……ふ、ふふ……甘いわね。この私がその程度――はぅ

「……遅い」


 温泉をゆっくり堪能し、女湯から出て早十分。まだ、愚兄が出てこない。

 古の時代から女は男に待たされるもの……なんて事は理由にもならない。

 家では、烏の行水か! と言いたくなる位に早くあがるのに、こういう時に限って長風呂。まったく、再教育が必要なようねっ!

 ……折角一緒に、牛乳飲もうと思ってたのに。もう、いい。先に買って飲む!

 男湯に背を向け、自動販売機に硬貨を入れる。

 えーっと、何にしようかしら? 

 やっぱり、珈琲牛乳? それとも、苺? いやいや、フルーツ牛乳も捨てがたい。う~ん……。


「お、早いな。もう出てたのか」


 後ろから何時もの変わらない声がした。どうやら、自分が罪を犯した事を自覚していないようね。

 文句の一つでも言ってやらないと! そう思って振り返り――


「ん? どうした? あ、俺、珈琲牛乳な」

「え、あ、う、うん……」

「? どうした?? 顔が真っ赤だぞ? のぼせたか?」


 そう言いながら、司が心配そうに私の顔を覗き込んでくる。

 近い近い近いっ! 待って待って待ってっ! 心臓が持たないからっ!

 な、何なの? ゆ、浴衣姿なんてもう何十回も見てきてるのに。ど、どうして、こんなにカッコよく見えて――はっ! そ、そっか……こうやって、二人きりで温泉に来て、しかも湯上り+浴衣姿は見た事がなかったから……私に対して『効果は抜群だ!』という訳ね。

 

 ……OK、分かったわ。分かれば対処は可能。

 

 万が一、バレたりしたら、当分からかわれることは必至。何しろ、この愚兄、私が恥ずかしがってるのを見るのが大好きな変態だし。

 今こそ、私が培ってきた演技力が役に立つ時!


「別に大丈夫よ。遅かったわね。女の子を待たせるなんて、これだから愚兄は。少しは――へぅ? ち、ちょっと!?」


 突然、司が私の髪に指を絡ませてきた。その分。距離が縮まる。

 ふわっ、とシャンプーのいい匂いがし、肌の温もりを実感。

 多少、治まってきていた心臓が再度高鳴り、頬が赤くなっていく事を自覚。


「ほんと、お前の髪ってさらさらだよなぁ」

「あ、当たり前でしょっ! だって、昔、あんたが好きって……ほ、ほらっ、離れてよっ! フルーツ牛乳買うんだからっ!」 


 誤魔化すように自動販売機のボタンを押し、フルーツ牛乳を一気に飲む。

 ……何よ? そんな、じっと見たりして。    


「いや」

「嘘ね。言いたい事があるなら、言いなさいよ」

「何でもないって。フルーツ牛乳も旨そうだなって思っただけ」

「へぇー」


 珈琲牛乳を飲みながら、目を逸らす。ふ~ん?

 にやにや、しながら回り込み目を合わせる。明らかに動揺した様子。


「ねぇ」

「ほら、戻ろうぜ。夕食、楽しみ」

「――浴衣姿の私に、綺麗な髪の私に、見惚れてたんでしょ?」

「まさか」

「照れなくてもいいじゃない。ね? あ・な・た♪」

「……お前がその気なら、こっちも遠慮しないぞ?」

「あら、そうなの? でもだったら、私を直視しないわけ?」

「……っ」


 顔を真っ赤にして、司が視線を逸らす。

 うふふ~。もう~。


「ほらほら。ちゃんと視線を合わせて――っ!」

「ん? どうした、御望み通り合わせたが? な――『奥さん』」

「~~~っ!」


 突然、視線を合わせたかと思うと、軽く抱き寄せ耳元でそう囁かれた。

 何か色々と振りきれそうになるのを実感しながらも、限界を超える自制心を発揮して態勢を立て直す。

 ここはうちじゃないし、自分達の部屋でもないのだ。幸いな事に、周囲に人影はないけれど……だ、だからと言って、こんな場所でイチャイチャしてるのを他の人に見られるのは、し、羞恥心の限界を超えるのよっ!


 だ、だけど、その……『奥さん?』……はぅぅぅ~!!!


 思わず、ジタバタしそうになるのをあらん限りの気力で抑え込む。

 ここで、そうなったら負けだ。何が負けなのか分からないけれど、負けなのだ。第一、私だって言ってるのに、反応しないのはズルい。不公平よっ!

 司から少し距離を取り、背中を向ける。そして、バレないように深呼吸――良しっ!

 振り向き、不敵に笑う。


「ほら、行きましょ。あなた」

「ああ、そうだな」


 む……無反応? そこは反撃してくるところでしょ!

 空気読みなさいよねぇぇぇ。 

 ……何よ? その手は


「手、繋ごうか?」

「!」


 普段は中々、司から言ってくれないのに。

 どうしよう。嬉し――はっ! い、いけない。今、自制心が完全に何処かへいってたわ。

 

 ……ふ、ふふ……甘いわね。この私がその程度で――はぅ。 


「よし、行くか」

「ま、待って! ち、ちょっと、待って!」

「ん? どうした――奥さん」

「……もういい……」


 司の指と私の指とが絡まりあっている。

 所謂、恋人結び、というやつだ。これも、普段は中々――と言うか、私からしかやってくれないのに。

 

 しかも――えへへ、また『奥さん』って。


 勿論、気恥ずかしい。けれど、とっても嬉しい。

 結局のところ、私はこの愚兄が――西木司が好きで好きでしょうがないし、独占していたいし、司にとっても自分がそうでありたいのだ。重たいかも? でも、その重さも全部全部愛してほしいのだ。

 ……自分の左手薬指の指輪を見る。よしっ!



「どした?」

「んーん。何でもない~。それで……私の湯上り浴衣姿はどうですか! 素直に言うまで、手を繋いだままだからね♪」  

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