た、担当作家さんを、真っ当な道に戻すのも、編集者の義務ですっ!

 ――人生、二十歳まで生きていると、時に信じられない出来事が突如して起こるものだ。だけど、人は往々にしてそれを忘れ、いざ、起こった時には右往左往するしかない。

 そう、今の私のように。

 学内一の美女が私の携帯を興味深そうに見ながら、微笑んだ。


「へぇ、よく撮れてるし、まとまってるわね。これが、村上さんかしら? 魔女の仮装をしたのね」

「う、うん、そ、そうだ、と思う」


 う、うわぁ、うわぁぁ……西木さんが、あの西木弥生さんが、こ、こんなに近くにいるよぉぉ。ど、どうしよう……わ、私、さっきから心臓がオカシイんだけど。

 す、凄くいい匂い……香水、なのかな? それとも、ここまで美人だと元からそうなのかも……うん、きっとそうだ。

 大学一年生の時、偶々オリエンテーションのクラスが一緒で、以来、秘かにファンを自負している私からすると、この子はとても同じ人間だと思えない。

 とにかく、美人で、勉強も出来て、運動神経も良くて、人当たりもいい。それでいて、私みたいなモブ中のモブ子にも優しい。

 うぅ……この大学入って良かったよぉぉ。別にクリスチャンじゃないけど、神様、ありがとうございます。

 携帯が差し出される。指細いなぁ。あ、綺麗な指輪。


「ありがと、面白かったわ」

「ど、どういたしまして。さ、西木さんもハロウィン、興味あったんだね。ちょっと、その、意外かも……」

「そう? 私だって、極々普通の女子大生だもの。世間の流行り廃りくらいは把握しているわよ。自分でしようとは思わないけどね。それに似合わないだろうし」

「へ、へぇ……」


 似合います! ぜっったい、似合いますって!! 

 珈琲を飲む姿の時点で、何処かの大手ファッション雑誌に載ってそうだもん。でかでかと、見開きで。

 だけど、この人に着せるなら何がいいだろ? 

 きっと、何を着せても大丈夫だけど、これだけ綺麗な黒髪を弄るのは、神様が許してもこの私――村上小春が許さないっ! 

 そんな事を少しでも考えた輩には、正義の鉄槌を! これでも、少しだけ空手やってたしっ!!


「村上さん? どうかした?」

「! あ、う、うん、だだ、大丈夫。西木さんなら、何着ても似合うと思うな。来年は、い、いい一緒に」

「あ、もうこんな時間ね。ごめんなさい、付き合わせてしまって」

「うううん。わ、私も嬉しかったし」 

「ありがとう。また、学内で見かけたら声をかけてね。それじゃ」


 西木さんはそう言うと、カフェテリアから出て行った。

 ――夢、じゃないよね?

 思わず、頬を引っ張る。痛い。

 すっかり冷めてしまった珈琲を飲む。うぇぇ、苦い。砂糖とミルクを入れないとやっぱり飲めないや。

 ……つまり、これは、今、起こった出来事は、現実。

 意識が遠のく。我が人生に悔いなし!



※※※

 


「ふっふふ~ん♪」


 思わず鼻唄を歌ってしまう。

 PC上には、この前のハロウィンで司と撮った数百枚の写真。村上さんの編集方法を参考に、まとめていく。

 珍しく照れている表情が多いわね。仕方ないことだけれども。

 何しろ――後ろのベッドへダイブ。ペンギンの人形を抱きしめ転がる。


「えへへ……♪」 


 ハロウィン当日、私は司と約束通りデートをした。

 ま、まぁ、デートといっても少し仮装して、遊園地に行っただけだけだ。その間、司は手を繋いでくれてたけれど。

 まったく、あの愚兄は。こ~んなに可愛い妹の手を握れるなんて、本当に幸運な男よね。それだけできっと運を使い果たしているに違いないわ。 

 横たわりながら、左手を翳す。

 

 ――この手を西木司が、あの日、朝からずっと、とても優しく、愛おしそうに握ってくれていた。


 改めてそう認識すると、一気に頬が火照る。

 な、なんか、すっごく恥ずかしい。別に手を繋ぐのなんて、小さい頃から、それころ数えきれないほどしてきたのに。

 人はたくさんいて疲れもしたけれど、行って良かったと思う。しかも、最後は、キキキ……こほん、キスまでしたし?

 羞恥心が限界を超え、人形に顔を埋める。

 あの時のキス――大人なやつだったなぁ。また、したいなぁ。でもでも、そんなの言い出せないなぁ。

 司にはしたない女の子だって思われたら、私、生きていけない。

 だけどだけど……い、い、何時かはもっと凄い事しないといけないんだし?

 そ、そろそろ、私達も次のステップに進んでも――


 「!」

 

 携帯の着信音に身体がびくつき、確認。『つかさおにいちゃん』

 体温が上がる。落ち着いて、落ち着くのよ弥生。貴女は出来る子。OK?

 深呼吸をしてから出る。


「はい、もしもし。何よ、愚兄」

『あ~悪い……少し打ち合わせが長引きそうなんだ。夕飯、先に食べておいてくれ』

「え? 何か揉めてるの??」

『違う違う。プロットのやり合いだよ。毎度の事だ。終わったらすぐ帰る』

「分かった。お土産、買ってきてね」

『はいよ。それじゃな』

「うん」


 通話が切れる。

 良し! 今晩は、腕によりをかけてちょっと御馳走を作ろっと。

 で、帰って来たら『……遅かったじゃない。浮気?』って言うのだー。だって、困る司はとっても可愛いから♪

 

 ――そう、その時の私はまだ気づいていなかった。

 ここ最近、余りにも平穏で、幸せ過ぎてだったが故に、嵐が忍び寄りつつある事に。

 


※※※



 弥生への連絡を終え、喫茶店へ戻る。

 席には思い詰めた様子の若い女性。担当編集の桃木野かをりさん。愛称、桃さんだ。 


「お待たせしました」 

「……いえ」

「で、大事なお話しとは何でしょう? 次の〆切分は先日お渡ししたかと思うのですが」

「は、はい。原稿は確かに受け取りました。今回も、本当に素晴らしい出来で! ヒロインの香夏子が振られる瞬間、私、涙が止まらなく――……失礼しました。今日はその件ではありません。西木先生」

「何でしょう」

「つかぬ事をお伺いしますが……先生は妹さんと同居されている、と」

「? そうですが」


 この子に話したっけかな? まぁ、多少の個人情報は把握してるか。

 珈琲を飲みつつ、続きを促す。


「で、では――こ、この写真を見てくださいますか」

「写真?」


 おずおずと、桃さんが携帯を差し出してくる。

 そこに写っていたのは、手を繋ぐ俺と弥生。……うわ、マジか。


「その綺麗な方が妹さんですよね? わ、私、恋愛事には不得手ですけど……」


 桃さんが真っすぐ視線をぶつけてくる。


「とても、ご兄妹には見えません。むしろ……先生」 

「……はい」

「た、担当作家さんを、真っ当な道に戻すのも、編集者の義務ですっ! 正直に、真実を教えてください!!」

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