……まったくもうっ! もうったら、もうっ!!

「それじゃ、先に出るから。鍵はちゃんと閉めるように」

「分かってるわよ。……行ってらっしゃい」

「む……やけに素直だな。怪しい――何を企んでる?」

「失礼ね。私は何時も素直で可愛くて美人で――」


 ガチャン、と玄関が締まった。

 む~最後まで聞かないなんてっ。愚兄の分際で生意気っ!

 だけど……ふふふ……この私を甘く見過ぎなのよね、あいつは。

 いそいそ、と準備に取り掛かる。


「えーっと……確か、駅で待ち合わせをしてから移動、って言ってたから……」


 携帯で所要時間を確認。

 うん――先回りするには十分ね。

 どうせ、打ち合わせをするのは例の喫茶店だろうし。

 問題は、このまま行くと、すぐにバレてしまうこと。

 ほら、私ってば少しだけ美人だし? 

 と言うか、あの愚兄の好みドストライクだし?

 この前だって、目が一瞬しか合ってないのにすぐ気付いてたし?

 何しろ小さい時から研究に研究を重ねて、そういう風に自分を磨きに磨いたから当然――こほん。 

 とにかく、このままではマズい。何がマズいのか、自分でもよく分かってないけど……嫌なものは嫌なのだ。大人げないのは自覚してるけど、自分の目で確認しておかないと、納得出来ない。

 

 しかし、この西木弥生に死角なし! 

 

 ……待ってなさいよ、愚兄。

 可愛い妹を置いてけぼりにした罪は重いんだからねっ! 

 「いや、大学があるだろ? それとこれは仕事だからな?」じゃないわよ! 

 今日の大学は自主休講にする。します。もう決めましたー。

 だって――だって、司の新担当さん、女の人らしいんだものっ!



※※※



「……先生」

「何です?」

「さっきから、どうしてそんなに嬉しそうなんですか……? 今日は……僕の後任を紹介する、悲しい悲しい打ち合わせなんですよ……?」

「いや~そんな事はないですよ。悲しいです、ええ」

「……やっぱり、僕……僕……副編集長なんか辞退をしてっ!!」

「駄目です」

「……うぅ……先生は厳しいです……」


 何時もの喫茶店の、何時もの席に陣取り、思い詰めた様子の前担当さんで遊んでいると、窓の外に走る若い女性が見えた。 

 多分、この人かな?

 喫茶店に入って来ると、きょろきょろと店内を見渡している。当たりのようだ。

 前担当さんが、手を振り合図。

 

「遅いっ! 初めての顔合わせなのに。あれだけ遅れるな……と念押しといたのに、まったく、何を考えてっ」

「まぁまぁ。電車が止まったのは不可抗力ですよ」

「それは……そうですが……」

「カリカリしちゃ駄目です。碌な事がないですから。ほら、僕のケーキあげます」

「本当ですか!? ありがとうございます。さっきから、美味しそうだなって――先生、今、僕は真面目な話をしてるんですっ! 編集者たるとも、電車が遅れようが、止まろうが、時間内に辿り着く。この精神なくして、この厳しい厳しい出版業界で生きていけましょうかっ! いえ、生きていけませんっ! これは、先輩である僕の、彼女に対する」

「――はぁ、はぁ……遅く……なりました……」


 僕等の席にやって来たのは、すらりとした長身の女性だった。

 控えめに言っても美人だ。肩までの髪を茶色に染めているが違和感はなく自然。 駅から駆け通しだったのかもしれない。息を切らしている。

 ……それにしても若い。多分、うちの愚妹とそんなに変わらないだろう。

 確か、新卒2年目と言われた気がする。

 となると、23、4か……おおぅ……。

 そんな事をつらつら考えていると、目の前の子がいきなり深々と頭を下げた。


「申し訳ありませんでしたっ! 初めての打ち合わせに遅れてしまうなんて……」

「大丈夫ですよ。気にしないでください。副編集様で遊び――色々な話が出来ましたから。偉くなってしまわれたから、今後はこういう話も出来なくなるでしょうしね」

「……先生、僕は担当から外れますが、ファンを辞めるつもりは毛頭ありません。一生、追いかけ続けますっ!」

「それはまぁ、ありがとうございます。さ、おかけください。飲み物は何にしますか?」

「い、いえ、あ、あの……」

「ルールその①です。基本的に僕との打ち合わせはこの喫茶店になります。その時は遠慮なく好きな物を頼むこと。因みに、僕はケーキセット一択です」

「は、はい。では……私も先生と同じ物を」

「アイスコーヒーでいいですか?」

「はい。ありがとうございます」

「…………先生、デレるのが早い、早過ぎますっ。僕の時は、そうやって注文を聞いてくれるまで、半年以上かかったのに。これが、差別。男女差別なんですかっ!?」


 馬鹿な事をぶつぶつと呟いている偉い人。

 いやぁ、だって……ねぇ? 

 目の前で、悲壮な顔を浮かべて、青褪めている新人編集さんにしてこれから、迷惑をかける新担当さんと、僕と組む前からバリバリの第一線だった貴方とではおのずと、対応は変わるでしょう。

 ええ、決して、奥さんの惚気話が鬱陶しかったわけじゃないんですよ?

 ――彼女のケーキが運ばれて来るまでの間に自己紹介。


「改めまして、西木司です」

「桃木野かをりです。よろしくお願いします」

「桃木野さんは」

「あ、あの……桃、と呼んでください。よ、呼びにくい苗字なので」

「では、桃さんで」

「は、はいっ!」

「……何ですか。ここは何時からお見合い会場になったんですか。ほら、御仕事、御仕事です」


 偉い人が、ジト目で見て来る。

 お見合いって。ごく自然な会話だと思う。

 はぁ、やれやれ。これで、あいつまでいたら大変な事に――



『そうよっ! 何よ、デレデレしちゃって……まったくもうっ! もうったら、もうっ!!』


 

 おかしい。幻聴まで聞こえてきた。疲れてるのかなぁ。

 ……って、そんな訳あるかっ!

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