自殺の天才

暇和梨

第1話 自殺の天才

 ――閉戸唯花は天才である。

 彼女のことを、学園にいる誰もがそう思っていた。

 成績順位不動の一位。

 彼女が入学して以来、一位の座は常に彼女のもの。誰にも奪われたことは無く、誰も奪おうとしない。

 二位以下を引き離す、「全教科満点」という驚嘆すべき事実。

 唯一人、合計点が「千点」となり桁一つ違うということ。

 ――コンピュータのように、ミス一つ無く答えを弾き出す。

 あいつは、俺達とは別種の存在、別種の生き物だ。

 誰もがそう思った。

 その才能か、病的なまでに白い肌と、艶やかな黒髪のコントラストのせいか。彼女は常に、他者を寄せ付けない雰囲気を放つ。そのため彼女に友人はおらず、いつも独りだった。また事実として、彼女の極めて高いスペックでは、人に合わせる必要性は皆無だった。

 彼女は外見も中身も超人に相応しいと言える。

 箱庭のような、閉ざされた学園の住人でありながら、ただ「いる」というだけで、閉ざされた空間にあっさりと風穴を穿つ、規格外の存在。


 ――そんな彼女がある日、校舎の屋上から飛び降りて自殺した。


 遺書は無く。

 ……誰も、最後まで彼女を理解できなかった。






 どこまでも真っ白な世界で、唯花は目を覚ました。

「…………ここは……?」

 天国だろうか? 唯花はまずそう思ったが、すぐ否定した。

 古今東西、あらゆる宗教で「自殺」は禁忌とされている。善行も徳もロクに積んだ覚えはない。故に、天国直行はまずありえない。

 何より、自分の外見はどうだろうか。

 服装は、自殺する直前に着ていた学園指定のセーラー服と黒のタイツ。飛び降りる前に脱いだから靴は履いていない。

 ……そして、その全てが血飛沫を浴びたように血で汚れている。

 死んだ瞬間の状態なのだろう。唯花はそう納得した。

 ただ幸い、触った限り、割れたであろう頭蓋骨は無事だ。四肢も動く。正確には、死んだ当時の「服装」ということだろうか。

 ……これから自分は、いったいどうなるんだろう?

 死ぬ前は深く考えていなかったが、いざ死んで「現実」を見ると不安を感じる。

 唯花は不安が膨れ上がっていくのを感じながら、周囲を見渡した。

「…………」 

 どこまでもどこまでも。ただただ真っ白な世界。


 何もない。どこまで先にも、何もない。


 スカートを這い、零れた血がどこにも落ちずに消え失せる。

 ―――自分も、いつかこんな風に「異物」として消えてしまうのだろうか。

「―――っ!」

 唯花は底知れぬ恐怖を感じた。同時に、ソレを求めて死んだのではないか? と自問自答した。

 ……確かにそう。全てを擲って消え入りたくて自殺した。

 ……だけど。ここでもそうなるのだろうか。

 現世で「異物」扱いに耐え切れず、孤独に耐え切れず自殺した。それが私だ。

 その上、死後の世界でも「異物」として処理されるのだろうか……?

 ああ……。


 これが「罰」なのか?


「…………そんな風に思うなら、最初から死ななきゃいいのに。相変わらず、キミって馬鹿だねぇ」

 どこからともなく、若い男性の声が聞こえてきた。

「…………誰?」

 唯花が辺りを見渡すと、けたけたと笑い声が聞こえてきた。

「こっちだよ」

 男は唯花の真上に浮かんでいた。

 蛇を思わせる滑らかな動きで、男は優雅に身体を滑らせ唯花の正面に来た。


 奇妙な外見の男だった。

 年は唯花と同じくらい。浴衣を着ているのに頭には烏帽子を被っており、首には勾玉のペンダントを幾つもぶら下げ、浴衣の裾からは青のデニムが少し見えた。

 全体的にちぐはぐだが、男には不思議と似合っていた。

「……変な服装だね」

 唯花が言うと、男は肩をすくめた。

「ウチは偶像崇拝じゃなくて自然崇拝だからね。……特に最近は古代になったり中世になったり、意表を突いて今風の洋服だったり。描かれる姿が安定しないからさ」

「……よく分からないけど、日本の神ってこと?」

「イエス」

 軽いノリで、男は拳を上げ親指を上に突き出した。

「…………」

「そう冷たい目で見るな。オレの気持ち次第でお前の待遇が変わるのだぞ? 媚び諂い敬いたまえ」

「……仮にも神を名乗りながら、人間らしいことを言う」

「日ノ本の神は人間らしい感性がウリだ」

 軽口を返し、男は唯花を見た。

 何気ない視線。

 だけど、唯花は蛇に睨まれた蛙のような気分になった。

「……分かっていないと思うけど、これでキミの自殺は百万回を超えることになる。既にキミは百万回生きて、百万回自殺しているんだ」

「…………嘘だ。そんなの」

 咄嗟に、唯花は否定した。

 男はやれやれ、と言って頭の後ろに両手をやり、「そう言うと思った」という顔をした。

「……まぁ、正確な数は覚えちゃいないが、膨大だということだけは確かさ。……キミはいつも自殺して死ぬ。そして、選ぶのはいつも『飛び降り自殺』だ」

 くくく、と男は蛇のような笑みを浮かべた。

「飛び降り自殺はいい。死んで咲く醜く惨たらしい華は、見た者にトラウマを植えつける。自宅や山奥で練炭自殺や首吊り自殺を選択するより、大勢の人に恐れを抱かせる。電車への飛び降り自殺と違って、遺族にかかるお金の心配もない。『またか』と誰かに舌打ちされることもない。何より死ぬ前に、一瞬だけど鳥のような気持ちになれる」

「……そんな」

 自殺者を、自分を何だと思っているのだろう? 唯花は困惑した。

「毎回コレを選ぶそのセンス。……本当に、

 皮肉なのか、本気なのか。人ではないからか、唯花には男がどうしてそんなことを言っているのか、分からないし分かりたくもなかった。

「アナタ……神なんでしょ? どうして皆が自殺したのか分からないの? 皆を救おうと思わないの?」

「神も暇じゃない。ゴッドオブウォーズのやり込みで忙しい」

「……マジメに答えなさい」

 男はまた肩をすくめた。

「もう神代は終わった。神の世じゃなく人の世だろうに、深入りする気はない。……だが何もしていないわけじゃない」

 そう言って、男は唯花の胸を指した。

「キミは特別。あまりに自殺するキミは、人がなぜ自殺するのか探るのにちょうどいい実験体だ」

「……実験体?」

 不穏な言葉に、唯花は眉を顰めた。

「そう。実験体。キミは何度も何度も生き返らせたのに、何故かいつも自殺する。本当、不思議だ」

「ワタシが……」

 自殺した。何度も、何度も。

 ……本当にそうなのだろうか? この男の虚言ではないだろうか?

 全く記憶にはない。だが、当然ながら唯花はその言葉を否定できるものを持ち合わせていない。

「いつも必ず自殺するキミは、データを取るのに都合がいい。キミを元に、オレは人がなぜ絶望し、自殺を選択するのかを探る。……人を救うにせよ、救わないにせよ。まずそれからだろう? じゃなきゃ、何をすべきかも定まらない」

「……何で、私一人だけデータを取るの? 自殺した人皆に聞けばいいじゃない」

 唯花がそう尋ねると、男は肩をすくめた。

「キミは毎回意識がしっかりしてるけど、死んだ時のショックで理性が崩壊してて、まともに会話できない人も結構多いんだよ。だから一人一人に聞き込みするのは徒労ばかりだし、キミには自殺を無くすべくイロイロ調整してるからね」

「……調整?」

 唯花は思わず聞き返したが、男は視線を逸らして口笛を吹き、露骨に無視した。

「――ねぇ、今回は何で自殺したの?」

 男は尋ねた。

 一歩、二歩とリズミカルに唯花に近寄り、唯花の顔を両手で掴んでその瞳を覗き込んだ。

 静かで、感情の見えない瞳。――実験体を見るのに相応しい目。

 唯花は、ミミズクのような瞳だと思った。

 顔も、視線も逸らすことを許されず、唯花は男に抗えない。

「……何で、言わなくちゃいけないの?」

「人を、救うためさ。――怖がることはない。もう幾度となく繰り返してきた質問だし、キミとオレの仲じゃないか」

 何故か、男から目を逸らせない。

 答えたくないのに、答えなくてはならない気がする。

 閻魔大王に罪を暴かれ裁かれるというのは、こんな感じなのかと唯花は思った。

「―――寂しいから。独りは、寂しいから」

 唯花の口から言葉が零れる。……それは、生前誰にも言えなかった言葉だった。

「……寂しい? あれだけ賞賛されて、人に囲まれてまだ寂しいって言うのかい?」

 男は追及を緩めない。……その感情の感じられない声に唯花は苛立ったが、だからこそ感情的に、怒りと一緒に内に溜めていた思いを吐きだした。

「だって、それって対等じゃない! 賞賛なんて、いらない。―――っ、わたしは、ただ一緒に遊びたいだけ」

 唯花の目から、静かに、一滴だけ涙が零れた。

 ……一緒に映画を見に行ったり、カラオケに行ったりお茶を楽しめる友達。

 ……クリスマスが寂しくない恋人。

 そういうものが、唯花はずっと欲しかった。

「……天は二物を与えない。それに、一つ与えられたなら、その代償を受け取らないといけないこともある」

 男は唯花の顔から手を離してそう言った。

「才能を持つなら、剥き出しのままじゃ対等には付き合えない。キミは装束を装う術を知らなかったし、努力もしなかった。……そういうことか」

 男は淡々とそう言って納得した。

「……簡単に言ってくれるね。アンタに何が分かるっていうの?」

「分からない。神に天才の苦労を分かれと? 鬼才って言葉はあっても、神才って言葉はないんだよ」

「神童ならあるじゃん」

「……キミは童って年かい?」

 やれやれ、と男はまた肩をすくめた。

「そのオーバーリアクション、何? 日本人はそういうことあんまりしない」

「突っかかるねぇ」

 男は余裕そうにけたけたと笑った。

「……確かに、俺には天才の苦悩が分からない。でも、キミもかつてはそうだった筈だよ?」

 そう言って、男はパチン、と指を鳴らした。

 すると、唯花と男の横で、テレビスクリーンのように映像が流れ始めた。

 そこに写っていたのは、唯花とそう年の変わらない男子高校生だった。

 流れているのは、その少年の日常風景。

 年の近い少年だが、唯花とは決定的に違っていた。


 ――その少年は、どこまでも凡庸だった。


 成績は悪くもないが、取り分け良くもない。

 イケメンというわけでもなく。カリスマ性がない変わりに、人を遠ざけるような空気もない。

 だが同時に、それは唯花が欲してやまない姿だった。

 本人からすればなんでもない行動かもしれないが、クラスメイトと仲良く談笑する様子は、唯花には心の底から羨ましかった。


 だが、次第に少年の心は絶望に染まっていった。

 それは唯花からすれば理解できない、真逆の悩み。

 凡人であるが故に。全てのことは、少年がいなくても、幾らでも代わりがいた。

 少年と同じ、凡庸な人間は幾らでもいて。

 幾らでも代替が利く。

 少年はそんな社会の歯車に過ぎなかった。

 ―――自分がいくら努力しようと、代わりが無限にいる以上意味は無い。

 少年はそう考え、校舎から飛び降りて死んだ。

「…………」

 少年が死んだことで、音も無く映像が消え、映像があったところは元通り真っ白になった。


「コイツ、前世のキミなんだ」

 男は淡々とその言葉を口にした。

「…………」

「前世のキミが天才を羨んだから、今度は才能溢れた人間にしてあげたんだよ」

「…………」

 唯花は何も言わない。何も言えなかった。

「でも結局、飛び降りちゃった」

 男はつまらないものを見るような目で、唯花を見た。

 唯花が怯えて、視線を逸らす。しゃがんで、身体を丸めて縮こまる。

「―――なんだ、キミって、何にでも絶望して、いつだって死ねるんだね」

 その言葉は、深く深く唯花の胸を抉った。

「……………………だって」

「ああ? なんだって?」

「だって、…………希望を抱けないもの。いつまで苦痛が続くのか、そう思うと耐え切れない」

 顔も上げずに、唯花はそう言った。

 その言葉に、初めて男は悲しそうな顔をした。

「……それは、俺には分からない。俺の時間は有限じゃない。『何かがいつまでも続く』……そう感じる苦痛が理解できない」

 でも、と男は付け加えた。

「才能があっても無くても、キミは絶望する。才能さえ無ければ、というのは間違いだね」

 その言葉に、唯花は不承不承頷いた。

「…………そうね。そうみたい」

 身体を丸めたままの唯花が、ふわっ、と男の目線まで浮かび上がる。男の手が、唯花の頭を撫でた。

「……人は本当に、様々な理由で傷付くね。こんなことを百万回繰り返したけど、まだまだ分からないことが多すぎる。……どうしてそんなに絶望するんだい?」

「そんなの知らない。同じ人間でも分かり合えないのが人間だもの。……ねぇ、もう私を解放してよ」

唯花がそう泣き言を零すと、男は首を振った。

「今解放すれば、キミにとってよくない」

どうして、と唯花が聞いても、男は答えなかった。ただ、それがここのルールなんだよ、とだけ言った。

 ぽとり、と唯花の目から涙が零れた。

 再び、男は唯花の頭を撫でた。

「人生、そう悪いことばかりじゃないさ。実際良いことも沢山あったろう? 少なくとも、キミを見ているオレはそう感じたけどな」

「…………ストーカー」

「違う。神のご加護だ」

 ムキになって即座に否定するあたり、ストーカーっぽいなと唯花は思い、少しだけ笑った。

「ようやく笑ったか。やはりキミには笑顔が似合う」

 ホッとしたらしく、男も少し笑った。

「……何言ってるの。私の前世は男よ?」

「今生は女だし、そもそも最初に生を得た時も女だったぞ?」

 男は懐かしそうにそう言った。

「最初?」

「だいたい百万回前の命の事だ。……見目も魂も、誠に美しかったな」

「……何それ、口説いてるつもり?」

「馬鹿を言うな。単なる昔話だ。――とはいえ」

 当時は口説いたけどな、と男は微笑んだ。

「…………」

 唯花は、何だか申し訳なくなった。

 この男……いや神は、実験であったとしても、途方もない時間を唯花の為に使ってくれているのだ。それは、とてもありがたいことだ。だというのに、唯花はまたしても自殺してしまった。

 孤独はつらかったけど、勉強も運動も芸術もまぁまぁ楽しめたし、前世みたいに劣等感を感じることはなかった。……納得はできないが、これが前世の私が望んだ人生なのだろう。主観的に見れば酷い人生だったが、客観的に見れば、将来が約束された、いい人生だったのかもしれない。

 唯花は涙をふいて、ため息をついた。

「…………後悔しているのかい?」

 男の言葉に、唯花は悩んだ末に「そうね」と答えた。

「決断が早かったのかな、よく考えれば楽しいことも色々あったし、できることがあったかもしれない」

 くくく、と男は笑った。

「そうだね。――キミにはまだ、できることがあった。逃げる先も、方法もあった」

 男はもう一度、唯花の頭を撫でた。

 それから、パチン、と指を鳴らした。

 真っ白だった世界が急速に暗くなっていく。唯花は、自分の意識が朧気になっていくように感じた。

 ―――どこかで感じた感覚だ。何度も経験したことがある。唯花は、そう思った。

 男が優しく微笑んだ。

「大丈夫。――本当は、キミはまだ死んでいない。これは予知夢のようなもの。明日、キミは思いつめて自殺するなんだ。……さて、どうなることやら」

「―――待って、私」

 唯花が思わず止めようとした。……理由は、本人でも分からなかった。男に、何か言いたいことでもあったのか。

「じゃあな。―――今度こそ、幸せにな。キミが幸せになるまで、オレの実験は続くんだから」

 そして全てが黒く染まり、消えた。








 閉戸唯花は天才で、完璧超人だ。

 だから、彼女は教室で寝たことが無い。

 品行方正な彼女は、授業を無視して寝たことが無かった。

 ――だからその日、彼女は自分が教室で寝ていたことを知り、ひどく驚いた。

 教室はガランとしていた。クラスメイトの机の上に制服が脱ぎ散らかされていることから、体育の授業中なのだろう。時計と時間割をチェックし、朧気な記憶から唯花は寝ていた時間を推測する。……どうやら自分は、少なくとも三十分は寝ていたようだと唯花は呆れた。

「……変な夢を見ていた気がするわ」

 誰も見ていないことをいいことに、唯花は大きく欠伸をして涙を拭った。

 ―――クク。

 小さく、誰かの笑い声が聞こえた。

「!?」

 赤面しつつ、慌てて口元を隠し教室を見渡すと、クラスメイトの女子生徒が一人、唯花同様、教室に残っていた。

「いやー、閉戸さんの気を抜いた姿なんて、貴重なものが見れたよー」

 のほほんとした様子で、クラスメイトはそう言った。

 唯花は、それに対し何と答えればいいか分からなかった。唯花は、そんな風にフレンドリーな感じで茶化された経験なんて持ち合わせていなかった。

「もー、そんなに固くならないのっ! わたし達は授業をボイコットした寝ぼすけ同士なんだから、仲良くしましょ」

 そう言ってクラスメイトは唯花に近寄ると、にこっと笑った。

「は、春先は……眠くなっちゃうから」

 唯花は何故か、寝た理由を言い訳した。

 何と言っていいのか分からない。欲しいものが目の前にあるのに、どうすればいいのか分からない。唯花はそういう子だった。

 唯花の言い訳を、クラスメイトはアハハと笑った。

 ……なんて名前だったっけ。たしか……。

「あたしと同じだ! 春の眠気に負ける者同志、あたし達仲良くなれそうだね、唯花ちゃん!」

 ……――その言葉は、唯花がずっと、ずっと待ち望んでいた言葉だった。

「うん、

 唯花はそう答え、久々に心の底から笑った。

「じゃあマジメな唯花ちゃんに、授業の楽しいボイコット方法を教えてあげよう!」

 夕奈がそう言って、唯花の手を取って走り出した。



 

 ―――結局、翌日彼女は飛ばなかった。

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