合わせ鏡の真実

 教室に差し込む光は午後の日差し。黄昏た様子で窓辺に立つ姿を凝視する。白い肌には夕焼け前の黄色を受けていた。


「どうした、品川」


 何の感情も見えない顔を向けられる。ここからじゃ首筋は髪の毛に隠れて見えなかった。


「これでいいのか」


 震える右手を左手でいさめ、問いかけた。重たい空気感が沈殿する。


「それは、俺が決める事じゃない」


 逸らした視線の向こう側は、窓の照り返しのを見つめているようにも、色付いた雲を数えているようにも見えた。ぼんやりとした様子で答えるから、つい「今はあんたが千成だからか」と疑問形で言葉を返した。


「そう言う事になるね」


 口調とは裏腹に軽いセリフ。そっと寄り添うように、窓辺に歩み寄る。


「本当は、あんたが千成であっているんじゃないのか」


 ほんの少し手を伸ばせば触れられるほどのゼロ距離。太陽が雲に隠れて、教室を薄暗くさせる。その暗闇がきっかけでそれまで虚ろだった視線を俺に合わせるもんだから、次第と目が合った。


「この間は、俺に向かって俺は世喜だって言ってくれたのに、今日は意見が違うみたいだな」


 牙を失った片割れを怖がる理由は何もない。だからそっと耳元に近いところを触れて白磁のように浮いた傷跡をまさぐって探していた。


「前にも言ったけど、俺はもう分からないし、どっちでもいい」


 諦め口調はどっちがオリジナルなんだろう。


「ずっとそうして生きてきて、つらい思いをしてきたんだな」

「品川に言われる筋合いはない」


 かすかに皮膚が浮いているアルファベットの傷文字を指がとらえる。そっと黒い髪の毛をめくると、ティアイと刻まれていた。


「確かに、俺に言われる筋合いなんて無いよな」


 点と線が繋がって、波木の言っていた不可解な言葉の意味も解決した。だから、次は本当の名前を呼んであげられる。両方とも救いたいなら、俺には何ができるだろう。俺ができる最善はなんだろう。


「なぁ、千成。俺はあいつに一つだけ嘘を吐こうかと思う」


 間違えようのない決定的事実を記憶の楔に打ち込んで、自分の一生を棒に振ってやろうと決意する。


「そして、それ以上の嘘はつかないとお前に約束する」

「品川、」

「あいつはわかってくれるだろうか」


 瓜二つの顔を俺に向けるから、覚悟が揺らいでしまいそうになる。


「品川が千成を大切に思っている事はわかった。けれど、俺がどうこう言えたことじゃない」

「あんたが世喜だからか? 世喜・・という設定・・だからか」

「俺は、」


 終わりを願う事は酷なのか。現実が好転するとは到底思えなかったけれど、希望を願ってしまうのは俺のエゴなのだろうか。


 言葉の先を待っていたが、結局、決めるのは俺になってしまうのだろう。……こいつが決める事が出来るタイプなら、そもそもこんな事にはなっていなかったに違いない。


「なぁ、千成。本当の事を教えてくれないか」

「本当の、事?」


 わかりきった疑問形を向けて来るあたり、すべてを理解しているのにもかかわらず、認めたくない自分がいるんだろう。


「荒唐無稽な言葉ばかりを並べていて、結局答えをはぐらかす。ならば、俺が新しい茶番を演じるよ?」


 わかりやすく困惑するクセに、目は口ほどに物を語る。どっちでもいいわけじゃないのに、とても似ているその顔を向けられる現実を前にしている。


「品川の仰せのままに」


 疑いの無い肯定系はきっと本願だろう。嘘偽りのない気持ちに難しい顔をしてやった。


「連れてって。どうか、もう二度と迷わないほど遠くへ」


 兄弟だと近すぎて見えない。他人だと遠すぎて気が付かない。俺の手を掴んで、頬に押し当てる。俺より少し冷たい体温が手のひらに伝わっていくが、まったくもって心の中身は読み取れない。間を挟むガラス張りの膜を両手で叩き割るつもりで、するりと解いて三木千成を抱きしめた。


 夕焼けの真っ赤が教室に散らかって、最終下校を告げるチャイムが鈍い音で鳴り響いていた。

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