分岐点の向こう側
再び白い天井を拝む事となり、ご察しの通りで計画は完璧だった。
雨が降り続けて三日目。雨がぽつぽつと水たまりに輪を描く。目に写るものが次第と色をもった。重たい雲の下でえむあーるあいとかそんな感じの精密機器に通されて異常のあるわけのない頭を検査されて脳震盪を起こしたフリをするのは大変だったけれど、うまくいったようだ。さすがに社会常識や数学、文字を偽るのは難しいので、今まで体験した出来事だけを忠実にぼやかした。
なんとか診断に記憶喪失をこじつけたところから、心意的なストレスも相まっての事だと処理された事に違いない。
今までとはキャラを一変させてしまえば、母親だって俺の扱いに困ることは無いだろう。最大の壁だった再婚という記憶を持っていない息子に接するのなら、白紙に絵を描くようなもの。逆に母親が俺にどんな嘘を吐くのか。あるいは大切な事柄をいくつ伏せるのか。性格が悪い人間みたいに採点する自分を想像して、罪悪感すら覚える。
千成にはツラい役を任せてしまったが、ご希望通り遠くへ、少しの間だけれど警察と児童相談所へ連れて行かれた。母親にはやんわりと記憶を失う前の友達ならば悪いようにしないで欲しいと願いを言い、被害届は出ない形で示談となった。怖いくらいに思惑通りに進んでいく。引き返せないところまで来ているからには、俺だって嘘を吐き続ける努力をしようと気を引きしめた。
刺された時と同じような段取りで警察が来て、入院も同じような日数だった。原因は突発的に起きた兄弟喧嘩を止めに入った事になったようで、やはり犯行現場は建設予定地の前の通りになっている。驚いた事がひとつあって、警察の口からあの通りをまっすぐ進むと二人の自宅があるらしいという話を聞いた。結構な付き合いなのに、全然知らなかった事柄だから、本当に記憶喪失みたいな反応になっただろう。
包帯を巻いたまま登校する事になり、学校まで母親に連れって貰った。ずっとぼんやりとした笑みを浮かべて、よそよそしくお礼を述べると母親は「あなたのお母さんだから当然よ」と涙ぐんで笑っていた。いままでの自分がいかに残酷な事をしていたのか、理解はしていたがなんとも言えない気持ちで胸がいっぱいだった。
通り魔とは違って本校の生徒が起こした傷害罪にあたる事だったら、先生からいろいろ質問攻めにされたが記憶喪失のためなにも答えられないフリをした。二週間ほどすれば包帯から絆創膏へ。傷跡は小さな瘡蓋になっていた。自宅謹慎処分明けの千成が登校してきた時には、教室の空気がガラッと一遍した。けれど俺から「初めまして」なんて朗らかに声を掛けるとクラス一同ほっとしたような塩梅だった。
「本当に、記憶が」
開口一番に世喜がそんな事を言う。
「俺のせいで」
世喜がなにか言う前に俺は「すいません、覚えてなくて」と声をかぶせた。それからシレッと疑問形を並べて世喜に名前を訊ねると「千成だ。三木、千成」と今にも泣きそうな声色で答えた。
脆いガラスのような瞳が揺れていたから「じゃあ、千成って呼んでもいいですか」と笑って伝えた。
朝の教室に似つかわしくないざわめきにはどこか安堵の声が聞こえたから、世喜も千成として前と同じような日常を送れる事を察した。案外、うちのクラスはお人好ししか居ないようだ。
違和感のないレベルで親友みたいなポジションを取って、けれどクラスメイトの受け答えを入学式レベルの新鮮度で提供する。誰も俺の嘘には気が付かなかったし、俺に変な嘘を吐くものは居なかった。
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