えへへ――チョコだけだと思ってたでしょ?
「ただいまー」
「おかえり!」
編者者との打ち合わせを終え、家に帰ると弥生が上機嫌で出迎えてくれた。
普段は我が儘猫だけど、今日はまるで犬みたいだ。思わず、頭を撫でる。
きょとん、とした後すぐに満面の笑み。自分から頭をこすりつけてきた。
「えへへ♪ くすぐったいよぉ。もっと撫でて?」
「んー」
「~♪」
鼻歌まで……いや、まぁ楽しみにしてるのは分かるけどさ。
頭を撫でつつ(弥生はこちらに当然の如く引っ付いている)リビングへ。
花瓶には昨日渡した花束が活けてあった。うん、元気だ。
鞄を置き、さてコートを――
「なぁ」
「なーに?」
「ちょっと、離れてくれ。脱げん」
「やだっ」
「何でだよ?」
「今日は何の日だと思ってるの?」
「そりゃお前……ヴァレンタインデーだけど」
昨日、あれだけ連れ回しておいて何を言っているんだか……。
しかも、こちらにくれるチョコを、何故か自分で選ばず、選ばせる、という謎ルールまで適応したのは、お前だろうに。
まぁ、美味しそうなのを奮発(財布もこっちもちだった。……これどう考えてもおかしいな。理不尽っ)したからなぁ。
「そうですっ! なのに、誰かさんは、可愛い可愛い妹を置いてきぼりにしていきました。これは大罪! 許し難い罪っ!」
「はいはい。後で聞くからなー。これで遊んで――ちっ、骨がないな」
「骨?」
「こっちの話だ、気にするな駄……こほん。愚妹」
「ねぇ……今、変な言葉が聞こえたんだけど?」
「気のせいだ。ああ、あと、これな」
「…………愚兄」
「ん?」
「正座」
「はぁ?」
「せ・い・ざっ!」
鞄から小箱を取り出すと、さっきまでの上機嫌は何処へやら。一瞬の内に、憤怒の表情。
……いや、何でだよ? 仕方ないから、正座はするけれども
「今から、裁判を始めます。被告に弁護権はありません。全てを包み隠さず、ありのままに語ることっ! いいわね?」
「ど、何処の独裁国家なんだ、いったい……」
「被告、西木司は今日、誰と会っていましたかっ?」
「……編集の人だけど? 前から伝えておいたろうが?」
「ふ~ん。それじゃ聞くけど――それは?」
「それって? 見ての通りチョコだろ? 中々、気合が入ってるよな。これ、有名店の限定品」
「はい、死刑」
「……おい、幾ら何でも」
「し・け・いっ! なのっ!」
そう言い、ぎゅーっ、とこっちを抱きしめてきた。
はぁ……誰に嫉妬してるんだか……。
背中をぽんぽんしつつ、問いかける。
「なぁ弥生さんや」
「んー」
「
「んーんーっ!」
「いや、お前……ちょっと、俺の事、その、好き過ぎやしないか?」
「…………そんなことないもん。普通。そう、普通よっ。と言うか、何で男の人が、わざわざここまで気合の入ったチョコを選んでくるのっ!?」
「渡して来る時、それはそれは嬉しそうだったな……〆切りより随分早く小説が完成した時でもあんな表情は……」
「!? ま、まさか……」
「ああ、新婚さんだってのも話したよな? 写真も見せてもらった」
「世の中は不思議な事だらけね……」
「ああ……」
ようやく、解放してくれたのでコート脱ぐ。
ジト目でこちらを見るなよ。
……この分だと、編集部に届いてるらしいチョコの事は話さない方が良さそうだ。藪をわざわざ自分から突くのはよそう、うん。
洗面所で手を洗い戻ってくると、弥生の姿はなかった。おや?
「弥生ー?」
返事はなし。はて? 隣の部屋かな?
まぁ、いいか。取りあえず、濃い珈琲を入れて、っと。
時間は丁度、おやつ時。昨日、買ってきたのを折角だから食べてみようか。
実は結構楽しみなのだ。お洒落な包み紙を丁寧に取る。
おお、見るからに美味しそう――と思った横から手が伸び奪われた。
「……おい」
「私も珈琲」
「ったく。ほら」
「ありがと。お礼がほしい?」
「いや別」
「欲しいわよね? 欲しいって言いなさいっ!」
「……欲しいです。ハイ」
「仕方ない愚兄ねぇ。はい」
「あえて聞こう――それは?」
「食べさせてあげるわよ。嬉しいでしょ?」
「ふむ、そうか。なら、俺も」
「へっ? ひぅ」
弥生のを口でぱくり。おお、美味い。
拍子で指を舐めたような……気にすまい。うん。
お返しにチョコを一つ摘み、弥生の口へ近付ける。
頬がみるみる内に赤くなっていく。
目をじっと見ると、狼狽の色。
意を決したのか、目を閉じ、口を開く。
そのまま――
「ああ、やっぱり、これ当たりだな。ん? どうした? ああ、もしかして……何処かの愚妹さんは自分も食べさせてもらえると思ったのかなぁ?」
「死ねばいいのにっ! もうっ!! どうして、こういう時も意地悪――」
叫んでいる弥生の口へチョコを放り込む。
ふふふ、その美味しさの前では怒りを維持出来まいて。
机の下から蹴るなっ。
「……司の馬鹿。馬鹿。大馬鹿っ。もう一個!」
「はいはい」
「私も食べさせたいっ!」
「はいはい」
そう言い合いながら、食べさせあっているとすぐなくなった。
高いチョコって数が少ないからなぁ。適量なんだろうけど……もう少し欲しい気もする。
……ん?
「なぁ弥生」
「なーに?」
「あーその、だな……」
「あれぇ? どうしたのぉ? 顔が赤いわよ? 私はまだ何も言ってないけどぉ? ほら、ちゃんと私の目を見て言ってっ!」
ぐっ……こ、こいつ、分かってるくせに……。
いや、机の上に置かれたそれを見た瞬間、これから起きる事を連想してる俺もどうかと思うけど……・
「その赤いリボンは?」
「ああ、これ? 可愛いでしょ? はい、ヴァレンタインデーだから、ね? それと――」
弥生が笑いながらこちらを見て椅子から立ち上がり、歩いてきて、こちらの膝上にちょこんと座った。
上目遣い。頬が染まっていて破壊力が増大。
不覚にも――可愛い、という単語以外が消失する。
「えへへ――チョコだけだと思ってたでしょ? ほーら、早く髪を結んでよ。何しろ、今年のヴァレンタインデーのプレゼントは『私』だから、ね?」
――流石にこういうのは反則だろっ!?
それにしても、これの三倍返、か……えっと、重たい紙、かな?
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