「……また、来年も来ような」「来年、だけなの?」
その場所には大学が再開する前に来ておきたかった。
それが、八月もとうに終わり、九月半ばも過ぎた今日になってしまったのは……何となく足が向かなかったからだと思う。
『思う』というのは、私がまだこの感情を持て余してるからなのだろう。今日来たのだって結局、司が「明日、行くぞ」と言ってくれたからだったし。
山間の狭く足場が悪い道を登って行く。
左手には、お線香と蝋燭と
前を進む司の手には手桶。中にはお供えする花と
本当なら、掃除道具も必要なんだろうけど……お義父さんとお義母さんがつい先日、行ってくれたらしく不要とのことだった。
……言ってくれれば良かったのに。私だって、もう大学生。何も分からない小さな女の子じゃないのだから。
勿論、それが気遣いなのは痛い程分かっている。分かっているけれど――冷たっ。頬っぺたに水がかかった。
前を見ると、振り返り、こちらを見ている何時もと変わらない愚兄の笑み。
「な、何するのよっ。もう少しで服に――はっ! ま、まさか、人気がないことを良いことに、私に水をかけて、視姦する気ねっ! こ、このエロ愚兄っ!!」
「…………お前の、その発想法が時々、恐ろしいわ、この愚妹。あんまし、ぼーっとしてるとこけるぞ。ほら」
「……ん」
空いている手を差し出してくれたので、素直に握る。
運動靴で来たけれど転びそうだから、これは仕方ない。そう、仕方ないの。
……何よ、愚兄。何がそんなにおかしいわけ?
来る度に毎回、思うのだけれど、どうして、この地方の昔の人達は小山の上にお墓を建てたんだろう。別に海が近いわけでもないのに。数年前に地震があった時は案の定、直すのが大変だった。
それでも、深刻な過疎が進みつつあるこの地域の人達は頑なに、墓所を動かそうとはしない。昔から、そうだったから、と。
私は嫌いだった。この地が。この地に、こびりついている因習と呼ぶしかないものが。だけど……手を強く握りしめられた。
私を引っ張って、山道を登って行く司の後ろ姿は汗が滲んでいる。
何よ。普段は、めんどくさがり屋なのに。どうして、こういう日に限ってそうなのよ、バカ。アホ。司のそういう私の事を分かってるところが――視界が開けた。
目に入って来たのは、十数の墓石だった。
どれも相当、年数を経ているが山間である事を考えれば綺麗に清掃されている。
墓前にはお花とお線香の跡。
「はぁ~。毎回、思うがほんと遠いよなぁ……ここまで」
「……別に司は来なくてもいいのに。面識はないんだし」
「ま、最低限の礼儀ってやつだ。それに――何処かの愚妹を一人で行かせると、やれ、足を挫いた、だ。迎えに来て、だ。あれを忘れた、これを忘れた、だとなるのが目に見えてる。何せ、天邪鬼だからな」
「なぁ!? こ、この愚兄……い、何時、私がそんな事、言ったのよっ!」
「はいはい。ほれ、行くぞー」
「むー!」
手を引かれ再び歩き始める。この墓地だけは、ちゃんと石畳になっているで歩きやすいから、もう握っている必要はない。ないけれど。
――少し前を進む司の右腕を抱きしめる。
一瞬、驚いたようだったけど、無言でそのままにしてくれた。
ごめんなさい、ありがとう。
幾つかの墓石の前を通り過ぎ、目的の場所に私達は辿り着いた。
『斎藤家之墓』
二人が言う通り、綺麗に清掃されていた。
供えられている花もまだ萎れていない。
「弥生、そろそろ離せ。水をかけられん」
「あ、うん」
司が、墓石の上から柄杓で水をかける。
その流れる水を見て、私、今年も此処に来れたんだな、と実感。
――もうとっくの昔に受け止めてはいる。
この冷たい石の下に、私の実の両親が眠っている事を。
だけど……毎年、足が竦むのだ。
行かないといけない。けれど、一人で行くのは……怖い訳じゃなく、気持ちがどうしても此処へ向かわない。
「弥生、蝋燭に火。燐寸擦れるか?」
「す、擦れるわよっ! もう、そうやって、何時も何時も私のこと、馬鹿にするんだから……」
「なに、愛娘の成長した姿を是非お見せせねば、という崇高な義務感がこう、な?」
「ぼ、墓前で何て事を……愚兄、あんた、帰ったら覚えておきなさいよ……えいっ!」
一年でそう何度も使う事がない燐寸は中々、火が着いてくれない。
すると、横から手が伸びてきてひょいっと奪い取られ、あっさりと着火。
蝋燭に火が灯り、お線香の匂いが辺りに広がる。
そうやって、すぐ私を甘やかすんだから。
司を睨みつけながら私はお花をお供えし、お線香に火を着ける。
……この匂い、好きじゃない。どうしたって、あの日を――冷たい雨が降っていたお葬式の日を思い出すから。
隣で目を瞑って手を合わせている、西木司を見上げる。
……相変わらず変な顔だ。この人の真面目な顔は見慣れているけど、毎年、このお墓参りの時だけは何となく何時もと違う。
何を、どう違うと聞かれても分からないけれど……思わず笑ってしまう。
片目を開けて、ジト目。
「……こら、愚妹。墓前だぞ? 毎年毎年、そうやって」
「大丈夫。私のお母さんもお父さんも、娘を甘やかす事にかけては、何処かの誰かさんに勝るとも劣らない人達だったから。こんなことくらいは余裕でセーフだし。――お母さん、お父さん、今年もこうして来たよ。私は元気です。美人になったし、成績も優秀。男の子にも女の子にもモテます。将来も――ね?」
「そこでどうして俺に振るのか……まぁ、いい。良し、行くぞ。火くらいは消せるな?」
「消ーせーまーすー。えいっ」
蝋燭に灯った火が煽られて消える。
――遅くなってごめんなさい。来年こそは、私から来ます。
手桶を持って、早くも道を戻り始めている愚兄に追いつき、空いている右手に抱き着く。
「……歩き辛いんだが?」
「どうせ、司から握ってくるでしょ?」
「…………滑りやすいからな」
「そうだね♪」
「なぁ、弥生」
「うん」
「……また、来年も来ような」
「来年、だけなの?」
――この後、司は私が言ってほしかった言葉をくれた。
ごめんね。ありがと。こんな可愛くなくて、意地っ張りな私だけど、これからもずっとずっとよろしくね。
お母さん、お父さん、私は今とっても幸せです。だから――安心して下さい。
また、来年も二人で来ます。
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