前奏

 春も半ばなのにやはりこの廊下は寒い。北向きにしかない窓を備えた長く続く道は、まるで途方もなく長い獣道のように不安を感じさせる。

 たしかに不安を抱いているのは間違いない。なにせ今から会う相手が誰なのかまったく見当がつかないのだから。いっけん告白にも見えるあのメールは、受け取る相手によっては、こんな冷たい廊下もスキップで通り過ぎるのだろう。

(あいにく俺は現実主義者だからな。俺に告白なんてする奴がいない、そんなことは俺が一番わかっている。自分で言うとなんか悲しいな)

 小学校の恋なんてカウントに含まないなんて誰かが言っていた。たしかにそうなのだろう、なにせその子のどこが好きだったかなんて今では思い出すこともできやしない。ましてやその前なんて覚えているはずがない。病室で死んだ母の記憶以外、たぶんどこかに捨ててきたんだろう。

  過去のことなんて思い出したくもない。思い出すだけ無駄なんだ。

 気づくと俺の前にドアが出現した。長く感じていた廊下も終わりを迎え、目的の図書室前。ここまで誰にも会わなかったのは幸運なのか、それとも必然なのか。

 スマホを見ると、6時間目が終わって25分。なぜこんな日に限って片付け係なんだろうか、運の悪さを嘆く。5,6時間目は体育だった。ふしぎと好きなことをしているとき、人は物忘れをするみたいだ。放課後の作戦を立てる間もなく終わりの時間を迎えていた。

(おそらく相手はもうこの中にいるだろう、まずは遅れてしまった理由を説明して謝ろう。そして相手の動きをよく見てから次の行動を判断しよう)

 ドア窓から中をのぞきこむ。そこには人影はなく、ドア越しから声も聞こえない。もはや気配さえもないとなると、不安さらに増していく。

(よし!やるか!)

意を決してドアをあける。向かいにあるカーテンが揺れ、暖かい風が吹き抜けると、風に揺れる長い髪を手でおさえる少女がいた。

(あれは、、)

振り向くその横顔は見たことのある、いやついさっき見た顔だった。世界がスローモーションに見えるなんて現実で起きるものだと身をもって学んだ。心奪われるままに、ただ彼女を見ていた。

(まさか津島さんが俺を呼んだのか、いやそんなことはあるはずがない。だって知り合いどころか、話したことすらもないいのに)

 動揺している俺を横目に彼女はこちらに1歩、また1歩と近づいてくる。手を伸ばせば届くような距離まで来ると、彼女がゆっくりと口を動かし、言葉を丁寧に紡ぐように声を出した。

「やっぱり、あなたもだったのね」 

(やっぱり?あなたも?なんのことだ)

たぶん俺は誰が見ても動揺してるとわかる顔をしていただろう。さっぱり状況が分からない。一度冷静になるために、とりあえず返事をする

「何のことだ」

彼女は俺の言葉を聞いて、ポケットからスマホを取り出しいじり始めた。そして俺にスマホを向け、

「これでわかるはず」とつぶやく。

俺は目の前に出されたスマホの画面をおそるおそる見る。そこには見覚えのある文字が並んでいた。

「これ、は、、」

そうそれは俺と送られてきたメールの内容と同じ、図書室で待つという内容、そして確実ではないがこの即席感のあるメールアドレスもおそらく同じだろう。

「じゃあ俺たちは同じ時間、同じ場所に呼び出されたっていうことなのか」

「そういうことだと思う。確証はなかったけど、あなたのスマホも同じ時間に鳴ってたし」

「えっ」

彼女には俺の通知音が聞こえていたようだ。そういえばあの時のことをあやまっていなかった。昼休みに彼女は教室には戻ってこなかったし、体育も男女別種目だから会うタイミングもなかった。

(なんて都合良すぎるな。しっかり伝えるべきだろう)

「津島さん。あのー 、日本史の時間はごめん。あの時俺も名乗り出るべきだった」

「いいよ、そんなこと。全然気にしてないから」

「それならよかった」

 この会話を境に俺たちは何分間かの沈黙時間に入った。なにせ今まで一度も話したことのない相手だし、異性ともなれば話す内容も思いつかない。

 ふたりの間に流れる沈黙を終わらせたのは、春の風のような暖かいものでもなければ、閉め忘れたドアから入ってくる冷たい廊下の空気でない。無機質な感情も体温さえも感じない機械音。スマホの通知音だ。 

 「おおぅ」と俺はとっさに声が出ていた。

いきなりで驚いたのもあるが、それ以上にまた同時に2台のスマホが鳴ったのだ。たぶん今回も送り主も内容も同じだろう。

 メールの内容は身構えていたのに反して肩透かしを食らった内容だった。

ただなぜだろう、目の前の彼女はかなりのポーカーフェイスなのだろうか、驚きの顔1つ見せていない。

(なんだ?俺だけなのか、驚いてるのは)

 メールの内容は単純明快。

「明日は音楽準備室で待ってます」 

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