あのね……あのね……ほんとに……ダメ?

「ただいまー」

「おかえり~! あ、鞄持つね~」

「お、おう」


 土曜日の午後、外出から帰ると、何時になく上機嫌な弥生が出迎えてくれた。

 手を洗いリビングへ行くと、間髪入れず


「お疲れ様! 司、珈琲飲むよね? あ、あと、ケーキも買っておいたから一緒に食べよ♪」

「あ、ありがとう」


 ……おかしい。

 確かに我が妹は、変な生態をしているが――あ、あれ? 何時もならここら辺で、考えた事がバレて殴られるのに……何も、ない、だと?

 ソファーに座った弥生が、きょとん、として声をかけてくる。


「どしたの?」

「い、いや……」

「ふふ、変な司ー」


 くすくす、と笑う妹。

 ……嫌な予感がする。こいつ、何かやらかしたのか?

 いや、それともこっちの問題――最近は隠し事してないしなぁ。思いつかない。

 考えながらソファーに座る。目の前のテーブルにはケーキの箱と、お皿と珈琲カップ。


「あ、司から選んでいいよー」

「お前は誰だ!」

「へっ?」

「俺の妹は、ケーキを先に選ばせるなんて事はしない! むしろ、一つ目を選んだ後で、こっちのケーキが美味しそうで『そっちがいい! ちょうだい!』と言った挙句、ショートケーキの苺部分を奪ってゆく女――はっ!」

「……へぇ。愚兄はそんな風に思ってたのね……」

「ま、待て、弥生。だ、だけど、その……事実だろ?」

「問・答・無・用!」

「痛っ! 痛いって!! 本気で噛むな!!」

「がおー!!!」


 腕に噛みついてくる。犬歯を立てるな!

 

※※※


 ――落ち着いた時には、珈琲がやや温くなっていた

 隣には、ショートケーキとモンブランを頬張っている妹の姿。


「まったく! いい? 乙女に向かってああいう事を言うから、女の子にモテないんだからねっ! 猛省するようにっ!!」

「……モテたらモテたで怒るくせに」

「何か言った!」

「何も言ってない。お、このチーズケーキ美味いな」

「でしょでしょ! 大学の友人に教えてもらったの♪ あ、ちょっと頂戴」

「それじゃ、俺にもそっちのモンブランを」

「駄目」

「……酷くね?」

「う~美味しいっ。はい、それじゃ――」

「弥生さんや」

「何ー?」

「それは何でしょう?」

「あーん、だけど?」

「いや、自分で」

「駄目♪」


 くっ……何か今日、いつもより押しが強くないか?

 いやまぁ食べるけれども……。

 あ、美味しいな、やっぱり。


「どう?」

「美味い」

「えっへん! さ、褒め称えるといいわ!」

「弥生の友人さんはすごいなー」

「ていっ!」

「あ、俺のチーズケーキ!!」


 皿から、チーズケーキを手掴みで奪い取り、むしゃむしゃ食べる。

 ああ、でもこういう奴だような。


「……何よ、変な顔して」

「いいや何でも――と見せかけて、とう!」

「あ~私のモンブラン!!」

「交換だ交換」

「む~! 愚兄の物は私の物でしょ!」

「お前の物も俺の物だろ?」

「そ、そうだけど……もうっ! 知らないっ!」


 ぷりぷり、と怒りながらキッチンへ。珈琲をもう一度入れるらしい。

 ふぅ。ようやく少し落ち着けるか。モンブランが載っているお皿を置いて、珈琲を飲む。すっかり温くなってしまった。


「弥生、俺にも珈琲――」


 目の前の机に置かれている雑誌が目に入った。本屋でよく見かける旅行雑誌だ。しかも、ちょっと高級なやつ。

 所々にピンク色の付箋が幾つもうってある。何だ??

 取りあえず、手に取って、ぱらぱら、とめくってみる。

 ほ~温泉かぁ。しかもこの宿、雰囲気良さそう。食事も美味しそうだし。

 肝心の値段はっと――う~ん、出せなくはないけど、ちょっと躊躇する額だ。

 それに、自営業な俺はともかく仮にも学生である弥生と一緒に行くとなる、中々ハードルが高い。予約を取るのも苦労しそうだ。

 まぁ今度の夏休みにでも――さて。


「あー弥生さんや」

「何?」

「どうして、後ろから俺の頭を抱きしめておられるので?」

「司が逃げないように。これは必要行為です」

「そうですか」


「それに――好きでしょ? こういうの」


「ごほっ! ごほっ!!」

「あ、何やってんのよ愚兄! あ、汚い。拭いてよね~」

「いや、だって、お前が……何でもない」

「? あ、そういう事か~ふふ♪」


 弥生の声色が変化する。

 ま、まずい……ここは態勢を立て直さなければっ! 


「で、こ、この雑誌はどうしたんだよ? 何か、付箋がいっぱいついてたけど」

「下手糞な話題逸らし~。まぁ、乗ってあげる。西木司さん」

「あい」

「最近、可愛い可愛い、世界で一番可愛い妹とのコミュニケーションが不足していると思いませんかっ!」

「別にして」

「そうです! 圧倒的に足りていません!! これは由々しき……そう、世界的大問題! 国際法違反ですっ! ……何よ。ちょっと、可愛い編集さんが担当になったからって、ニヤニヤしちゃってっ! ……確かに可愛かったけど」

「おーい」

「な・の・で! 慈悲深い私はそんな西木司さんに、救済措置を設けてあげることにしました。じゃーん」


 後ろから手が伸びてきた。握られていたのは――チケット?

 よく見ると、宿の名前が書いてある。この名前――雑誌で当たったのか。

 驚いて振り返る。


「弥生」

「……温泉、行こ」

「いや、お前、それは」

「駄目?」

「駄目じゃないけど」

「なら!」

「……これ、使えるの平日だぞ? 講義どうするんだよ」

「やすむ」

「駄目です」

「やすむ!」

「駄~目」

「やーすーむー!!」

「……あのな、弥生。母さんと父さんと約束したろうが? 『大学はちゃんと行くから!』って」

「……したけど」

「今度の長期休暇に連れてくから、な?」

「…………」


 さっきまでのハイテンションが嘘のように、しゅん、としている。

 ぐっ……だ、駄目だ。ここは心を鬼にせねば。

 そうしないと俺まで流されれば全てはなし崩しに――弥生が、前方に回り込んで、ちょこんと、座る。

 そして、こちらを見上げ、目を潤ませながらこう言った。



「あのね……あのね……ほんとに……ダメ?」


 

 ――世の中には避けようがないものが存在することを学びました。

 来週は二人で温泉に行って来ようと思います。

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