(14)悪霊退散

「田崎さん、こんにちは」

「やあ、千尋ちゃん。持って来たぞ」

 決行当日。店を開けた直後に小さめのプラスチックのバケツや洗面器に塩を入れてやって来た市原と立花を、千尋は笑顔で出迎えた。


「いらっしゃい。お二人とも、すぐにでも使えますね。まずは奥から上がって、お茶でも飲んでいてください。打ち合わせ通り、奴が来たら知らせますので」

「そうさせて貰うわね」

「ふはははは! 楽しみだな!」

 店の奥で靴を脱ぎ、そこから繋がっている階段を上がっていく二人を見送ってから、千尋は独りきりの店内で、語気強く宣言する。


「さてと、こっちも準備万端。来るなら来い!」

「にゃうっ!」

 千尋の声に応じるように、出入り口から入って来たクロが力強く一声鳴いた。それで反射的に見下ろした彼女は、真顔で言い聞かせる。


「ああ、あんたも来たのね……。居ても良いけど、奴が来たらいつも通りに、ちゃんと姿を隠しなさいよ? あんたは、こことは無関係だと思われているんだから。例のジャケットの事で、因縁を付けられるのは御免だわ」

「なうっ!」

 クロが即座に了承したように声を上げたところで、小さな子供達が店に入って来た。しかしいつもと若干異なる様子に、戸惑った顔になる。


「こんにちは。……あれ?」

「おねえさん、どうしておかしの上に、ビニールが敷いてあるの?」

 いつもは無い、薄くて透明なビニールシートが低い棚に並べられている商品の上にかけられていたのを見た子供達は、不思議そうに理由を尋ねてきたが、千尋は笑ってごまかした。


「ごめんね、今日だけそんな風にしないといけないの。それを捲って取ってくれるかな」

「わかった」

「じゃあ、これとこれ」

 まだ早い時間帯で低学年であった事もあり、子供達はそれ以上突っ込んで聞いたりはせず、素直にビニールシートを捲って商品を選んで購入していった。同様に何組かの対応をしてから、千尋は時計で時刻を確認する。


「さてと……。これまでの行動パターンからすると、そろそろ奴が立ち寄る時間帯。クロもいつの間にか姿を消しているし、いつ来てもおかしくないわよね」

 店内を見回した千尋が独り言を呟いていると、ここでタイミング良く待ち人が現れた。


「こんにちは、田崎さん」

「あら、大崎さん、いらっしゃい」

(飛んで火にいる夏の虫とは、あんたの事よ! これまでのふざけた振る舞いに対する、相応しい罰をくれてやるわ!)

 内心の怒りなど微塵も面に出さず、千尋は満面の笑みで店の奥へと誘導する。


「どうぞ中に。今、椅子を出しますので」

「ありがとうございます」

(よし、四人に伝わったわね)

 いつも通りパイプ椅子を出しながら、千尋はエプロンのポケットに入れておいたスマホで、待機中の四人にメールを一斉送信する。そしてビニールシートを見て怪訝な顔をしている大崎に、余計な事を聞かれる前に笑顔で声をかけた。


「お仕事とはいえ、毎週大変ですね。同じ所を廻って、大変じゃありませんか?」

 それに彼が、愛想笑いを振りまきながら答える。


「別に、苦痛に思った事はありませんね。それに金曜日は田崎さんにここで会えるので、癒されていますし」

「あら、お上手ですね」

「別にお世辞じゃありませんよ? 初めて会った時から思っていましたが、田崎さんとは他人の気がしなくて。そちらさえ良ければ、千尋さんと呼んでいいですか?」

「私は構いませんけど」

「それなら良かった」

(けっ! ふざけんな! 詐欺師風情に馴れ馴れしく、名前を呼ばれるつもりは無いわよっ! こんなのに一時とはいえときめいたとか、本当に人生の汚点よね!)

 相変わらず爽やかな笑顔を振り撒く相手に、千尋の怒りは倍増したが、根性で笑顔を取り繕った。そして二人で椅子に座ったところで、店の出入り口からボウルを抱えた女性が現れる。


「千尋さん、こんにちは。もう皆は来ているかしら?」

 その声に、千尋は立ち上がって根岸を出迎えた。


「ええ、上で自慢のお漬け物レシピを、披露し合っている筈ですよ?」

「じゃあ、漬け物に使う分とは別に、これは千尋さんにお裾分け。実家から送って寄越したから。赤穂の塩よ」

「まあ、本場の本物じゃないですか。何よりの物をありがとうございます」

「げっ! なんでここに」

 女二人でそんな白々しい会話をしていると、大崎が狼狽して椅子から立ち上がった。それで気が付いたように根岸が店の奥に視線を向け、親しげに声をかける。


「あら、平塚さん、こんにちは。その格好、今日はお休みなのね?」

「あ、いや、それは……」

 まさかこの場で二人が顔を揃えるとは想像だにしていなかったらしい大崎は、狼狽しながら何とかごまかそうとしたが、千尋はそれを無視しながら真顔で根岸に反論した。


「根岸さん、この人は大崎さんですよ? 平塚なんて名前じゃありませんけど」

「え? だって私、平塚さんから名刺だって貰っているのよ?」

「私、大崎さんの名刺を貰っていますけど」

「どういう事?」

「ええと、それは……」

 女二人に疑惑の眼差しを向けられて進退窮まった大崎だったが、ここで更に事態が混迷する事となった。


「千尋ちゃん! すまんな。調子に乗って漬け物を色々作っているうちに、塩が足りなくなっちまった! ひとっぱしりして買って来るから!」

「え!?」

 店の奥から現れた市原を見て驚愕した大崎が、盛大に顔を引き攣らせたが、それには気が付かないふりで千尋と市原は話を続けた。


「あ、市原さん。今ちょうど根岸さんが、お塩をこんなに持って来てくれましたから」

「おう、それは助かった! おや、赤木さん。今日は私服かい。いい男は何を着てもきまっとるな!」

「あ、いえ……、何でこんなに集まって……」

 市原に笑顔で声をかけられた大崎が、茫然自失状態で呟く中、千尋が先程と同様の疑問を口にする。


「市原さん、この人は大崎さんですよ? 赤木なんて名前じゃありませんけど」

「違うわよ、平塚さんよ! 私、まだボケてませんからね!」

「はぁ? だってあんた、赤木敏也だよな?」

「あ、あの……、俺はこれで失礼します」

 もうごまかしが利かないと悟った大崎は、慌ててリュックを手に立ち去ろうとしたが、そこで根岸が金切り声を上げた。


「分かったわ! あなた、ここら辺に昔から出没しているって言う、亡霊ね!? そうでしょう!?」

「え?」

「なるほど! だから人によって姿を変えているから、各自で微妙に認識している内容が違うんですね!」

「は?」

「確かに十何年か前にも、騒ぎになっていたな! その時、この周辺で事故や不審な事件が多発していたが、また悪さをしに出てきたか!?」

 根岸に続いて、千尋と市原にも詰め寄られ、退路を断たれた大崎は狼狽しながら弁解しようとしたが、それは大音量の悲鳴に遮られた。


「いえ、ちょっと待っ」

「きゃあぁぁぁ――――っ!! 亡霊よ!! 怨霊よ!! 悪霊よ!!」

「呪い殺されるぅ――っ!! 助けてえぇ――っ!!」

「そのボウルを貸せっ!! 悪霊退散!!」

「う、うわっ! ちょっと! 止めてください!」

 根岸から塩の入ったボウルを受け取った市原は、寧ろ嬉々として大崎に握り取った塩を投げつける。更に千尋もさり気なくカウンターの内側に準備しておいたバケツを持ち上げ、同様に大崎の顔めがけて塩を投げつけ始めた。そこで階段を下りてきた女性二人が、店の奥から驚愕した様子で現れる。


「根岸さん、千尋さん、何事!?」

「凄い悲鳴が聞こえたけど、どうしたの!?」

「横川さん、立花さん! こいつ悪霊です! 皆の前に大崎とか、平塚とか、赤木とか違う名前の違う姿で出て来て、私達を呪い殺そうとしてるんです!」

「塩で清めてやるわ! 鬼は外! 福は内!」

「それはちょっと、違うと思うが……、悪霊退散!!」

「俺は悪霊なんかじゃ、止めっ」

 もう茶番以外の何物でも無い千尋達の訴えを聞いた二人も、さり気なく持って来た塩入りの洗面器片手に、そのまま塩撒きに参戦した。


「嫌ぁっ!! 私の所にはそいつ、時任の名前で来てたわよ! 呪われちゃう!」

「節子さん! はい、お塩! 私、追加を持って来るから!」

「分かったわ! 食らえ、悪霊!!」

 そして寄ってたかって塩を撒かれていた大崎が、ここで憤怒の形相で周囲を怒鳴りつけた。


「このくたばりぞこないどもがっ! 甘い顔してれば、つけあがりやがって! いい加減にしろよ!?」

「キシャ――ッ!!」

「え?」

 しかし大崎が恫喝すると同時にいつの間にか店内に駆け込んで来たクロが、棚を踏み台に飛び上がり、彼の後頭部に飛び付いた。そして頭頂部から上半身を大崎の顔に伸ばしつつ、盛大に爪を出して引っ掻き始める。


「うにゃ! なうっ! なぎゃっ!」

「うわあぁぁっ!! 何しやがる! この馬鹿猫がぁっ!!」

「にゃおぅっ!」

 予期せぬ痛みに襲われた大崎が、頭からクロを引き剥がしながら投げ捨てたが、クロはさすがに猫であり、器用に身体を捻って何事も無かったかのように着地した。


(ナイス、クロ! あれなら目の周囲じゃなくて、顎から頬にかけてだけ引っ掻く事になるし、間違っても大怪我にはならないわよね!)

 千尋が密かに快哉を叫んでいると、顔を押さえた大崎が悪態を吐いた。

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