氷山美緒

 娘の名前は氷山美緒。

 この当時は、十二歳でしょうか。


 元々は夫の祖父母が使用していた屋敷で、お二人が亡くなった折、遺書に「屋敷と財産を相続する」とあったのです。相続割合は、まぁここで言う必要はありませんね。

 貴方様に見て貰っている光景は、息子である三留の目であるとご理解ください。


 まずは何でもない日常から。

 といっても、”ある日”の前日、日曜日なのですけれど。

 私と夫、美緒と三留の四人、庭でキャッチボールやらをしていました。


 活発な美緒は夫の投げる難しい玉を軽々受け取るのですが、運動音痴な私と三留は、しばらく遊んだ後、木陰にシートを敷いて休んでおりました。


「はい、お母さん、お茶。氷も入ってるから冷たいよ」

「あら、三留が用意してくれたの?」


「ううん、お姉ちゃんと準備したんだよ」


「そう。――うん、冷たくて美味しい。ありがとう」


 美緒の五つ下、七歳の頃の三留です。

 あの子は、姉のように活発でない代わりに、とても気が利き、気配りも出来る、親ばかながらとてもよくできた男の子でした。

 本当は、このお茶も一人で準備していたのを偶然見つけてしまったのですけれど。あの子は、嘘をついている訳ではなく、ただ自分が自分がと目立ちたくないタイプなのです。それ故に、美緒と準備をしたなどと。


 僕なんかよりお姉ちゃんの方が。


 それがあの子の口癖でした。


 ただ、それでもあの子たち二人、仲が悪かったわけではないのですよ。寧ろその逆、真逆。

 誰の目から見ても仲睦まじい姉弟。年相応の喧嘩の一つもないほど、相性が良かったようです。

 朝は寝起きの悪い美緒を三留が起こし、朝食を一緒に食べ、学校へは必ず二人で行き、二人で帰って来るような。どちらかが風邪なんかひいた日には、息を切らすほど全力で走って帰ってきて、付きっ切りで看病もしてましたね。

 自慢の子供たちです。


「三留、風邪が移ったらお姉ちゃん嫌だから、自分の部屋に戻ってて?」


「いや、お姉ちゃんが善くなるまで、ここにいる。お水ほしい?」


「……分かった。じゃあ、お水持ってきてくれる?」


「うん!」


 慌てて階段を駆け下りくるものだから、どうしたのって聞いたんです。そうすれば、「僕がやるの!」って、何をするとも言わないで、美緒の為なら、珍しく自分が自分がと言って聞かなかったわ。




 翌日になりましたね。

 そう、この日――クリスマスイヴのことです。

 結論から言いますと、私たち夫婦は、飲酒運転かつ信号無視をして突っ込んで来た大型トラックに轢かれ、死んでしまったのです。

 それはもう、二人とも泣きに泣いて。

 私たちも未練ばかりが残っていたのでしょうね。肉体が焼かれた後でも、精神と言いますか、魂のようなものはこちらに残ったのです。

 以降、親戚の世話になる二人のことを、夫婦揃って、陰ながら応援しておりました。


 それから一年が経ったある日のことです。

 十三ですから、美緒は中学一年ですね。

 環境が変わってしまった所為でしょうか。美緒も我慢強い子だったのですが、それも限界が来てしまったようで、二人が初めての喧嘩をしたのです。


「今日は友達と行くの。それに、小学校じゃないのよ、私。三留、もう一人で行けるでしょう?」


「お姉ちゃんと一緒に行きたい…」


 そんなきっかけでした。

 些細なことなのです。年頃の子供には、当たり前のことなのです。

 しかし、三留は違った――あの子は、あまり広く世の中を見てこなかったから。

 友達も、多くはいませんでした。


「なんで…途中まで……途中まで、お姉ちゃんと一緒がいい…!」


「もう、じゃあ勝手にしなさい! お姉ちゃん走るから、転んだって知らないんだから!」


 そう言って家を出た後、三留が泣いていたことを美緒は知らず、友達と一緒に登校しました。


 吹奏楽の部活を終え帰宅する頃、時刻は七時半。

 もう、三留はとっくに帰っている時間です。

 邪見にしてしまったと、朝のやり取りを反省しながら家のドアを開けると、養ってくださっている親戚のおばさんが顔を出しました。


「あれ、美緒ちゃん…? 三留くん、まだ帰ってないの…美緒ちゃん、知らない?」


 心配そうな目でそう話すおばさんを他所に、美緒は家を飛び出して辺りを捜し始めました。

 よく遊んだ公園、小学校までの道のり、校庭に裏の山まで。

 夕刻より雨が降っていたものですから、泥だらけになって、それでもくまなく捜して――結局その日、三留の姿は見つけられませんでした。


 それからというもの、美緒は何かにとりつかれたように、連日連夜同じ場所を何度も何度も捜して回るようになりました。

 部活も休みがちになって、その頃から友達とも上手くいかなくなって。

 ただ弟を、三留の後ろ姿だけを追い求めるようになっていきました。


 それでもやはり見つからず、一週間が経った頃、親戚のおばさんが遅ればせながら警察に捜索願を出しました。

 当時、子供の誘拐やそれに付随した殺害事件が多かったものですから、事態をよく思わなかった警察はそれをすぐに受理してくださり、捜索が開始されました。


 大規模に人員を配置しての捜索だったので、すぐに見つかると思っていたのですが――。

 以降二ヶ月の間、三留は見つかりませんでした。




 どうにも警察も手の付けようがなくなったある日の深夜、三留本人が、おばさん宅のドアを開けて入ってきたのです。

 腕や頬には熱傷や痣がとにかくも多くありまして、先ずは医者に見せるところから始まりました。

 当初、引き取られた境遇から虐待を一瞬疑われもしたようなのですが、三留本人が語った「運よく隙をついて、力の限り槌で叩いて逃げて来た」という内容から、その線は何とか消えました。


 おばさまは、三留を連れて改めて警察に行きました。

 見つかった、帰って来たから良かった。そんな報告をするためではありません。

 三留の証言によれば、知らない数人の男に連れ去られ、随分な距離と時間をかけて移動した先の山奥で、人体実験のようなことをされていたと。

 君は特別だ、変わっているのは分かっているんだ、さっさと能力を出せ、そう言われたらしいのです。


 しかし、そのあまりに突飛な話に、今度は始め、取り合ってはくれませんでした。

 肩を落とし、まぁ命あっただけ良かったたと無理矢理落とし込み、その日は帰りました。

 ですがその後、都内の中枢組織にも話だけはいったようなのですが、その中で、ある一人の刑事さんが名乗りを上げてくれたのです。

 名前は湯谷俊。一見頼りなさそうには見えるのですけれど、心当たりならあるから、責任は全て自分が負うからと強く言い張って、犯人の捜査を開始してくださいました。


 三留が、覚えている範囲の方向や目印を刑事さんに伝え、それを頼りに広範囲な捜索を行いました。

 しかし、ようやくと見つけたその場所は、既にもぬけの殻。男たちは、何食わぬ顔で街に降りているかもしれない、という話ではありませんか。

 再びの誘拐やそれ以上の何かを危惧して、全てを刑事さんに一任し、おばさまは三留と美緒を家から出さないようにしました。


 結果、それが裏目に出たのです。


 遠くに逃げていれば、あるいは今でも生きていたのかもしれません。

 あろうことか三人の男たちはおばさまの家を特定していて、無慈悲にも殴り込んで来たのです。

 手にはナイフ、槌と、あらゆる凶器が握られています。

 見立てでは、それはあまりにも理不尽な、復讐の念――自分たちを痛めつけて逃げた三留への報復でした。


 男達はまず、大きな声を出されては困るという理由だけで、おばさまの命を軽々しくも奪いました。

 次いで三留に襲い掛かろうとする男から、美緒が身を挺して庇うのですが、その際腕に傷を負ってしまいます。


「痛い…! 痛い……けど、三留は私の弟なんだから…!」


「ごちゃごちゃうるせぇな。いいからさっさと差し出しゃ、お前は殺さないでやるよ」


「とか言って、警察に突き出されても困るからってどうせ殺すんだろ?」


「ばーか、今言ってどうすんだよ。まいっか、死人に口なしってな」


 こうなってしまっては、順番も何もなくなったも同然です。

 男の一人が無情にも、三留に抱き着く美緒を引き剥がして突き飛ばし、打ち付けられた衝撃で美緒は脳震盪を起こして立てなくなったのです。


「みつる……みつ、る……」


「お姉ちゃん……」


 そして。


「やっとお前の番だ能力者。中身はどんな色をしてるんだ、あぁ? まさか、俺たち人間と一緒ってことは――ないよなぁ?」


 気味の悪い笑みのすぐ後で、男は手に持っていたナイフで、三留の臍の辺りから上部にかけて、十五センチ程の深い切り口を開けました。

 溢れ出るのは赤と臓。

 悲鳴も上げられないように、そのまま喉元にも突き立てます。


「み、つる…!」


 そこまでいくと若干十三歳の美緒には、もう何の自制も働かなくなっていました。


 意識が朦朧とする中、気力だけでふらりと立ち上がった美緒は、


「おにいさんたち……」


「あ!?」


 勢いよく振り返った男達の顔は、一瞬で青ざめます。


「いっしょに、あそびましょう……おにいさん、たのしいわ。たのしいわ。ふふ、ふふふ、あははははは!」


 部屋を埋め尽くすのは、夥しい数の死霊の姿。

 動物、骸、兵士。その地に眠る、散っていった数多の命でした。


「こいつ……おい、追跡は絶対じゃなかったのかよ…! なぁおい! 女まで能力者だなんて聞いてねえぞ…!」


「違う、確かに能力なんて持っていなかった……このガキ、元々持っていなかった筈の能力を、今得やがったんだ…!」


 後退る男たちに、美緒は不敵に笑いました。

 いいえ、嗤ったのでした。


 弟になにをした、三留が何をした、私も混ぜてくれ、と。


 そこからの現場は、それは悲惨な光景です。

 肉の切れる音、骨の折れる音、外に漏れるのも構わずと響く、男達の悲鳴。

 どれも、美緒の一方的な貪りでした。


 既に三人が見る影もなくなる程に千切られた頃、未だ止まらず暴走を続ける美緒に、音のない声で三留が手を伸ばしました。


「お、ね……だめ……だ、め……おねえ、ちゃ……」


「たのしいわ。たのしいわ! おにいさんたち、さんにんだけでこんなこと、だめじゃない、わたしも! あはは!」


 どんなに弱々しい訴えであろうと、三留の声ならどこにいても聞き逃さなかった美緒が。

 弟を救わんと自分を悔やんでいた美緒が。

 三留の言葉を、初めて聞き逃した瞬間でした。


 自我をすっかり失い、形のない肉塊を指先でこねる美緒に、三留もとうとう我慢がならなかったのでしょう。

 姉をこんなにした男達が、それをさせた自分の体質が、無意識の内に憎くなっていたのです。


「おね、ちゃ……だめ……だめ…!!」


 叫ぶと同時、三留の持つ”崩壊”の能力が、最初で最後の発現をいたしました。

 家を支える柱から折れ、二階の床は抜け、屋根が崩れ落ち――全てを飲み込んだのです。




 騒ぎによって駆け付けた湯谷さんらが現場検証をしたところ、身元の分からない三名の血痕、おばさまの遺体、三留の亡骸が見つかりました。


 しかしそこに、美緒の姿はありません。


 要捜査となり、その一件はそこで幕引き。

 美緒の行方は、不思議なことに誰も知りません。



「みつる……いつになったら帰ってくるのかしら。小学校って長いのね。三留…みつる……」


 三留がとうに亡くなっているという事実を知らない美緒は、屋敷に帰っていました。

 死霊たちに護られ、包まれ、地中を移動して屋敷の庭に出てきていたのです。


 以降、無意識の内に死霊を増やし――それが死霊であることにすら気付かず、今に至ります。

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