長い夜


 千成を家に呼んですぐ、母親が俺に「友達が来るなら先に言ってよ」と言われたが、何を言ったか忘れてしまうほど当たり障りのないことを返した。夕食はコンビニで適当に買って、自室に持ち帰った。母親は俺が人を家に上がらせたのが珍しくてしょうがなかったみたいだった。それに千成が着ている制服は本来着ているはずの、俺らの制服とは違う高校の制服だ。驚くのも無理ない気がした。

 千成は相変わらずの無表情で、必要最小限しか話してくれなかった。

シャワーを貸すときに服も貸すことになった。風呂上がり、俺より少し足りない身長のせいで貸したシャツのはみ出たところから、生々しい爪痕がちらりと見えた。言葉で語られるよりも残酷な事柄を、その体は無言で俺に訴える。自然と目線を逸らしてしまった。

 一階の明かりが消えて母親や多分帰ってきたであろう父親が寝静まった時刻、窓ガラスから見える範囲の光も、片手で数えられるほどになっていた。俺もあたりにならい部屋の明かりを消した。月明かりが妙に明るかった。そろそろ満月なのだろう。

俺のベッドのすぐ真横、千成のために引いた布団。けれど千成は寝ることはせず、膝を抱えてベッドに寄りかかっていた。


「千成」

「なに」

「寝ないのか」


 俺は昨日からあまり眠れていない事もあって、睡魔が波のように緩やかに来ることがわかった。それに比べて、千成は背を向け静寂に身を委ねているようだった。


「あまり、寝たことないんだ。夜は世喜に色々されて」

「それは」

「久々なんだよね。こんな静かでなにもない夜は」


 千成は静かに抱えている肩や手に力を込めていた。その証拠にシャツに細い皺が手に向かって伸びていた。


「……世喜ってどんなやつなんだ」

「最初からあんな風だった訳じゃないんだ。前は優しい性格で俺よりずっと人当たりがよかった。早川って世喜の好きだった人が俺達のことを区別できなかった。だから世喜は俺が世喜と同じ存在にならないように調教するようになった。……あれからそろそろ五年がたつ」

「なぁ、千成は世喜のこと、どう思ってるんだ」

「なにも。確かに少し憎い。だけどやっぱり兄弟だから、赦せないとは思えない。……だから、とてもやるせない」


 千成が振り返る。月明かりに照らされた顔にはなんの表情もなかった。だが、その目には空虚にさ迷いつつ、俺に何かを言いかけていた。

 その瞳に応えようと両の手を伸ばしたが、数センチの差で千成には届かなかった。だから、虚しく手は空をきりやり場を失った。


「真也は俺をどうしたいんだ」

「別に」

「見返りが欲しいのか」

「俺は千成に何にも貢いでないよ」


 静寂。耳鳴りでもしそうだ。


「真也」

「なに」

「もう寝たら」

「千成が寝るなら」


 千成は身を乗りだし俺の手の届く範囲に来た。そして、俺の顔を覗きこむ。だから千成を引っ張り、キスをした。思考がどろどろになって頭蓋から染みでるかと思った。飴玉でも舐めるかのように千成の舌を弄び、絡め、熔解する。唾液が混ざる。融合していくのに脊髄が痺れるように痛い。千成の背に手を回して、もっと深く探るように舌を動かした。

 自分の理性が保てるギリギリのラインで口を離した。


「……これでチャラでいいよ」

「真也」

「なに」

「なんで」

「見くびんなよ、俺は千成が好きだと言ったぜ」

「……俺は真也なんて嫌いだ」


 もう一度、なんて思ったけど今度は抵抗されると思った。嫌われたくはない。

ここまでしといたら、引き返せる気がしなかった。考えてることと行動が一致しない。だからそのままベッドの上まで引きずり上げて、抱きしめた。夕方の時より強い優しく。


「嫌だ」

「じゃ本気で嫌がれ」


 千成を抱きしめたまま横になる。


「俺は寝るからな」

「え、」


 疲れたから眠かった。目を瞑ると思ったよりずっと早く眠れた。早朝、目が覚めると腕の中で千成が寝ていた。低血圧なのか酷く顔色が悪く、まるで死んでいるかのようだった。不安に思って触れると確かに体温を感じられた。当たり前、生きてるに決まってる。

 出来れば、もう少し千成の熱を感じたかった。まだはっきりしない思考でも髪で隠れた首筋が妙に気になった。薄い青白い皮膚にはアルファベットで傷文字が書いてあった。


「エス、イー?」

「……しんや」

「悪い、起こした」

「別に」


 千成から手を離し、起き上がる。千成はまだ眠たそうな眼をこすりながら俺に視線を向ける。


「真也」

「……まだ寝ててもいいけど」

「そうじゃなくて」


 言いたげな目。物静かに、何かを告げようか迷っている瞳にもどかしさを覚えた。


「俺になんかあっても、世喜を責めないで欲しい」

「何かになる予定でもあるのか」

「……いや、でも、嫌な予感がする」


 嫌な予感、あっては欲しくない第六感だ。この流れでなにかになるって言ったら、ろくでもない事だろう。


「なんかあったら、俺を頼れよ」


 返事は無い。聞き入れる気が見受けられない姿勢にイラついた。


「千成」

「真也はいいやつだ。だけど俺が世喜をなんとかするのが道理だ」

「そんなこと」


 階段方面から声がした。「朝ごはんできたわよ」という母親の声。肌寒いからタンスからパーカー二着引っ張り出して千成に放り投げた。


「なに」

「廊下にエアコンないから」

「でも」

「どうせ母さんが珍しがって朝飯作ったんだよ」

「珍しい、?」

「あれ、本当の母親じゃないから、俺のこと、まったくわからないから」


 千成が驚いた目で俺を見る。


「再婚なんてよくあるさ」


 なんて、言って部屋の扉を開けた。冷たい風がすぅーと通ったからやっぱりなんて思い階段を下りた。

 目の前に並んだ食卓。久々にきちんとしたものを食べるような気がした。いつもはコンビニで適当に買ってきて食べたり、食べなかったり。朝飯なんて、ほんと、久しぶり。そんな事を思いながら、イスに座る。すると千成が下りてきて、母親は俺の迎えの席を千成にすすめた。俺は自分の箸をとって、朝食を胃に収める作業をした。食べなれない気はしたけれど朝食は、意外と胃に収まるものだと知った。

 千成は座ると妙に落ち着いた声で「いただきます」と手を合わせて言う。育ちがいいんだな、なんてふと思ったが家族で食卓を囲む機会が多ければ自然とそういうあいさつも出るのかもしれない。自分はずいぶん前から頂きますなんて言ったことがなかった。ため息をつき掛け、かわりに味噌汁と共に飲みこんだ。そしてこの光景をどこか満足そうに見ている母親に、休息を取ってなくなったはずの疲れが再び溜まっていくようだった。


 きっとこの感情が異常な事だと自覚しているから、やっぱり自分もどこか孤独なのだろ。

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