3.林檎殺人事件

林檎殺人事件

 ヒトの記憶というモノは実にいい加減なもので、真実であっても真実ではなくても、「事実」を自分の都合の良いようにねじ曲げて記憶してしまう、出来てしまうものである。


 怪盗黒蜘蛛……左京院煌子さきょういんきらこにだまされた男達もまた、事実を自分の都合の良いように考え、ねじ曲げた状態で警視庁に訴え出てくる。

 曰く

「煌子にだまされて10万円をむしり取られた」

「自分の美貌に煌子が惚れて、いつの間にか家に出入りするようになってしまった」

「自分にはそんな気持ちはなかったが、あまりにも自分を愛する煌子がかわいそうになり、ついつい交際をし、婚約者として金を都合してしまった」

 そんな男共の戯れ言を、警視庁捜査一課の警部補である剣持昭夫けんもちあきおは、もう41人分も聞いてやっている。

 そして、そんなに向かって言うことはいつも同じだ。

「それは、煌子に金を盗られたのではなく都合したんですよ。ね」


 剣持の後輩で相棒刑事である小野寺昌明おのでらまさあきは、剣持がもうこの黒蜘蛛事件に嫌気が差していることを知っている。

 だいたい、身体どころか脳の中身まで筋肉で仕上がっている剣持が、ヒトの心の機微を追わねばならない詐欺事件を担当することなど、出来ようはずがない。剣持に似合うのは殺人事件や、強盗事件、立てこもり、恐喝、万引きなどの荒くれた男達を扱う事件だ。

 現行犯だと、なお、いい。

 剣持の厳つい大きな目は爛々と輝き、全身の筋肉が高揚し、今まさに銃やナイフを振り回す凶悪な男達に、意気揚々と襲いかかる。そしてものの5分もしないうちに、たったひとりで凶悪犯を組み伏せてしまう。

 小野寺昌明から見る剣持昭夫とは、そんな男だ。


 小野寺がまだ警視庁に入庁する前、剣持はたしか、未だに解決していない凶悪な殺人事件を担当していたと聞いている。

 確かそのときに組んでいた相棒の刑事が事件に巻き込まれて亡くなってしまい、殺人事件の担当を外された剣持は、新しい相棒も決まらずにただ日がな一日、のんびりと万引き犯や強盗犯を追いかけ回していた。

 入庁したばかりの小野寺はその剣持の相棒として、警視庁捜査一課に配属されることになった。

 新しい相棒を得た剣持はすぐに殺人事件の担当に戻ることを希望したが、まだ大學を出たばかりの小野寺を凶悪な殺人事件に回すのは荷が重いからという理由で、剣持と小野寺は殺人事件から結婚詐欺事件である「黒蜘蛛事件」を担当することとなる。



 剣持が以前担当していた殺人事件の名前は、通称「林檎殺人事件」といい、すべての被害者が林檎を握りしめて亡くなっているという、奇っ怪な事件であった。

 被害者は4人いる。

 最初の被害者は子爵の藤島浩介。年齢は35歳。

 今から8年ほど前、自室で手紙を書いている最中に、何者かによって射殺された。

 二番目の事件は7年前。被害者は後藤仙太郎という40歳の男爵だが、この男もまた、何者かによって射殺された。

 三番目の事件は5年前に起きた。剣持はこの事件から、「林檎殺人事件」に携わっている。

 被害者は須藤京介、48歳。名門、伯爵家の出だという触れ込みだった。遺伝子の型は現当主の須藤伯爵と非常に似通った型をしていたから、おそらく先代の須藤伯爵がメイドか何かに手を付けて産ませた子には間違いないのだろうが、当の須藤伯爵家の誰もがその男の顔を知らず、検死の終わった遺体は引き取り手のないまま、警察が荼毘に付して他の身元不明の遺体と共に合葬した。


 特筆すべきは4番目の事件である。

 被害者は、剣持の妻……嘉女かめ、28歳。

 被害者が若い女性であり、華族ではなく士族の妻だったことから、事件当初「林檎殺人事件」との関連性は低いと思われた。

 だが、嘉女の手にはしっかりと林檎が握られており、彼女の遺体には他の被害者と同じ拳銃の弾痕がハッキリと残されていた。


 残念なことに、ここより先の剣持の記憶は、ない。


 剣持の直属の上司であり、警視庁捜査一課長である長岡はこう述懐する。

『剣持の相棒であった42歳の刑事、高津は被害者たちと同じ拳銃で頭を撃ち抜かれて即死。剣持も頭と肩を撃ち抜かれていたものの、ビルの屋上で虫の息で倒れていたところを清掃員が発見。すぐさま、「国斎商社」の運国斎の元に運び込まれて処置を受け、すんでのところで一命を取り留めた次第である』……と。

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