16.当たり前こそ、アンチはできない
明日はいよいよ空気を奪うという呪いの蔓延している山に挑むことになっている。
オレは早々に休もうと、酒場の二階に借りている自室にてベッドの上で横たわっていた。すぐに睡魔がやってくるだろうと思ったが、やってきたのは別のものだった。
「アーンチさんっ」
「……モコか……」
オレの枕元に現れたのは、すっぽんぽん女神のモコだった。
相変わらずニコニコと楽しそうな様子で、オレを覗き込んできた。
「いよいよ明日がクライマックスですねっ」
「……ああ、まぁそうだな」
「……ふふふ!」
オレがあいまいな態度をしていると、モコは何やら面白そうに含み笑いをするので、気色が悪い。
オレは横になっていた体を起こして、オレはじろりとモコに三白眼で睨む。
「……何がおかしいんだ」
「ふふふっ。だって、アンチさん、本当はこのAWSにノリ気じゃなかったのに、今はもうすっかりこの世界に馴染んでますから」
「今だって馴染んでない」
「アンチさん、ウソをついてもカミサマには分かってしまうんですよ! アンチさんだって、最初のAWSのカミサマ視点を体験したから分かってるじゃないですか」
……そうだ。あのファースト・AWSの際にオレは家となったが、その時家に住み着いた家族の考えている事や欲求、ステータスが手に取る様に分かっていた。
今はオレがあの家族のような立場であり、モコはまさに神の視点でこの物語を見ていたわけだから、オレの事も全て把握しきっているんだろう。ある意味、これこそ『Oh My God』である。
つまり、モコはオレの心境もすっかり把握しているんだろう。
当初、オレはこの異世界転移をブチ壊して、異世界転移モノのくだらなさを説いてやろうと画策していた。
しかし、その気持ちがメルメルと行動することで徐々に移り変わって行っていたのを自覚していたのだ。
オレの最初の計画は、こうだった。
――魔法の鎧を手にして、いよいよ呪いを解くという処で、完全にこの物語をほったらかしにして、帰るというものだ。
異世界から来た人間に頼った者共は、さぞ慌てふためき呪いに対して怯え、英雄となるはずだったオレを恨むだろう。オレはそんなサマを見てほくそ笑み、異世界から来た人間に頼るからそうなるんだと言ってのけてやるつもりだった。
無責任な立ち位置でいられる異世界転生者は、気楽なものだ。
その世界に対して、しがらみが薄いのだから。『自由』と『無責任』をはき違えているようなそんな存在だ。そういう人物に己たちの危機を救ってもらうという危うさを知るべきだと思っていた。
自分の社会の事は、自分たちで解決し、責任をもって滅亡しようが向き合っていくのが、オレの美学だ。
己の世界が辛く苦しく夢を持てないから、異世界に憧れるというのなら、そいつは異世界に行ったところで同じ惨めな生き方をするしかないのだ。
……だから、オレはこの世界を救う直前ですべて投げ出してみせるつもりだった。
メルメルの里の一件があるまでは。
不覚にもオレは情が移った。メルメルに自分を重ねてしまったのだ。
この世界はメルメルの世界だ。
メルメルはその世界で、懸命に生きていた。そして認められない、無視され蔑まれる社会の中で育って、それでもその社会に自分を認めてもらいたくて行動した。
オレが動くことで、メルメルのそのプロセスが、実を結ぶ事になるのなら、オレは少しくらい他人のための願いを叶えて見せてやるのも悪くないかと思ったのだ。
メルメルの涙を見た時、そんな風に思った。
「やっぱりムナクソ悪いわ、異世界モノなんざ」
モコに嫌味を言ったところで内面をしっかりと覗かれているのがムカつくところだが、せめてもの抵抗のつもりだった。
「アンチさんは、どうして異世界転移がお嫌いなんですか?」
「分かってるだろ。オレは異世界なら活躍できるとか、そういう日和った考え方が気に入らねえんだ……。どんだけ認められなくても、自分の世界でドロまみれで足掻いた物語こそ、評価されるべきなんだよ」
「アンチさんは、自分の世界で頑張っても報われない毎日がお辛くありませんか?」
オレは頭を振った。
辛いとか、苦しいとか、そういうので生きていない。オレは理不尽な毎日に自分を消されたくないだけだ。
どんだけ理不尽で報われなかろうが、オレはオレだ。
「地球には七十億の人間がいる。そいつらがみんな全く違う考えをしている。オレはそれが堪らないほどにおもしれえと思ってる。……オレは、その七十億の中で埋もれて消えるわけにはいかないから。なんとしても自分の世界で一瞬でもいいからその七十億の目を眩ませたいんだよ」
「それが、自己顕示欲、ですねっ」
「そーだよ。どんなヤツだって多かれ少なかれ持ってるんだ。でも、それを異世界で満たしたところで、そりゃ仮初でしかない。用意された舞台で脚光を浴びなきゃ、うそっぱちなのさ」
「でも、今アンチさんはこの世界で、きちんと救世主になろうとしてます」
モコはオレの顔を正面から見て、ずっと会話している。オレはその視線を時折逸らしながら話していた。
それはオレの中の矛盾した想いが口から零れるたびに繰り返されていたのだろうが、何をしたところでオレの本音はバレている事だろう。
だから、オレはモコのその視線に対して、初めて真っ向勝負を挑むように、ぶつかった。
「オレはメルメルを幸せにしたい」
「はい」
「……いつか、報われるんだって……信じてぇんだよ」
「……はい」
まるで母親にすがる子供みたいになってしまった。胸の中に熱いもんができて、それが目ん玉の奥からあふれ出てくるみたいだった。
それが涙だっと気が付いて、オレはなんてダセェんだと思っていた。
何のことはない……。
オレはきっと、誰よりも異世界転移を求めていた人間なんだ。
オレも、いつか、報われたいと願っていただけなのだ。結果など気にしないとか、過程が重要なんて、カッコつけの言葉だった。
幸せを求めない人間などいない。
報われたい。
どれだけ努力しても世の中はオレを無視するみたいに流れていく。オレは一般人の中の一人でしかなく、いやそれ以下の透明人間のような存在すら曖昧なモノだ。
それでもいつか、世に自分は此処に在りと知らしめたいと願っていた。
異世界モノの小説を初めて読んだ時、オレは憧れた純粋に憧れた。異世界にいけば冴えないオレの人生も華々しくなるのだろうか、と。
そしてその想いがゆっくりと捻じれ、妬み、アンチになっていた。なぜ、オレはこうも世の中に無視されるのかと、その苦しみを異世界転移モノにぶつける事でしか、自分の熱を吐き出すことができなかった。
メルメルの幸せを願うのは、メルメルが一生懸命に生きた孤独の人生が報われることで、いつか自分も存在理由を手にできる日がくるのだと思いたいからだ。
――トントン。
ノックの音が響いた。
オレとモコは戸のほうを思わず見た。
「メルメルちゃんです」
と、モコはオレを見て言う。
オレは涙で濡れた顔を布団で拭き、何事もないような表情を作るのに必死になった。
「じゃあ、あとは若い者同士で……オホホ」
モコはまた溶けるように消え去っていった。
まったく、どこまでオレとメルメルをくっつけたがっているのだアイツは。
「……アンチ? もう……寝たのかな……」
戸の向こうから小さな声がした。メルメルのものだと、オレはもうすぐに分かるほど、彼女の声を聴きとれる。
「寝てねえよ、開いてるから入れ」
かちゃり、と遠慮がちに開いたドアから小さなメルメルの身体が入り込んでくる。
そのまま静かに戸を閉め、オレとメルメルは部屋で二人きりになる形になった。――最も、モコはどこかでこの光景を見ているのだろうが。
「どうした」
「……? アンチ、寝てた?」
「寝てねぇって」
「……でも……目……」
オレの目が赤くなっていたのだろうか。泣いていたのがバレるかもと思ったオレは、仕方なくメルメルの言葉に乗っかる様にウソをつく。
「ちょっと、うつらうつらしてたんだ」
「そ、そっか。……あの、ちょっとお話……したいの」
「あ? なんだよ、改まって」
メルメルが入って来た戸のところから一歩も動かずにうつむき加減に言うので、オレは椅子を顎で指して座る様に促す。
メルメルはそれに従い、すとんとその椅子に座ると、どう切り出すのか悩んでいるようで、自分の指を弄びながら、「あうあう」と言葉にならない声を漏らす。
「明日のことか?」
オレが話しやすいように誘導してやろうかと言うのだが、メルメルは首を横に振って否定した。
仕方なく、メルメルが話し出すまでオレは黙ってメルメルを見ているだけにした。
「……あたし……うそ、吐いたの……」
「ウソ?」
メルメルはそう切り出した。何の話だとオレはきょとんとしてしまう。
それからメルメルはまた暫し黙った。オレは言葉を続きを待つ。
「……あの、その……」
「……うん」
「えっと……」
「うん……」
「ウソ……ついたのは……その……」
「……うん」
相槌だけは返す。きちんと聞いてやる、という意思表示のつもりだった。普段のオレならさっさと言えと上から食って掛かるのだが、さっきまでモコの前で泣いていた半面、強気な態度が出せず、メルメルを受け止めるくらいしかできなかった。
――もっとも、それがメルメルには良かったらしい。次第に気持ちを落ち着かせてきたメルメルは、うつむき気味だった顔を持ち上げ、オレを正面に見据えた。
表情がとても硬かった。顔も紅潮している。緊張しているのだと、見て取れた。
「あたし、アンチに嘘吐いた。誰かに認められたいって……」
「え、嘘? 認められたいって事がか?」
だとしたら、オレはメルメルに自分を重ねていた事が間違いだったことになる。認められたいと足掻いているからこそ、彼女に共感したのだから。
だが、メルメルは首を横に振った。
「ちがうっ……。認められたいのは、ほんとっ……」
「あ? じゃあ……何がウソなんだよ」
「……誰かに……。誰でもいいから認められたいって……言ったの……ウソなの」
――ああ、そういうことか。誰でもいいわけじゃないんだ。やはりメルメルは里の人間に認められたいのだろう。これまで自分を無視し、蔑み、虐めてきた人間たちに自分を認めさせたいということか。
それなら理解できる。オレもできる事なら、自分の両親にオレ自身を認めてほしかったという気持ちはあるから――。
「里の人間は、オレ達を襲うほどだったんだぞ。あいつらにお前を認めさせるってのは、よほどの事をしなくては……」
「ちがうっ!!」
メルメルは、内側におっきなものを必死に抱えて、それをどう吐き出すか考えているようだった。だからか、オレの言葉に異様なほど過剰に反応をした。
小さな体が震え、膝の上で拳を作っていた。だが、彼女の青い瞳は、またこちらを見つめてきた。まっすぐだった。そして、それは北極星のように眩く感じられた。
オレはその瞳が妙に印象的で、視線を奪われていた。
「あたしは、アンチに、認められたい」
よどみなく出たその言葉は、これまでのメルメルからは感じ取れなかった勇気と不安が入り混じった、本音の想いだと伝わってくる。
「アンチにだけ、認めてほしい……」
――メルメルはどんどん顔が赤くなる。
オレもそんなメルメルを見て、身体の芯をカチリと硬直させた。
「お前の事は、十分評価してる。認めてるよ、オレは」
「そういう意味じゃないっ……。……アンチのことが……好き、なの」
「……メルメル」
オレはこればかりは冗談やギャグじゃない、マジの状況だと理解していた。
固くなり、震えているメルメルは、おそらく生まれて初めての告白だろう。どれほど、勇気を出しての行為なのかオレには計り知れないほどだ。
「お前も知ってるだろ。オレは、この世界の人間じゃないってことが。オレは、この呪いが解けたら自分の世界に戻る。お前と、この世界で暮らす事はできない」
「だったら、あたしも連れてってアンチの世界に!」
「ダメだ。お前はこの世界で認められるべきだ。オレの世界に来ても、お前は認められない。この酒場でなら、お前はやっていける。オレとの出会いは新鮮だったから、錯覚しているだけだ。オレよりもいい男と必ずこの先出会うから――」
「出会わない!!」
はっきり、きっぱり、でっかく、彼女は張り上げて宣言した。
「あたし、予言者だもっ……! わかるもっ……! 出会わないもっ……!」
ヒックヒックともう半ば泣きかけている。感情が高ぶりすぎているせいで語尾も消えかけて、メルメルは必死に訴えていた。
「あかちゃん、つくるもっ……。アンチと、あかちゃん……」
「無理スンナ、行き過ぎんな……」
一応、そこは突っ込んどくが、メルメルは本気でオレと結ばれたいと願っているのだろう。
グズグズ泣きじゃくる子供みたいなメルメルに、オレもどう答えていいか悩む。
オレだって、メルメルの事が嫌いなわけじゃない。できる事なら結ばれたいと思う。
しかし、オレは世のゴミクズみたいなものだ。まともな戸籍もない、先の安定性もない。誰からも祝福されていない忌子なのだ。
自分独りでなら、世の中に対して抗い続け、無慈悲に朽ち果てることも怖くない。
しかし、そんなオレの人生に連れ添うことなど、できるわけがない。
オレは他人を幸せにできるような人間じゃないからだ。
「お前は、めっちゃくちゃ、可愛い」
「……へ……?」
オレがそう切り出すと、ヒクヒク泣きじゃくっていたメルメルが虚を突かれたように目を丸くする。
そして、赤くなっていた顔がさらに朱に染まりトマトみたいになっていく。
「お前、すげえ可愛いぞ。知ってたか」
「ひ、ひぇ……」
なぜか褒めたのに悲鳴を上げるメルメルは赤くなって、どんどん縮まっていくようだった。
「だから、安心しろ。お前は自信をもっていいんだ。絶対に、お前は幸せになれる」
「…………」
「でも、オレはお前を幸せにできるような男じゃない。本当に、お前が思うほど、オレは立派なもんじゃねえんだ」
オレは諭すようにそう言った。真実だと思ったからだ。どうしたって、メルメルはオレと共に生きるべきじゃない。もっと素晴らしい生き方がこれからできるはずなのだから。
「自分を否定するなぁっ!!」
メルメルが椅子からガタンと立ち上がり、オレに指を突き付け、鋭く言った。
その言葉は、オレが口うるさくメルメルに言って聞かせた自分のモットーだった。
オレは、そのオレのものであり、メルメルの言葉であるそれに、完全に目から鱗がとれることになった。ハッとして、オレは全身の血の流れが止まったようにすら思ったのだ。
「それが『アンチ』なんでしょ! あたしは、アンチが好きなんだぁっ!!」
「め、メルメル……」
オレは心臓をハンマーで叩かれたみたいに、己の内側に強烈な一撃を与えたメルメルに、完全に打ち負かされた。
――オレを好きなのか――。
――なんで、オレみたいな奴を――?
――オレは……こいつの中に、いるのか――。
――そっか――。
「オレ……、認められたのか――――」
不意にモコの言葉が想起した。
『世界があって人がいれば、それだけで素敵ですよね!』
世界は、つまりオレの中の世界だ。
異世界は、つまり他人の心の中だ。メルメルの世界に、オレはいるのか――。求められているのか。
単純なことが、今、奇妙なほどに的確にオレの真理を開いた。
「好き、なの? オレのこと」
「好きっ」
「……好きになるなよ……」
「もうなっちゃったから」
「好きになっちまうだろ」
なんてこたぁない。
チョロイのはメルメルだけじゃなく、オレもそうだった。
結局オレだって、人から好意を受けた事などこれまでに一度もないのだから、免疫がない。
好きになられたら、こっちも好きになっちまう。
なんてチョロアマカップルだ――。
オレはメルメルを抱きしめた。
その夜、なんだか随分と長くも一瞬のひと時を過ごしたように思えた。
熱く蕩けそうなその夜に、オレは『幸せ』とは何かすら、これまで知らなかったのだと思い知るのだった。
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