助け舟?
何日か経った。
陽が差し込まないので、具体的な日数は分からない。
毎朝、昼、夜とやってくる少女が都度都度で丁寧にもワードを口にしてくれるのだが、とても冷静ではいられない状況に、いちいちそれを確認していられない。
理由はいくつもあるが、最たるものはこの部屋の”暗さ”。
朝か夜かも分からないのは、この真っ暗な部屋で、灯りという灯りが全て消されているからだ。
少女は、起き抜けに着替える際、風呂上りに着替えを漁る際、就寝前、いずれにおいても証明を点けないことを徹底していた。
あるいはそれがデフォルトなのかも知れないが、異常であることに変わりはない。
何とかしてここを抜け出さなければ。
飛ばされた二人のことも気にかかる。
幽霊や骸骨やパパとママ、あれらが彼女の手によって、だとするなら――焦る気持ちは日に日に、いや一秒毎に増していく。
彼女がいない隙を見て、蹴りやタックルによる衝撃を与えてみるのだけれど、何で出来ているのかびた一文動かない。
「ただいま、三留。聞いて、さっきね、お風呂に蚊が出たのよ。噛まれる前にお湯をかけて流したのだけれど、どこか噛まれてない? ねぇ?」
夜か。
風呂上り、ローブ姿で自室に戻った少女は、俺の前でそれを脱ぎ、一糸纏わぬ姿で仁王立った。
肉体的な意味込みでも魅力の欠片すらない。
首筋、胸、腹部に廃部、臀部、足と順に注視させてくるが、何の興奮も覚えない。
募るのは、怒りだけだ。
もう限界はとっくに来ている。
生者である以上、この牢さえどうにかなれば、変なゴーストを呼ばれる前に仕留めていそうなものだ。
しかしそうさせないのは、この普通の家には決して置いてないような堅牢でも、ゴーストの存在でもなく、殺しを誰より嫌う夜子さんの顔がちらつく所為だ。
ここを抜け出した後、助けた二人の反応もある。
殴る蹴るも、良しとはしなかった。
少女の言葉を無視してそんなことを考える俺に、
「ねぇ、三留? どうしたの、今日は元気がないわね?」
いい加減気付けよ。
もうずっと口をきいていないぞ。
そんな小言を返す余裕も、今はなかった。
更に何日か経つ頃には、空腹感も襲ってこなくなっていた。
毎日彼女が運んで来る食事は、幸いと美味で薬品も盛られてはいなかったのだが、初日以降はそれを拒否している。
それでも変わらず持ってきては「沢山食べてね」と置いていく。
彼女に対して、一切悪いと思わない俺は、そろそろどうかしてきたということなのだろうか。
朦朧とする意識の中響くのは、俺を救ってくれたあの人の声。
――湯谷夜子です。これから、よろしくお願いしますね――
柔らかな笑顔と共に蘇る。
あの一言が無ければ、あの笑顔が無ければ、俺はここにはいなかった。
結局、少しの役にも立ててはいないんだけど。
まぁそれでもいい。
責任逃れには、人知れず死ぬのが何より効果的なのだから。
当初思っていたことは、間違いではないと思う。
誰かが死んで、それを悼んで悲しむ者がいるなら、その姿を見なくて済むのは死んだ本人だけなのだから。
誰かが死ぬなら、その誰かは自分である方が何より良い。
「なんて」
良いわけない。
空気の所為で、若干と思考がネガティブに寄りつつあるが、今の走馬燈で元に戻れた。
助けてくれた人、悲しんでくれる人の為に、死んではいけないのだ。
見苦しくても足掻いて、おかしくてももがいて、兎に角生き残る為だけの方法を考えるんだ。
(聞こえていますか――)
などと息巻いていても、やはり限界は限界なのだろうか。
幻聴まで聞こえ始めた。
(聞こえているなら――)
この温かく響く声は、一体――
「意識はありますか……?」
はっきりとしてきた。
鮮明に聞き取れるくらいに。
どこか、そう、すぐ近くから聞こえて――
「お怪我はありませんか?」
「うわっ…!」
寝ぼけ眼に飛び込んだ光景に思わず後退り、高等部を強打した。
頭を摩りながら上体を起こし、声の主を一瞥。たった今、ともすれば夢であろうとも思えた光景が間違っていないことを認識した。
「あんたは、確か……ママ?」
艶やかなブロンドの髪をなびかせ頷くのは、もう何日前になるか分からないが、あの日、二人を部屋から連れ去った二つの影の片方だった。
異なる容姿から、明らかに男女別だと分かる内のこの一人は、少女がパパ、ママと呼んだママ。
しかし、何だってここに。
わざわざ、俺の生死を、意識を確かめるかのような台詞を。
あぁ、ダメだ。声も碌に出せない。
「無理をなさらないで。とりあえず、落ち着いて」
脆く柔らかい綿にでも触れるかのように、優しく言い放つ。
ママと呼ばれる女性は、俺が再び寝そべるのを見届けると、そこに座り込んで言った。
「安心なさって、私は貴方の敵ではありません」
その一言がきっかけとなって。
「ふ、ざけるな…! 無抵抗の波場さんを、穂坂さんを……茜を攫っておいて、のこのこと…! 牢を開けろ! 今すぐ殴ってやる!」
「それが本望なら、どうぞご存分に。煮るなり焼くなり殺すなり、どんな辱めでも受けましょう」
「……っ……!」
「そうでないなら、話しだけでも聞いてください。貴方にお願いがあって、私はここに戻りました」
揺るぎのない真剣な眼差しに、意図しないところで芽生えた殺意は消失していく。
代わりに、”お願い”というフレーズが引っかかった。
残り少ないエネルギーを無駄に消費した所為か、俺はそのまま倒れ込んだ。
辛うじて目を開け、敵意のないことを示す俺に、ママは「ありがとう」と短く言った。
咳払いを一つ。ゆっくりと口を開け、落ち着いた言葉遣いでその内容を語っていく。
「あまり時間もありませんが自己紹介を。
「温かいのか寒いのか、分からん名前だな…」
「意識がある、と受け取りますね」
春子と名乗るその人は瞬間だけ苦笑し、すぐに表情を戻して続けた。
「頼みというのは、娘のことです」
「むすめ……?」
「ええ。ママ、と呼ぶように、私はあの子の実の母なのです」
「でも、あんた…」
「とうの昔に
寂しそうに、腕を差し出して困り顔。
意識があるのか、と確認をしたいのは、寧ろこちらの方だった。
「あいつは……その、俺を弟だと…あんたが母親だっていう保証は…?」
「あれは――」
何が言いにくいことなのか。
言葉を詰まらせ、額には一滴の汗。
やがて、唇を噛みながらではあったが、自身の中で何かしらの決断を下した。
「やっぱり、見せた方が早いのでしょうか」
「みせる…?」
春子はそこから俺の手を取り、
「あの子に関する、過去のお話です」
そう言って俺の目を見る春子の瞳に、意識がどんどんと吸い込まれていく。
催眠術にでもかかったかのように脳が揺らぎ、平静が保てなくなって、ついには視界が真っ黒になった。
――悪く思わないでください――
騙された、とは思わなかった。
しかし、不意打ちを喰らってそう冷静でいられるわけもなく。
逃がしようのない少しの怒りを再び募らせる。
空中、あるいは水中かを漂っている感覚。
身体は浮いているようにも沈んでいるようにも感じる、不思議な感覚に襲われている。
それはおそらく”静止”しているということなのだろうが、自由に動けないというのは如何せん厄介なことだった。
春子の瞳の中――に肉体ごと吸い取られたわけではあるまいし、動けないのも納得がいくというものだが。
しばらく続いた虚無の後で、ふと背後に温かな光を感じた。
これまでと反して動いた身体で振り返ると、広がっていたのは、赤に黄色にオレンジ、ピンクといったカラフルな花が咲き乱れ、両端には大きなもみの木を讃えた広い庭。
その奥でひっそりと、しかし絶大な存在感を誇り、聳え立つ大きな屋敷。
この屋敷の風景だった。
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