夕闇の空の色


 夕闇が押し寄せる。不安定な青が迫ってくる。千成は入り組んだ路地まで走り、止まった。人通りはない。千成は睨むように俺を見る。だけど、睨んでいたのは俺では無い。俺が引っ張ってきた、千成似のこの誰か。


「世喜。俺が選んだのは、こいつだ」


 千成は感情もなく話す。選んだ?、と語るが状況が把握できなかった。

握っていた腕を振りほどく様に離された。世喜と呼ばれたその人は、下から上へと俺に目を這わせた。


「ふぅーん」


 なにを分かったのだろう。感嘆符を上げ、ピクリとも動かない表情。どちらも変わりない表情に、錯覚さえ覚える。


「で、兄さんはどうしたいの」

「…………だから、俺を自由にしろ」

「約束は守るけど、本当に兄さんにとって必要な人なの」

「世喜」

「俺は約束守ってるけど、兄さんは破ってるじゃん」

「なにを」

「〝俺〟」


 同じ音階に同じ声質。いったいどっちがしゃべっているのか分からなくなってくる。


「交渉不成立だよ」


 話が見えなかった。まるで蚊帳の外。兄弟のもめごとと半ば上の空で話を聞いていた。千成に兄弟がという事と、この二人の約束とは。それだけをぼんやりと考えていた。


「真也」


 不意に思考から現実に呼び戻される。


「なに」

「帰る」


 千成の目にふつふつと怒りが宿っていたのが解った。帰るの単語にどこにだろうと一瞬思ったが、千成についていけばいいかとすぐに打ち消した。

 世喜と俺の間を横切って歩き路地を出た。俺はなにも言わず後ろについていく。振り返ると、世喜はにやりとどす黒い笑顔を顔に張り付けていた。

 千成は夜に向かって歩く。その千成を追う。暗がりになる太陽を背にしていた。どのくらいか歩いた後、俺は千成の名前を呼んだ。その頃にはだいぶ、日が落ちた。

千成が止まりふりかえる。合わせて俺も止まった。

 全てが止まった気がしたが、気だけだった。


「なに」


 外気に溶け込む千成の声。俺は用意していた質問を投げかけた。


「さっきの、どういう事だ」

「聞きたいか」

「そりゃ、聞きたいさ」

「……そうか」


 顔を背ける。ふと、横を見るしぐさ。


「あれは、弟だ。双子の、三木世喜、あれは酷い弟だ」


 焦点をどこに合わせているかは分からないが、その目にはいつもと同じ、なにも宿していなかった。

説明文を語りだすかのように、虚ろにだけど、しっかりと言葉にする。


「世喜はおかしい。家に帰れば中の良い兄弟のフリ。学校にいればくだらない兄貴として扱う。二人っきりになれば暴力をふるう」

そういって、制服をはだける。


 見えるか見えないかのギリギリのラインまで、やけに薄い肌色の上に切り傷や青黒いあざが埋まっていた。

 切り傷は深く、あざは濃く。新旧様々な色の傷。


「まぁ、性的な事まではされた事がない。元来、世喜は俺の事が嫌いなんだろう」

「なんで」

「さぁ、知らない。それどころか意味不明な取り決めまである」

「なんだ」

「俺以外の場所で俺と名乗るな、ってね。……多分、存在が酷似してるからじゃないか」

「そんな簡単に」

「あれの理由はいつも簡単さ」


 千成の酷く諦めた顔。酷く嫌な胸騒ぎがした。

 夕闇が迫る。まるで責め立てるかのように。迫る黒に後ろに感じる太陽が、まだいかないでと身体が告げるのが解った。


「自由になれる方法が一つだけあるらしい」

「それは、どういう方法なんだ」

「俺が、三木千成という存在を必要としている人間を見つける事みたいだ」

「選んだのが、俺か」

「そうだよ」


 酷く冷たい風が吹き去った。


「だって真也は俺の事を〝特別〟だと思ってくれているんだろう?」


 耳元で撫でたその風は、千成の諦めた声色にとても似ていた。酷く悲しく冷たいものであった。俺は千成の言葉に、なにひとつ気の利いた言葉を掛けることができなかった。

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