最後の嘘
目が覚めると窓の外は暗い空。ぽつぽつと雨が降っていた。激しくは見えないが、夜通し降っていたのか屋根や雨どいは川のようになっている。雨の季節にはほんの少し早いけれど、低気圧気味で頭痛がした。
「感傷的になる必要なんてどこにもない」
思ったことを口にするが、気分だけが重たくのしかかる。寝起きの自分の声はかすれていた。
支度をしてそろそろと静かに階段を下る。母親に「おはよう」と告げると、目を見開いた。いままでロクに挨拶をしたことがなかったから、きっと驚いたのだろう。同じくおはようと答える声は、女性特有の高い声。自分とキーがだいぶ離れた音である。
ぎこちない母親に言葉のかわりに軽く笑った。間をすりぬけて、キッチンでコップ一杯の水を飲み干す。
大きな変化は何もない。俺が変わるべきなら、変わったっていいのだ。そう気が付かせてくれたのは紛れもない千成だけど、千成本人は気が付いていないだろう。
流石に朝ごはんはまだ胃が受け付けないと思い、身支度をしてそのまま登校した。なんでもない学校生活を送り、千成の隣で平生を保ち、放課後になる。
刺されてから会っていないからきっと騙しとおせると思った。本当の事に気が付いた事を悟られないと思えた。当然、千成だって協力してくれると確信している。
だから千成に導かれるまま、例の建設予定地に向かった。水のついた足跡がてんてんと目につく。先客の傘がすでに部屋のようなフロアの出入り口の陰に立てかけてあった。俺達もお互いの傘を同じように立てかけた。
俺が刺された時と同じ場所で、来北の学ランを着た三木世喜が立っていた。
「久しぶりだね。真也」
初めて世喜と会ったときによく似た表情を張り付けた顔。嫌に緊張している自分を自覚する。
「久しぶり」
掛けるセリフを間違えないように、頭の中を手探った。逆光気味の世喜に目を細める。本当に瓜二つな兄弟に、どっちだって同じだからと言った気持ちがよくわかる。
案内のために隣にいた千成がそっと背後の出入り口の方へ移動した。きっと壁に寄りかかって腕を組んでいるに違いない。俺は歩を進め、世喜の近くへ向かった。
特に変わった様子もなく、挨拶以外に言葉を掛けない世喜は自分のポケットに手を突っ込んで立っている。これが三木世喜という設定の反応なのだろう。……もっとも、本人だから設定もクソも無いだろうが。
「俺はあんたにとっての特別になりたい」
手を伸ばして抱き寄せる。世喜の視界を意図的に自分の体で覆った。
「真也はもう十分、俺にとっての特別だよ」
「でもお前の条件はそれじゃあダメなんだろう」
両手の中で息を吐く様に笑った事がわかる。
「気づいても、踏み込んでくる人は誰も居なかった」
ぽつりと言った言葉に、きっと嘘は無いだろう。波木みたいな中学の同級生は気が付いたように、わかる人はわかったのだろう。けれど誰も咎めもしないし、感心も持たなかった。
「――真也だったら。真也だっ」
言いかけた世喜の声を遮ったのはコンクリートの床に叩きつけられた衝撃だろう。傘を振り上げた千成が必要に俺と世喜を殴る。はじめは世喜をかばって、立ち上がり、傘を抑えて反抗する。それから千成が俺を薙ぎ払い、止めの一発を脳天に加えた。意識が貧血みたいに暗転して、世喜が「真也」と呼ぶ声が鼓膜に届いたのが最後の記憶だった。
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