを”使える”人もいる。
春子の能力は透視。
物体ではなく、対象とした人物に眠っている記憶を奪うことが出来るそうだ。
「それは、霊体となった今でも扱えるということですね」
「流石鋭い。その通りです。さっきのあれは、崩壊するおばさま宅の中で、消えてしまう前の三留から受け取ったものですから」
あの最中さなかで、未来を予見していなかったにせよ、何かの為にと記憶を貰っていたというわけか。
「さっきの映像では、死霊は皆、それぞれの意思で以って行動していたように見える。あんたもそうなのか?」
春子の見せたビジョンの中で死霊たちは、発生は美緒の能力であるにせよ、各々が独自に行動していた。
動き、仕草、方法、その全てに於いて、種族によってではなく個体ごとに違っていたのだ。
「リモートではなくオート――なら、あんたが俺の仲間を二人攫ったのは――」
「あれは、この身を委ねている主――そう、美緒の命令であるからです」
「命令?」
「はい。ブードゥー教の死霊崇拝モデル、ネクロマンサーというものです」
「死霊を自らの部下として従えるってあれか……なるほど、当てはまってる」
宗教と銘打てど、経典や教義が存在せず、それだけに布教活動も一切なく、民間信仰として成ったものだ。
奴隷背景が色濃く、儀式として”動物の生贄”や”神懸かり”といったものがある。生贄とはただ供物として命を捧げるのではなく、それをただただ尊び、その対価として信仰する。
神懸かりとは、そのままイタコと同じものだ。死した者の魂を降ろし、自身に憑依させてその声を聞く。
「そうなると、美緒さんは身体を乗っ取られているということになるのか?」
春子は少し迷って首を横に振った。
「元々能力を持っていた”筈”、と言うのも、あの子には能力がないことは分かっていましたから。なのであれは、美緒が発動したと言うよりは、美緒の心に同調した死霊が、自ら出てきたという方が正しいような――」
「それなら、さっきのエピローグはおかしい。無意識ではあるが『死霊を増やしている』と言っただろう」「そこが変な点なのです。美緒には……小説なんかの言葉を借りると、魔力といったものは皆無だったのですが、それが今では、圧倒的な強さとなって存在している」
「確かなのか?」
「どちらも真実です」
それは……すこぶる厄介だ。
美緒が生み出してるなら、美緒の魔力は確かにネクロマンサーとして使われていることになるが、美緒が生み出していないのであれば、別の能力があるという事実に他ならない。
未だそれが何だか分からない以上、迂闊に「分かりました」と春子の依頼を受けることは出来ない。
まったく。やはり悪の依頼は面倒ではないか、俊さん。
「乗っ取られているのとは少し違う気がします、あの子は確かにあの子なのですから。ですが、やはり何か、異物が混ざり込んでいることに変わりはなさそうなのです」
「何だってまた」
「分かりません。ただ強い意思の元、死霊の支配をも上回る命令権を持っていることは確かです」
春子は最後にそう括った。
「具体的に何が解決なのか、それに伴ってどうすればいいのか、一切見えてこないな」
「受けてくださらないのですか?」
「いや……助けられたのは事実だ。あんな事実も知ってしまった。それに、仲間が二人待ってる」
「……ありがとうございます」
春子は再び頭を下げた。
「礼なら全てが片付いた後に。ともかくここから出してくれ」
「?」
なぜ首を傾げるのか。
ここから出ないことには、作戦を練る考察をするにも至れないであろう。
まさか――
「鍵は?」
「必要ありません、少々お待ちを」
急に立ち上がる春子に、今度は俺が首を傾げる。
そんな反応を無視して移動した部屋の外から、春子は大きな鏡を持って帰って来た。
そしてそれを俺の目の前――隙間から檻の中に入れると、鏡に呼びかける。
「アリスさん、お願いします!」
瞬間、鏡面が揺らぎ、そこから小さな女の子が顔を出すると、俺の両手を掴んで鏡の中へと引き摺り込んでいくではないか。
「これ、大丈夫なのか…!?」
「問題ありません、協力者ですから」
「鏡とか怖いんだけど…!」
「いいじゃないですか、異世界ファンタジーです」
何故楽しそうなのか。
両足を振り乱して抵抗するも、虚しく身体は鏡の中へ。
ふわりと舞い降りたそこは、数多の鏡をそこかしこに讃える、長い長い回廊だった。
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