私は、ずっと司のだから、ねっ?

「そうですか……残念です……」

「ごめんなさい……必死に抵抗したんですが力及ばず……。やはり、今から直談判にっ!!」

「駄目です」

「そ、そんなっ! 先生は……先生は僕と離れ離れになって平気なんですかっ!? 今まで共に過ごしたあの日々は嘘だったと!?」

「えーっと……案外と平気かもです。あ、きちんと引継ぎはしてくださいね?」

「……酷いです。ぐれてやりますから」

「はいはい」


 目の前で、半泣きになりながら甘ったるい(この世の物とは思えない程に甘い。と言うか、カカオを謳いながら、甘いだけってどうなのだ)ココアを飲んでいる担当編集――うん、男だと思う。恐ろしく整っていて、華奢だけど男な筈だ。綺麗系な新妻までいるし――をたしなめつつ、珈琲を飲む。

 相変わらず、ここの喫茶店のは美味しい……ココアはちょっといただけないが。

 今日は、新作の打ち合わせの予定だった、けれど、来てみたらこの有様である。

 いやまぁ、正直な話、そろそろかなーとは思っていた。編集長にもそれとなく言われていたし、驚きはない。

 何より――この編集さん有能過ぎるし。


「ほら、泣かないでください」

「だってぇ……」

「御昇進されて、新しい雑誌の副編集長にいきなり抜擢されるなんて、凄いじゃないですか」

「……僕は先生の編集の方がいいのに」


 彼と初めて会ったのは、何年前だったか。少なくとも、デビューして数年間は経っていたと思う。


『先生は先生が、面白い、と感じられた物語を書いてください。それを世に広めるのは僕の仕事です』


 ……不覚にもカッコよかった。

 まぁ、本人には言ったことはない。すぐ図に乗るし。何だろうか? 何処となくよくよく知っているあいつに似ているような。

 色々あったけれど、今まで二人三脚でやってきて、結果、生き残る事が出来ているし、有難い事に固定のファン層も着いて来てくれている。

 それもこれも、目の前で拗ねているこの人がいたからだろう。感謝はしている。

 苦笑しながら、テーブルの上に小箱を置く。


「これは?」

「大分、遅れましたが。ホワイトデーのお返しです」

「せ、先生……!」

「ああ、そんな御大層な物じゃありませんよ。奥様と一緒に食べてください」

「ありがとうございます、大事に食べますね。だけど、妻には内緒です」

「どうしてです?」

「……全部、食べられるからです。あの子も先生の大ファンなので。家で話す度に嫉妬が凄くて……」

「は、ははは」


 世の中は狭い。よもや、近くに自分の本を読んでいる人がいるとは。

 何だかなー、と思っていたその時だった。

 入り口が開き、二人の女性が入って来るのが見えた。大学生かな?

 逆光で顔は見えないけれど、先頭で入って来た子は歩き方からして快活そう。

 そして、その後ろにいる子は見るからに綺麗な――扉が閉まり、光がなくなり、視線が交差……おぅ。

 慌てて視線をテーブルへ。取り繕うように珈琲を飲む。

 近づく軽快なヒールの音。おい、馬鹿、止めろ。

 ちょうど後ろ側の席に座る。観葉植物が壁になっていて、顔はお互い見えない。

 けれど、声は聞こえる。


「うわぁ……凄い、雰囲気がいいお店ね。弥生は、何時もお兄さんと来てるの?」

「まさか。あいつと来る理由がないじゃない。普段は一人よ。……どうしても、って言われて何度かは一緒に来た事もあるけど」

「へぇー」


 こ、こいつ……どの口が言いやがるのか……。

 一昨日だって、こっそり珈琲を飲みに行こうとしたら『何処行くの? あ、あの喫茶店? 私も行くっ!』と言ってただろうがっ!

 メニューをめくる音。


「色々あるのね。弥生のお勧めは?」 

「そうね……やっぱり、珈琲が美味しいと思うわ」

「そっかぁ、あ、でも紅茶もいいなぁ……ケーキセットも気になるし……」

「ケーキは何で迷ってるの?」

「シフォンケーキとチョコレート。うぅ、迷うぅ」

「それなら――すみません、ケーキセット二つで、シフォンケーキとチョコレートケーキ。珈琲と紅茶で」


 さっさと頼む我が愚妹。

 ……いや、お前、それ毎回、俺がやってる事じゃ。


「――弥生」

「?」

「カッコいい。惚れたわ。抱いて!」

「はいはい」

「それにしても――最近どうなの?」

「何が?」

「その指輪よ。最初、見た時は驚いたけど……」


 そりゃまぁそうだろうなぁ……。

 大学には外して行くか? と聞いたら『何も問題ないから付けてくけど?』と言っていたが。どうやって説明をしたんだ?


「でも、弥生だもん。男避けに着けるのは仕方ないわよね。凄かったし……で、やっぱり減った?」

「ええ、大分減ったわ。でもまだいるし、最近はこれも付けてるけど」

「あーこの前から着けてるお揃いのネックレスね。それ、凄く可愛い! 弥生も大変よね……美人には美人の悩みがあるんだなぁ、って思ったもん」

「ふふ、美咲も可愛いわよ」


 ……うちの妹、ちょっと怖いです、ハイ。

 外せ、と言うと世界の終わりを告げられたような顔になるくせに。

 よくもまぁペラペラと嘘八百を――ん? 

 

「どうされましたか? 先生」

「ああ、ごめんなさい。何でもないですよ。そろそろ、行きましょうか。次は新しい編集さんを紹介してくださいね?」

「……はい。ですが、僕は担当から外れても、先生を応援してますからっ! 何時までも、何時何時までもっ!」

「ありがとうございます」


 ほんといい編集さんだなぁ……。

 まぁだけど、お願いしますから、ここでそういう風に手を握り締めるのは止めてくれませんかね。後が怖いので。



※※※



「あら、愚兄、もう帰ってたの。お早い御帰りね」

「いやお前、どの口が言うのか……」

「口にしてないしー。メールだしー」

「しかも、今時、メールって……」


 『先に帰ってて。すぐ帰るから』といきなり書かれてもなぁ。

 いやまぁ、打ち合わせは終わってたしいいけれども。


「で? どうした?」

「ふふふ~。取りあえず、そこに座って!」

「うん?」


 言われた通り、ソファーに座る。

 すると、いそいそと弥生も隣に。隙間は何時も通り無し。


「あー弥生さんや」

「うん」

「……どうした?」

「べっつにぃー。ただ、こうしてたい、だけ」

「そか」

「そうです。あと……あの編集さんの匂いを上書き。そして、今日はちょっと違います。ここから、こうします」

「……いや、いいけどさ」


 頭を膝の上に乗っけて来る。そして、こすりつけてくる。

 妙に甘々だな。

 何かあったっけか――あー、そういう事な。


「弥生」

「……駄目、言わないで。反省してるから。自分の性格が嫌になってるところだから。回復中なの」

「さいですか」


 仕方ないので、ゆっくり頭を撫でる。

 別に気にしてないんだがなぁ。説明も面倒だろうし。

 あれこれ、考えていると視線。


「司」

「うん」

「――素直じゃなくてごめんなさい。私は、ずっと司のだから、ねっ?」



 取りあえず、その晩はずっと甘やかしておいた。 

 人はこれを不可抗力と言います。多分。

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