納豆を増やします

 気が付くと、十二月になっていた。

 都会に暮らしていた時は、季節感なく過ごしていたわけだけれど、そんな中でも嫌でも季節を実感する月がある。それが、十二月だ。接客業をやったことのある人なら、誰しもそう感じるのではないだろうか。

 所謂、繁忙期というやつだ。

 十二月ともなれば、街全体が浮足立ち、あちこちがイルミネーションで輝き、なんとなく人肌恋しくなる季節である。そして、その寂しさを紛らわせるためなのか何なのか、日頃厳しい財布の紐が一気に緩む季節だ。僕がバイトをしていたレンタルショップにもゲームを求める人々が押し寄せ、小さな物から大きな物まで、あれもこれもとラッピングを頼まれる、疲労と昂揚感でおなしなテンションのまま、慌ただしく時が過ぎる季節なのだ。正直、これまで生きて来た中で、こんなにもぬるっと十二月を迎えたことはなかったかもしれない。

 ここは、どこまでも静かにゆったりと時間が流れている。

 この村で、一度に何人もの村人と会ったのは、最初の味噌作りだけだった。

 あれからも万屋の手伝いで、村のあちこちに赴き、色々な人と会ってきたが、それでも僕はまだ全員と会っていないようだ。


「クリスマスパーティーとか、そういうのないんですか?」


 ここは、イルミネーションで家を飾る人もいなければ、パーティーだのなんだのと浮足立つ人もいないのかもしれないが、十二月といえば、まずクリスマスが頭に浮かぶものだろう。

 朝食後、膳を持って行った水屋みずやで、駒子さんに尋ねた。ちなみに、武子さんはみことさんの用事で外に出て行ったため、今日は僕が駒子さんを手伝っている。


「くりすます……それは一体どういうものなのかねぇ? 栗のなんかかい?」

「ち、違いますよ!」


 駒子さんは、まるでクリスマスという言葉を初めて聞いたかのように、首を傾げた。そこで僕は、所謂『日本風クリスマス』を駒子さんに説明した。


「二十四日と、二十五日。それで、ぱーてぃーっていうのを、やるの?」

「ええっと、親しい人たちが集まってケーキを食べたりチキンを食べたりする日ですよ。あっ、本場だと七面鳥らしいですけど」

「あっ。それならやるよ。ちきんは知らないけどね、その日は七面鳥を食べるから!」

「ええっ。そうなんですか!? 本格的じゃないですか! 僕、まだ七面鳥って食べたことないですよ」

「あらぁ。そうなの? じゃあ、みこと様に言っておこうねえ」


 まさか、この村で本格的なクリスマスパーティーができるなんて思ってもいなかった。ちょっと……いや、かなり楽しみだ。

 自然と顔が笑顔になっていたのだろう。駒子さんが楽しそうに笑う。


「まぁ、集まってっていうのは無理だけどねぇ……あ、でも今日はたくさん来るよ! 真吾ちゃんも手伝っておくれねぇ」

「え? 今日?」





 デジャヴだ……。

 駒子さんに言われて隣接する小屋にやって来た僕は、目の前に広がる光景に、そう思った。

 小屋にある石造りのかまどは、二口とも炭が入れられ火が起こされていた。その上でには、とてもではないが家庭用コンロには置けない程の大きな鍋がグラグラと調理中だ。小屋に集まったのは、また村の女性陣と思われた。小柄な豊婆も来ている。


「これはもしかして……味噌?」

「味噌ではない。大体、用意してある道具が違うだろう」

「――あ、確かに」


 敷物が敷かれた上には、大小様々な段ボール箱に、毛布、そして湯たんぽが置かれていた。段ボールの中には丁度豆腐が入るような大きさの蓋つき容器がいくつも入っている。蓋には四隅に小さな穴が開けられていて、容器の上にただ乗せるタイプのものだ。

 これは一体何に使うんだろう……と考えていると、太郎さんの大きな声が響いた。


「ほれ! どいたどいた!」


 かまどから下ろした大鍋を持ってやって来ると、蓋を取る。すると、冷え込んだ小屋の中に、もうもうと湯気が立ち上がった。

 中に入っていたのは、大豆だ。


「やっぱり味噌?」

「だから、違うと言うておる。今日は、納豆を作る日だ」

「納豆!? 納豆って、作れる物なんですか?」

「作れなければ、毎日食卓に出る納豆はどこから来たのだ」

「え……っと、買う……?」


 すると、みことさんは呆れたように嘆息した。


「その買う納豆も、どこかの誰かが作るから食べられるのだぞ?」

「そうだけど……そうですけど、なんて言うか……機械じゃないと作れないんだと思ってました」

「そんなもの、納豆が誕生した昔はなかったのだぞ」


 わかるけど。それはわかるけど。

 昔はそうだったかもしれないけれど、現代に於いては、清潔な工場の中でパッケージまで全て仕上がるようなイメージがあるのだ。まさか、段ボール箱や湯たんぽ、毛布などが納豆作りに関係するなどとは思わない。


「ほら、毛布を広げたら、段ボールを置いて。真吾は湯たんぽにお湯を入れて来てくれるんだ」


 ほれ、と大きなカゴを渡される。僕はそこにいくつか湯たんぽの容器を入れると、水屋に戻った。

 水屋では既に、駒子さんが湯を沸かして待っていた。手際よく湯たんぽに湯を入れ、カゴに入れていく。まだ左手が動かせない僕は右手だけでそのカゴを持つわけだけれど、結構な重さになってしまった。


「次はもう少し湯たんぽの数を減らした方がいいかもねぇ」

「えっ。まだあるんですか?」

「そうだよ! 今日は真吾ちゃんがいるから楽だねぇ。いつもはあたしが何往復もするんだよ」

「何往復も……」

「そうそう。だから早くお行きね。みこと様が待ってるよ」


 急き立てられるように水屋を出て、急ぎ足で小屋に戻る。


「湯たんぽ持って来ました!」

「では、次郎に渡しておくれ」


 次郎さんにカゴごと渡すと、段ボールに入れられた容器を囲むように湯たんぽを入れる。そして段ボールを閉めると、敷いてあった毛布で手早く包んだ。続けてまた同じように毛布を広げ、段ボールを置く。容器にゆでた大豆を入れると、そこに横から小さなスプーンがにゅっと現れ、なにかを入れた。


「んっ? それ、なんですか?」

「納豆だ」

「納豆作るのに納豆入れるんですか?」

「納豆にするには、納豆菌が必要だろう」


 そうだけど。そうなんだろうけど!


「これ、真吾。なにをしておる。空の湯たんぽはまだ沢山あるぞ」

「あっ、はい」


 ガチャガチャと再びカゴの中に湯たんぽを入れていく。そんな僕を気にする風でもなく、皆当たり前のように粘り気の強い納豆を器用にスプーンですくうと、湯気が上がる容器の中に次々突っ込んでいく。

 みことさんが言うのが本当だとすれば、その入れた納豆が種となり、容器の大豆が全て納豆になるのだと言う。

 理屈はわかる――気がする。

 でも、そんなにうまくいくものなのだろうか?

 そんな疑問を口にしたところで、村の人々は気にもとめないだろう。

 仕方ない。僕は言われるがまま、湯たんぽをカゴに入れて水屋と小屋を往復した。

 何往復したか数えるのもやめた頃、小屋の中は毛布に包まれた段ボールだらけになっていた。


「ご苦労だった、真吾。これが最後だ」

「はい」


 隅のかまどの火が消え、扉が開けられると、気に冷気が忍び寄る。

 村の人々は、自分の毛布を見つけると「よいしょ」っと持ち上げ、みことさんへの礼を口に、小屋をひとりふたりと出て行く。豊婆は相変わらずの力持ちで、段ボールにぐるぐると巻くと、器用に背中に乗せた。


「真吾。それこっちにくれるか」

「あ、はい。ええっと、これは……」


 一際大きい段ボールには、納豆が入った容器が沢山入っている。どうやら今僕が持ってきた湯たんぽは、全てこの段ボールに入るらしい。膝をついてカゴを渡すと、次郎さんはただ頷いただけで、湯たんぽを詰め始めた。


「これは、うちのだ」

「みことさん」

「うちは、人数がいるからな。沢山作っておかなければ。次作るのは一カ月後だ」

「一ヶ月でなくなります? 相当ありますよ!」

「なくなるとも。今は真吾もいるからな、数を増やしておいた。好きだろう?」


 ぐっと言葉が詰まる。

 僕はそんなに食べていたかな? ……食べていたな。

 この家の納豆は粒が大きくて、そして驚く程粘り気が強い。豆の味も濃く、納豆をそのままホカホカのご飯に乗せ、そこに醤油をさっとひと回し。茶碗の中で混ぜ合わせて食べるのが、たまらなく美味しいのだ。朝だというのに、ついついご飯もおかわりしてしまうほどで、つい最近まで朝ごはんを食べていなかったなんて自分でも信じられない。


「す、すみません。僕、食べ過ぎでしたか?」

「なにを謝る必要がある。それだけ元気になったということだろう」


 手伝いの身でがっつきすぎたかな、と少し縮こまった気持ちが、みことさんがふっと漏らした微笑みと言葉で、一気に解れる。

 みことさんは、こういうのがとてもうまい。

 僕はこれまで、いつもどこでも、無難にソツなく生きて来た。それが一番楽で、周りの空気に溶け込み歪を生まないやり方だと思っていた。

 ご飯のおかわりだけで、なにを大げさな事を……と、みことさんには笑われてしまうかもしれないけれど、こんな風に自分の感情が自然と行動に出ることに、僕は慣れていないのだ。

 納豆がなくなったら困るかな、ご飯を食べすぎたら、誰かおかわりできなくなるんじゃないのかな。おかしな話だけれど、なんだかそういう事も色々と面倒で、目の前にあるものだけを、早くもなく、遅くもないスピードで口に運ぶだけだった。


「……ありがとうございます」

「謝ったかと思えば、今度は礼か。一体なんの礼かわからんが、母屋へ戻るぞ。ここは寒いだろう」

「はい」


 すごく小さな事だけれど、僕もこの家でちゃんと大切にしてもらえてるのだと思ったのだ。

 居間に入ると、部屋の隅にこたつが置かれていた。

 手足が冷えていたので、すぐに暖まるこたつは有難い。

 囲炉裏があるせいか、部屋の隅に置かれていてこれではふたりしか入れないけれど、僕はいそいそとこたつに入ろうとした。


「ぐぇっ――」


 口からおかしな音が出た。

 そんな声を発するつもりはなかったのだけれど、後ろから強い力で襟を引っ張られたのだ。ぎゅっと喉が詰まり、一瞬息が出来なかった。


「な、なに……?」

「何、じゃない。お前が入るな。ここには納豆を入れるんだ」

「……えぇ~?」


 喉を押さえ咳き込む僕をよそに、毛布に包まれた段ボールはそっと丁寧にこたつの中に納められた。

 僕……大切に、されてるんだ……よね? 

 


 

 



 



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