馬鹿……私だって――私の方がっ

「うん、いい味。これで準備は出来たかな。さてと――」


 ハヤシライスが入った鍋の火を消して、エプロンを外す。

 時計を確認。夕方5時30分。

 まだ、姉さんと唯ちゃんは帰って来ないかな。サラダも作り終えてるし、どうしよう?

 取りあえず携帯電話は――着信無し。今日で三日間も声を聞いてない。

 「小説に集中したい」――分かるけど、分かるけど……だけど、可愛い可愛い妹を置いて、ホテルで缶詰めになるなんてっ!

 ……面白くないっ! ないったらないっ!! 

 しかも……あの愚兄、私から連絡すると思ってるわね?

 何時もは確かに私からする事ばかりだけどっ。

 ふ、ふんっ! 今回は絶対にしてやらないんだからっ! 泣いて懇願するまで帰ってあげない。

 ま、まぁどうしてもって言うなら、すぐに帰ってあげても――

 と、思っていたら突然着信。


「もしもし!」

『――残念、誰かさんじゃないわよ?』

「ね、姉さん。……ち、違うんだからね? 別に私は司からだなんて思ってないんだからね?」

『あれぇ? 別に私は『司』だなんて言ってないけどぉ? 弥生は、愚弟だと思ったみたいだけど。ワンコールかからず取るなんて、よっぽど声が聞きたいの? 恋しくなっちゃったのかしらん?』

「うぅぅぅ……」

『ふふふ、相変わらず弥生は可愛いわねぇ。こんな子を放っておくなんて、あの愚弟には今度お仕置きが必要ね』


 電話口からは心底楽しそうな声。もうっ!

 姉さんのことは大好きだけど、こういう風にからかってくるのは止めてほしい。 そういうのはあの愚兄にだけしてて!


「そ、それで、どうしたの? そろそろ、唯ちゃんを迎えに行く時間だよ?」

『そうなのよ。ちょっと、急な会議が入っちゃって……夕飯までに帰れそうなんだけど……』

「そっか。それじゃ唯ちゃんは私が迎えに行くよ」

『お願い出来る? 旦那も明日まで出張でいないから助かるわ。弥生は美人さんだし、家事も完璧だし、性格も良いし、何時お嫁に行っても大丈夫ね! お姉ちゃんが大小判を押しちゃうっ!』

「お、お嫁さん……べ、別にそ、そんな相手なんか……その、い、いにゃい――こほん、いないし」

『そ。じゃあ、司に私の同僚を紹介』

「ダメっ! 絶対にダメっ!! あいつは私の――あ」

『ふ~ん、そっかぁ。そうなんだぁ~。弥生は司を誰にも渡したくない、と』

「うぅぅぅぅぅぅ……」


 ちょっと愚兄の気持ちを理解出来てしまった。

 これに耐え続けるなんて……凄いわ。


『おっと、そろそろ始まるわ。唯のことをお願いね。それと――待ってて大丈夫。あれで、司は一途よ』

「!」

『ああ、ごめ~ん。弥生が一番よく知ってたわね。ね?』

「ね、姉さんっ!」

『ふふ、どうせすぐかかってくるわよ。あいつだって、そろそろ限界だと思うし。ああ、その時は素直にしなきゃ駄目よ? それじゃ、後でねー』


 返事も聞かずに電話が切れる。もうっ!

 ……とにかく、唯ちゃんをピアノ教室まで迎えに行かないと。

 この前、弾いてもらったけどかなり凄い。もしかしたら将来はピアニストになれるかも?

 残念ながら、私は楽器が出来ない――中学・高校の授業でオルガンを一通りやっただけ――ので、何とも言えないけど。

 きっと、司なら『唯は凄いなぁ』と言って優しく声をかけるのだと……って違うっ! あ、あんな愚兄のことなんか知らないんだからっ。

 コートを羽織り、軽く身だしなみを整える――お化粧はいいかな? 誰かに見せるわけじゃないし。それに司もあんまし好きじゃない――これは駄目だ。何が駄目かは言葉に出来ないけど、間違いなく駄目だ。

 私って……あんまり認めたくないし、きっとそうでもないけど、もしかしたら、ほんの少しだけあの愚兄に依存してるのかも……?

 自然と溜め息をつく。

 まぁいいや。唯ちゃんの迎えに――携帯が着信。どうせ、姉さんでしょ。


「……はい。まだ何かあるの?」

『――三日ぶりだってのに、中々棘があるなぁ』

「!?」


 驚き過ぎて思わず携帯を落としそうになる。

 ま、まさか、あの愚兄からかけてくるなんて……。

 ――えへ、えへへ、えへへ♪

 嬉しさがこみ上げてくる。いけない。

 あくまでも怒ってる風を装わないと。


『もしもし? 弥生?』

「――聞こえてるわ。それで、何の用?」

『何の用って……作業が終わったから電話しただけだよ。今日、帰るよ』

「ふ~ん」

『な、何だよ?』

「……三日間も連絡くれなかった」

『いやまぁそれは……』

「……私は待ってたのにっ! あと、「着いて行くっ!」って言ったのにっ!」

『だってなぁ……』

「どうせ司は私のこと、言う程好きじゃないんでしょ?」

『どうしてそうなるんだ……無理なんだよ』

「何がよ?」

『そ、それを言わすのか……』


 電話越しに聞こえる司の声――さっきから鏡に映る私の顔は緩みっぱなし。

 姉さんにはとても見せられない。

 司は何かを躊躇っている――どうしたのかしら?


『――いいか? 一度しか言わないからな?』

「うん」

『お前と一緒にいたら、どうしても――その、意識するだろ? 集中して作業する時は、さ。一人の方がいいんだよ』

「どうして~?」

『ぐっ……そ、それは……』

「あらあら~? 言葉に出来ないのかしら~?」

『……お前、分かってて言ってるだろ。まぁいいや――それじゃな』

「えっ?」


 電話を切れる。

 う、嘘でしょ? も、もしかして……本気で怒った……?

 ――玄関のチャイムが鳴った。

 もうっ! こんな時に何処のどいつよっ!!

 開けた瞬間――抱きしめられる。



「わふ」

「声を聞いたらさ、どうしたってこうしたくなるだろ?」

「――馬鹿……私だって――私の方がっ」



 ――この後、唯ちゃんを二人で仲良く迎えに行きました!

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